長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

桃山時代の陶器が蘇る

2013-11-08 08:46:46 | Weblog

こないだ、三井家の秘宝みたいな桃山時代の器、志野とか織部とか黄瀬戸とか。

だれが作ったのか無名の陶芸家たちがそのわずかな時代に残したものが、永劫の

魅力を発し続けている。ホンモノとはそうゆうものだろう。

昨日はある大学の先生のお宅へ招かれた。南條観山先生の寒山拾得の世界の

きっかけをつくった人。中国の蘇州の寒山寺に飾られているものや、禅林や画家

か好んで描いた世界を彷彿させる先生の初期の作品が飾られてあるので、まるで

家の中が小さな素敵な美術館。奥様は愛媛の出身。とてもお茶文化の発達した

土地で、正岡子規が生まれ育つ土壌が昔からある精神的文化力に富んだとこ。

いつも、煎茶をご馳走になる。嫁入り前から揃えていた萩焼の茶器の貫入の

けしきが、ご夫婦の円満な家庭生活を醸し出していた。「たいへん結構なおかげん」

のお茶を堪能した後、お茶のお稽古にいく途中に、宅急便さんから「荷物あるよ」と声

をかけられ、久保さんから新作の「志野」が届いた。今月26日(火)から、

渋谷の炎色野(ひいろの・で検索)で、個展をやる。桃山時代の日本人が「素敵」と

叫んだものが、手にとって味わえるし、手軽な値段で家にもってかえって、家族みたいに

愛用することだってできる。

それをお知らせしようと、てっちゃんにメールをしたが、届かないみたい。

そんな業界にいたんだけど、どうもこのコンピュータというものが苦手だ。

明日は「インヨガ」の日。続けている人たちの姿勢や動作が、「やるね」という感じになってきた。

美しく生きる、って幸せなことやな、とつくづく思う。

明後日、日曜日が「蕎麦打ち教室」


いい散歩

2013-11-07 08:24:09 | Weblog

昨日は、日本橋でやっている「桃山陶」の展覧会にいってきた。

三井家が持っている桃山時代の織部・黄瀬戸・志野の器が、これでもか、

とばかりに並んでいる。平日の朝一番の開店そうそうにいったけど、たくさんの

人が来ていた。器好き、数寄者の予備軍がこんなにいるのらな日本人もまだまだ

大丈夫か?なんてこと思いながら、昼ごはんをどこで食うか界隈を散策していた。

小伝馬町あたりにきた時、「あ、あのビルだ」と、懐かしいビルの前にきた。30代の後半

に一年だけ、そこのビルで「やとわれ社長」をやったことがある。ある上場会社の子会社で

その会社も上場するようにとのことで、白羽の矢がたてられたけど、一年でその親会社

の社長と大ゲンカをして、やめた。そのころ自分の会社も2個あって、都合3か所から

給料をそれぞれたくさんもらっていたので、使いきれないくらいお金があったけど、その一年

は、「お金があっても、それだけで幸せになることはない」のを実感した。

そのまま柳橋という昔の花街まで歩いて、大吉でとんかつを食べた。ここのブタは

たとえ偽表示であっても、どこのブタよりもおいしいよ。長い散歩をしたので、サッポロビール

をグビグビやりながら。ここまできたら歩いて帰ろう、と思い、スカイツリーの方向へ歩いて

押上まで帰ってきた。途中に「なりひら橋」がある。ここに「なめくじ長屋」という20軒長屋

があり、そこに古今亭志ん生さんが住んでいた。彼の看板の「貧乏」は、この地で培われた。

せがれの「志ん朝」さんの本を押上文庫から借りてきた。

たくさんの写真が掲載されていて、その中に「深川」というかっぽれを踊っている写真があった。

表情がいい。夜はかっぽれを二階でやった。深川も踊った。ぼうさんが、花街に女を買いにいくシーン

に二種類あり、ひとつは「二人ぼうさん」といって、ぼうさんふたりがうれしそうに手をつないで行く踊り

がある。そこをイワジーとふたりでやる。だいぶ様になってきた。そろそろ初舞台?か?

