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長屋茶房・天真庵

「押上」にある築60年の長屋を改装して
「長屋茶房・天真庵」を建築。
一階がカフェ、2階がギャラリー。

つぼつぼ

2015-11-19 09:10:33 | Weblog

懐石で亭主が酒肴を用意する間、お客さんに自由に飲んでもらうため

に大き目の徳利をおだしする。「お預け徳利」という。

昨日は、よく飲み、仕事もけんかもし、20年も

あっていない友達が九州からわざわざきてくれた。

酒を酌み交わしながら夢を語り、ときにはけんかもし、黙っていても

相手のことが阿吽でわかるような関係のことを「酒敵」(しゅてき)という。そんなに

きれいな関係ではないけど、かなり近いものを感じた。次に会うのが20年先だとすると、

お互いに鬼籍かもしれないし、昨日の一日はまさに奇跡かもなんばん。

昨日は久保さんの志野の燗鍋を「お預け徳利」にし、ごま豆腐や、三種盛りの

後に、いっしょの主客一如みたいな飲み会になり、九州の銘酒「繁升」を

一升空けた。久保さんの黄瀬戸の「つぼつぼ」にままけはを入れて出したら、

昨日の席のきっかけをつけてくれたキクジーが、懐石における「つぼつぼ」が主人

が初めてくるお客さんに対しておこなう「感謝のきもち」を現す、という由来などを

説明してくれた。キクジーは、ぼくと久保さんの出会いを演出してくれた恩人でもある。

少し体調を壊され禁酒中であるが、これまでも禁酒中によく飲んだ。相手はお茶を飲んで

いても体に貯まった「満期の酒定期」の金利みたいなものが宇宙のような体の細胞から

溢れてきて、同じように酔い、場を盛り上げる。まねのできない名人芸なのだ。

みんな奇人でおもろい。キクジーの右腕だったワカも大変だったけど、昨日いっしょに

飲んだOさんも今は彼の右腕で尽力している。昨日の席でも一番神経をつかわせてしまった。感謝。

なにはともあれ、「友の遠方より来る」ほどうれしいことはない。

さて今日はお弟子さまが遠方より珈琲の勉強にくる日だ。今はもう電車の中だろう。

夜はお抹茶の達人たちが煎茶を習いにこられる。毎日が一生であり、毎日が一升を

酌み交わす「酒敵」をつくる素敵な好日でありますように。秋の夜長はそんな時間を

醸し出すことを神様がつくってくれたに違いない。天恩感謝。

 


歴史が動くのは、いつも蕎麦屋の二階?

