ケンのブログ

日々の雑感や日記

セミの鳴き声 浪花節だよ人生は

2022年09月21日 | 日記歌入り
9月20日付の読売新聞のコラムにこんな話が出ている。

日本のドラマでセミの鳴き声は夏の風物詩だが 海外に輸出する際は その音を消してしまう。

なぜならば 海外にはセミの生息しない地域も多く そこでは セミの声はテレビの故障と勘違いされるからだ。 と。

新聞のコラムは この話を村上春樹さんのエッセイに書いてある話として紹介している。

そういわれてみれば セミの声を聴いたことのない人が テレビを見て そこから セミの声が聞こえてきたら 確かに テレビの故障を疑うかもしれないと思う。

さて、今年は 最初の梅雨明けは 早かった。

僕は気象のことには詳しくないけれど 一応 梅雨前線が 日本から大陸に北上したら 梅雨明けとなるのだと思う。

ところが 今年は 早く 梅雨明け宣言したのにも関わらず セミが鳴かなかったという。

そして また 梅雨の戻りのような状態になった。

なので 7月下旬に梅雨明けは修正された。

そのころは ちょうどセミの大合唱が夏の暑さを盛り上げていたころだという。

そのことを 読売新聞のコラムが指摘している。

そうか セミの方が梅雨明けを人間よりよく 知っていたのかと思う。

データに頼った判断をするあまり 感覚的にものを判断するという機会が減ってしまっている弊害をコラムは暗に指摘したいのではないかと思う。

原発も 長い間 運転していないうちに 運転経験のある人が減っていってしまっているという。

もちろん 計器は異常を発見するのに大切だけれど、機械の異音など 人間が感覚的に異常を発見する能力に頼らなければ原発の危険は増してしまう というニュースも何日か前に新聞に出ていた。

言われてみるとその通りと思う。

ところで 僕が学生の頃に読んだ プラトンのパイドロスという書物には セミは 飲み食いを忘れて歌い続けた 人間の生まれ変わりだという話が紹介されている。

まあ 確かに セミの成虫は飲み食いを忘れて泣き続ける、つまり 歌い続けるわけで そこから セミは 飲み食いを忘れて歌い続けた人間の生まれ変わり という想像は 納得がいく。

そして そのような 想像力は 人間固有のものだなと思う。

人間が他の動物と違う点は 自由意志を持つことと 想像力(創造力)を持つこと という話を以前聴いたことがあるけれど 本当にその通りだなと思う。

それは ともかく 一日 いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。

■浪花節だよ人生は
細川たかしさんの 浪花節だよ人生は をカラオケDAMの音源で歌い録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

↓細川たかしさんの 浪花節だよ 人生は をカラオケDAMの音源で歌いました。


十五夜 ススキ

2022年09月20日 | 日記
僕の実家は岐阜県の田舎にある。

都会にいて 戻ってくると やはり 風習に慣れるのに時間がかかる。

いまだに慣れていなくて だんだん 慣れて行っている段階ということだ。

9月10日 十五夜の時には 知り合いの方が 新しく取れた里芋をもってきてくださり また ススキをもってきてくださった方いらしたりして、 里芋は神棚にお供えして ススキは 神棚の前の花瓶に生けた。

