田中雄二の「映画の王様」

映画のことなら何でも書く

『バックビート』

2020-05-16 17:45:32 | ビートルズ

 初期のビートルズと交流のあった写真家のアストリッド・キルヒャーが亡くなった。彼らの2枚目のアルバム『ウィズ・ザ・ビートルズ』(63)のモノクロ、ハーフシャドーのジャケットのイメージはアストリッドが撮った彼らの写真が基になっている。

 そのアストリッドと幻のビートルズメンバーで、早世したスチュアート・サトクリフ(スティーブン・ドーフ)との恋を中心に、ハンブルグでの“ビートルズ前史”を描いた映画『バックビート』があった。アストリッドを演じたのは「ツイン・ピークス」でローラ・パーマーを演じ、“世界一美しい死体”と称されたシェリル・リーだった。

『バックビート』(94)(1994.4.14.渋谷エルミタージュ)

 ビートルズがこの世に現れてから30年余りがたって、いよいよこうした一種の伝記映画が作られる時代になった。そして、この映画の出来は、一般の青春映画と比べても、そう悪くはないと思う。ただし、そこにはビートルズファンとしての自分の思い入れが多分に加味されていてることは否めない。

 それは、これだけそれぞれのメンバーのイメージに違和感を持たせないキャスティングをされると(ジョンの性格破綻者ぶり、ポールの嫌味なところ、ジョージの甘さ…といったマイナス面もきちんと描いている)、あるいは音楽的にも見事にコピーされると、もう一人の幻のメンバー、ピート・ベストの存在も含めて、もうそれだけでたまらない気持ちになってしまうからだ。

 ただ、自分でも不思議だったのは、例えば最近の『チャーリー』(93)『ドラゴン/ブルース・リー物語』(93)における、今の俳優による再現芝居にはひどく違和感を覚えたのに、この映画のビートルズたちにはそれがなかったことである。それは、もともと彼らは映画の人ではないから、俳優が再現芝居をしても許せるが、視覚イメージが焼き付いている俳優の演技を後の俳優が再現するのは許せないということなのかもしれない。

 映画を見た後、併設されていた「もうひとりのビートルズ展」を見た。本物のスチュアートの絵やアストリッドの写真を目の当たりにして不思議な気分になった。

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『イエスタデイ』

2019-08-08 08:51:17 | ビートルズ
 
 売れないミュージシャンのジャック(ヒメーシュ・パテル)が引退を決意した夜、世界中で謎の停電が発生。その渦中で交通事故に遭ったジャックが目覚めると、何とビートルズが存在しないことになっていた。世界中で唯一ビートルズの曲を知る存在となったジャックが、彼らの曲を歌うことで注目され、メジャーデビューの話が舞い込む。
 
 監督ダニー・ボイル、脚本リチャード・カーティスによる何とも愉快なパラレルワールド話。カーティス作品としては、あり得ない話という点でタイムトラベルを扱った『アバウト・タイム』(13)と通じるところもあるが、大元は主人公が自分のいなかった世界を見るフランク・キャプラの『素晴らしき哉、人生!』(46)ではないかと思った。
 
 ボイル監督が「これはビートルズへのラブレターだ」と語るように、この世にビートルズがいなかったら…という大胆な発想を描くことで、逆にジャックが歌うビートルズの曲が新鮮に聴こえ、改めてビートルズの素晴らしさを知らしめる効果がある。だから、エンディングに流れる“本物のビートルズの「ヘイ・ジュード」”を聴くと、彼らがいてくれて本当によかったと実感させられて、思わずホロリとするのだ。
 
 奇しくも、1969年のハリウッドのパラレルワールドを描いたタランティーノの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』も近々公開されるが、こうしたことを現出させられるのが映画ならではの芸当に他ならない。ミュージシャンのエド・シーランが本人役で登場するお遊びも面白いが、ジャックを献身的にサポートするエリ―(リリー・ジェームズ)がかわいい。
 
 以前、過去へのタイムトラベルを描いたジャック・フィニイの『ふりだしに戻る』を読んだ時に、ビートルズのいない時代に行くのは嫌だなあ、と感じたことを思い出した。
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ポール・マッカートニーと映画

