ケンのブログ

日々の雑感や日記

新しい時代

2022年09月09日 | 日記
暦を見ると 今年の 十五夜は 9月10日になっている。

それで その 十五夜を ネットで調べると 関連事項として 十三夜は 十五夜の次の十三夜で 今年は10月8日にあたるという。

井上陽水さんの 神無月にかこまれて という 歌は 「人恋しと泣けば十三夜 月はおぼろ 淡い色具合」という言葉で始まる。

十三夜が 新暦の 神無月 つまり 10月にあたるという 知識を 前提にしている 歌詞であることがわかる。

陽水さんの音楽は 1970年代当時 新しい音楽と とらえられていたと思うけれど 歌詞の 美しさは 日本古来の 美を 下敷きに したものも 多いことに 気づく。

要するに 陽水さん自身 日本の 古典に関する 造詣が 深いのだと思う。

すごいことだなと 思うとともに 最近 そういう 歌が 減ったな とも思う。

僕が 最近の 歌を 知らないだけかもしれないけれど。

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夕刻に 草むらから 秋の虫の声が よく 聴こえてくる。

きっと 季節的には 今が 虫の声の 盛りなのだと思う。

その 草むらの 向かいの 山の斜面に 太陽光パネルが かなり 広い 面積にわたって敷き詰められている。

よく見ると アスファルトの ちょっとした 隙間からも 植物が 生えてくるのと 同様に 太陽光パネルの隙間から 草が 顔を出し 太陽光パネルの 表面を 侵食している 箇所が 何か所かある。

あれだけ 広い面積に 敷き詰められた 太陽光パネルだと 草が 隙間から 顔を出してくると 除去するにも 一仕事だと思う。

というか 除去するのは 不可能に ちかいかも とさえ 思ってしまう。

放置すれば 草は どんどん 生えてくるだろうし。

太陽光パネルは 草が 表面を 覆うと 発電量が 落ちるので パネルの下に 強力な除草剤を まくとか シートで 除草処理をしてあるはずだけれど それでも 草は 生えてくる。

太陽光パネルを 設置した人は あの 草 どうするつもりだろうと 思ってしまう。

他人事として 見ていると ああ 太陽光パネルの隙間から 草が いっぱい でてきているな とぼんやり 思う程度だけれど 自分自身が 太陽光パネルの設置者だったら あの草は 本当に 悩みの種に なってしまうと思う。

大阪の僕の生活圏では 太陽光パネルを見ることが あまり なかったので 意識しなかったけれど 田舎に来て 太陽光パネルを 日常的に 見るようになると やはり パネルを設置するようなことは 僕自身は ゴメンこうむりたいな と思う。

新聞に書かれている 東京五輪の スポンサー契約の汚職事件の 記事を見る。

見ていると 警察は 立証可能なものに関して 動いていて 立証が困難なものも含めて考えたら もう 高橋容疑者に 関連した お金は すべて 怪しい流れになっているのではないかとさえ 思えてくる。

本当に 悲しい出来事だと思う。

静岡県で 幼稚園のバスで 園児が置き去りにされて 熱中症に なった ニュースを見ると 本当に バスに 乗務していた人は 職務に関する 素人だと思えてくる。

素人同然の 乗務員によって引き起こされた 事件としては 今春の知床半島観光船の沈没事故が思い浮かぶ。

派遣社員などの増加で 労働力が 流動的になり どの仕事も 専門性をもって 従事する人が 激減したことが こうした 事故が起きる 背景に あるのだろうと 想像する。

僕は 最近 お店に行っても 商品の ある場所などを 店員の方に 聞くことを ためらってしまうことがある。

やはり 派遣や バイトの 店員の方が 多いので 店員の方に 質問すると 店員さんが上司と連絡を取ったり バタバタしてしまって 店員に質問したことが 逆に やぶへびになる という 経験を何度か してきたためだと思う。

みんな システムの中で 自分の 持ち分を こなすことに 精一杯。

そして その システムの 全体像を 把握している人はいない。

そんな 現代の アナーキー状態が こういう 園児が 亡くなるという 悲しい事件になって 現れてくるような気がしてならない。

そのような 時代にあって 私たちが できる せめてもの ささやかな 抵抗は やはり 良心を大切にして マニュアルにないことにも 注意を払うように心がける それしか ないように思う。

それは ともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを 第一に 願っていきたい。