ケンのブログ

日々の雑感や日記

名古屋フィルハーモニー定期演奏会に行く

2022年09月11日 | 日記
9月10日は名古屋フィルハーモニー交響楽団第504回定期演奏会に行く。

指揮原田慶太楼さん

最初に演奏されたのは

アダムスの 「主席は踊る 管弦楽のためのフォックスロット」

生まれて 初めて聴く曲なので よくわからない。

指揮者の原田さんも 初めて で 初めてづくし。

最初に 思ったことは 指揮者の背が高い。 手足が長い。と。

ダンスのように指揮をしている。

ダンスのような指揮と言えば 広上淳一さんを思い浮かべるけれど 身長の差が とても あるので 同じ ダンスと言っても 趣が かなり 違う。

どう違うとか言っても うまく 説明できないけれど、、、。

うーん ジョージ ガーシュインのようだなあ とか いや ラヴェルのようだぞ とか そういえば ジョージガーシュインは ラヴェルから 「私に学んで二流のラヴェルになりたいのか」と言われたんだな とか 思っているうちに 曲が 終わってしまった。

初めて聴く 現代音楽に ありがちなことだけれど もわーっとした 印象のまま 演奏が終わってしまった。

次に演奏されたのが 
アダムスの アブソルートジェスト

これも 生まれて初めて聴く曲

弦楽器の 音の動きが タンタタン と言っているようで あれ、ベートーベン第九の第二楽章のリズムにそっくりかも と思った。

そうこうするうちに ティンパニーが たぶん オクターブ上と 下で タンタタン を バシと決めてくれたので そうや やっぱり 第九の二楽章やんと思った。

それから また 弾むような リズムの モチーフが 出てきた。

あれ、 この リズムも 聞き覚えあるぞ ベートーヴェンの交響曲や。

7番か いや 違う 何番や? と頭の中で 考えをめぐらす。

思い浮かびそうで 浮かばない。

ど忘れした言葉を 思い出そうとするときの 気持ち 

あれ  あれ あれ うーん 出てこない あれやん

わかった ベートーベンの交響曲第4番 第三楽章アレグロ・ビバーチェや。

弾むようなリズム と 思って 弾む 弾む と考えていたら、カルロスクライバーの弾むようなベートーヴェン4番の演奏が 心に 浮かんで それで 4番の第三楽章と思い出せた。

やれやれ よかった。

それから 曲の 後半になって 指揮者の前に陣取った カルテットのメンバーが しきりに ベートーヴェンの 第九の後に書かれた カルテットの 速い モチーフをごそごそやっていることが 気になってきた。

こちらのほうは 交響曲のように 第何番の 何楽章までは 思い出せない。

なんしか カルテット 第九の後の カルテット そこまでしか 思い出せなかった。

あとで、プログラムの 楽曲解説を読むと OP135と出ていたので 家に帰って スメタナカルテットのCDをかけると OP135の第二楽章ビバーチェと分かった。

ブログラムを読むと ほかにもベートーベン交響曲第8番 ピアノソナタ21番 29番が列挙してあったけれど そこまでは わからなかった。

でも 第九のリズムとわかってからは ほかに どんなモチーフが出てくるか ウォーリーを探せ 状態で演奏を聴いていたような気がする。

なので、肝心の アブソルートソルーションがどんな 音楽なのか 印象が形成される前に 演奏が終わってしまった。

これも 初めて聴く曲で よくある パターンだった。

カルテットがアンコールをやったけれど 外人の方がアンコールの曲目を英語で言ったので 発音が良すぎて 聞き取れず なんという曲をやったのかわからなかった。

もわーっとした感じだったので たぶん 現代音楽と思う。
おわったあと オーケストラの人が だいぶん勢いよく拍手していた。

どうしてだろうと思ってステージを見ていると ヴィオラの方が ご都合で来日できなくなり 日本の方が 演奏を変わったので そのことに対する感謝の 意味合いも 強いようなことが なんとなく わかった。

ビオラの方が オケの チェロの一番前で演奏している方と 笑顔でグータッチした時 それに 気づいた。

見ていて 気持ちのいい光景であることは 間違いないと思った。

20分の休憩をはさんで 次に演奏されたのは

ドボルザーク 交響曲第8番

第一楽章の冒頭でチェロを中心にした 印象深い旋律が出てくる。

見るとチェロの後ろで コントラバスがピチカートをしている。

このピチカートが 旋律の 哀愁に 深い味を添えることに気づく。

そして チェロの後ろでコントラバスがピチカートをしているのは7月の名古屋フィル定期演奏会で聴いた ブラームス3番の第三楽章と同じパターンだなと思う。

定期演奏会に足を運んでいると こういう 時の継続性の中で気づくことがあるから それは メリットだなと思う。

作曲年代を調べてないけれど ドボルザークがブラームスの影響を受けたと考えるのが妥当とは思う。

そう考えると ドボルザークもすごいけれど ブラームスもすごいんだな と改めて思う。

第一楽章の終わりで どんどん 指揮者が 演奏を加速して行って うーん ついていくのがやっと ちょっと 一休み と思ったら 一休みがなくて 間を置かずに 第二楽章に演奏が 突入した。

こういうのも ありか と思った。

コロナなので 楽章の合間の 咳ばらいをさせない作戦か それとも 芸術上の効果を狙っているのか それは わからないけれど。

ただ、指揮者の 盛り上げるときの身体の動きを見ていると せっかく手足が長いんやから そこまで 思いっきり 動かなくても いいやん。 あそこまで思いっきり動くと 無駄な気もでてしまうかも と思った瞬間が 何度かあった。

第二楽章 第三楽章では 弦楽器が 小さい音 を とても念入りに出していることが印象に留まった。

逆に 盛り上げるときの指揮者の動きが 僕にとっては 激しすぎるように思えて ちょっと そのことを 考えているうちに 気が散ってしまった側面もあったように思う。

ただ、8月の末に 特別演奏会を聴いて その 印象が まだ 残っているうちに定期演奏会を聴くと 定期演奏会は 一味 違うな と 思うところも多かった。

特に 木管楽器を見ながら 演奏を聴いていると 鳥がさえずるような場面 懐かしい故郷に思いをはせるような場面 これは農民の踊りかな と思うような場面 いろいろ あったような気がする。

そして ドボルザークの音楽って 聴いていて 楽しくて ほのぼのとする そういうものだな という思いを改めて抱いた。

帰りは 名古屋駅まで35分くらいかけて 歩いた。

歩いているうちに すこしずつ 名古屋の街にも慣れてくるような気がする。

中秋の名月の日なので 駅前で 空を眺めたけれど まだ つきは 見えなかった。

家に 戻ってきて 空を見ると 東に 丸い月が出ていた。

天のお月様 つん丸こて 丸て 丸て 角のて そいよかろ(天のお月様は丸くて角がないのでそいやすいだろう)
岐阜県民謡郡上節より

それは ともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。