2018-11-07 10:59:05 | ビートルズ

 ポール・マッカートニーの来日公演、今回は無事に終了しそうである。1980年の“成田騒動”から、ポールの日本公演にはいろいろと問題が起きるので、ファンとしては一安心。まあ、こちらは、2014年の「幻の国立競技場公演」を経て、翌年のお詫びツアーで、ポールのライブからは卒業したつもりでいたのだが、今回の両国国技館公演はちょっと見てみたかった気もする。いずれにせよ料金が高過ぎるよ。

 ところで、ポールと映画と言えば、『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』(17)に、ポールがジャック・スパロウ(ジョニー・デップ)の伯父さん役でゲスト出演していた。その前には、ストーンズのキース・リチャーズがスパロウの父親役をやっていたから、ポールとキースは“兄弟”という設定になる。これはポールの「クイーニー・アイ」のクリップにデップが出てくれたことへの“お礼”なのだろうか。


 
 また、2006年に、第一次大戦下の北フランス戦線を舞台に、クリスマスイブの一時休戦を描いた『戦場のアリア』を撮ったクリスチャン・カリオン監督にインタビューする機会があった。

 その時、この話は、ひょっとしてポールの『パイプス・オブ・ピース』のビデオクリップで描かれた、第一次世界大戦下の戦場でのイギリス兵とドイツ兵(ポールの二役、ひげの方はちょっとデビッド・トムリンソンかテリー・トーマスに似ている)の交流話と、基は同じ話なのかと思い、カリオン監督に尋ねてみた。

 すると監督は「そのビデオクリップのことは知っています。確か1984年に見たのですが、当時、私はこんな史実があることは知りませんでした。後になって『あー、あのクリップはこのことを語っていたんだ』と。実はポールをこの映画のプレミアに招待したのですが、残念ながら彼は忙しくて来られませんでした。代わりに『メリー・クリスマス、ポール・マッカートニー』と書かれた絵葉書をくれましたけど(笑)」と語った。

 ポールのビデオクリップは映像的にも結構凝っているので、面白いものが多いのだ。

Pipe Of Peace Paul McCartney 1983
https://www.youtube.com/watch?v=TwyFTRGiIUU

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『オール・マイ・ラヴィング』(岩瀬成子)

2017-07-23 10:23:32 | ビートルズ

 朝ドラの「ひよっこ」で、ビートルズ来日時の騒ぎが楽しく描かれていたので、あの時代を生で体験した“本物のビートルズファン”が書いたものを読みたいと思っていた。そんな折、偶然、ブックオフで見つけたのがこの本だった。

 ビートルズ来日時の1966年。主人公の14歳の少女が住む小さな田舎町には、ビートルズのファンは彼女一人しかいなかった。そこにビートルズファンの少女が東京から転校してきて同級生となるが…。

 「わたし=平山喜久子」と家族(父と姉)、町の大人たち、クラスメートとの交流を描きながら“あの時代”の一断片を再現している。

 筆者の岩瀬成子さんは山口県出身で高名な児童文学者らしい。オレよりも10歳年上だから、恐らく主人公の喜久子は彼女の分身なのだろう。

 60年代後半の少女の物語(特に心象風景やディテール)としては、北村薫の『スキップ』をほうふつとさせるところもあるが、少女(女)の目、あるいは地方から見た、感じた、聴いたビートルズという視点が新鮮だった。

 例えば、こんな一節があった。

 「オール・マイ・ラヴィング」とビートルズは歌う。聴いていると、だんだんわたしは内側からわたしではなくなっていく。外側にくっついているいろんなものを振り落として、わたしは半分わたしではなくなる。ビートルズに染まったわたしとなる。

 夕飯のあと、台所でラジオを聴きながら茶碗を洗っていた。「シー・ラヴズ・ユー」が流れはじめても、しばらく茶碗をくるくる動かしながら聴いていた。それから、急に体のまんなかに穴をあけられたみたいな気がして、茶碗を掴んだまま顔をラジオに向けた。目の前を遮っていたものが、がしゃがしゃと壊れていくような気がした。

