ケンのブログ

日々の雑感や日記

薬学部新設禁止 郡上節春駒

2022年07月21日 | 日記歌入り
新聞にこれからは薬剤師が余る時代が到来する。また大学の薬学部の中にも定員割れのところも出てきている。

所定の6年間で卒業し ストレートで国家試験に合格できる学生は私大では6割に満たず学生の質の低下も懸念されている。

こういった事態を受けて文科省は薬学部の新設 定員増を2025年以降原則として禁止すると新聞には書いてある。

昨今の 調剤薬局などの乱立を見るにつけ  ある程度 納得のいくニュースだなと思う。

本当に行政は 時代の波で旗を振って それが振るわなくなると店じまいを促していく。

よく繰り返される光景だなと思う。

近年 特にそういう傾向が著しいような気がする。

本当の意味で計画的に世の中を動かしていくしくみが整っていないのだと思う。

無節操な世の中に見えるけれど その中で なんとか自分なりに真面目に生きていきたいなと思う。

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7月20付の全国紙にこんな川柳が出ている。

「大一番 回し待ったに振り回され」 と。

先日 照ノ富士と 若元春 の相撲が回し待ったで 長い間中断したことを受けた
川柳だと思う。

この川柳自体は 勝負や行司に対する評価は入っていなくて 単に振り回されたという事実だけを歌っている。

しかし、動画サイトを見ると 行司の失態とか 回し待ったで消えた金星とか クリックしたくなる気持ちをそそるような見出しが出ている。

これが 今のようなネットの時代ではなくて 力道山の時代のようにみんなが街頭テレビを見ていた時代、あるいは 家族で相撲放送を見ていた時代なら 行事の失態とか 消えた金星とか そういう話はあまり出てこないように思う。

僕は あの相撲の動画を見たけれど 行司が待ったをかけたとき 若元春の たてみつは完全にほどけてしまっている。

たてみつが完全にほどけるというということは もっと簡潔に言えばまわしが完全にほどけてしまっているということだと思う。

そのまま勝負を続けたら どんなことが起きるか 、、、、。

行司としたら とっさに相撲をとめに動いてしまうことは仕方のないことのようにも思う。

たまたま その瞬間に若元春が動いてしまった 運の悪さもあった。

そして、NHKではないけれど アベーマーテレビというマイナーな放送で解説をしていた三代目若乃花さんは 「これ (行事待ったがなくても)横綱は残せますからね」と言った。

これは 相撲の経験者なら わかることなのだと思う。

僕も あの態勢を見ると 行事待ったで力を抜いていなかったら 照ノ富士は 回しがほどけたとしても 左ですくって右で押っ付ける形で あの寄りは残せるだろうと思う。

そういうのって 長年相撲を見ていると大体わかる。

まあ、街頭テレビの時代 あるいは 家族で相撲放送を見ている時代だったら、 いやあ行事も大変だったね とか いろいろとみんなが直接言葉を交わすことになる。

今は ネットの時代で 見出ししか見ていない人がそれを信じてしまったりとか、、、


あの 回し待ったは ある意味 そういう今という時代を象徴するような出来事だったような気もする。

■郡上節 春駒
岐阜県民謡 郡上節 春駒 をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

コロナのため中止になっていた郡上踊りが3年ぶりに規模を縮小して再開したとネットのニュースに出ていました。

いいですね。

ネットで動画をしばらく見ていると昔の感覚がよみがえって 僕もなんだか踊れそうな気がします。

見よう見まねで誰でもなんとか踊れてしまうところがいいですね。

↓岐阜県民謡郡上節 春駒 をカラオケDAMの音源で歌いました。

コロナの影響 万博

2022年07月20日 | 日記
ヤクルトスワローズの多くの選手がコロナに感染したというニュースが出てから 負けが込んでいる。

野球は 最近 新聞で結果をみるだけだけれど気になるところではある。

ヤクルトファンと言っていた作家の村上春樹さんが エッセイで 昭和の時代にヤクルトのエースだった松岡投手が8回二死までジャイアンツに一人の走者も許さず 完全試合まであとアウト4つというところまできて 打たれて完全試合を逃したばかりでなく 結局敗戦投手になったという話を紹介しておられたと思う。(記憶違いだったらごめんなさい)

まだ まだ 二位と10ゲーム以上の差があるヤクルトだけれど、 本当にこういうことをきっかけに歯車が狂い始めると なかなか元には戻らず 首位陥落 ということも勝負の世界では 結構ありうることだから 気になるところではある。

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大阪 関西万博まであと1000日と新聞に出ているけれど どうも ピンとこない。

