そんなのが流行っているらしい。
わざわざ書きだすほどでないけど、「今だけ」「自分だけ」「金だけ」だそうだ。
そういわれると、世の中の動きを見ていると、そんな「だけ」が跋扈しているかもなんばん。
濁点をとって「竹」になると、むかしから「松竹梅」というお目出度い3羽鴉に、竹が入っていた。
「松」は、待ちなさい、時を待ちなさい、という言霊。この星に一番最初にできた木だという説もある。
「おまつり」というのも、「松る」からきたものだというのが有力だ。
「竹」は、春夏秋冬、いつも青々としていて元気な象徴であり、節目節目があるのが人生と重なりあって、好まれた。
「梅」というのは、長い冬を超えて、最初に春を感じる花であり、「生みなさい」「何か新しいこと(時代)を産みなさい」
という言霊でもある。
また「だけ」の濁点をとって「丈」にすると、素敵な言葉がいっぱいある。
「身の丈をこえない生活」をする。これはこれからの時代のとても大切なキーワードだと思う。
自然の中で、草木や動物や魚や虫たちと同様、「生かされている」ということに感謝し、
毎日「こころの丈」を現すように、自然に縁あるものたちと、ふれあって生活していきたいものだ。
今日は「お仕覆」 父母や先祖さんが残してくれた道具を、縁ある古着などを使って、包んであげる。
これも「こころの丈」をいっぱい感じられる日本の独特な「しまつ」の文化。
土曜日にやる「立て花の教室」の先生でもある竹内さんが教えてくださる。今年の
夏は星野村でお茶会にもご一緒させてもらった。
明日は「かっぽれ」