長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

不思議なコンサート

2013-11-18 07:37:40 | Weblog

昨日は日曜日なので、いつものように16時に閉店し、夜の準備。

いつもは、「蕎麦打ち教室」や「なんとなく蕎麦を喰う会」をやっているのだが、

昨日は丹後から鈴木昭男さんがやってきて、石笛や自作のアナラパスを演奏してくれた。

茶箱を台にして演奏する姿は、さながら「売茶翁」みたいな風貌に見えた。

数年前に丹後から下関まで、古代の遺跡を旅しながら、古代人の波動にあわせて作った

「音」を再現してくれた。まさに大陸からお米やお茶や漁業など「命の旅」が行われてきた道。

縄文時代の後半に「お米」を人がつくるようになった。教科書では弥生になっているのかな。

それまでの縄文時代は狩猟が中心なので男たちは狩猟にでかけ、女性たちがあの縄文土器

をつくった。祭礼の意味も含まれているのだと思う。弥生になって、お米がつくられるようになってから、

すっきりした形状の器がつくられてきた。お米は貯蔵がきくので、少し余裕がうまれてきたり、

貧富の格差社会がはじまった象徴でもある「かたち」がそこに見える。

ぼくのふるさとは「宗像」(むなかた)といって、宗像大社の神域にある。そこにも昨日

の演奏に使われた石笛が残っているらしい。社(やしろ)などない古代の「いわくら」

あたりで、神と対話するときに使われていた神器に違いない。

最近九州では豪華な汽車の旅が話題になっているけど、博多と小倉の真ん中

あたりの「東郷」という駅におりて、宗像大社に静かにお参りすると、ご自分の命の

ルーツみたいなものがわかる。その時に、鈴木さんのCDでも聴きながら歩くと、きっと

悠久の流れの中にこころが泳いでいるような感覚になるのではなかろうか・・・

宗像大社までいったら、隣にある「鎮国寺」に立ち寄ってほしい。弘法大師が

高野山より先にたてた寺。宗像神社に助けられた恩をわすれなかったらしい。感謝。


病気の中国人が来店

2013-11-17 08:30:51 | Weblog

先日閉店前に病気、しかもかなり重病、いや末期の骨董病らしき

中国人がドアをあけた。この病気にかかると、一生治ることはないが、

病人たちは、特に重病の患者さんはにこやかに幸せそうにニコニコしながら

病気と上手につきあっているのが特徴だ。

たどたどしい日本語で「ショールームの中の蕎麦猪口は売り物ですか?」という。

「いやあれは、売り物ではない」と答えたけど、「どの時代のもの?」と

聞くので、なんでも鑑定団の中島先生のように「いい仕事をしていた江戸時代の伊万里ですね」

と答えた。ら、「どうしてわかるの?」というので、「器がそういっている」と返事をした。

お店の中をじろじろ見まわし、「骨董屋さんみたいですね」というので、「ここは純喫茶です」と。

「この白いカップは誰の器ですか?」と眼を輝かせながらのたまうので、「クボタダヒロという匠の先生がつくりました」

時計が19時をまわってきたので、そろそろ帰ってもらおうかと思ってきたけど、相手のエンジンがかかってきて、

久保さんの黄瀬戸の珈琲ドリッパーやら、たまたまカウンターに置いてあった古瀬戸の「筆洗」、どら鉢などを、恋人を

見つめるような眼で眺めている。「このお店の中のもの みーんないいね」と大きな声でいうので、「ぜーんぶ買うなら

3000万円で売ってあげる」と冗談でいったら、笑っていた。こんど現金でもってきたらどうしよう。こんなバカバカしい

異文化コミュニケーションに一時間も要していた。ひょっとしたら、病気が移ったか・・・

今日は日曜日なので16時に閉店。18時から鈴木昭男さんのアナラポスのライブ。

もうすでに満席になってしまったけど、なんか新しい1ページが始まりそうなそんな予感がする。

19日は「書の会」   20日が「声ヨガ」

来週の22日、23日は「難波研組さん」たちの演奏会&朗読劇。

30日が「松庵さんのボサノバライブ」 ぼくが作詞したもの曲になったらしい。楽しみだ。

30日が

 