1970年の万博の時は 盛り上がったのに。

当時 僕は小学校2年生だった。

クラスの男の子S君が 万博に行って 月の石を買ってきた と言って学校に持ってきた。

当時は アポロ11号が 人類初の月面着陸に成功した直後で 月の石というのは大きな話題だった。

S君が「これが月の石や」と言って高々と手を挙げてみんなの前に掲げると なぜか 男の子の間でその石の取り合いになってしまった。

そういう取り合いにはがぜん力を発揮する いたずら坊主の M君がその石をとりあげて なんと その石をかじった。

そしてM君は言った 「この石 チョコレートの味がするぞ!」と。

それを 見ていた担任の先生が 「それは 月の石の形をしたチョコレートなんだよ」と言った。
なんや そうなんか とみんな口々に言った。

小学校2年生くらいだと 月の石と言って おみやげを買ってくると 本当に月の石と信じている。

そんな年齢だ。

懐かしいなと思う。

今から思うとたぶん万博のアメリカ館で買ってきたおみやげなのだと思う。

その年に 小学2年生のクラスで作った文集には 担任の先生が 自分で太陽の塔のイラストを描いて それを表紙にしてくださった。

懐かしいな。

その担任の先生も もう 80歳を超えておられる、、、。

光陰矢の如し

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昨日 二代目若乃花が亡くなったニュースに接して 往年の取り組みを見て いやあ 足腰が柔軟で懐が深いな と思って その感想をそのまま僕のブログに書いた。

そうしたら 今日の新聞の若乃花の評伝に 足腰が柔軟でふところが深いと そのまま書いてある。

そうか 新聞の記事を書いた人と 僕と 同じ感想か と思うと なんとなくうれしい。

こういうのは 自己満足の世界だけれど そういう満足というのも意外と大切なような気がする。

本当に 昭和の時代を彩った 名力士が ひとり ひとりと亡くなっていくのは寂しいなと思う。

あの頃の土俵と今の土俵ではスピード感はぜんぜん違うけれど あの頃の土俵には今の土俵とはまた一味違う花があったなとは思う。

改めてご冥福をお祈りします。








二代目若乃花亡くなる 栞のテーマ

2022年07月19日 | 日記歌入り
横綱2代目若乃花の下山勝則さんが亡くなられたとネットのニュースに出ていた。

二代目若乃花が横綱になったころ 輪島 北の湖 三重ノ海 など個性的な横綱が同時期に土俵にいたので どうも 僕にとっては印象がかすんでしまっているイメージがある。

大関までは若三杉というしこ名で 横綱になった機会に 師匠だった初代若乃花のしこ名をついで若乃花になった。

そのとき 相撲をほとんどしらない母が 「杉は伸びる 花は散る だから 若三杉のままの方がいいのに」と言った。

僕は その母のとっさの言葉を聞いて 「なるほど」 と思ったことが印象に残っている。

母はきっと若三杉の甘い感じが好きで 土俵の鬼と言われた初代若乃花のしこ名をつぐことがプレッシャーにならなければと感じたのだと思う。

結果はどうだったかわからないけれど 優勝回数4回などは 素質の割には少なかったかもしれないと思う。

若乃花のしこ名も のちに 若貴ブームで三代目若乃花のほうが有名になり その意味でちょっと二代目若乃花の印象が薄れてしまったような気もするし。

YouTubeで往年の二代目若乃花の取り組みを何番か見た。

柔軟な足腰 深いふところ やはり 横綱まで行った力士は違うなと思った。

北の湖とは同じ昭和28年生まれで 花のニッパチと言われてしのぎをけずった。

二代目若乃花は引退後にテレビのアナウンサーに「北の湖とは花のニッパチとしてしのぎをけずったわけですが 北の湖はいかがでしたか」と問われ

「北の湖さんには足元にも及びません」とたった一言 淡々と答えたときに なんだかこれが二代目若乃花の人柄なのだろうなと思って ジーンときたことがいまだに忘れられない。

ご冥福をお祈りします。


■栞のテーマ
サザンオールスターズの「栞のテーマ」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

1981年 僕が19歳の時のリリースです。

「彼女が髪を指で分けただけ それが しびれるしぐさ
心にいつも あなただけを 映しているの
恋は言葉じゃなく 二人だけのストーリー」という言葉で歌詞が始まります。

なんとなく 歌詞を見たとき そうだな と思いました。

↓サザンオールスターズの「栞のテーマ」をカラオケDAMの音源で歌いました。

悲しみは笑いにまさる 精霊流し

2022年07月18日 | 日記歌入り
ここのところ よく雨が降ります。

新聞の天気図を見ると前線が日本列島の南に再び来ているのですね。

実質的に梅雨の雨と変わらないような気がします。

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何気に呉服屋さんをのぞいたら 季節の絵を描いた風呂敷がいくつか飾ってあり

