『ア・フュー・グッドメン』(92)(1992.5.14.ニュー東宝シネマ2)
キューバの米軍基地で、兵士同士の殺人事件が起こった。キャフィー中尉(トム・クルーズ)ら弁護団は、しごきのための暗黙の制裁「コードR」が事件に絡んでいることをつきとめる。だが、基地の総司令官ジェセップ大佐(ジャック・ニコルソン)の陰謀で、裁判は暗礁に乗りあげてしまう。アーロン・ソーキンの舞台劇をロブ・ライナー監督が映画化。
前半の1時間ぐらいは、クルーズが演じた主人公のやる気のない行動を見せられ、話の流れも何だかだらだらとしていて、正直なところ、参ったなあと思いながら眺めていた。
ところが、それこそがこの映画の“手”だったのである。というのも、この映画の核は主人公の心境の変化であり、それを効果的に見せるには、前半のだらだらが後半の緊迫への伏線になるからだ。
従って、詰めの甘さを感じさせるラストシーンにもうまくだまされてしまう羽目になる。このあたりは、ライナーの演出の妙というべきか。
とはいえ、この裁判劇の真骨頂は、やはりアメリカ映画の伝統である正義の勝利の心地よさであり、その昔の(裁判劇ではないがラストに正義の逆転がある)『スミス都へ行く』(39)や、(この映画と同じく軍事裁判を扱った)『ケイン号の叛乱』(54)の系譜にも連なるものだから、特に新種というわけでもない。
つまりは、正義への思いや、軍隊が抱える矛盾は、昔も今もそれほど変わりはないということなのだろう。エンドクレジットにフランク・キャプラ3世の名前を発見した際に、その思いはさらに強まった。
ところで、トム・クルーズという俳優の、年上の大スターのエキスを吸い取るしたたか者という印象は、この映画で拍車が掛かった。『ハスラー2』(86)ではポール・ニューマン、『レインマン』(88)ではダスティン・ホフマン、そしてこの映画のニコルソン。こうした格上の相手役を堂々と向こうに回して、自らのキャリアアップにつなげているのだから、大したものである。
また、この映画はデミ・ムーアが最も魅力を放ったのではないか。もともと軍服は女性を魅力的に見せる効果はあるのだが、クルーズとのカップルを、お決まりの恋愛に走らせなかったところも効果的だった。
そして、その2人に加えて、もはやワニを思わせる風貌で憎々しさを発揮するニコルソンの貫禄の悪役ぶり、対照的なケビン・ポラックの善人ぶり、そしてケビン・ベーコンのうまみ、という配役の妙味が、この映画のテーマの一つである価値観の多様性を見事に印象付けるのだ。
【今の一言】30年前のトム・クルーズの印象はこんな感じだった。その彼もいまや還暦だ。
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