昨日は日曜日なので、いつものように16時に閉店し、夜の準備。
いつもは、「蕎麦打ち教室」や「なんとなく蕎麦を喰う会」をやっているのだが、
昨日は丹後から鈴木昭男さんがやってきて、石笛や自作のアナラパスを演奏してくれた。
茶箱を台にして演奏する姿は、さながら「売茶翁」みたいな風貌に見えた。
数年前に丹後から下関まで、古代の遺跡を旅しながら、古代人の波動にあわせて作った
「音」を再現してくれた。まさに大陸からお米やお茶や漁業など「命の旅」が行われてきた道。
縄文時代の後半に「お米」を人がつくるようになった。教科書では弥生になっているのかな。
それまでの縄文時代は狩猟が中心なので男たちは狩猟にでかけ、女性たちがあの縄文土器
をつくった。祭礼の意味も含まれているのだと思う。弥生になって、お米がつくられるようになってから、
すっきりした形状の器がつくられてきた。お米は貯蔵がきくので、少し余裕がうまれてきたり、
貧富の格差社会がはじまった象徴でもある「かたち」がそこに見える。
ぼくのふるさとは「宗像」(むなかた)といって、宗像大社の神域にある。そこにも昨日
の演奏に使われた石笛が残っているらしい。社(やしろ)などない古代の「いわくら」
あたりで、神と対話するときに使われていた神器に違いない。
最近九州では豪華な汽車の旅が話題になっているけど、博多と小倉の真ん中
あたりの「東郷」という駅におりて、宗像大社に静かにお参りすると、ご自分の命の
ルーツみたいなものがわかる。その時に、鈴木さんのCDでも聴きながら歩くと、きっと
悠久の流れの中にこころが泳いでいるような感覚になるのではなかろうか・・・
宗像大社までいったら、隣にある「鎮国寺」に立ち寄ってほしい。弘法大師が
高野山より先にたてた寺。宗像神社に助けられた恩をわすれなかったらしい。感謝。