『古我知焼(こがちやき)』は、喜納(きな)・知花(ちばな)・湧田(わくた)・宝口(たからぐち)などとともに、沖縄の古窯のひとつに数えられる窯元です。
1800年代初めから途絶えていた伝統が、1974年に「仲宗根隆明」さんが五袋の登り窯を構え、創作を始めたことによって復興されました。
ちなみに喜納(きな)・知花(ちばな)・湧田(わくた)・宝口(たからぐち)の窯は、1682年尚貞王により、那覇の『壺屋』に統合されて現在も引き継がれています。

住居兼工房兼ギャラリーは、田園風景を通り過ぎた先の集落にあり、鳥や虫の声がささやかに響く静けさの中、夜には満点の星空が広がり、朝には朝もやに包まれた幻想的な景色が見られる場所です。

土は、かつて古我知の地でとれた、焼物に適した土と同じ地層のものを名護市内で採取しているほか、ものによっては中部や県外の土をブレンドしてます。

そこに、乳白や緑釉、コバルトや深紫など、他の窯元のやちむんではあまり見かけない色も使って絵付けを行い、現代の暮らしに合った新たな『古我知焼』の世界を展開しています。


古酒を育てるやんばるの酒造メーカーの泡盛を詰めた酒甕ありました。


何点か素晴らしい酒甕がありましたが、残念ながらどれも素焼きの『荒焼』ではなく、釉薬をかけた『上焼』の酒甕でした。


高温で時間かけて焼き締めを強くする『荒焼』の酒甕を造るのはとても難しいようですねぇ。


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1800年代初めから途絶えていた伝統が、1974年に「仲宗根隆明」さんが五袋の登り窯を構え、創作を始めたことによって復興されました。

ちなみに喜納(きな)・知花(ちばな)・湧田(わくた)・宝口(たからぐち)の窯は、1682年尚貞王により、那覇の『壺屋』に統合されて現在も引き継がれています。


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土は、かつて古我知の地でとれた、焼物に適した土と同じ地層のものを名護市内で採取しているほか、ものによっては中部や県外の土をブレンドしてます。


そこに、乳白や緑釉、コバルトや深紫など、他の窯元のやちむんではあまり見かけない色も使って絵付けを行い、現代の暮らしに合った新たな『古我知焼』の世界を展開しています。



古酒を育てるやんばるの酒造メーカーの泡盛を詰めた酒甕ありました。



何点か素晴らしい酒甕がありましたが、残念ながらどれも素焼きの『荒焼』ではなく、釉薬をかけた『上焼』の酒甕でした。



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