2015-11-18 08:27:28 | Weblog

昨日は「タイムドメイン」の日。

池袋時代から月に一度だけやっている不思議な持ち寄りパーティー。

気のおけない仲間が集まり、友達に食べさせたいもの、飲ませたい酒、

いっしょに聴きたいCDを持ち寄って、談論不発する日。押上にきて9年に

なるから、たぶん15年近くやっている。

主催はイワジー。昨日もはやめにやってきてビールを飲みながら話して

いたら、ぼくのお茶のお弟子様がギターをもって来店。彼女はお花の先生で

その関係の華人の方で、最近だんなさんが天国へいけれたので、生前愛用していた

ギターとか飾っていた掛け軸など、整理したいけど捨てられないものをくださる。

寒山寺の「楓橋夜泊」の拓本もその中のひとつ。翁のお面も階段下に以前からそこにあるようにぴったり

治まっている。ちょうどイワジーがギターを習っていたので、そのギターは彼が引き継ぎ、弾くことになった。

お礼にイワジーがもってきた柿を渡した。初めてあったふたりが「原始的ぶつぶつ交換」をし、こころふれあう。

今日これから「卒啄焙煎塾」

先月からサイフォンを「かっこよく」いれられる特訓中。

夜は雨が降るみたいだけど、「座敷で蕎麦遊び」 IT業界の社長さんたちがやってくる。

30年前くらいくらいで出会って、いっしょに「仕事」もしてきて、その後仕事の関係が

なくなっても付き合う、というような関係は稀有な関係。よくよく考えてみたら、そんな稀有な

縁で結ばれた友達とひさしぶりに会うことになる。昔から時代が動いたり、人生の大事な決断を

する場所は「蕎麦屋の二階」だときまっていた。

明日も「珈琲塾」と夕方は「無茶しぃの会」。

金曜日が「ねんど」


ボストンからあの人が蕎麦を手繰りにきた。

2015-11-17 09:03:03 | Weblog

昨日は「卵かけごなん」。

卵かけごはんの常連のたまさんのお弟子様と、ぼくの煎茶のお弟子様が

カウンターに並んで座った。たまさんのお弟子様は三味線を習っておられ、

ぼくの煎茶のお弟子さまは煎茶を習うかたわら、しのぶえの名人でもある。

そんな話が盛り上がり、帰り際に、おふたりの「ふるさと」(たま組は、彼女のおかあさん)が三重県の片隅の田舎で

通っていた小学校や中学校も同じであることが判明した。すごい。

今朝の新聞には、田舎の片隅にある過疎がすすむ地域を活性化するためには、毎年その土地の人口の1%の

若者移住者を目標にする、みたいな記事が特集されていた。たんなる縁ある土地へUターンするのではなく、

限界集落みたいな場所に移り住んで、その土地でしかできないことをしながら、1億分の1の「その人らしい生き方」を

すること。平均的な今の日本人の価値観からいったら「そーんなこと むり」みたいな意見になるだろうが、

「そうだ」と思う人が、100人にひとりいたら、まだまだ日本は大丈夫なような気がする。

昨日の夕方、夜の「福の会」のしこみも終わり、志ん生さんの「長屋ばなし」を読んでいたら、「まだ生きていますか?」

といって、長屋住まいの画家桐谷逸夫さんが遊びにこられた。いつものように、「入口はビール」から始まり、

「途中はぬる燗」になり、「出口は蕎麦ね」で帰っていかれた。齢(よわい)70になる2年前からボストンに活動拠点を

移した。今週から来年2月まで六本木のANAホテルのギャラリーで、個展をやっている。

彼の本「東京いま・昔」にでてくるような「消えゆく町並みと人情」が六本木に勢ぞろいしている。

その本の「はじめに」に書いてある文を「福の会」の時に読みなおした。

「・・・・(略)日本は古い歴史と、優れた文化や伝統を持つ国です。それらの貴重な財産を、私たちが次の

世代に受け継いでいくために、私は画家としてできる限りのことをしたいと願っています。

この本は、私のそうした思いを伝えるものです」

今日はタイムドメイン。

明日明後日は「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」

金曜日は「ねんど」


こんなに美味いもの   誰にもゆうな

2015-11-16 07:35:13 | Weblog

そんな名前の海藻がある。

今の大河ドラマは「萩」。沖縄にいくと、しばらく沖縄の話しか

しなくなる。それを「沖縄病」という。今年は山口の山陰側に3度もいった。

骨董病というのも不治の病だけれども、どうも「山陰病」も似たようなものかもなんばん。

その地に「ゆな」という海藻が採れる。朝採ったものでも晩まで持たない。採れたてのもを

湯にさっとくぐらせ、ぽんず醤油で食べる。「誰にもゆうな」という言霊が全身を包む。

もうひとつ。「たれくち」。その地では、とれたてのピチピチなものを浜の砂にまぶし、てのひらで

軽くもんだあと、それを洗ってぽんず醤油で食べる。下関では「かなやま」というらしい。

明治維新で多士済々の傑人をうんだ長州。若くして召された天才もあまたいたけど、東京で成功した軍人や官吏

も最後は故郷で余生をおくった。あべちゃんもそろそろ、故郷にかえり、ゆなでも食べながら一献、みたいな生活

をされるのも一考かもなんばん。

さて、これから「卵かけごはん」夜は「福の会」があるので、今朝も5時からそばをばんばん打った。

明日は「タイムドメイン」

水曜日・木曜日が「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」

 

 


15年ぶりに恋人に再会?