 


めった「やたら」にはでない料理

2013-11-05 08:07:58 | Weblog

大根など根采がおいしい季節がやってきた。

池袋時代には、この季節にはよく「スジ大根」をつくった。ストーブの上に鍋を

おいて、牛のスジ肉と大根を、甘醤油で煮る。ただそれだけの料理。

スジからは、アクがでるのでそれをまめにとるのと、大根に味が染みるように、

お米を少し入れて、大根を下茹でする手間が大切。今は圧力なべなどがあるけど、

「ひとてま」と「こつこつ」やるという気持ちが大事なような気がする。

夏に長野の山奥の蕎麦屋で、そばとお酒を所望したら、店主のおばあちゃんが

素敵な酒肴をもってこられた。「これはなんですか?」と聞くと「やたら」

とのこと。間髪をいれずに「めったやたらには、ださない。いい男だけ(ウソ)」

といって笑った。大根の味噌漬け(ぬかみそでもOK)、胡瓜、みょうが、唐辛子適量、を

きざんでまぜる、という簡素な料理。先日の「なんとなく蕎麦を喰う会」では、これを

久保さんの黄瀬戸の片口にいれて、懐石料理のように出した。「めったにはださない。いい女だけバイ」

とはいわなかったけど、食した女子たちの顔が幸せそうだった。今は「懐石」とつくと、高級な日本食

になりさがってしまったが、もともとは座禅をしながら修行する雲水たちが、空腹をがまんするために、

ふところに石を抱えて、耐えたというところからきた「しのぎ」の料理だ。普通の鳥肉を「なんとか鶏」

とか、「なんやら地鶏」とか、牛や豚にも、田舎芸者の厚化粧みたいな名前をつけてアホな客を

喜ばせるのが、おだてられて木に登った、みたいなことが問題になっているけど、どちらも糞味噌、

いや目糞鼻糞みたいな茶番なお話。昔から「簡素なもの」の中にこそ「ほんもの」がある。

今日は「英語で蕎麦会」(19時から 蕎麦会付き3000円 国籍・老若男女中性性別不問)

なかなか上達しないけど、日本人にしかできないような英会話、日本人に生まれてきて

よかったことを伝えられる英会話、みたいなことができるような雰囲気ができてきた。

 

 


おもろい飛び入り

2013-11-04 07:42:00 | Weblog

昨日は日曜日なので16時に閉店して、蕎麦打ち教室。

なかなか筋のいいふたりが、艶やかな蕎麦を打った。その後は

「なんとなく蕎麦を喰う会」。この会だけは、二階の茶室にて、普茶料理

のような蕎麦会席を行う。ちょうどふたりは煎茶も習っているので、この辺の

飲みこみも、そばとおなじく「つるっと」という感じで、のどごしもいい。

昨日は「そばがき」の作り方を伝授。一気呵成に蕎麦粉をかきあげるには、

すごい集中力が必要だ。ただまぜるだけなら、機械でもできる。

ハンバーグは手捏ねと、機械の違いがわかりにくい?のかもしれないが、

どんなイカサマホテルでも「石臼挽きのそばがき」は、まがいものでは、ばれる、と思う。

もっとも、一流といわれるところへ行っている人の舌や人格が一流かどうかはうたがわしいが・・・

そんなことをやっていたら、酉の市にいってきた友達が突然、「これから、そばを手繰りたい」

との電話。共の近郊から来る、またうれしからずやで、一期一会の「蕎麦会」になった。

ぼくよりもうちの器を作ってくださる久保忠廣さんのファン。昔の恋人を思い浮かべる

ような顔して、「この志野はいいね」「この織部は久保さんしか焼けない」といった感じだ。

そばには「つなぎ」が必要だが、蕎麦を打つようになって、人と人が繋がっていく「妙」を

少し客観的に見る楽しみ、みたいなもんも見えてきた。

いろいろ五里霧中で、「霞」がかかった時代だけど、「哲」することによって、未来も変わってくる。

霞と哲か。深いな~

さて、雨がふっているけど、これから「卵かけごはん」。

明日は「英語で蕎麦会」 岩本先生は、蕎麦打ちとイクメンにはまっている。

明後日は、「かっぽれ」


普茶料理に挑戦

2013-11-03 08:26:34 | Weblog

ふちゃ、と読む。黄檗禅と精進料理とお茶を伝えた隠元和尚。

彼が伝えた精進料理を「普茶料理」という。いんげんまめは、隠元豆。

宇治や京都にいくと、専門店がある。中華料理スタイルで4人で、大皿にのった

ものを分け合って食べる、というものだ。お大師さんが小豆が好きで、なにかあるごとに

大きな肩口にゆで小豆を入れ、大きな萩の枝でつくった箸でわけて食べさせた、というのも

どこか共通するものがある。おいしいものを食べる、から「おいしく食べる」という方向に

時代はシフトしている。おいしく食べる基本は、気のおけない仲間たちと食べる、というのがコツ。

普茶料理の中でも「運片」(うんぺん)という、本日あるだけの野菜を雑炊のようにして食べる

料理が好きだ。うちの蕎麦雑炊は、そこからヒントを得て作りだしたもんだ。(メニューにはないけど)