ススキを下げるのを忘れていて 2,3日たつと ススキがちょっとしおれてきた。

母が 私の 若いころは ススキは 月見が すんだら 下げるものやったけれど 時代の感覚も変わった というようなことを言っていた。

僕も ススキは 月見が終わったら 下げるということは 知らなかったし そもそも気づかなかった。

そんなことを回想していたら 新聞に こんな川柳が載っていた。

「お月見とバーガー結びつかぬ爺」・・・月見バーガーで月見する人はどのくらいいるのだろう、、、 と。


まあね 最近 マクドに あまり行ってないけれど マクドの前を通ると 月見バーガーの のぼりが 出ている。

ほっともっとの9月のメニューにも月見弁当がでている。

あまり 詳しくは見てないけれど きっと 月見バーガーも月見弁当も 卵をおとしているのではないかと思う。

そばに 卵を おとせば月見そばだから、、、。

でも 月見と言えば 今では ススキよりも 月見バーガーとか 月見弁当とか そういう宣伝の方が目立つし それは きっと 9月の商品なのだと思う。

そういう感覚に 自分が慣れてしまうと ススキも 9月の間は ずっと花瓶に生けていてもいいのでは と思ってしまうけれど。

母の感覚では そうではないらしい。

それで ちょっと 月見のお供えということググってみると 確かに ススキも含めて お供えは 月見が終わったら下げると出ている。

まあ そうか ひな人形も 桃の節句が終わったら下げるし クリスマスツリーもクリスマスイブがすぎたら 下げるし。

イギリスに行ったときには クリスマスツリーは 新年まででていたけれど。

だから 英語では merry Christmas and a happy new year が決まり文句なのか、、。

本当に 月見バーガーなどのせいで 感覚がおかしくなっていたような気がする。

確かに 川柳の評価者が書いているように 月見バーガーで月見する人はどのくらいいるのだろうと 思うけれど。

ちなみに 僕は 十五夜の日は コンビニで 中華まんをかって それを 月見団子にみたてて食べた。

岐阜県の 山間に行くと 本当にススキの多いこと と思う。

気づけば 彼岸花  曼殊沙華も多く見かけるようになった。 スーパーマーケットには おはぎも並んでいる。

お彼岸も 近いなと思う。

それは ともかく 一日 いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。







台風が近づいて

2022年09月19日 | 日記歌入り
実家の母が 台風が来るから 戸締りとか 気を付けないとという話をしていた。

僕は テレビを持っていないので そういう情報がどうも疎くなってしまう。

実家で9月18日お昼のニュースを見ると 九州南部の暴風の様子が画面に映っている。

そういうのを見ていると確かに 台風が ひたひたと やってくる という感覚になってくる。

テレビの映像を見ないと まあ あまり そういうリアルな 怖さを感じなくなってしまう。

知らぬが仏でむしろ安全なのか それとも 危険なのか。

まあ たぶん危険なのだとは思うけれど、、、。

でも 19日の午後には 東海地方に接近すると言っているから気を付けようとは思う。

食品売り場に行くと 台風が接近することを しきりに 場内アナウンスしている。

ようするに 台風による買いだめ需要に期待しているのだと思う。

もちろん 親切で言ってくれているとは思うけれど。

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新聞の人生案内のコラムにこんなことが書いてある。

「コロナ禍となり、様々な情報に触れた友人は、少し前からワクチン接種や医師会の対応について否定的なことを言い始めました。私はもともと体が強い方ではありませんが、ワクチン接種が原因のようなことを言われ、次第に会うことが苦痛になってきました」と。

本当に 医師でもないのに 人の健康のことをとやかく言う人って 僕も割と苦手。

身体が弱いのはワクチンを接種したからじゃないの とか 友達に言ってしまうのは やはり ワクチンを接種していないことに 自分が不安を感じるから 世話を焼くつもりで 実は マウンティングしているということもありうるし。


僕は おしっこが出るのが それほど早い方ではない というか 遅いと思う。

思いあたる節としては 我慢の限界に達する前に 早め 早めに トイレに行くたちなのでそんなにすぐに 勢いよく出ないというのと まあ 体質もあると思う。

それで 隣で おしっこをする人に 「お前 おしっこ出るのおそいなあ。 前立腺が肥大しているんやないか」としばしば言ってくる人に 過去に複数人遭遇した。

その中には 結構 執拗に言ってくる人もいた。

自分では 別におしっこが出るのが遅いだけで 違和感とか そういうのは ないので 器質的な病気ではないというのは 直感で ほぼ自信があった。

しかし 執拗に言ってこられてうっとおしかったので 医者に行って 前立腺肥大やないかと言ってくる人がいるので ということも医師に正直に話して エコーで検査してもらったことがある。

結果は やはり 全く 前立腺の肥大というものはなく 大丈夫とのことだった。

まあ そうだろうと 思った。

本当に うっとおしい人対策で 医者に行ったようなものだけれど それで うっとおしさから解放されたので まあ 検査代は そのための 費用と考えればいいと思った。

まあ 検査したけど 異常はなかった。 知ったかぶりで 余計な世話を焼いた責任で 検査代出せ と心の中ですこしだけ思ったけれど。

自分の健康に関して あるいは その治療にかんして どのような 選択をするのか ということは 基本的には 本人の自己決定権の範囲のこと と僕は考えるようにしている。

それは ともかく いちにち いちにち 無事に過ごせますように それを第一に願っていきたい。

■ギャランドゥ
西城秀樹さんの「ギャランドゥ」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。


僕は西城秀樹さんの歌は YMCAのような 万人受けの歌よりも ギャランドゥのようなテンション高い系の歌の方が好きです。

本当に 全盛期の西城秀樹さんはかっこよかったなと思います。

↓西城秀樹さんの「ギャランドゥ」をカラオケDAMの音源で歌いました。






デジタルの時代は事件の捜査も早い?

