長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

本来無一物

2014-11-18 08:54:42 | Weblog

昨日の朝の「卵かけごはん」は、平成生まれの大学生や、近所のシェアハウスの住人さんや

ベルギーからやってきて近くの古民家に居候しながら日本人の風俗(まじめなほう)の写真を

撮っているカメラマン(女子だけど)たちなど、おもしろい奇人たちがカウンターにとまった。

国籍や年齢を問わず、川の流れのように、ゆらゆらとただゆらゆらと縁のある場所に行き、その

場所で縁を結んだり、その地域に何か足跡を残していく人たちが増えていて、頼もしいかぎりだ。

「これ」という定職はないけど、「やりたいこと」や「やらねばならないこと」の優先順位がしっかり

していて、「ぶれ」がないところが非常に、いい。

先週遊びにきたフランスに渡って料理の修行をしているNくんなんかも、昔からぶれてなくて見ていて

安心できる。

今日あたり、解散になりそうだ。アホでも総理になれば解散の権限を持つ。

人生はなかなか、ガラガラポンとはいかないけど、「ごあさんで願いましては・・」とそろばん塾

で習った時みたいに、一度「違う生き方を模索する」という選択を迫られる時が、みんなの眼の前

にきた、という時代でもあるようだ。あわてないように、川の流れのように、自然体でいて、気のおもむくまま、

自分が歩いていきたい方向に歩いていけたら、みんな幸せな人生をおくれるのではなかろうか?

今の社会的な地位とか、名誉とか財産とか既得権とか・・・「しがらみ」があると容易ではないけどね。

今日は「書をしよう会」 酒好き人間好きで、いつも飄々としている貞本先生がやってきて、銘々が

好きな言葉をそのひと「らしい」文字で書く。紙と墨があれば、誰でもどこでもできる気楽な芸術。

瞬間瞬間に「そのひと」がでるのがおもしろい。

明日明後日が「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」

昨日の「卵かけごはん」にきた面々の共通な話題に「茶」があった。

台所にいつも「蕎麦粉」があり、ちゃぶ台の上に「茶葉」があるような簡素な暮らしが

静かに広がっていけば、日本もまだまだ捨てたもんじゃない。まあお茶でも一服しておくんなまし(喫茶去)


年越し蕎麦を自分で打つ

2014-11-17 07:20:24 | Weblog

昨日は「蕎麦打ち無門塾」に新人二人がきた。

どちらも近い将来にお店をだすのを夢見ておられるので、真剣そのもの。

蕎麦というのは、昔から道楽の極致みたいなところがあり、ひとつ仕事を終えた

人が趣味を兼ねて、向き合うみたいなところがある。そういう意味では、

アラカンの人たちには、うってつけの「道」かもしれない。昨日の蕎麦打ち新人さん

たちを見ていてつくづくそう思った。二回目、つまり来月の蕎麦打ちが「年越しそば」

になる。来週の蕎麦打ちくんたちも新人なので、今年の年末は、「若い年越し蕎麦」

がたくさん勢ぞろいしそうだ。昨年の30日は、新人4人が夕方やってきて、夜中の1時半

くらいまでかかって蕎麦を打った。はたして今年はどうなることやら・・・

来年のことをいうと、鬼に笑われるけど、すぐそこに来年がきた。

沖縄の選挙も新しい風が吹いたし、年末の選挙も、新しい時代を感じられる

ような結果がきて、いい新年を迎えたいものだ。

これから「卵かけごはん」。夜は「易の勉強会」

明日は「書をしよう会」

水木が「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」

来年は出張の「蕎麦会」「お茶会」が多くなりそうで、ウキウキしている。

今日と同じ明日がこないような、大変化の時代を迎えそうだけど、

「一寸先は光」だと信じて、毎日を過ごしたいとつくづく思う。

29日(土)の三線は、また新しい沖縄の風を楽しめそうで、とても楽しみ。

29日(土)『沖縄民謡ショウ』 小粋で元気なヤマト・ウチナーサウンド

演奏:片山恵理(三線)・古田将幸(ギター)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)

 


これを知らずして、日本人?