 映画がはじまり「ア・ハード・デイス・ナイト」の最初のフレーズが響き渡ったとたんに、わたしはもう泣いていた。目の前でビートルズが動いていた。走っていた。髪を揺らしながら、こっちに向って走ってくる。

こういう感覚は男には書けない。

 そして、喜久子は「~誰よりも、コンサートにはわたしがいちばん行きたいのです。~きっと日本に来てください。きっとですよ。おねがいします」と願い、ある行動に出るが、残念ながらコンサートには行けない。

 「ひよっこ」でも描かれていたが、結局一番見たかった人たちが見られなかったのだ、という矛盾や不条理を感じて切なくなる。

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「ひよっこ」と『抱きしめたい』

2017-06-29 10:23:27 | ビートルズ

 朝ドラの「ひよっこ」、今週のサブタイトルは何と「ビートルズがやって来る」だ。

 昭和30~40年代を舞台にしたこのドラマは、これまでも、加山雄三の「恋は赤いバラ」を海で歌うような、いいシーンがあったが、今週は1966年の6月末から7月初頭にかけてのビートルズの来日にまつわる騒ぎを描いている。

 ドラマーでもあるシシド・カフカが「私はリンゴが好き」と語る楽屋落ちも楽しい。それにしても、チケットの抽選に応募させるために、ライオン歯磨きは相当儲けたのだろうなあ。

 で、ビートルズが宿泊したのが、赤坂の東京ヒルトンホテル(後のキャピトル東急ホテル)。そうか、それでヒロインのみね子(有村架純)が働く場所を赤坂にしたのか。

 そのビートルズをこよなく愛する、おかっぱ頭の“変なおじさん”の宗男を演じている峯田和伸がいい味を出している。

インタビュー記事は↓
https://tvfan.kyodo.co.jp/feature-interview/interview/1113548

 そんな展開を楽しく見ながら、この2年前の64年に、ビートルズが初渡米した際の騒動を描いた『抱きしめたい』(78)というキュートな映画があったことを思い出した。



 初見の際のメモを。(1982.8.12.自由ヶ丘武蔵野推理劇場.併映は『レット・イット・ビー』)

 昨日のトビー・フーパーの『ポルターガイスト』(82)に続いて、スピルバーグがプロデュースした映画を見た。ロバート・ゼメキスの『抱きしめたい』である。

 1964年、ビートルズの渡米からエド・サリバン・ショーへの出演までのアメリカの狂乱ぶりを、何とか彼らを見に行こうとするニュージャージー州の田舎町の若者たちの姿を中心に、明るくコミカルに描いている。

 ジョージ・ルーカスの『アメリカン・グラフィティ』(73)同様、ベトナム戦争が激化する以前のアメリカの青春の一断片として見れば、ほほ笑ましい気さえする。

 ここではビートルズの足(もちろん偽物)しか映らないが、この時期の彼らのファンの大多数は若い女性で、まだアイドル扱いされており、後に彼らが、音楽的、思想的に大きく変わっていくことなどは想像外だったろう。

 狂乱の主役たちも、今では中年となり、親となって子供に説教しているなんて人も少なくはないはず。そんな彼らが、この映画を見たらどんな思いを抱くのだろうか。などと、ちょっと意地悪な感慨を持った。

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『ウィズ・ザ・ビートルズ』(松村雄策)『女の足指と電話機』(虫明亜呂無)

2016-12-01 12:14:15 | ビートルズ

『ウィズ・ザ・ビートルズ』(松村雄策)



 デビュー・アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』から、ラストアルバム『レット・イット・ビー』までの14枚の分析、というよりも、それぞれのアルバムにまつわる筆者の私的体験を語ったエッセイ。

 まあいつもの“松村節”ではあるのだが、「やっぱりビートルズを語らせたらこの人だよなあ」と思いながら一気に読んでしまった。

 自分が好きなものに対して、愛を込めて誠実に語るという姿勢には見習うべきところが多いし、何より『ウィズ・ザ・ビートルズ』というタイトルが筆者の思いを表していると感じた。宇野亜喜良のカバーイラストもいい。

