懐石で亭主が酒肴を用意する間、お客さんに自由に飲んでもらうため
に大き目の徳利をおだしする。「お預け徳利」という。
昨日は、よく飲み、仕事もけんかもし、20年も
あっていない友達が九州からわざわざきてくれた。
酒を酌み交わしながら夢を語り、ときにはけんかもし、黙っていても
相手のことが阿吽でわかるような関係のことを「酒敵」(しゅてき)という。そんなに
きれいな関係ではないけど、かなり近いものを感じた。次に会うのが20年先だとすると、
お互いに鬼籍かもしれないし、昨日の一日はまさに奇跡かもなんばん。
昨日は久保さんの志野の燗鍋を「お預け徳利」にし、ごま豆腐や、三種盛りの
後に、いっしょの主客一如みたいな飲み会になり、九州の銘酒「繁升」を
一升空けた。久保さんの黄瀬戸の「つぼつぼ」にままけはを入れて出したら、
昨日の席のきっかけをつけてくれたキクジーが、懐石における「つぼつぼ」が主人
が初めてくるお客さんに対しておこなう「感謝のきもち」を現す、という由来などを
説明してくれた。キクジーは、ぼくと久保さんの出会いを演出してくれた恩人でもある。
少し体調を壊され禁酒中であるが、これまでも禁酒中によく飲んだ。相手はお茶を飲んで
いても体に貯まった「満期の酒定期」の金利みたいなものが宇宙のような体の細胞から
溢れてきて、同じように酔い、場を盛り上げる。まねのできない名人芸なのだ。
みんな奇人でおもろい。キクジーの右腕だったワカも大変だったけど、昨日いっしょに
飲んだOさんも今は彼の右腕で尽力している。昨日の席でも一番神経をつかわせてしまった。感謝。
なにはともあれ、「友の遠方より来る」ほどうれしいことはない。
さて今日はお弟子さまが遠方より珈琲の勉強にくる日だ。今はもう電車の中だろう。
夜はお抹茶の達人たちが煎茶を習いにこられる。毎日が一生であり、毎日が一升を
酌み交わす「酒敵」をつくる素敵な好日でありますように。秋の夜長はそんな時間を
醸し出すことを神様がつくってくれたに違いない。天恩感謝。