ケンのブログ

日々の雑感や日記

北の富士さん 具志堅用高さんの大相撲面白解説

2018年09月18日 | 日記
一昨日白鵬が豊山に張り手を繰り出したとき
アメーバーテレビの解説の具志堅用高さん
「見えてるね。はやいね。すごいね」とおっしゃった。
シンプルで文節を切れ切れに並べただけの解説だけれど
とてもわかりやすい。
さすがボクシング元世界チャンピオンの解説だと思った。
見えてるから正確に張り手を繰り出せると言うことなのだろう。
もちろんはやくなければ張り手はヒットしない。
実にわかりやすい解説と思った。
ところが具志堅さん「ところで大相撲って年何場所だったっけ
あ、6場所なの。それは大変だね」
「僕はね自分が引退するときにはね
まず部屋の後輩に話したの」
アナウンサーにボクシングは部屋ではなくてジムじゃないですか
と突っ込まれて
「あっ、そう、今日は相撲見てるからつられて部屋っていったけれど
ジム、ジムの後輩ね」とおっしゃった。
「しかし、茨城県はいい力士が
いっぱい出るね」と具志堅さん。
アナウンサーがこたえにつまり
「そういえば稀勢の里、それに武双山も茨城県ですね」とフォロー
「そうでしょ、武双山の親方の三重の海ね
僕あの人にはいろいろよくしてもらったの」と具志堅さん。
本当に天然の解説は健在だなと思った。

昨日の北の富士さん
大関高安が千代大龍を破ったのを見て
「高安もこれで角番転じて優勝候補だな」とおっしゃった。
アナウンサーはその時はそうですねという感じだったけれど
しばらくして
「今場所は高安は角番ではありません
角番は先場所でした」とおっしゃった。
それを聞いて北の富士さん
「ええ?角番じゃないの?僕も失格だな
今日は敬老の日だから勘弁してください」とおっしゃった。
アナウンサーは
「角番などの情報は私たちもしっかり
伝えないといけないんです」とフォローしておられた。
今場所北の富士さん千代大龍を何度も千代大海と誤っておられる。
一昨日北の富士さん「高安の明日の対戦相手は?」とアナウンサーに聞いて
アナウンサーが「千代大龍です」と答えると
「ええ?千代大海、いや千代大龍ね」と言っておられた。
千代のつく力士は北の富士さんが現役時代に
所属しておられた九重部屋だからちゃんと覚えていてほしいものだと
思う。
本当に北の富士さんも具志堅用高さんも面白いなと思う。

ポールマッカートニー来日

2018年09月17日 | 日記
朝のラジオを聴いていたら間もなくポールマッカートニーが
来日ということでライブ音源を中心にポールマッカートニーの
いろんな曲を流していた。
僕がラジオをつけたときポールのビートルズ解散以降の
曲が連続で流れていた。
いい歌だけれどなんか僕にとっては今一つぐっと
くるものがないなあと思っていた。
そんな気持ちでラジオを聴いていると
ビートルズ時代の名曲
ハローグッドバイが流れた。

僕はハローという
君はグッドバイという
どうしてなんた

僕はイエスという
君はノーという

僕は高いという
君は低いという

僕はなぜという
君はわからないという

僕と君の主語があべこべになっているかもしれないけれど
まあ、そんな歌詞の連続の歌だったと思う。
他愛もない歌詞だけれどそして
シンプルな歌詞だけれど
おくが深いと思う。

僕と君 ハローとグットバイ
イエスとノー
高いと低い
こういう組み合わせの事を
英語でポラリティという。
ボラリティ、大切なことだと思う。

聖書は初めに神は天と地とを造られた
という書き出しになっている。

天と地 これもポラリティ

ベートーヴェンの交響曲第9番は
ニ短調で始まりニ長調で終わる

ニ短調とニ長調これもポラリティ

チャップリンは人生は近くで見ると悲劇だが
遠くから眺めると喜劇だ
と言った。

悲劇と喜劇もポラリティ

つまり互いに両極にある概念の事をポラリティという。

芸術を構成するのにポラリティはとても大切な考え方。

人生を考えるのにもポラリティはとても大切。

人生は近くで見ると悲劇だが
遠くから眺めると喜劇だというチャップリンの言葉は
「みなさん人の事は笑って過ごされますけど
それがいざ自分の事になると、めしものどを
通らんようになるんです」という八王源先生の言葉に
そっくりだ。

