ノブとキョン+2の日々

日頃の出来事を書いています。
楽しく過ごせたらいいなと思います。

大村2

2013年07月06日 | ノブ
街道は松原宿に到着。旧松屋旅館




松原宿は昔、立派な松原があったそうですが、
近くに飛行場が出来るため切られてしまったそうです。
海岸の一部に 大手の真珠の会社が寄付した松が植樹されてました。

茶屋跡


敷地内は酒屋さんで 古い塀が残ってます。






雨は上がってきましたが、気温も湿度も上がってきました。
汗がどんどん出ます。

大村市の旧長崎街道の案内板 よく読んで


郡川の渡し ここも橋ではなく飛び石だったそうです。


大村市内へ 雨はすっかりあがり陽がさしてきました。暑い!

歴史のなかの キリシタン弾圧の跡 




大村市内に入って街道がわかりづらくなり 
ちょっと迷ってしまいましたが、道標を発見して軌道修正。


追分石もありました。


街中に入り本町通りのアーケード。


アーケードの手前に脇本陣跡の石碑


旧街道はアーケード街の中を通ってます。大村宿


アーケード内に大村宿の本陣跡がありました。


万歩計を確認


大村宿を過ぎて 起伏のある街道を西に向かいましたが、
蒸し暑さで だいぶくたびれてしまいました。

この先 諫早に向かう峠の山道になっており
今日はここまでと 近くのJR大村線の岩松駅へ向かいました。


佐賀県内を歩いていたときは、5万歩くらいは歩けましたが
くたびれ方を考えれば、いかに佐賀県内は平坦だったか?
7月に入っての暑さがこたえたことなど 歩くには厳しいなと思いました。

鳥栖に帰るには疲れすぎだし、
長崎市内で行われている長女の部活はトーナメントを勝ち上がり
明日まで試合があるとのこと聞き見に行こうと思い、
今日は諫早市内に泊まることしました。

涼しくなるまで 街道歩きは封印と決めました。

大村へ

2013年07月06日 | ノブ
目が覚めたらちょっと曇っている。
まあ 何とかなるだろうと思って、朝早くJRに乗って出かけました。
JR佐賀駅で乗り換え、さらにJR肥前山口駅で乗り換えて、
佐世保行きの列車に乗って西にむかいました。

この前の街道の続きを歩こうと思いJR彼杵駅を目指しました。
ところが 武雄温泉駅についた頃から雨が降り始め、雨脚はどんどん強くなり
列車の車窓をたたきつけるような大雨になりました。

この雨ではどうしようもないと思いながら とにかく早岐駅まで行って
もしダメなら佐世保駅にでも行ってみようとおもって早岐駅に降り立ちました。

しばらく諫早駅行きの列車を待ちながら雨の様子をうかがっていたら
長崎市に部活の遠征で出かけていた長女から電話があり、
「長崎市内は雨は降ってないよ。曇ってるけど」とのこと。

早岐駅ではまだ雨が降っていたけど、南下すれば雨は降らないんだと
思いこみ、当初の計画通り彼杵駅まで行きました。

雨は止んだり降ったりの天気になって 彼杵駅についたら止んでました。
出発前の万歩計の確認をして


でも空は暗い。歩き始めて3分も経たないうちに大雨に降られ
仕方がないので、民家の軒先をお借りして雨宿り
小降りになったところで、傘を取り出し歩き方再開。

この前の続き 彼杵宿から

キリスト教弾圧が厳しかったところだそうです。


この宿場の近くには

二十六聖人船乗り場の跡があり 碑が建ってます。


大村湾沿いに街道は進んでいます。街道の案内を確認。
しかし行く手には厚い雨雲が・・・雨は小雨ですが・・・


傘をさして歩いていましたが、ズボンから下はとっくの前にずぶ濡れ。
靴も靴下も完全に濡れてしまっています。
大村湾と二十六聖人船乗り場跡です。


街道は国道34号線に沿っており 水しぶきをたてながらの車や
走り去るトラックから水たまりの水を浴びながら びっしょり。

千綿宿に入りました。街道の雰囲気。


古い建物も残っており 大切に保存されているようです。


千綿宿をぬけると街道は 起伏のある畑の中を通ってました。


大村湾を見ながら歩き 海岸沿いに国道34号線とJR大村線が通ってます。

街道は下りになり、国道と合流し

しばらくいくと可愛い駅舎がありました。JR千綿駅
木造の趣のある建物でした。


改札口の向こうがホームになっており その先は大村湾です。
多分夕日が映える素敵な駅だと思いました。


国道を渡る歩道橋をのぼり 駅舎を振り返ると

なかなか いい味をだしている海辺の駅でした。

国道をはずれた街道は、畑や田んぼの中をぬけて続いてました。


才貫田というところを過ぎて 街道の案内があれば安心。


さやのごぜん


お参りして


松原宿へ向かいます。