炭のある生活

2013-11-16 08:16:42 | Weblog

本格的に寒くなってきたので、炭をおこし始めた。昨日は岩手

から一冬分の炭が届いた。お店では、手あぶりをふたつ用意する。炭の焼ける香り

と、遠赤効果のあるあたたかみに、なんかほっとするような安堵感を覚える。

鍋をのせて、湯豆腐で熱燗なんて最高だし、あぶった烏賊だけでも最高の酒肴だ。

ときどき群馬の山奥の炭焼きじいちゃんのところに炭を買いにいく。退職した後に

炭焼きをはじめ、山で木を切ってきて、自作の釜で炭をつくる。いつもいくと、囲炉裏

においた大きな薬缶で「めぐすり茶?」をごとそうになりながら四方山話をする。

一昨年におばあちゃんを亡くしてから、急に元気がなくなってきたのが心配だけど、

炭焼きをするのが生きがいらしく元気に人生を全うしている姿にこころ打たれる。

「これをやる」という使命を持っている人はみな幸せだ。

今日は「お花のお稽古」

お茶とかお花とか、床の間という空間を日本人が生活に入れたところから

発達してきた。どの家のもある「小さな美術館」。昨今の住宅事情から床の間

とか和室が消えつつあるのは、小さな美術館が絶滅危惧種になりつつあるようなできごと。

なんとかしたいものだ。


下町の路地裏の散歩の達人

2013-11-15 08:23:47 | Weblog

昨日の無茶しぃに、だいき君がドタサンした。

彼は界隈の路地裏のコンシェルジュとして、アド街で、第一位になったことがある。

映像カメラマンが本業で、「天竺」という自分で改造した二人乗りの自転車で界隈を

マーキングみたく歩いたりしている。おじいちゃんが、岐阜の春日村のお茶を栽培していて、

今年から有志といっしょに時々茶畑にお手伝いにいっている最中に「煎茶」にはまり、

無茶しぃの会にもまじめに通ってくるようになった。彼の縁で、長屋を改装してこの界隈の

長屋に住み着く若者があまたいる。壊れかけたものを拾いあげる天才だ。

昨日は、新しいガラスの宝瓶に玉露を入れ、それを一滴づつ舌の上にころがしながら、

夢を語りあった。軸は黄檗山の木庵の「寅」。隠元さんが中国から伝えた黄檗の禅とお茶

の文化が寅の縦髪のように宇宙に広がっていきますように、という願いがこめられている。

煎茶はその後、文人墨客たちに静かに伝わっていった。そのきっかけになったのが、「売茶翁」

の上洛。60を前にして禅僧の身分を捨て、野にくだって上洛し、煎茶道具を担ぎながららお茶

をひろめていった。池大雅や若冲などの文人や木米などの陶芸家や詩人など、いわゆる「文人」

たちに茶味と禅味が、宇宙のように広がっていった。ぼくが通った御所の横にあった立命館の近く

に「山紫水明処」というのがある。予約をしないと入れないが、頼山陽の書斎が公開されている。

そこがまさに「文人茶を楽しんだ空間」として、煎茶をたしなむ人のあこがれの聖地みたいな場所だ。

昼の「無茶しぃの後」に、表参道まで自分の煎茶のお稽古にいった。いつものように青山通りを

走りながら古本屋にいく。「文人茶の華」という古い本を見つけた。古い本で本のカバーから本を

出すのに5分くらいかかった。表参道にでている本箱の一番下にあったので、路上でボロボロ

の和っふるコートを着て、そんな所作をしていると道ゆく人の怪しげな人見る視線を感じた。

しかしながら、奥に座っている主人は「ようこそ」といった感じで笑いながら、会釈してくれたので、

ホッとした。なかなかおもしろい本だ。「白雲は幽石を抱く」という寒山の詩の掛け軸の写真も

掲載していて、しばらく近くのカフェで、なめるように読んだ。

それからヒルズの裏手にひっそりたたずむ、「織田流煎茶道 道場」にいき、「すすり茶」を

先輩教授2人と家元の前で手前。日々是道場。日々是初心。

それから、後輩のお手前に正客として「盆手前」でお茶をごちそうになるが、19時に

夜の無茶しぃの会があるので、玉露一煎で、おいとまし、またまた走って表参道の駅にいき、

押上からお店までも、重たい古本を5冊いれたデイバッグかかえて走った。師走をさきどり

してるような一日。


つわぶきの花

2013-11-14 08:26:18 | Weblog

小さな庭に六地蔵のかわいらしい石をおいている。笠間にいた陶芸家「ふーじーさん」

の晩年の作品だ。仙人のような風袋で、90歳くらいまで飄々として絵をかいたり、陶器を

焼いたり、石に仏を掘ったりして、人生を謳歌していた。六地蔵の横につわぶきが植えてある。

京都の亀岡の旧「天真庵」(正確には画廊天真)のお庭からいただいてきたものだ。先週

可憐な黄色い花をつけた。昨日は「無茶しぃの会」だったので、それを久保さんの黄瀬戸の花入れ

に投げこんだ。炭をおこした囲炉裏の鉄瓶がシューという音をたて、その中で咲く一輪の花が

古色蒼然とした長屋のわびた空間に凛とした空気をただよわす。「生きている」という瞬間を感じる刹那。

夏はガラスの急須で玉露を入れ、それを冷やしたものを楽しむ、ということをよくやるけど、

昨日はガラスの宝瓶(ほうひん)で、玉露を入れ、温かいものを喫茶した。夏目漱石の言葉

を借りるまでもなく、閑人敵意の韻事である。

今日も午前中が「卒啄珈琲塾」で、午後が「無茶しぃの会」

途中は、表参道までいって、自分のお茶のお稽古。茶茶茶の一日。

17日の鈴木昭男さんのライブは18時開場 18時半開演です!(hpは19時になっていますがすぐ訂正します・あしからず)