2015-11-15 08:52:05 | Weblog

そんな気分だ。

昨日、おしぴんを探していた。事務所の古い5段の棚の一番下に入っている、と

思ってあけた。ちょうど荷物に二段ぶんかくれていて、一番下と思って3段目をあけて、

あるべきはずのおしぴんがないので焦っていたら、その抽斗の奥に黒い万年筆を

みつけた。めがねをとって(老眼のため)、キャップの文字をたしかめたら、「もんぶらん」

と刻印されている。15年ぶりに恋人と再会したような気分になった。

40代のあるころ、四谷の出版会社が「いろいろな分野で活躍する40代の人

たちの日記本をだす」というので、その白羽の矢が飛んできた。

原稿料は数万円だったと思うけど、「やはり原稿を書くには、ワープロより原稿用紙。

ボールペンより万年筆。万年筆ならモンブランだろう」と思い、歩いて池袋東口の

西武百貨店にいって、モンブランの万年筆を買って、原稿を書いた。

そしてそれが本になったけど、原稿料は入らなかった。その会社が倒産の憂き目にあった。

それから原稿の依頼はどこからもなく、神楽坂のなんとかという有名な原稿用紙とモンブラン

の万年筆が残った。池袋から押上に越してきて、その万年筆が行方不明になっていて、気

になっていたところだった。その出版社の社長は山口出身の人で、今でも年賀状がくる。

先日山口の山陰側の海が見える食堂のおばちゃんからラブレターみたいなハガキがきた。

78歳だけど、こころは女学生みたいな女性だ。ハガキの最後に

「・・・二三日海がしけていたけど、今日は湖のように凪いでいます。

いただいた珈琲を飲みながらその海をながめ、貴方方のことを思い、ペンを走らせています。かしこ。」

と結ばれていた。ワープロやメールでは伝わらない「こころ」を感じた。

今日はその万年筆で、あと一年食堂を続ける決心をしたおばちゃんに返事を書くとしよう。感謝。

今日は「花のお稽古」

日曜日の営業は16時まで。16時から「食育の王様・そば学院」

明日は月曜日なので「卵かけごはん」夜が「福の会」

火曜日が「タイムドメイン」

水曜日・木曜日が「卒啄珈琲塾」&「無茶しぃの会」  *水曜の夜は前回はアメリカのIT

企業の人たちが「座敷で蕎麦遊び」だったけど、こんどは「日本のIT企業のお歴々の蕎麦会」

どんな会になるのかしらん。

 

 


伊那のもうひとつの名物

2015-11-14 08:25:47 | Weblog

先日、「おたぐり」のことを書いた。伊那のもうひとつの名物は「ろーめん」。

これも不思議な食べ物だ。「ここのお店のろーめんが美味い」と、以前そこ出身の

女優のようにきれいな作家に教えてもれったけど、いつも店の前にいくと開店前で

食べられていないのが残念。おたぐりは馬、ろーめんは羊。来年の干支はさる。

昨日は新米をもって愛子さんがやってきた。昨日から炎色野という久保さんが

先月やったところで陶展が始まった。彼女が新米陶芸家だったころ、東京で初めて

やった場所でもある。そのときに「うずくまる」を買った。信楽の壺のことをそう呼び、

京都あたりの茶人が茶室に置き、季節季節の一輪を飾った。

人がうすくまっている姿を想像しそのように呼ばれるようになったらしいが、中国の故事「壺中天」

にも通じ、人の内面の宇宙の広大さと孤独さみたいなものも彷彿されていてよい。人は悩んだり

うずくまりたくなるほど失敗や反省をしながら人間として成長してきたのです。

炎色野の女将さんは、今話題になっているミャンマーのスーチーさんによく似ている。美人なのです。

朝からなんだけど、中国では「蚊」のことを「チースウ」という。

血を吸う姿を思い浮かべると「なるほど」となる。ここでは笑いがとれないけど、「ミャンマーでは

スーチーという」と付け加えると、新聞を読むようなレベルの人は笑う。酒席だとかなり盛り上がる。

うちの「ダメ中」でやったら、ダメだった。中国語がわかる人の前では受けない。

 

 


