今日は「順受の会」。
論語などを勉強して、あとは「飲むだけ」。
さながら、寺小屋&儒学バー、みたいな会だけど、
もう10年以上続いている。
これからの時代は、「何があってもおかしくない時代」。
ぼくみたいなちっぽけな「こーひー屋のおやじ」も、
豆腐屋も、サラリーマンや主婦やフリーター・・・
みんなが「世界の中心で愛を叫ぶ」みたいに、世界と
繋がって、ものを考えないと、まわっていかない世界。
先人たちが、論語を読んだり、写経をしたり、禅をしたり
、お茶をしたりしたのは、単なる「たしなみ」ではなくて、
自分と宇宙との「つながり」みたいなものを大切にしたのだと
思う。
この1年で「書」「かっぽれ」「お花」「ねんど」「スケッチ」
など、習い事が増えたけど、それらもみんな、つながっている。
衣食たりて、礼節を知る、というけど、今は、
何かを始めるときだと思う。
何かをほどこされて感謝するのではなく、まず感謝する。
すると、道が開かれてくる。不思議だけど、宇宙というか
世の中は、そんなふうになっているみたいだ。
感謝。
論語などを勉強して、あとは「飲むだけ」。
さながら、寺小屋&儒学バー、みたいな会だけど、
もう10年以上続いている。
これからの時代は、「何があってもおかしくない時代」。
ぼくみたいなちっぽけな「こーひー屋のおやじ」も、
豆腐屋も、サラリーマンや主婦やフリーター・・・
みんなが「世界の中心で愛を叫ぶ」みたいに、世界と
繋がって、ものを考えないと、まわっていかない世界。
先人たちが、論語を読んだり、写経をしたり、禅をしたり
、お茶をしたりしたのは、単なる「たしなみ」ではなくて、
自分と宇宙との「つながり」みたいなものを大切にしたのだと
思う。
この1年で「書」「かっぽれ」「お花」「ねんど」「スケッチ」
など、習い事が増えたけど、それらもみんな、つながっている。
衣食たりて、礼節を知る、というけど、今は、
何かを始めるときだと思う。
何かをほどこされて感謝するのではなく、まず感謝する。
すると、道が開かれてくる。不思議だけど、宇宙というか
世の中は、そんなふうになっているみたいだ。
感謝。