柿食う客と桃の話

2013-11-13 08:25:35 | Weblog

陶芸家の渡辺愛子さんが夕方柿を土産に遊びにこられた。

岡山での個展も無事盛況に千秋楽を迎え、15日(金)から、炎色野(ひいろの)で

個展をやる。20日まで。その後が久保忠廣さん(26日から12月1日まで)

久保さんの新しい志野の茶碗を見ながら、桃山陶の話に四方山話を加え、談論風発。

音楽家や芸術家と話をしていると、日本の未来がまだ大丈夫ではなかろうか、と

かすかな希望が沸いてくる。異常気象やら原発やら地震やら・・不安なとこと上げたら

枚挙にいとまがないけど、「今」この瞬間瞬間を大事に生きていくことが、人生だから

しっかりとらまえていこうと思う。

今日と明日は、午前中が「卒啄珈琲塾」午後が「無茶しぃの会」だ。

今日も朝一番にお店にいく。近所のおばちゃんが「今日は休みじゃないの?」

とハイテンションな声で挨拶。100回くらいそのおばちゃんは、水木の朝の挨拶に

同じ「まくら」をつける。ぼくは辟易として「貧乏暇なし、休みなし」と返事する。

いつか映画でもつくるようなことがあったら、この界隈の毎日の些細で平凡で、その中

にいるとイヤになるけど、少し蚊帳の外におくとおもしろいシーンを、紹介したいものだ。

お茶の日は、何日も前から、いろいろな準備をする。お菓子、茶器、床の間の軸、花、

もちろん掃除。お茶には、硯水泉を使う。bunkanの夏樹くんが月曜日に静岡まで

いって汲んできていただく。ひとつひとつに、いろいろな人がかかわってくれているから、

居(今、ここにこうして、いっしょに居られる)という刹那がある。その瞬間こそ人生のすべて。

だから茶会にさそわれたら、どんなことがあっても断ってはいけない。最近は予約を

簡単にとりけす客が多いらしい。食もデジタル化され、人もデジタル化され、だ、まったく。

明日は新しい客人がこられる予定だ。その人の名前とゆかりのある「寅」

を飾る。黄檗山の「木庵」の書だ。隠元和尚の後を継いで、黄檗の禅の思想

がこれから寅の髪がなびくがごとく、日本にひろがっていきますように、という讃が

書かれたものだ。その時の木庵禅師の「おもい」が伝わってくる。

お茶を飲みながら、こころを静かに波打たない状態にすると、いろいろなことが見えてくる。

「掛け軸を見る」とかいうけど、ほんとうは、「掛け軸を書いた人の当時の生きざまから、こちらの生きざまが見られている」

ように思う。日本の「和」の文化は知れば知るほど奥深く、曼荼羅の宇宙みたいだ。感謝。

 


ホホバオイルが凍る・・・

2013-11-12 08:40:01 | Weblog

だいぶ寒くなってきた。蕎麦の包丁にときどきホホバオイルを塗る。

アリゾナの砂漠の厳しい環境の中で生息する奇跡の植物。皮脂を分解

して皮膚の外にだしたり、人間の油の成分と似ているので、高級化粧品

の原料になったりしているけど、油として安定しているので人工心臓の油

としても長いこと使われてきた。横浜の友達がインディアンと契約して

販売していた関係で、そこから譲ってもらって大事な包丁の手入れに

使っている。冬になり、室内温度が10度以下になると、凍る性質がある。

今日は凍っているのでは?と思うほど朝寒かったけど、まだ10度まではいって

なかった。そんなこともわかる温度計みたいな役割もはたす。

昨日の易の勉強会は「やたら」を銀シャリに混ぜて食べた。

鬼平犯科帳にも登場するけど、昔から日本人はごはんに青菜を

刻んでまぶして食べてきた。昨日は大根の葉と大根の糠漬けで「やたら」を

つくり、大分のカボスでポン酢を作り、それで「やたらごはん」にした。

この季節はそれを豆腐の田楽とか、風呂ふき大根と食べると美味い。

絞めのそばは、煮込みの「とうじ蕎麦」。「やたら」も「とうじ蕎麦」も文庫ちゃん出身の長野

の郷土料理だ。

明日明後日は「卒啄珈琲塾」と「無茶しぃの会」

珈琲とお茶で、「もてなすこころ」を勉強して身につけると、こわいものなしだ。

また近所に越してきたかわいらしい女子の参加表明があった。「喫茶去」

の真髄は、一瞬にして簡潔して何も残らないところにある。「居」今ここにこうして生かされて

いることに感謝できたら、未来永劫の幸せがその一瞬にある。そんな風雅な気持ちで毎日

をおくりたいものだ。日々是好日。

 