 ところで、“~節”というのは、文体や言葉の選択も含めて筆者の個性や文章の味を差すのだろうか。

 そういう意味では、文学、映画、演劇、音楽、恋愛、スポーツなどの幅広いテーマを語った名エッセイ集『女の足指と電話機』の文庫化がなった虫明亜呂無の文章も“虫明節”としか言いようがない魅力がある。



 ここでは、リタ・ヘイワース、マリー・ラフォレ、ドミニク・サンダ、シャーロット・ランプリング、及川道子、ジル・クレイバーグといった、新旧の女優たちへのオマージュが読める。

 中でも、スポーツニッポン紙上に連載された「うえんずでい・らぶ」で書かれたコラムの見事さには今さらながらうならされる。

 短い文章の中に厳選された言葉があふれ、一見、無関係と思える話から本筋へと入っていく呼吸が素晴らしい。あとがきにもあるように、まさに“華麗なる散文 ”といった趣がある。

 これらを集めて一冊の本とした編集者の功績は大きなものがあるが、惜しむらくは、『第三の男』のラストシーンを語った「ウィーンの朝」でのジョセフ・コットンとトレバー・ハワードの誤記をそのままにしたところだ。

 原文に忠実であることは原則だが、誰にでもミスはあるのだから、この場合、編集者や校正者が、亡くなった筆者の名誉のためにも、あえて「注釈」を入れるべきではなかったかという気がした。

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『ザ・ビートルズ EIGHT DAYS A WEEK The Touring Years』

2016-09-27 09:28:30 | ビートルズ



 1970年の『レット・イット・ビー』から46年、『ザ・ビートルズ・アンソロジー』から21年ぶりのアップル公式作品。63~66年、英リバプールのキャバーン・クラブ時代から米サンフランシスコ・ジャイアンツの本拠地、キャンドルスティックパーク公演まで(日本武道館公演もちらりと映る)のツアー活動期を中心に、4人や関係者、著名人のインタビューを交えながら構成している。

 監督のロン・ハワードは、ビートルズを媒介にして60年代を描こうと試みている。その点ではいささか物足りないものがあるが、ウーピー・ゴールドバーグやシガーニ―・ウィーバーが、まるで少女に戻ったかのように夢中になってビートルズを語る姿は感動的。ウーピーが語る「彼らは黒人でも白人でもない。そんなこととは関係のない“ビートルズ”だったのよ!」という一言が印象に残る。

 ライブシーンは、世界初公開映像といううたい文句の割には、すでに見たことのあるものがほとんどだったが、今回はデジタルリマスターで音と映像がクリアになり、ビートルズのライブバンドとしての質の高さを改めて感じることができる。それだけでもこの映画を見る価値はある。特にリンゴのドラムが素晴らしいことに気づかされた。

 それにしても、今よりもずっと粗悪な音響設備の中で、よくぞここまでのクオリティ(歌と演奏)を保ったものだとつくづく思う。すさまじい歓声の中で、お粗末な1本のスタンドマイクに顔を寄せ合いながら必死にハーモニーをつける、ジョンとポール、ポールとジョージ、ジョージとジョン…その姿を見ているとなぜか切なくなってくる。

 本編終了後に、ニューヨーク・メッツの本拠地、シエイ・スタジアムでのライブ映像が流れる。こちらは、77年に『THE BEATLES/シェアスタジアム』として「マジカル・ミステリー・ツアー」と同時上映された時以来の再会。本編同様に、音と映像は一部加工も加えられて驚くほどクリアになっていた。

 薬のせいなのか、もはやライブに嫌気がさしていたためか、目の下にくまをつくり、驚くほどやつれた表情で演奏するジョンとポールの姿が印象的。何度見てもラストの「アイム・ダウン」はぶっ飛んでるぜ。

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『ヤング・アダルト・ニューヨーク』

2016-05-27 10:19:17 | ビートルズ

映画の中のポール



 ブルックリンに暮らす、40代と20代のカップルの交流とギャップをコミカルかつシニカルに描いたノア・バームバック監督の『ヤング・アダルト・ニューヨーク』で、ウングス時代のポール・マッカートニーの曲が印象的に使われていた。

 映画の中盤で流れるのは1973年発表のアルバム『バンド・オンザ・ラン』のラストを飾った壮大な名曲「西暦1985年=Nineteen Hundred and Eighty Five」

