小さな幸せ

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荒城の月

2007-11-11 23:09:32 | 音楽

岡城

大分県竹田市

 

荒城の月

 

春高楼の花の宴

巡る盃かげさして

千代の松が枝わけ出でし

昔の光いまいずこ

 

 

秋陣営の霜の色

鳴きゆく雁の数見せて

植うるつるぎに照りそいし

昔の光いまいずこ

 

 

いま荒城の夜半の月

かわらぬ光たがためぞ

垣に残るはたた葛

松に歌うはただ嵐

 

 

天井影は替らねど

栄枯は移る世の姿

写さんとてか今もなお

嗚呼荒城の夜半の月

 

この「荒城の月」は、 土井晩翠が作詞。

明治31年に東京音楽学校が、中学校の唱歌で「荒城の月」のテーマで、土井晩翠に詩を依頼。

彼は会津若松の鶴ヶ城と、故郷の青葉城をイメージに作詞。

明治34年に滝廉太郎が、子供の頃過ごした大分県竹田市にある荒廃した岡城をイメージして作曲したと言われています。

 

廃藩置県の影響で、沢山のお城がとりこわされてしまったのは、残念です。

鉄筋で立て替えられたお城ではなく、当時のままのお城が残っていたら・・・。

でも、もしそうだったら、この歌は生まれてなかったんですね。

 

滝廉太郎、21歳の時のこの歌を作曲。

 

 

滝廉太郎は、15歳で東京音楽学校(現・東京芸術大学)に入学。

本科を卒業後、研究科に進みます。

ドイツ留学中に発病し、23歳10ヶ月の若さで亡くなりました。

彼は、「荒城の月」を作曲した年に沢山の作品をてがけています。

♪箱根の山は天下の険 の「箱根八里」

♪春のうららの隅田川 の「花」

♪もういくつ寝るとお正月の 「お正月」

等など。

 

才能あふれる若者。

今の医学だったら助かっていたのかもしれませんが。

惜しいな~と、今日は、秋にそまった岡城を歩きながら、そんなことを考えました。

 

追記 (興味のある方はお読みください)

 

司馬遼太郎 「明治という国家」より抜粋

 

明治四年の廃藩置県によって当時家族を含めると百九十万人

の士族階級が一夜にして職を失い崩壊しました。時の明治政府

は士族の心の拠りどころであり、また象徴である城に彼らが立

てこもって反抗されては、ということで全国二百七十余藩の城を

次々と取り壊していきました。土井晩翠は旧制仙台二高の学生

のときおとずれた、会津若松鶴ケ城の荒廃に深い感慨を覚え、

瀧廉太郎は中学生のころよく遊んだ岡城に思いを馳せたといい

ます。「荒城の月」は二人の芸術家の想念があいまって生んだ

廃藩置県への挽歌、悼歌、鎮魂の歌ではないか。

 

今日の私の小さな幸せ

 

深まりゆく秋を感じてきました。

私の好きな大相撲も始まりました。

コメント (22)
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