 


信州信濃のそばよりも・・・

2013-11-11 07:38:18 | Weblog

ではないけど、そばを打ったり、食べながら酒を飲むのは、江戸の粋だけではもったいなく、

老若男女、全国津々浦々まで楽しんでもらいたいと思う。

昨日は「英語で蕎麦会」の岩本先生が蕎麦打ちにきた。英語は流暢だけど、蕎麦打ちは

のっぴきならないものに対峙しているといった風情。でも「切り」になると、何か憑依した悪霊が

ぬけたように、スムーズにいって、なかなかいい蕎麦ができあがった。10人前を家族3人、

といってもひとりは一歳でまだ蕎麦を食べないのに、その日にほぼ食べきる、という健啖家夫婦。

ま、自分で打ったそばは美味いということだろう。もひとりは、新人で2回目だったけど、坊さんが

丸く墨で円相をかくように、無心で蕎麦をのばしたりする技がただものではない感じ。

その後「なんとなく蕎麦を喰う会」  昨日はうわさのMくんが参加。うちの第一号のプログラマーで天才

みたいな男やったけど、その頭脳で医学会で活躍している。30年ぶりに酒を酌みかわした。

年をとればとるだけ、酒がうまくなる。を実感。少し飲みすぎた。今日の学会大丈夫かいな・・?

今日は19時から「易の勉強会」

明日は「お仕覆の会」

水曜日・木曜日は「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」

 

 


地震はいややね

2013-11-10 08:30:30 | Weblog

今朝蕎麦を元気に打ち、ホボブラジルの中心になる「ブラジル」を焙煎していたら、グラリ

と地震。火を途中で止めるのは、小便を途中でとめるくらい大変なことだけど、大きな

地震だったので、火をとめ、元栓を切り、しばらく待った。

無事に焙煎が終わってspice cafeの前を歩いていたら、柴犬の老犬がヨロヨロしながら

ひとり、いや一匹で歩いていた。いさむさん(シェフの父上)と顔見合わせ、「飼い主は?」

としばらく沈黙。「人生の最後に、ひとりで旅にでもでたくなったのかしらん」ということで、

意見が一致した。人も犬も猫も、生きとし生けるもの、みなこの星につかの間の旅をしに

きた仲間たちだ。

今日は日曜日なので16時で閉店。それから「蕎麦打ち教室」

少し足もとが悪くなりそうだけど、元気に蕎麦をうとう。

明日は「易の勉強会」

今週の水曜日・木曜日が「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」

玉露を入れるガラスの宝瓶で、玉露を楽しみたいと思う。

日々是好日。粒々皆辛苦の旅が続く。感謝。


45年も続く長寿なラジオ番組がある

2013-11-09 08:34:09 | Weblog

今朝の新聞を読んでいたら、アキバのことがのっていた。

ぼくが創業したのはアキバ、外神田二丁目の古色蒼然としたレンガ色のビル

の4階だった。まだ駅前には「ヤッチャバ」(野菜市場)があり、朝からトラック野郎たちが

ラーメンをすすったりしていたし、普通の「食道」もいっぱいあった。よくいく食道は、焼き魚

や煮魚がうまくて、気にいっていたが、主人がばくちで夜逃げした。明神下にあった「居酒屋」は

どじょうのまる鍋がうまく、その近くにはちゃんこ屋もあった。ビルの下には、喫茶店があり、

マスターはオカマだったけど、卵焼きをはさんだホットサンドが逸品で、まだ他では味わった

ことのない味だった。今年で45年になる長寿のラジオ番組「ミュージックプレゼント」に30年前に

でたことがある。その時も毒蝮三太夫さんがきて、おもしろおかしくうちの会社を紹介してくれたり、

近所のおばあちゃんたちと「ばばあ、まで死んでないのか・・」なんていいながら、ワイワイいっていた

ことを思い出した。先月ひょんなことでつながったMくんもその番組で紹介された。今は昔。

そのご縁で、その後蝮さんの師みたいな談志さんとも酒席に同席させてもらったこともあった。

あのころは、落語のことは皆目わからなかったけど・・

明日Mくんが遊びにくることになった。

今日は「インヨガ」  世の中、陰陽のバランスでなりたっている。波立つ呼吸を整え、静かに

坐っていると、そのバランスがよくなる。「坐」という字は、よくよく見ると、土の上に

人がふたりいる。「自我」と「自己」。人間は昔から坐りながら、自分を見つめてきた。