日本で映画作りが始まったのは明治14年。京都で歌舞伎の劇場を運営していた牧野省三は、横田商会の横田永之助から映画製作を依頼され、日本最初の映画監督となる。
チャンバラの撮影を始めたが失敗の連続。試行錯誤の末、時代劇映画を大衆の娯楽へと成長させた。そんな中、映像に音声が付いたトーキーが登場。無声映画を支えてきた俳優や活動弁士、楽士たちは仕事が奪われると猛反対。牧野に映画の未来がかかる「選択」が迫られた、というなかなか興味深い内容だった。
「日本映画の父」とも呼ばれる牧野が唱えた映画作りの基本「1.スジ(シナリオ)、2.ヌケ(撮影技術)、3.ドウサ(演技)」は今でも通じる言葉。
彼の監督作はほとんど残っていないので見たことはないが、彼が製作総指揮をした『雄呂血』(25・主演・阪東妻三郎、監督・二川文太郎、脚本・寿々喜多呂九平)を中学生の頃テレビ(1975.7.6.NTV)で見て衝撃を受けた記憶がある。弁士は松田春翠だった。
『雄呂血』は、善意の行動が誤解を受けて藩を追われた若侍・久利富平三郎(阪妻)が、やがて無頼漢と呼ばれ、悲劇の道をたどる物語。最後に追い詰められた平三郎が捕り方を相手に大立ち回りを演じるシーンがすごい。最近、4Kデジタル修復が実現し、上映時間が従来の75分から101分に伸びたという。
そして、この番組にコメンテーターとして出演していた周防正行監督の『カツベン!』(19)では、山本耕史が牧野省三を演じていた。また、同じくコメンテーターだったスウェーデン出身の日本映画研究者だというヨハン・ノルドストロムという人にも興味を持った。
【インタビュー】『カツベン!』周防正行監督、成田凌
https://blog.goo.ne.jp/tanar61/e/3e05619830e2646254dc35f638aab180
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