ケンのブログ

日々の雑感や日記

四月二十五日

2018年04月25日 | 日記
昨晩に衣笠祥雄さんが亡くなられたとネットで知って
今日スポーツ新聞を買うという僕にとっていわば
お決まりのパターンになってしまった。
駅のスタンドで新聞の中身を立ち読みしてから買うわけにも
いかないので王さんの言葉が載っている確率の
高そうな新聞を買った。
亡くなる4日前まで仕事をしていたって
衣笠さんらしくてすごいなと思ってしまう。
期待通り王貞治さんの言葉は新聞に載っていた。
王さんの言葉はこんな風になっている。
「鉄人と言われた衣笠さん、こんなに早く亡くなられるとは
信じられません。けがを乗り越えて達成した連続試合出場記録は
絶対に続けるんだという強い気持ちがあったからですし、
その気持ちは後輩にも受け継がれていると思います
慎んでご冥福をお祈りいたします」
王さんの言葉っていつも後輩に受け継がれていくとか
こう失ってはならないもの、心を人から人
世代から世代へと繋いでいくことの大切さに
言及されることが多いなとことあるごとにそう思う。
絶対に続けるんだという強い気持ちというのも
王さんらしいしこれは王さんと衣笠さんが
同じ時代にグラウンドに立っていたからこそ
わかりあえる部分があるのだと思う。
それに、これはやった人にしかわからない部分があるだろうし。
スポーツ新聞には王さんのコメントの横に
1974年のオールスターで王さんと衣笠さんの
ツーショットでとった写真が掲載されている。
みると二人がペアのような感じでバットを肩越しに
構えていて嬉しそうに微笑んで写真に収まっている。
王さんも衣笠さんと一緒に写真に収まることが嬉しそうに見えるし
衣笠さんも王さんと一緒に写真に収まることが嬉しそうに見える。
二人とも同じ種類の笑顔だなと思う。
衣笠さんが王さんに対してほんの少しだけ
遠慮がちにしておられるのもまたいいなと思う。
新聞全体のコメントを見渡してみると
王さんの前述のコメントと
江夏さんの
「ブキッチョな男だから。あのスイングをみたらわかると思うけど
常にフルスイング。野球に対してフルスイング。
骨折していても3つ振って帰ってくる男だから。
あの姿がアイツの野球人生を物語っているよね」
というコメントが一番じーんと来るなと個人的にはそう思う。
僕も衣笠さんを見習って少しでも努力を続けられればなと思う。

四月二十四日

2018年04月24日 | 日記
雨模様のお天気
気温はそんなに高くないけれどちょっと蒸し暑い気がする。
隣の町の市民交流センターの歌声サロンに行った。
歌が始まる前にちょっと話をしていた
ある方は気圧が低くなると偏頭痛がでるとおっしゃっていた。
そういうのは僕にはちょっとわからないなと思うけれど
結局その人の体調はその人にしかわからないということだろう。
回りの者は想像して思いやるしかない。
「気圧が下がると血管が膨張してね」とおっしゃったので
「それは理屈に合う話ですね」と僕は言った。
「お薬を飲むとすっとするんですけどね」とおっしゃったので
「それはいいですね」と僕は言った。
すると「でも強い薬なのでね」とおっしゃった。
まあ、頭痛が出たときだけ飲む分にはきっと大丈夫だろうと思った。
「今日は雨やから出席者が少ないやろ」と誰かが言うと
そうや そうや という声がある一方で
誰かが
「雨やから他にすることないからみんな来るで」と言った。
その考え方も当を得ているような気がする。
結局いつもと変わらないくらいの出席人数だった。
ここの歌声サロンの伴奏の先生はいろいろな引き出しを
持っておられるけれど
特に柔らかい音が出たときが美しいように思える。
絶対音感を持っておられるので
どなたかの携帯のベルがなったときには
なりやむまで待っておられた。
かなり長い間音がなっていた。
携帯の呼び出し音ではなくきっとアラーム音だったのだと思う。
いつかアランギルバートさんがニューヨークフィルの演奏会で
おじいさんの携帯のアラームがなりやまなかったとき
演奏を途中で止めてきりのよい小節まで戻って
やり直しされたニュースを思い出した。
あのときはたしかマーラーの交響曲9番だったような気がする。
どの曲でもそうだけれど
特にマーラーの9番でアラームがなったらそれは
やりにくいだろうなとは思う。

