8月11日が僕の誕生日で59歳になった。
同じ誕生日の有名人は
作曲家の古関裕而さん。
この時期は 「栄冠は君に輝く」と「長崎の鐘」が特に心に浮かぶ。
「鐘の鳴る丘」も好き。
古関裕而さんの歌を聴くと勇気が湧いたり、気持ちが前向きになることがあるなと思う。
何年か前に8月11日が山の日という祝日になったけれど、ちょっと今年はわけのわからなことになっていた。
テレビをあまり見ないので、ニュースに疎いのかもしれないけれど、8月9日の新聞には振替休日とかいてあるだけで、日の丸のマークは紙面に出ていなかった。
祝日は日の丸が紙面に出る新聞を僕はよんでいるのでどういうことかと思っていた。
それならばいわゆる旗日は今日なのかと思い新聞を見ると日の丸は出ていない。
本当に、祝日がどういう扱いになったのかちょっと不思議だ。
まあ、ネットで検索して調べればなにか書いてあるサイトがあるのだろうけれど、ちょっと今はそこまで調べるのが面倒な気分だ。
京都に気軽に行けた頃は、こういうときは京都に行って旗の扱いはどうなっているのか、街を歩いてみる楽しみがあったけれど今は京都からは離れているので、、、。
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県庁所在地の百貨店に茄子紺に白抜きの水玉模様の有田焼の急須があった。
僕は父が船員で、神戸の、摂津本山と住吉駅の中間点あたりの船員寮に父の船が神戸港に停泊したときに岐阜からでかけて行っていた。
そこの寮のテーブルの上にいつもおいてある急須が茄子紺に白抜きの水玉模様だった。
子供って、規則性のある模様に興味を示すことが多い。
例えば、正方形のタイルを敷き詰めたスーパーマーケットの床を見るをそこでケンケンパと始める子供など今も後をたたない。
僕もご多分にもれず、規則性のある模様に興味があったから、神戸の寮の急須の水玉の柄を今も覚えているのだと思う。
しかし、懐かしいな。
そこの寮母のエンドウさんという方は
「ケンちゃん、走ったらこけるで」が口癖だった。
岐阜では転ぶ(ころぶ)という言い方をして こける という言い方はしないので、神戸ではこけると言うのは子供の僕にとっては新鮮な発見だったし、また「走ったらこけるで」という言い方が耳に心地よかった。
たぶん親しみを込めた感じで こけるで とおっしゃっていたので耳に心地よかったのだと思う。
茄子紺に白抜きの柄がそういうノスタルジーに浸らせてくれるものまたいいものだなと思う。
茄子紺で思い出したけれど、地下の食品売り場には、ゼブラ茄子という茄子があり、本当にその名の通りシマウマ模様だった。ただし、パープルのような色と白のシマウマ模様だけれど。
商品の説明書きのポップを見ると身が引き締まっていて煮崩れしないとのことだった。
また、ゆずの横に、ゆずと同じくらいの小さい茄子がおいてあり、漬物に最適と書いてあった。
ゆずの横にゆずと同じサイズの茄子を置くというのも商品の陳列の工夫のひとつなのだと思う。
本当に今は茄子の品種もいろいろだなと思う。
それはともかく いちにち いちにち無事で健康に過ごせますように、それを第一に願っていきたい。