ケンのブログ

日々の雑感や日記

普通の子に見える

2021年08月22日 | 日記
最近コンビニに行くと〇〇坂46というような感じの文字が書いてある旗が立っていて、そこに10人くらい20歳前後と思われる女の子の写真が出ている。

〇〇46って時々雑誌の表紙で見たりする名前だからそこそこ有名な人なのではないかと思う。

ただ、僕が見るとなぜか、そのコンビニの旗に写真が出ている女の子よりも、例えば大阪のヘップナビオの前で普通に待ち合わせをしている子とか、その旗が出ているコンビニでレジをしている子の方が可愛いんじゃないかと思ってしまう。

なぜなのだろう。

顔にパワーがないというかそんなふうに見えてしまう。

ネットでいろんなサイトを調べると〇〇46ってどういうコンセプトで売り出している子だとか情報があるとは思うけれど、あえて調べないで、感想を書くと、特に可愛い子を売るというコンセプトではなくて、そのへんにいる子と変わらない子というコンセプトで売り出しているのだろうか。

ちょっとわからないけれど、、、。

もし、普通の子というか等身大の子ということで売り出しているとすれば時代も変わったものだなと思う。

59歳の僕の目から見ると何がいいのか理解に苦しんでしまう。

眼力(めじから)があまりにもない子たちのようにも見えたりするし、、、。

たとえば、僕が小中高生のころのアイドルと言えば、山口百恵さん、松田聖子さん、を始めいろんな方がいた。

百恵さんも聖子さんも絶世の美女というのとはちょっと違うかもしれないけれど、でも十分にオーラがあったような気がする。

それとも百恵さんがアイドルだったころにすでに60歳近い年齢だった人は、あんなものどこがいいのかわからん という目で百恵さんのことを見ていたのだろうか。

そうだとすれば単に時代は繰り返すという話になるけれど。

まあ、今は旗に写真が出ていても1年後には表舞台からは消えているかも知れない子と、引退して何十年も経ってもそれなりに知名度のある百恵さんを比較することがそもそもフェアではないのだろうとは思うけれど、、、。

そんなことを考えていたら思い出したことがある。

3年くらい前に京都の地下鉄に乗ったら、途中駅からお父さんと一緒に乗車してきた中学生くらいの女の子が、南こうせつさんのLPをもっていた。

きっとお父さんと一緒に中古レコード店に行って買ってきたんだろうなと思った。

LPの帯には「夢一夜」と書かれていた。

僕は見ず知らずの女の子に話しかけることなどほとんどないのだけれど、「夢一夜」という文字を見ていたらなんかこらえきれなくなって、その女の子に話しかけてしまった。

隣にお父さんがいたのに、、、。

逆に隣にお父さんがいたから話しかける勇気が湧いたのかも知れない。

「その帯に書いてある『夢一夜』っていう歌ね、阿木燿子さんの作詞だよ。阿木燿子さんって山口百恵さんの歌もいっぱい作詞してるよ」と僕は言った。

すると女の子は
「山口百恵知ってます。今度は山口百恵のレコード買います」と言った。

なんか女の子もちょっと興奮している感じだったし、僕も女の子がそんなふうに反応したので緊張してしまってそこから、話が続かなくなってしまった。

僕は「ああ、そう、いいね」と言っただけだった。

もうちょっと、会話が続くように言葉が出るといいんだけれど、それがなかなか、、、。

でも、中学生や高校生の子が百恵さんの歌に興味をもってくれることは、僕の世代の人間にとっては嬉しいことだなと心のなかで思っていた。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
高校野球、場合によっては8月末まで伸びる可能性があるようなこと新聞に書いてあった。

