今日は午後から雨が降るとの予報。
宿泊したホテルを早めに出たのでござます。
大分からの帰りは高速道路を北川ICで降りて国道10号線を南下するのでございます。
延岡市北川にある西郷隆盛ゆかりの地でございます。


「和田越の決戦」に敗北した後、この家で軍議が行われその様子が人形で再現されてました。


敷地内


ここで薩軍の解散を命じ、この場所で軍服を焼いたそうです。
桐野利秋の宿営地

西郷菊次郎 療養の家

軍議により可愛嶽を越えていくことになったそうで

登って行ったそうです。


この陣屋資料館の裏には可愛嶽への登山道がございまして

その左側には


ニニギノミコトの御陵でございました。神聖な場所でございます。
ここは国道10号線をちょっと入ったところにあるんですが
ずいぶん昔、仕事で宮崎県を担当していた頃(12~13年前かな
10号線を通っていたとき意識はしていたんですが立ち寄ったのは初めてでした。
ここも来年の大河ドラマで盛り上がっている様子でした。
原作執筆の先生もお見えになっていました。
10号線を南下すると「和田越の決戦地」がございます。
ここで薩軍は敗北して北川町へ敗走したんだそうです。


ここより南の樫山というところに官軍が対峙したそうでございます。

宿泊したホテルを早めに出たのでござます。
大分からの帰りは高速道路を北川ICで降りて国道10号線を南下するのでございます。
延岡市北川にある西郷隆盛ゆかりの地でございます。


「和田越の決戦」に敗北した後、この家で軍議が行われその様子が人形で再現されてました。


敷地内


ここで薩軍の解散を命じ、この場所で軍服を焼いたそうです。
桐野利秋の宿営地

西郷菊次郎 療養の家

軍議により可愛嶽を越えていくことになったそうで

登って行ったそうです。


この陣屋資料館の裏には可愛嶽への登山道がございまして

その左側には


ニニギノミコトの御陵でございました。神聖な場所でございます。
ここは国道10号線をちょっと入ったところにあるんですが
ずいぶん昔、仕事で宮崎県を担当していた頃(12~13年前かな
10号線を通っていたとき意識はしていたんですが立ち寄ったのは初めてでした。
ここも来年の大河ドラマで盛り上がっている様子でした。
原作執筆の先生もお見えになっていました。
10号線を南下すると「和田越の決戦地」がございます。
ここで薩軍は敗北して北川町へ敗走したんだそうです。


ここより南の樫山というところに官軍が対峙したそうでございます。

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