2014-11-16 08:38:57 | Weblog

京都とか奈良にいって、寺の襖絵なんかに「寒山拾得」を見つけ、

それだとわかっただけで、「違いのわかる大人の日本人」みたいな感覚になる。

でもその実なにもわかっていない。寒山は蒔絵を持っていて、文殊菩薩の化身といわれ、

拾得は箒をもっていて普賢菩薩の化身といわれている。ただそれだけではなにもわかっていない。

「知ってるつもり」でしかない。

昨日は、「お花のお稽古」だった。お花もお茶も書も「道」とよばれてきた。

誰でも、すぐに、習うこともなくできることだけど、到達点がない、くらい高く(自己満足であればすぐに到達点に届くけど・・)

一生かけても、わからないことのほうがだんだん多くなるくらい、深い。

珈琲も蕎麦も同じような「道」のような気がする。分けいっても分けいったも青い山(山頭火)だ。

今朝蕎麦を打った後、昨日のお稽古の残りの花を久保さんの焼き締めの「鬼の手」(大ぶりの徳利)に投げ入れてみた。

自分の酒量では大きすぎる徳利が、ぽーっと酒がまわってきたような色気になって花が咲いた。

今日は日曜日なので16時に閉店して、それから「蕎麦無門塾」

「大道無門」という禅語がある。習おうという志があれば、門などなく、誰でもいつでも習うことができますよ、

というような意味か。お坊さんと、お坊さんみたいな人が、入門してくる。天恩感謝。

 


カレーのそばがき

2014-11-15 08:26:00 | Weblog

メニューにないもの、きまぐれに季節の蕎麦などどを、黒板(緑板?)に書いて

いる。若い人たちには、メニューをめくるよりも、そちらから注文する人が多い。

昨日は近所に住み始めた若者5人が蕎麦を手繰りにきた。

「薬膳カレー蕎麦」がふたり、「とろろそば」がふたり、「梅おろし蕎麦」がひとり。

新しいメニューの三種盛り、といった感じだ。

そのとなりに「のりべんがれっと」というのを書いた。若者から「のりべん、ってなんですか?」

と質問がきた。時代がかわったのか?「のりべん」「ぼぼぶらじる」が通じない時がある。

昨日の「タイムドメイン」では、炭火でかつおの燻製を焼いた。日本酒がグビグビいけた。

燗酒の美味い季節を迎えた。天寶一のぬる燗でそばがきを食べると、死んでもいい、と

思う。昨日実験的にお客さんに「カレーそばがき」を食べてもらった。なかなかいい感じだ。

蕎麦はルチンなど大事な栄養分がお湯にくぐらせる時に流れる。のでそれを「蕎麦湯」として

猪口にもどして飲む。そのてん、そばがきは全部の栄養を無駄なく摂取できる。千日回峰行の

断食の前は、そばがきを食べる。それの薬膳のカレーを入れたら、鬼に金棒かもなんばん。

さて、今日は「花のお稽古」。千利休さんは「花は野にあるように」とのたまった。

自然体というのは、言うには簡単だが、「生き方」の問題になるので、簡単に納得したり実行

できる次元の話ではない。自然の中で生かされている「命」に向き合うこと。

お茶やお花は、そんなことを学ぶヒントをあまた教えてくれる。日本人に生まれてきた原点に出会える

「道」。

 


今日は持ち寄りの宴

2014-11-14 08:44:41 | Weblog

昨日はフランスで一番と言われているお店のスーパーシェフが遊びにきた。

池袋時代に「味楽会」といって、季節ごとの旬の料理を、彼がやってくれていた。

日本の一流どころで修行を重ね、フランスでいって8年。これからは日本を

拠点を移し、また世界に飛翔するつもりでいるらしい。頼もしい限りだ。

来年は時々「味楽会」をまたやってくれそうな期待が膨らんだ。ほんものの「懐石」、

これからの「日本的なもてなし」というのを味わってみたいと思う。

今日は「タイムドメイン」の日。好きな酒、酒肴を持ち寄って、気のおけない仲間と

いい音楽を聴きながら談論風発。

明日は「立て花」のお稽古。茶室にて、飾ってあるもので生きているのは「花」だけだ。

一輪の花が、静謐な空間を支配する。その「凛」を演出するのに、花をいける、というのは

とても大事なおもてなしの要。

明後日日曜日は「蕎麦打ち無門塾」 大型新人がまた入門。

 

 


3だけ主義って?