2022年09月17日 | 日記歌入り
東京五輪の汚職事件で 角川書店側がスポンサーに選定されることを 自ら高橋容疑者に依頼していたことが わかったと新聞に書いてある。

「依頼した疑いがある」 と書いてあるのではなく はっきりと 「依頼していた」と断定する書き方を新聞はしている。

新聞が自らの取材内容に自信を持っている証拠なのではないかと思う。

それで 記事を読むとこのようなことが書いてある。

「角川容疑者への報告用に作成された社内資料を押収し、詳しい経緯を調べている」と。

高橋容疑者への取り調べの段階でも 社内資料などを調べる というたぐいの記述が新聞にあったと記憶している。

そして、驚くほど 正確 迅速に 取り調べが進んで行っているように少なくとも僕には思える。

それで ふっと 思い当たったことは 「今は 社内資料と言っても 紙媒体を観なくても パソコンや 会社のサーバーなどに 何が 保存してあるか デジタルコンテンツを調べれば 紙媒体を調べるよりも はるかに 正確 迅速に ことの 経緯を知ることができるであろう」。ということだ。

大相撲の八百長問題が発覚した時 力士の証言を聴いているよりも 携帯電話を押収して メールのやり取りを調べたほうが はるかに 迅速で 正確 かつ 信頼度の高い証拠を集めることができたと思う。

今の 五輪汚職事件の捜査が 僕のように 昔の感覚のままでいる 人間から見るととても迅速 正確に行われているように思えるのも きっと 紙媒体ではなく デジタルコンテンツを調べているからなのだと思う。

デジタルの仕組みを使って悪いことも できるかわりに ひとたび 悪事が ばれたら デジタルコンテンツを調べられたら もう ごまかしや 言い訳は きかない そんな 時代になっているような気がする。

そういう点で、本当に デジタルの 情報って 怖いと言えば 怖いな と思う。
それは ともかく 一日 いちにち 無事にすごせますように それを第一に 願っていきたい。





佐野選手もすごい ギンギラギンにさりげなく

2022年09月16日 | 日記歌入り
9月14日付の読売新聞には ヤクルトスワローズの村上選手が シーズン55本本塁打をマークして王貞治さんの記録に並んだと出ている。

凄いことと思う。

僕の記憶が正しければ 萩本欽一さんと坂上二郎さんのコント55号も 王さんの55本にちなんでつけられた名前だったと思う。

55本と言えば 54本まで本塁打を打って あとは 巨人の投手にまともに勝負してもらえなかった阪神のバース選手のことも思い出す。

日本でプレーした外人選手の中で 僕の記憶にある中では一番好きな人だと思う。

村上選手は 55号を達成する前日9月12日に 横浜の投手から 死球を食らっていたのに その 翌日に 55号を達成するのはすごいという声もネットにはあった。

また あまり 今どき 気にする人は いないと思うけれど 王さんが在籍していた巨人の投手から2本打って55本を達成してしまうのも 本当に 時代の流れだなと思う。

さて、9月12日に 村上選手は横浜の投手から死球を受けた。

この死球をめぐって 今度は 逆に ヤクルトの投手が 横浜の主力打者 佐野選手に 身体 すれすれのところを通過する ボールを投げて コーチも「当ててもいいんだぞ」とヤジを飛ばして それをけしかけていた ということが 新聞に報じられていた。

佐野選手に 球が あたらなかったから よかったけれど もし あたっていたら プロ野球全体への 死球になっていただろう と新聞のコラムに書いてある。

それで どれどれ と思って 新聞が指摘する 佐野選手への 身体すれすれの 投球とはどんなものか ネットで動画を見てみた。

動画は 全投球が出てくるわけでは ないけれど 動画に出ていない分を 推測して書くと

佐野選手に対する 一球目はボールだった。

その次の2球目は たぶん 佐野選手の ふくらはぎのあたりを通過する変化球で 佐野選手は これを うまく よけている。

そして 3球目は スピードボールで ヤクルトの村上選手が受けた 死球と ほぼ同じ軌跡を描いて 佐野選手の太ももをめがけて 飛んで行っている。

さすがに これは 佐野選手も 身体を ぐっと 引いて かろじて 身をかわしたという感じだ。

身をかわした後 佐野選手は フーっと息を吐いて 「ええ? まさか? 村上への仕返しにあんな あたりそうな 球 投げてきてるの?」という感じの苦笑いをしている。

それは そうだろう 村上選手が受けた死球と 同じような軌跡を描いた球が 飛んでくれば ええ? まさか 仕返し? と思ってしまうのが普通だと思う。

それで 佐野選手は 苦笑いしている。

そして コーチなどの ヤジが 飛ぶあいだ ずーっと 我慢して 打席をはずしている。

ヤジが やんだのを 見計らうように 佐野選手は 打席に入る。

この時点で カウントがスリーボール ノーストライク ということも あると おもうけれど 佐野選手は 次の ボールは 投手が 投球モーションに入ると同時に もう身体を後ろに引いて 逃げる動作に入ってしまっている。