月見の絵などが描いてありました。

二十四節季をみていくと 次は大暑 そしてその次はもう立秋なのですね。

先日までは テルテル坊主や 朝顔 紫陽花を描いた風呂敷を飾っていた呉服屋さんがもうお月見の風呂敷を飾りたくなる気持ちはわかります。

商売は季節を先取りですからね。

しかし、大幅に先取りではなく 少しさきどりというところが奥ゆかしいと思います。

近くの公園でも もう 夜には秋の虫が鳴いています。

大阪の住まいは近くにそういう公園がなかったですが今はあるので そういう季節感はより早く感じることができます。
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■精霊流し
さだまさし さんの 「精霊流し」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

「精霊流し(しょうろうながし)とは、主に長崎県や佐賀県で実施されているお盆の行事です。故人の精霊をあの世へ送り出すために、藁や木で作った船にお供え物を乗せて川や海に流します」 (ある葬儀屋さんのサイトより引用)

故人をしみじみと偲ぶということが最近は少なくなったようにも思います。
社会の核家族化がすすんだことや バーチャルの世界が席巻してきてリアルに故人をしのぶという想像力が希薄になってきているような気もします。

お盆などの機会に 故人をしのぶという気持ちは 心のために大切だと思います。

悲しむことが心のためによいこともあると思います。
旧約聖書の伝道の書にこんな言葉があります

「悲しみは笑いにまさる。顔に憂いを持つことによって心はよくなるからである。
賢い者の心は悲しみの家にあり、愚かな者の心は楽しみの家にある」(伝道の書 第7章より引用)

この言葉を読んで 妙に納得がいくという人は僕以外にもきっといらっしゃるような気がします。

こういう言葉の意味を時にはかみしめてみるべきだと思います。

そして そういう感覚は 音楽に例えるならば バッハのロ短調ミサ曲の哀調のある旋律と響きが妙に心にしみるというのにも似ていると思います。


↓さだまさし さんの「精霊流し」をカラオケDAMの音源で歌いました。

時間がたってから思うこと。

2022年07月16日 | 日記
7月15日付の読売新聞を読むと 安倍元首相が亡くなられたときの警備がいかにがらあきだったかということがいろんな側面から書かれていて ちょっと怖くなってくる。

僕は割と時間がたってから怖さがこみあげてくるタイプなのかもしれない。

自分でも何日か前に安倍元首相が亡くなった時の映像をネットで見た。

ネットの映像には下にタイムが出るので 一発目の銃声がして約5秒後には犯人が取り押さえられたことはそれでわかった。

新聞はその5秒をさらに分析して、一発目と二発目の間に約2.7秒の時間があり この間に4人の警備のうち3人はほどんど何も動けていない 残りの一人は防弾使用のかばんを容疑者の方と安倍氏の間に掲げるのが精いっぱいで 安倍氏を身を挺して守るというところまではいっていなことを指摘している。

言われてみればその通りだけれど そもそも警備の人が背後の容疑者の方の存在に気づいていなかったことが そのように初動が遅れたすべての原因であるような気がする。

いかにトレーニングを積んでいても まったく視野に入っていないものに対して 秒単位の短い時間で的確に対処するのは困難なように素人には思える。

本当に残念なことだったと思う。

一方 たら れば をいっても仕方ないけれど 悪いことが起きると 悪いことに芋づる式に気づいてしまう。

安倍元首相は統一教会関連のビデオメッセージに出演されていたという。

また 僕が何気にユーチューブを見ていたら 安倍元首相が近畿大学の卒業式でスピーチをしておられる映像が出てきた。

僕は 長年 関西で予備校に勤めていたので その映像を見たとき いやあ これはまずいと思った。

近畿大学は 安倍派に属している国会議員(世耕さん)の家系の方の経営だったと思う。

そこに 安倍さんが出て行ったら 産近甲龍といって近畿大学と同レベルでしのぎをけずっている私学の関係者はどう思うだろうと考えると やはり ちょっと これはまずいのではと思ってしまう。

八王源先生の口癖のひとつが 「人は良いときは良いように 悪いときには悪いように言うの」というものだった。

僕も 悪いときだから 悪いことに気づいてしまうのかもしれないけれど 森友問題などもまだ みんなに納得がいく形で解明されていないときに きわめて規模の大きい近大のような私学でスピーチをするのは ちょっとまずかったと思ってしまう。

いまさら言ってもはじまらないことだけれど。

どんなことでも 本当に 隠れた原因というものはあるのだなと思ってしまう。

ただ、人のことを指摘するのは簡単だけれど 自分は 自分の行動をどれだけ反省できているか ということになると やはり自信がない。

しかし 命のことだけは 本当に 先はわからないのだな としみじみと思う。

こぶしを握って 力強く演説していた人が 一瞬のうちに逝ってしまうのだから。

改めて 安倍元首相のご冥福をお祈りします。