2014-11-11 08:14:21 | Weblog

そんなのが流行っているらしい。

わざわざ書きだすほどでないけど、「今だけ」「自分だけ」「金だけ」だそうだ。

そういわれると、世の中の動きを見ていると、そんな「だけ」が跋扈しているかもなんばん。

濁点をとって「竹」になると、むかしから「松竹梅」というお目出度い3羽鴉に、竹が入っていた。

「松」は、待ちなさい、時を待ちなさい、という言霊。この星に一番最初にできた木だという説もある。

「おまつり」というのも、「松る」からきたものだというのが有力だ。

「竹」は、春夏秋冬、いつも青々としていて元気な象徴であり、節目節目があるのが人生と重なりあって、好まれた。

「梅」というのは、長い冬を超えて、最初に春を感じる花であり、「生みなさい」「何か新しいこと(時代)を産みなさい」

という言霊でもある。

また「だけ」の濁点をとって「丈」にすると、素敵な言葉がいっぱいある。

「身の丈をこえない生活」をする。これはこれからの時代のとても大切なキーワードだと思う。

自然の中で、草木や動物や魚や虫たちと同様、「生かされている」ということに感謝し、

毎日「こころの丈」を現すように、自然に縁あるものたちと、ふれあって生活していきたいものだ。

今日は「お仕覆」 父母や先祖さんが残してくれた道具を、縁ある古着などを使って、包んであげる。

これも「こころの丈」をいっぱい感じられる日本の独特な「しまつ」の文化。

土曜日にやる「立て花の教室」の先生でもある竹内さんが教えてくださる。今年の

夏は星野村でお茶会にもご一緒させてもらった。

明日は「かっぽれ」


このまま死ぬの?

2014-11-10 08:10:40 | Weblog

昨日は奈良に同行した同志が蕎麦を打った。しなやかな新そばが完成。

その前に蕎麦前と蕎麦を楽しまれた男子が「弟子にしてください」ということに

なった。最近は男子の「蕎麦打ち希望者」が増えてきた。蕎麦を打つだけなら、機械

でもできるので、人間が歩む「蕎麦道」みたいなものをやっていきたいと思う。

奈良の旅館の朝、「茶かゆ」がでた。茶が大陸から伝わり、奈良で「茶粥の会」

という文化的サロンが完成した。来年はぜひ天真庵でも「朝の茶粥の会」をやりたいと思う。

「火曜日は粥の日」にしようと思っている。

今日は月曜日なので、「卵かけごはん」 夜は「長屋で女史会」

明日の夜19時半から「NHK」のクローズアップ現代に、たまちゃんが紹介される。

悠玄亭玉、愛犬の「こばな」もでる。世界でひとつだけの花、女幇間だ。

明日は幇間といえば、かっぽれ。の かっぽれ。

玉ちゃんの「お座敷遊び入門講座」は23日(日)の19時から3000円(蕎麦会付き)

日本人に生まれてきて、お座敷遊びを知らずに終わるのは、童貞のまま一生を過ごす、ようなもんかもなんばん。


求めない・・・すると本当の自分に会える

2014-11-09 08:37:28 | Weblog

春日大社では式年造替(しきねんたいぞう)というのを20年に1度やる。1200年以上も続いてきた。

生・滅・生・滅を繰り返しながら、人も魚や動物や植物など自然もそうやって

生きてきた。まわりの自然をそのまま生かしながら、そこに神の存在を感じ、

祀ってきた人の営みの「すごさ」を今回の奈良の旅で、勉強した。

奈良にいくことがきまった時、近所に住む仙人みたいなMくんが、一冊の

本をくれた。その中に紹介されている風流人にぜひ会いにいくように、ということだった。

自然を愛で、人が好き、奈良が好き、日本が大好きな人とやっとあえた。

本といっしょに「愛天真」と揮豪された額をくれた。それを一階の階段のところに飾ってある。

天真庵の天真とは、子どものころの純粋無垢な人の本性みたいなものをいう。

天真爛漫のそれである。寒山拾得の寒山の詩にもよくでてくる。そんな縁で「天真庵」

というができた。

どこかの仙人さん風に表現すると・・・

 