いっぺん、運片を基本通りにやってみたいと思っている。さしてむずかしいものではないが、ちと手間がかかる。

京都や寺の門前においしい豆腐屋がある、というのは、隠元さんがそんな食文化を伝えたのが大きい。

煎茶と普茶料理はそうゆうわけで、切っても切れない関係。お酒はやっっぱり般若湯というのだろう。

今朝、あだっちゃんからメールがきた。ビッグサイトのアートイベントで、大きな壁に般若心教を書いて

いる。とても彼女らしい男っぽい字。今日まで。

色即是空 空即是色    凡夫にはなかなかこのあたりの心境がつかみずらい。

今日は「蕎麦打ち教室」&「なんとなく蕎麦を喰う会」  普茶料理をもてなすくらいまで

目標にしたいと思っている。道はまだまだ先にある、のがいい。

 


シンデレラが好むような茶器ができた

2013-11-02 08:40:19 | Weblog

急須を使って茶をいれた最初の人が、売茶翁だ。

今年は没後250年で、京都ではいろいろな式典がある。

ひとつは、加茂川のほとり(北大路通り)に記念碑ができた。

佐賀で禅僧をやっていたのに、アラカンの57歳か8歳のころその身分を捨てて上洛。

名水を毎朝汲み、東山や下賀茂の糺ノ森あたりに茶道具を背負い、お茶を売った。

池大雅や若冲などの文人たちが、翁とふれあうことにより、茶味禅味の世界と、

自由で何者にも拘束されない自由な境地をつかむヒントを得た。体制にもおもねらぬ

清貧な文人たちにたちまみ広がっていき、明治維新以降西洋化している風潮の中で

すたれていったけど、「精神」はまだ日本人の中にのこっていて、いろいろなものが

いきずまりを感じる「今」のような時代に、わすれかけていた「和らしき日本人性」みたいな

ものを呼び戻す力がありそうな気がする。

先日、近くのガラスの職人に取っ手のない「宝瓶」(ほうひん)をお願いしたらできてきた。

もともと玉露を入れる茶器で、お茶も茶器も宝のように大切に使われてきたので、そんな

名前がついているのだと思う。星野村の玉露を入れ、静岡から汲んでくる硯水泉という

名水を入れ、こぶりのお茶碗でゆっくり口の中に入れる。飲むというより、舌の上にのせる、

というイメージ。この甘露な味わいの中に幸せが広がる。

その職人の工房に小さなガラスのハイヒールを発見した。Dランドのお土産の

「小さなガラスの靴」は、彼が作っている。少しつきあうのにてごわい職人だが、

いいものをつくる。水出し珈琲の器具や、後ろ手のガラスの急須も、ここでできた。

明日は「蕎麦打ち教室」&「なんとなく蕎麦を喰う会」

玉露の葉の佃煮を酒肴に酒を飲もう。サンマも焼くし・・・秋はいい。日々是好日。歩歩是道場。


涎がでるような秋の酒肴

2013-11-01 08:10:36 | Weblog

今日から11月。霜月だ。今年もあと二か月。「あっ」という間に一年が終わる。

昨日は国貞雅子のピアノの弾き語りジャズを堪能した。ジャズは人を「哲」させる

力がある。徹夜が目をつむりながら聴いている姿は、まさに「哲」や。

大石学さんと来年下関でライブをやるらしい。ねっと31の仲間

たちと久しぶりに「大人の修学旅行」を兼ねて遊びにいこうと思う。

今月は世界的なアーティストの鈴木昭男さんが、17日にライブ。

難波研さんたちのライブが22日、23日にあり、30日が松庵さんのボサノバライブ。

先週、休みの日に、仕込みをしながら酒を飲んでいたら詩がうかんできて、これを

ボッサにのせたらどうだろう?と思い松庵さんに渡した。ひょっとしたら30日に

聴けるかも。今年の紅白は無理だけど、来年はブレイクしてもらって紅白の蕎麦でも

食べながら、聴こうかしらん。蕎麦汁にとろろを入れて、そこに蕎麦をほりこみ、

てっぺんに梅肉をのせると、めでたい「紅白蕎麦」ができる。

今日はこねるのまいかさんがニコニコしながらやってきて、ねんどをやる日。

3日は「蕎麦打ち教室」と「なんとなく蕎麦を喰う会」

なんとなくに先月参加したハンサムのくんが、七輪でさんまを焼く約束をした。

酔った勢いで「ままよきんたまおとこのこ」よろしく、「やる」というのは、一歩世の中を

進む感じがして、いい。かぼすもあるし、今から想像しただけでもよだれがでる。