 この曲は、「1985年になったら、生き残っている人は誰もいないんじゃない?」というちょっと怖い一言で始まるのだが、ポールにそう言ったのは妻のリンダだったという説がある。

 今や85年は遥か遠くに過ぎ去り、ジョンも、ジョージも、そしてリンダも亡くなったけれど、ポールは現役で頑張っている。そう考えながら改めてこの曲を聴くと感慨深いものがあったし、中学時代から愛聴していたこの曲を、去年ライブで初めて聴いた時に思わず涙腺を刺激されたことを思い出した。

 ちなみに85年のポールは、ジョン・ランディス監督の『スパイ・ライク・アス』のテーマ曲を作っている。

 もう一曲、エンドクレジットで流れるのは、76年発表のアルバム『スピード・オブ・サウンド』に収められた愛すべき一曲で、アメリカ建国200周年を記念して書かれた「幸せのノック= Let 'em in」

 この映画は、冒頭にイプセンの『棟梁ソルネス』の一節を引用し、これから描く、新世代を受け入れるか否かで悩む旧世代の葛藤を明示しているが、紆余曲折を経て、「彼らを中に入れてあげてよ」とポールが歌うこの曲を最後に流すことで、主人公の心の変化を表しているわけだ。

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『HELP! 四人はアイドル』(65)

2015-12-12 09:00:47 | ビートルズ

英国流のシュールでブラックな笑いが随所に


 ザ・ビートルズの主演映画第二弾。今回はカラーになったので、当時流行していたサイケデリックな色遣いも見られます。監督は前回同様リチャード・レスターが務め、リンゴの持っていた指輪を巡ってメンバーたちがトラブルに巻き込まれるというストーリーが展開していきます。

 同じく英国製作の「007」シリーズに代表される、当時流行のスパイ映画をパロディーにしたような冒険活劇的な要素もあり、前作よりも劇映画に近づき、彼らと映画とのかかわりがさらに広がる可能性を感じさせました。

 意味もなく何度も現れるドーバー海峡横断者など、後の「モンティ・パイソン」にも通じるような英国流のシュールでブラックな笑いが随所に散りばめられているのも見どころです。

 タイトル曲の「ヘルプ」、彼らが自宅で歌うという設定の「悲しみはぶっとばせ」、オーストリアのアルプスのスキー場で撮影された「涙の乗車券」、バハマの海岸で撮影された「アナザー・ガール」「恋のアドバイス」のスタジオ録音風景、そして戦車が登場する「アイ・ニード・ユー」など…。今回もビートルズの名曲を、凝った映像をバックに聴くことができます。

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『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』 (63)

2015-12-11 08:59:34 | ビートルズ

若き日の4人の躍動感とスピード感に酔う



 ザ・ビートルズ(ジョン・レノン、ポール・マッカートニー、ジョージ・ハリスン、リンゴ・スター)の映画デビュー作です。昔は歌がヒットしたら映画にも出るというのが定番コースでした。そうした時代を象徴する映画ではありますが、当時としては一風変わった映画でもありました。

 特にストーリーはなく、どこへ行ってもファンに追いかけられる彼らの目まぐるしい一日半を、当時新人だったリチャード・レスター監督が白黒映像でドキュメンタリー風に撮り、スピーディーかつコミカルに描いているからです。

 タイトル曲の「ア・ハード・デイズ・ナイト」は、リンゴがふともらした「きつい一日だったぜ」という言葉から生まれました。リンゴは後に俳優としても活躍しましたが、この映画に出演したことで俳優をやってみたいと思ったそうです。「こいつ=ジス・ボーイ」がリンゴのテーマとしてインストルメンタルで流れるのも聴きどころです。

 オープニングとエンディングで、走る彼らのバックに流れる「ハード・デイズ・ナイト」、列車の中で歌う「恋する二人」、ジョンがリンゴを慰めるために歌い始める「恋におちたら」、ポールの名バラード「アンド・アイ・ラブ・ハー」のスタジオ録音風景など、曲の見せ方は後のミュージックビデオの元祖とされています。曲の良さはもとより、とにかく走りまくる若き日の4人の躍動感とスピード感にも酔ってください。

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