その話を知り合いの人にしたら
「やるほうもかわいそうだね」と言っていた。

確かに、天気を気にしたり、グラウンドの状態を気にしたりしながらのプレーは大変と思う。

暑くても、晴天の下でやる高校野球が僕も心象風景に焼きつているので、できればそれを望むのだけれど、、、。

それはともかく いちにち いちにち 無事で健康に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。







笑福亭仁鶴さんなくなる

2021年08月22日 | 日記
笑福亭仁鶴さんが亡くなられたと新聞に出ている。

ボンカレーのコマーシャルの「3分間まつのだぞ」「じっと我慢の子であった」という子連れ狼をもじったセリフが流行したと新聞に出ている。

僕もあのころはボンカレーのコマーシャルよく見ていた。

仁鶴さんがコマーシャルで喋っていたもっと長いセリフも僕、暗記している。

こんなセリフだ

「ボンカレー湯の中チャポーン
どこ行くのやー
ちょっとそこまで」

このセリフ仁鶴さんが透明のお鍋の中にボンカレーを本当にチャポンと入れながら話していた。

だから、「ちょっとそこまで」というのはお鍋の底とちょっとそこまでの そこ の掛詞であることはテレビの映像を見ていれば子供でもわかった。

この仁鶴さんのセリフがとても僕の印象に残っていた。

小学校の休み時間に、その「ボンカレー湯の中チャポーン どこ行くのや? ちょっとそこまで」を実際に僕がしゃべってみたら、周りにいたみんなに意外なほど受けて自分でもびっくりしたことを覚えている。

そして、関西に来て、漫才などを心斎橋と難波の中間くらいのところにあった角座などで見るようになって、このセリフを使ったギャグがよく出てくることも知った。

典型的なのはこんな感じ

「関西人の会話

どこ行くのや
ちょっとそこまで
へえ、そないでっか、、、

何言うとるか、結局わかれへん

そこではどこかわかれへんのに
そないでっかと返事しとる」と。

こんな漫才でのやりとりを聞くたびに子供の頃に覚えた仁鶴さんのセリフを思い出していた。

寅さんのセリフ
例えば
「四角四面は豆腐屋の娘。色は白いが水臭い」なども僕は暗記している。

仁鶴さんのセリフや寅さんのセリフを僕が暗記してしまうのは、僕の記憶力もまあ、平均よりはいいほうだと思うのだけれど、それよりも、セリフを語るときの仁鶴さんや渥美清さんの節回しが巧みだから、記憶に残るというよりは耳に残るのだと思う。


同じことを語っても、あの人の節回しだからこそ面白い、そんな役者さん少なくなったなと思う。

そして節回しが印象深く聞こえる前提として
四角四面は豆腐屋の娘 にしても ボンカレー湯の中チャポーン にしても多少の字余りはあるものの基本は五七調あるいは七五調であることも忘れてはいけないと思う。

五七調や 七五調の言葉も最近減ったなと思う。

「土曜の夜は立ち稽古 桑田佳祐のやさしい夜遊び」みたいなちょっと微妙に字余りの七五調は最近聞いたような気がするけれど、、、。

そういえば桑田佳祐さんも寅さん好きだと言ってたっけ。

仁鶴さんの「3分間待つのだぞ」「じっと我慢の子であった」ももちろん僕の記憶に定着していた。

そして、それが僕の潜在意識にあったのだと思う
会社のお昼休みにボンカレーではなくカップヌードルを買ってきて、お湯を入れてタイマーを三分間かけて、カップヌードルのカップの前でじっと背筋を伸ばして無言で座っていたら、それを見ていたM係長が思わず吹き出してしまったことがある。「フヒョヒョヒョヒョ」という感じで。

きっとM係長の心のどこかにも3分間じっと我慢というのがあって、文字通り僕がそれを実践したからあのときM係長はおもわず吹き出したのだと思う。

なつかしいな。

本当に仁鶴さんのおかげで僕も人生の中で何回かひとに受けたことがあって、感謝したい。

心よりご冥福をお祈りいたします。

いちにち いちにち 無事で健康に過ごせますように、それも願っていきたい。