四月二十三日

2018年04月23日 | 日記
なんか一昨日くらいから急に夏を思わせるような感じになってきていると思う。
僕は一番下は白いTシャツで下着にしても Tシャツとしても使える感じになっている。
一昨日から暑くなると一気に白いTシャツ一枚になることも多い。
僕が故郷に帰る前は100円ショップに扇子は売ってなかったけれど
昨日は売っていたのでこの気温になれば扇子を使うのも
時間の問題と思いひとつ購入した。
本当に100円ショップの品揃えは季節のタイミングなどをよく見ておられるなと思う。
昨日、隣の町の市民交流センターで催されたサロンコンサートに行った。
そこで歌声サロンでみかけるおじさんと席が隣になった。
おじさんは隣の町の劇場が今、建設中で五年後に
新しく完成することを教えてくださった。
「そうですか」と僕は言った。
「それは楽しみですね」と
するとおじさんは急に遠くをみるような目になって
「でもその時、俺、生きてるかなあ」とおっしゃった。
「今おいくつですか」と僕は言った。
「七十一です」とおじさんは言った。
「それは大丈夫ですよ」と僕は言った。
もちろん五年後生きているかどうかは僕もおじさんも
わからない。
命だけは人間の意思だけではどうにもならない。
ただ、おじさんはちょっと太っておられるので
あるいは健康のことを気にしておられるのかもしれないと思った。
劇場が新しくできるという話をしたあと
ふっとその時生きているだろうかとがらっと気分が変わるって
誰にでもあることだと思う。
会社の昼休みにみんなで楽しく話をしていたら
急にガラッとドアが空いて嫌な課長が入ってくるとか。
そういうときもがらっと気分が変わると思う。
そのようにして人生は過ぎていくのだと思う。
気分が変わることでいろいろとまぎれていくこともあるだろうし、、、。

四月二十二日

2018年04月22日 | 日記
故郷から大阪に戻ってきてやはり故郷と大阪では
何かと感覚が違うのでまたこちらの感覚になれなくてはと思う。
10日ほど大阪のマンションをあけると集合郵便受けにはかなりの
チラシなどが入っている。
その中に最近よくチラシをいれている整骨院のものがあった。
みると
治す気のないお客様はお断りします。
一回の施術で治るものではありません
継続した施術が大切です。
従って治す気のないお客様はお断りです。
というような論理展開の文章が書いてある。

自信があるのでご満足いただけないお客様には
返金させていただいてます。(初回のみ)

気持ちいいだけの慰安目的の施術は行いません。

というような感じの言葉が書いてある散らし入っている。
なんかこういうの見ていると一回施術しただけで
なおらないとクレームが入ったことがあるのかな
とか深読みしてしまう。

僕はこのような感じのチラシを出している整骨院にいくことは
きっとないと思う。

なんかチラシの言葉に漂う雰囲気が自信があるのかないのか
よくわからないし、基本的にこういうチラシって
お客様のために真心をこめて施術しますという言葉を基調に
するしかないような気が
僕にはする。

なんか散らしに漂う雰囲気がチャラくて誠意がないように思えてきてしまう。

あとチラシをみているとまとめてお得という売りが多い。

ガス会社はガスと電気をまとめてお得
電力会社な電気とガスをまとめてお得
電力会社とガス会社がまとめてお得合戦をやっているように思えてきてしまう。
いやだなあと思う。
ケーブルテレビのチラシをみるとテレビと電気をまとめてお得
携帯の会社では携帯と電力とまとめてお得
こんなにまとめてお得だらけだと結局どこにまとめたらいいのか
混乱してしまう。
少々損してもそのまま電気は電力会社から
ガスはガス会社から、餅は餅屋からにしておいたほうが
長いめで見れば結局は安全で安心ということになるような気がする。
安心にまさるお得はないと思うのだけれど、、、。

僕は電気のしくみを理解してないのであまりかけないけれど
電気を売る会社がいっぱい増えても結局既存の発電所
既存の送電線、そういうもので電気が家庭に届く仕組みには
変わりないのではないかと思う。

電気を携帯の会社から買うようになったら発電所も携帯の会社に変わり
送電線も携帯の会社に繋ぎ変えるという話はあまり聞いたことがない。
むしろその逆でお電話一本で契約が変わります
というような売り方を携帯ショップのアルバイトの方がなさったことがある。
そのときは契約という言葉さえなくて
ここにサインして電力会社に電話すれば電気代がお安くなります
という言葉だけだった。