求めない・・・・

すると本当の自分(天真)に 会える

人に頼らない

人と比べない

人のせいにしない

・・・・・・それが

天真を愛す     かもなんばん

今日は日曜日なので16時に閉店して 「蕎麦打ち無門塾」

明日の朝は「卵かけごはん」

夜は「長屋で女史会」   どこかの偉い歴史学者

が、「民族や国家は、自分の国の伝統とか文化

に誇りをもたなくなったら、滅びに至る、」とのたまった。そのとおりで、

今まさにこの国はそんな道を歩んでいるようにも思う。

もう一度、シルクロードを通り、海のシルクロードといわれれる荒波をたどり、

春日大社など奈良がその終着点になった先人たちが歩んだ道程を考え

なおす時ではなかろうかしらん。

火曜日は「お仕覆」  京都や奈良を歩いていると、ものを大切にしてきた「知恵」

によく出会う。お仕覆はその最たるもの。

水曜日は「かっぽれ」  これも関西から発祥したもの。


大人の修学旅行 秋の奈良

2014-11-08 08:41:24 | Weblog

春は京都で「太田垣蓮月」にからんだお茶会をやり、秋は

正倉院展にからんだ修学旅行を無事終了。学生時代を京都で

過ごしたので、奈良はあまり歩いていない。今回は宿も少し市内

からはずれた場所にあり、朝の散策も鹿や鳥の声を聴きながら

楽しめて、平成というよりまさに奈良やそのずっと前の縄文時代

からこの国の「土台」になってきた場所の波動が随所に息づいていて、

いろいろな事を感じさせられた。

たまたま京都の「からふねや」で修行した後輩のデルベアの主人

も参加してくれて、ほぼぶらじるとデルベアのバームクーヘンのコラボ

ができたり、彼のおすすめのギャラリー「空櫁 (そらみつ)」にもいけ、そこに

天真庵ゆかりの陶芸家の作品を見つけたり、万葉の時代からあるような名前の

異空間で素敵なお茶をごちそうになったり、奈良を代表するような数寄者といっしょに

お茶をいただいたり、もりだくさんの旅だった。旅の締めは、吉野の里にある不思議な神社。

邪馬台国が、この地にあったとか九州にあったとかいうような議論を超えて、ここにくると

「国の始まり」みたいなものが感じられる。旅は「哲」。まだまだ旅の途中。


押上祭り 墨だ祭り

2014-11-04 08:19:09 | Weblog

うらぶれた十間橋通りに「天真庵」がある。ここから十間橋を渡ったところに、名刹

「柳嶋 妙見山 法性寺」というのがある。ここで今月9日まで、書家・沢村澄子

さんによる襖書きのインスタレーションをやっている。同じく12日までは、吾妻橋の

ギャラリー アビアントで、彼女の作品が展示されている。

天真庵の看板を書いてく、「書をしよう会」の貞本さんと彼女は同じ大学で書を

勉強していた。うらぶれ十間橋通りの朽ち枯れそうな長屋かふぇの看板と、名刹

の襖絵を仏縁をいただいた妙な「えにし」で、不思議な繋がりができた。感謝。

昨日は貞本さんと彼女の高校時代の書の先生が個展の後に、天真庵で

そば前と蕎麦を手繰っていかれた。さすが文人墨客の「たしなみ」みたいな

ものを彷彿させた。そういえば、前日はお坊さんが蕎麦前と蕎麦を手繰りにきた。

帰り際に「蕎麦打ちの弟子にさせてください」という、これまた無駄のない妙な縁をいただいた。

今日は「英語で蕎麦会」

明日は「奈良で蕎麦会」 明けがた「ここにお参りにこい」と知らない坊さんみたいな人が夢

にでてきた。後ろに頭から血を流している蛇がいたので、その場所がどこかは推察できた。

水木は定休で、金曜日もいれて三連休。

29日(土)『沖縄民謡ショウ』 小粋で元気なヤマト・ウチナーサウンド

演奏:片山恵理(三線)・古田将幸(ギター)

19時開場 19時半開演 ¥3,500(お酒・肴・蕎麦・珈琲 付き)