『フォレスト・ガンプ/一期一会』(94)(1995.4.22.渋東シネタワー)

この映画が、アメリカ本国で熱狂的に支持されたのはよく分かる気がする。何しろ、ガンプという寓話的なヒーローを語り部にして(演じるのがトム・ハンクスというのも、憎いばかりの適役)、彼を近年のアメリカに起こった大事件の現場に登場させ、多くの有名人と交わらせ、しかもそのバックには当時のヒット曲が流れるのだから。これはアメリカ人にとってはたまらないものがあるだろう。
ただ、その流れに乗って日本でも大騒ぎとなると、ちょっと違うんじゃない、という思いがした。例えば、この映画とよく似た感じがする、ジョージ・ロイ・ヒルの『ガープの世界』(82)のように、主人公とその周囲の人々の姿から、人間が持つ温かさや悲しさ、滑稽と残酷が感じられて、思わず納得させられた時とは、印象が異なる。
それは、この映画が、アメリカの近代史の数々にガンプを絡め過ぎたために生じた散漫さが最たる原因だろう。また、そこにガンプの生涯の恋人・ジェニー(ロビン・ライト)の存在の曖昧さも加わるから、何だかじれったくなってくるところがあった。
もっとも、未読の原作では、母親(サリー・フィールド)もジェニーも死なないらしいし、ガンプは月に行ったり、プロレスラーや議員になったり、チェスでも大活躍と、映画以上の詰め込み具合のようなので、この場合、ここまでで収めたエリック・ロスの脚本は褒められるべきなのかもしれない。
また、『永遠に美しく』(92)では、合成で遊び過ぎて失敗したロバート・ゼメキスの復活作という見方も出来なくはない。だが、見る前は、ひょっとしてベストの一本になるかもなどと期待していたもので、何か釈然としない思いが残ってしまった。もう一度間を置いて見直してみる必要があるかもしれない。


今こそ、「生きていることの幸せ」を描いた映画を見よう(part2)
『フォレスト・ガンプ/一期一会』『陽のあたる教室』
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