それって、電気を携帯の会社から買うってことなんですかと僕が言うと
私は別に怪しいものではありません、と携帯ショップのお姉さんが
急に不機嫌になってしまった。

いつかケーブルテレビの方が電波のチェックをしますといって
こられて電波のチェックは乾電池の残量をみる機械のように
メーターの針が振れるとあっというまに終わって
ところで電力の話ですがということになったことがある。
新規参入の業者が破綻したときは既存の大手電力会社が
責任をとるというようなことが新聞に書いてありましたが
といったら
それを言われるとなにも言えませんという話の展開になった。

いつかある営業の方が大阪は業者を家にいれない
ご家庭がおおいんですよとおっしゃっていたけれど
それはこんなにまとめてお得だらけだと
へたにうちに入ってもらったら別件の営業をかけられるのではないかと
思ってしまう方もすくなからずいるのではないかと思ってしまう。

たしか訪問販売のルールでは
最初に訪問販売である旨を告げることになっていたような気がするのだけれど。

僕も何かの時のために消費者ホットライン188いやや は
頭におくようにしている。

やはり常日頃、頭においておかないといざというときに
寅さんのように「ヒロシ 110番って何番だ」ということになりかねない。

なんか10日間故郷にいたけれど10日間でほとんど
チラシが郵便受けに入っていたことはないような気がする。
(新聞の折り込み散らし除く)

やはり、いろいろと都会での感覚を取り戻さないとと思う。

四月二十一日

2018年04月21日 | 日記
岐阜の実家から大阪に戻ってきた。
本当に僕にとっては久しぶりに実家に帰ることができて
よかった。
これを機会にまた努力していきたいと思う。
実家から最寄りのバスターミナルまでタクシーで行った。
僕の故郷は今日がお祭りでタクシーの運転手のかたは
お祭りで通行止めになった表通りを避け
裏道を走ってくださった。
ここが○○町です。この町内は山のある町内です
という具合にいろいろと教えてくださった。
運転手の方の案内を聞きながら眺めていくと
神社の近くの町内がお祭りに熱心な傾向にあるように
思えてくる。
やはりお祭りは神様のお祭りなのだとしみじみと思う。 
「隣の町のお祭りは先週でしたが雨で中止でした。
ここの町のお祭りは晴れです。」と運転手の方が言った。
「そうですか。そういえばお祭りの雨天順延ってあまり聞きませんね」と僕は言った。
「そうです。神様は待ってくれませんのでね」と運転手の方は言った。
その発想いいなと思う。
神様を第一に思う気持ちが伝わってくる。
ただ、八王源先生のそのまた先生は
親はいつでも待っているという言葉を残しておられる。
しかし、金光さんはお祭りや縁日を機会に
神様を思い出すのはいいことという主旨のことを言っておられる。
どっちも本当なんだと思う。
岐阜駅で乗車券を購入。
販売機の前で目的地までの運賃はいくらかなと思ってボーッとしていると
女の人に「先に切符買っていいですか」と言われた。
「はい、どうぞ」と言った。
僕もおもむろに切符を買って改札をくぐった。
米原方面のホームはどこだと思っているとなかなかみつからない。
京都駅や大阪駅よりもはるかに小さい駅なのに。
一二分して京都や大阪駅ではホームの下と上の両方に
○○方面と書いてあるけれど岐阜駅はホームの上にしか
○○方面と書いてないことに気づく。
大阪駅の感覚で階段の登り口ばかり見ていたら
それは米原方面がみつからないと思った。
久しぶりの帰省で感覚が狂ってしまったのかもしれない。
結局播州赤穂行きの快速が来たので大垣や米原で
乗り換える必要はなく京都から各駅停車に乗り換えただけだった。
しかし、乗り換えはなくても米原をすぎると言葉が急に関西弁になってくる。
米原を過ぎてしばらくして二人のおばさんが電車に乗り込んできた。
乗り込むと二人のおばさんは優先座席の方に行った。
「ここ優先座席やん」と一人目のおばさんが言った。
それで他の席を二人はさがしかけたのだけれど
とっさのタイミングで
「もう私ら年やから優先座席でええやん」と二人目のおばさんが言った。
「そうやな」と一人目のおばさんが言った。
それで二人は優先座席に座り孫のはなし、年金の話
健康の話、などをずっと同じ勢いで一時間くらい続けていた。
よくそれだけ会話のラリーが続くなと思った。
大阪のマンションに帰ってくるとカスミソウの切り花がかさかさの
ドライフラワーになっていた。
ドライフラワーと言っても三月の始めに買ったときと同じくらいの
白さを保っている。
すごいなあと思う。