八王源先生がなくなられたのは
平成5年の9月17日
もう25年になる。

あれから四半世紀も過ぎたのかと思う。

その間、心のなかで八王源先生の事を
思わなかった日は一日もないことに思いがいたる。

本当に僕の人生のなかであんな人は他にいないなと思う。




秋も深まり

2018年09月16日 | 日記
今日も雲り模様のお天気。
天気図を見ると本州の斜めに秋雨前線がかかっている。
秋雨の季節なのだなと思う。
昨日、スーパーマーケットの薬品売り場の店員の方に
「涼しくなりましたね。夜にはちょっと寒いこともありますね」と言った。
「そうですね。窓を開けると涼しいです。
でも、まだ蒸し暑いですね」とおっしゃった。
「そうですね。お彼岸すぎまでは
なんだかんだ言って蒸し暑さは続きますね」と僕は言った。
「そうです」と店員さんは言った。
店員さんは涼しくなっていることよりも
まだ蒸し暑いことの方が気になるんだと思った。
今日、朝のラジオで、DJが「今日はまた蒸し暑さが
戻ってきます」と言っていた。
昨日、店員さんが蒸し暑さを気にしておられるようだったことを
思い出した。
ただ、雲り模様のお天気のせいか
ラジオのDJの方が言っていたほど暑くはなっていないような気がする。
だんだん秋も深まっていくなと思う。

九月 長月 セプテンバー

2018年09月15日 | 日記
朝のラジオで女性のDJが
九月 長月 セプテンバーと今月の事を
三つの呼び方で連呼していた。
九月と長月とセプテンバー。
同じ月でも違う呼び方をすると
そこから生まれるイメージもやはり異なると思う。
長月と聞いて

今来むといひしばかりに長月の
有明の月を待ち出でつるかな
という百人一首の歌が心に浮かんだ。
有明の月が出るまで秋の夜長を待っていた
ということなのだろうか。
なんとなく秋の雰囲気や切なさが伝わってくる歌だなあと思う。
今日は雨模様曇り模様のお天気。
そんなお天気を意識してか
こんなお天気の日はUKロックがよく似合います。
とDJの方は言っていた。
UKはユナイテッドキングドム、つまり
平たく言えばイギリスの略称。
そういえばイギリスに旅行に行ったとき
新聞を見ると天気図は毎日Lのマーク
つまり低気圧のマークばかり。
本当に雨模様のお天気が多かったなあと思う。
今年の夏はとりわけ暑かったので
やっと酷暑からも解放されそうという
リスナーからのお便りも届いていた。
僕にもそういう気持ちは強い。
しかし、ちょっと夜などもう寒いなと
一瞬思うこともあるので
長袖の用意など怠らないように気を付けたいなと思う。

中秋の名月 ハーベストムーン

2018年09月14日 | 日記
今日は曇り空が相変わらず広がっている。
新聞の天気図を見ると秋雨前線が本州の南に停滞している。
なので秋雨が続くのだろうか。
天気図の事はよくわからないけれどまあそういうことなのだろうと思う。
朝のラジオで洋楽のハーベストムーンという歌が流れていた。
女性のDJがハーベストムーンは中秋の名月の事と言っていた。
今年の中秋の名月は9月24日であるとのこと。
もうそんな季節になるのかと思う。
まだ残暑というか蒸し暑さは残っているけれど
夜になると寒いと思うこともあるし
これから秋、冬へと向かっていくという実感は確かにわいてくる。
ハーベストムーンのハーベストは収穫という意味だけれど
やはり洋の東西を問わず秋は収穫の季節という
感覚なのだと思う。
ただ、季節のイメージとして日本の場合
秋は行く夏をおしむ気持ち
無常感というものが手伝って
今はもう秋誰もいない海
のようにちょっと寂しい気持ちがあることが否めない。
子供のころ秋というものをそんな風にとらえてきて
ビバルディの四季の秋の第一楽章を聴いたら
とても明るい音楽で、ちょっと僕が思っている
秋のイメージとは違うなとその時感じた。
ビバルディの秋 第一楽章の楽曲解説には
これは秋の収穫を終えた小作農が
収穫を祝うダンスというようなことが書かれている。
道理で音楽が明るいはずだと思う。
ビバルディは英語圏の人ではないと思うけれど
ヨーロッパというように一くくりにしてしまうと
中秋の名月を英語でハーベストムーンと呼ぶことと
ビバルディの秋が収穫のダンスで明るい音楽で
あることときっと関係があるような気がする。
日本の場合、新嘗祭は11月23日でこれが
収穫への感謝ということになっている。
まあ、収穫を祝う気持ちに変わりはないのだろうけれど
世界の場所によってそれを祝うタイミングは異なるように思う。

午前中に電車に乗っていたら
「あの方は僕の大学の先輩で
現役時代からずいぶんお世話になったんですよ」という声が聞こえてくる。
見ると還暦すぎのおじさんが3人話をしている。
その言葉をきっかけに3人ともそれなりににこやかに
それなりに大きめの声で会話を盛り上げているので
ああ、これ、きっと旧帝国大学を卒業した方の
グループだなとピンと来る。
会話の中にでてくるキャンパスの所在地を表す
固有名詞でどの大学か特定てきてしまう。
僕はおかげさまで、それなりに有名な部類の大学を
出してもらったけれど、社会に出てから
大学の先輩、後輩というつながりで生きた経験が
基本的にはないのでこういう会話を聞くと
なんだかちょっと複雑な気持ちになってしまう、、、。
やっぱり秋だなあと思う。