5階でエレベーターに乗り込んだ。6回から降りてきたエレベーターでおばさん3人《ケアーさんの模様)が話に夢中だった様子で早速話しかけられた。以下оはオソマツ君、C1,C2,C3がそのおばさんたち。
c1「あれ、Oさん、こんにちは。その帽子カッコいいね。上着と合っててお似合いよ。奥さんのお
見立てかね」
O「僕は一切家内に丸投げで、注文を付けたり、希望を云ったりしたことはありません」
C2「いいな、Oさんはいい男だから奥さんもいろいろ着せて楽しんでおられると思うよ」
O「ここで、『寿司食いねえ』と云わないかんが、生憎寿司をもっておらんで、失礼!」
C3「いいわ、いいわ、今度、お寿司屋さんへ皆で行くでしょう。その時、私たち3人は並んでカウ
ンターに座るから、Oさんが『寿司食いねえ』の人手を挙げてといって、私たちが手を挙げ
たら『大将、あの3人にマグロの上トロを握ってあげて』といってくれればいいのよ」とおっ
しゃる。このおばさんたちには勝てない。
O「分かった分かった。そうするからこの辺で勘弁して。これ以上話していたらどうなることやら」
此処で3人に大笑いされた。偶然だけどお寿司屋へ行く話は本当であった。希望者を募って
次の土曜日に出かけることになっていたのである。Oさんは、別の理由で参加申し込みを
していなかった。
「寿司食いねえ」の話は、浪曲の広沢寅蔵の「清水次郎長伝」の一節である。
親分の次郎長に頼まれてお伊勢さん(伊勢神宮)に代参《次郎長に代わってお参りすること。当然次郎長名で奉納金を納める)に行く森の石松が大井川を渡る船の中で居合わせた旅人と雑談中に「東海道と云えば清水に街道一の大親分がいるねえ」と云われて嬉しくなって、持っていた寿司をその旅人に勧める名場面で年輩者なら誰でも知っている場面である。以上失礼しました。
(追記》テレビ時代になって「浪曲」が姿を消したのは誠に残念である。「落語」と並んで日本の誇るべき文化であったと思われます。敗戦によって自信を失ったのか軽薄なアメリカ文化に翻弄されて真に情緒のある江戸時代に育まれた日本の大衆文化をいとも簡単に捨ててしまったのが惜しまれます。当時のマスコミ関係者や文化人と呼ばれていた人々はなにをしていたのだろうか。視聴率第一主義に翻弄されて力をうしなっていたのだろうか、もしそうだとしたら資本主義の悪い点に注意を払わず悪魔に魂を売ってしまった愚かな国の見本のようなものではないだ ろうか。(T )
晩秋の散歩道で。