ええ? プロの選手が 投げる前に もう 逃げの動作にはいるなんて とおもってしまうけれど まあ それも 芸のうちなのかもしれない。

ところが 佐野選手が あらかじめ 逃げた ボールは ストライクゾーンのインコースぎりぎりくらいのところを 通過して 審判は ストライクのコール。

まあ 動画で見ても それは 実際に ストライクとは 思うけれど。

その ストライクを コールされたとき あらかじめ 身体を引いてしまっている佐野選手は ええ? ストライクなの? という感じで審判の方を見て やられた というような顔をしている。
それから 審判と キャッチャーの方を 向いて ちょっと 苦笑いしながら 微妙なゼスチャーをしている。

まあ 「お手柔らかに 頼むわ」 という意味合いが あの 動作には 現れていると思う。

そして その打席 結局 あとの二球はインコースではあるけれど よけなければ ならないほど きびしい球ではなく 佐野選手は 結局 一塁ライナーに倒れる。

まあ とりあえず 球が バットには あたっても 身体に当たらなくて よかった。

でも 佐野選手の あらかじめ 球をよけたり 長い 間を取ったりする 動作は どこかユーモラスにも見えるし こういう時に カッとなったら 余計に 危ない と佐野選手が 自分自身に 戒めながらプレーしているようにも見える。

このようにして 危険を さける というのも プロの選手として ファインプレーなのではないかと 僕は 思った。

そして 佐野選手のことを ちょっと好きになってしまった。

この人 たぶん いい人だと思って、、、。

あと やっぱり プロは 違うなと思うのは 太ももにあたった球の 仕返しは太ももに行って 頭に行ったりは しない ということだった。

仕返しそのものが よくないことなので それを 言っている 新聞の記事は ないけれど やはり 節度ある 仕返しをしないと 今度は 頭に投げられたら それこそ 選手生命にも影響してしまう。

いつか 日大アメフトの選手が ボールを手放した関学の選手に その選手の むち打ちをさそうような ひどい タックルをして 問題になったことがあった。

そのとき 落合博満さんは 「プロは 生活が かかっているから ああいうプレーは 出ない」という 主旨のことを言っていた。

要するに 自分が 相手の 不意を突くような そして 選手生命を奪いかねないような プレーをすれば お互い プロなのだから 報復にあって 自分の 選手生命を奪われてしまう 可能性もある ということを 落合さんは 遠回しに言いたかったのだと思う。

そのことを 念頭に置いて 佐野選手のプレーを見ると 本当に 佐野選手は いろんな方法を駆使して お互いの 危険を避けていることが よくわかるような気がする、、、。

それは ともかく いちにち いちにち 無事にすごせますように それを 第一に願っていきたい。

■ギンギラギンにさりげなく
近藤真彦さんの「ギンギラギンにさりげなく」をカラオケDAMの音源で歌いICレコーダーで簡易に録音したものをアップロードします。

聴いていただければ幸いです。

日産マーチが 生産をやめる というニュースを読んだとき 近藤真彦さんが 「マッチのマーチがあなたの街にマッチする」というダジャレのようなコマーシャルの文句を言っていたことを思い出しました。

僕の高校の倫理の先生は 卒業アルバムに載せる生徒へのはなむけの言葉に 「ギンギラギンより中身が大事」と書いておられました。

僕が高校生の頃は 倫理の先生も この歌を引用して生徒へのはなむけの言葉を考えるほど この歌は 流行ったということだと思います。

国民的ヒットソングが なくなったと よく言われます。

まあ みんな デジタル方式でイヤホンで音楽を聴くことが多くなったのが大きな原因と思いますが 僕の高校生当時は 生徒も先生も ヒットソングは 共通して知っている という時代だったな としみじみと思い出します。

↓近藤真彦さんの「ギンギラギンにさりげなく」をカラオケDAMの音源で歌いました。