御前酒で一献

2015-11-13 08:52:34 | Weblog

昨日はおとこ組のかっぽれ。

朝からゆっくり仕込みをしながら、本を読んだり、散歩したり、

する予定だったけど、宅急便がうまくタイミングがあわず、けっきょく

ひねもすのたりのたりでお店に閉じこもったまま終わった。「籠の鳥」状態。

宅急便の再配達の割合が多くなっていて、運送会社が成り立ちにくくなっているらしい。

どの世界も価格とサービスの競争が激しく、いきつく先は、お手上げ、みたいな話が多くなってきた。

老人介護しかり、居酒屋チェーン店しかり、携帯電話業界しかり・・・

しばらく日本いや世界は斜陽の方向にいくと思う。落ちていく時は、ゆっくりと歌でも

口づさみながら、沈む夕日の落日感を味わうのがよろし。昔、貧乏長屋に住む有名な落語家が

「貧乏はするもんじゃない。楽しむもんだ」とのたまった。そんな風雅な気持ちが必要な時代かもなんばん。

昨日は、長野の大鹿村の豆腐を藻塩につけて酒肴にした。炭火で炊いた「おでん大根」は、くるみ味噌で風呂ふき大根。

酒は岡山の御前酒。1802年創業の老舗で、その地の殿様に献上していてその名がついた。

風呂ふき大根の「ふろ」とは、塗師、つまり漆に由来する。

昔の城下町を散策していたら、古い骨董屋があり、覗いたら「根来の折敷」に風合いの似た

朱色の盆があったので、東京に連れてきた。

昨日はそれに、久保さんの備前の徳利と斑唐津のぐいのみを並べ、その向うに、織部の向附けを

置き、志野の箸置きに奈良井宿の塗師巣山さんの利休箸を並べてみた。平成から桃山までの悠久な時間が流れる。

来週はまたIT業界のお歴々が「座敷で蕎麦遊び」にくるので、そんなしつらえで「おもてなし」してみたいと思う。

IT業界の友人たちも還暦を過ぎ、次の世代にバトンタッチする時がきたみたい。お金は残したけど、人を育て

ていない人もすくなからずいる。いや、ほとんど一代かぎり、期間限定商品みたいな会社ばかりかもなんばん。

煎茶や玉露をゆっくり飲んだり、昼の「そば前」を、お気にいりの作家の酒器に注ぎ、ゆっくり2合ほど飲み、

ジャズでも聴きながら珈琲を飲んだりする至福の時間を味わってほしいものだ。

もうすぐ正月。正月におもちなどに飾りをする葉のことを「ゆずりは」という。

新旧がうまく入れ替わる自然をよろこぶ縁起からきている。いつまでも地位とか名誉とかにしがみつくことは無粋であり

不自然であることを教えてくれる。

昔から「金を残すは下根、事業を残すは中根、人を残す は上根」という。

 

 


伊那谷の仙人が好む「おたぐり」

2015-11-12 08:25:52 | Weblog

先週の火曜日、「英語で蕎麦会」。フランスからやってきたミッシェル(フランス人はみなそう呼ぶ)

という青年とみなで英会話をしながら蕎麦を喰う。その後で旅の人になり、いつものように、

「夜逃げのような里帰り」。今回も蒜山あたりや山口の山陰側の紅葉や秋の幸を堪能しながら

旅をした。6月に続いて、「松の手入れ」の修行のためにこの時期を選んだのだが、ほんとうに日本の秋

はどこの地もいい。山陰のおばちゃんのお店は、10月で閉店してるはずだったけど、行くといつものように

おばちゃんが笑顔で迎えてくれた。「もう一年がんばる」ということ。来年もまたこの「おおいなる寄り道」が

できると思うとうれしくなって、あぶったイカを酒肴にぬるめの燗で3本飲んだ。

家の松の手入れも、以外な時に以外な力を発揮するかみさんが、けっこういい感じに90歳の親父の

一番弟子よろしく仕上がった。家の松も半世紀近く待って、いい相棒ができた、と喜んでいるみたいだった。

帰りは長野経由で昨日の夜に無事東京へ。いつものように正月休みだと、雪で長野経由とはいかない。

毎年春に伊那谷に眠る京都時代の戦友の墓参りにいく。今年は二度目になるけど、美濃あたりから

高速をつかわず、田舎道けもの道を気まぐれにまわって飯田で一泊した。

駅前から一キロくらい「飲み屋街が続く」。ちらっと見ると、どの街にもあるチェーン店の看板ばかりなので、

踵を返して、駅前の赤ちょうちんに入る。灯台もと暗し。伊那谷といえば「おたぐり」だ。

「おたぐりと熱燗ください」というと、若い主人が厨房の母親に向かって「一枚!」という。

熱燗はガラスのコップになみなみと地酒が注がれる。「喜久水」。ガラスの受け皿はないので、

ここでは一段高くなったカウンターの台に鎮座するコップに口をつけるために、イスから立って

一礼するような形になるのが、ならわしであり、みなそうしていた。酒量が限界になると、足もと

がおぼつかなくなり、コップにうまくキスができなくなる。そうなると主人が「そろそろやめとき」

みたいな声をかける。実に素朴だけど、素敵な作法である。

おでんがまた美味い。豆腐とこんにゃくを注文したら、豆腐に「なぎたれ」をのせてくれ、

「これがこの地の食べ方です」とのこと。ねぎをきざみにかつおぶしの味がする醤油とかくし味たぶん

ごま油がすこし入ったものだ。おたぐりで二合、おでんで二合、最後におあげで二合、

ひさしぶりに6合飲んだ。あまりに豆腐とおあげが美味いので、次の日に「大鹿村」

の豆腐屋を目指して車を走らせる。10時ころついたら売り切れだった。

ので宅急便でおくってもらうことにした。

ので今日の「かっぽれ」は、そのあたりがメインディッシュになると思う。6時半から。

おなじく大鹿村の農家さんにわけてもらった「おでん大根」なるもものをさきほど

炭火をおこし、昆布といっしょに土鍋にいれた。今晩の酒はかっぽれの後だけに

すすみすぎるかもなんばん。

熊本の友達が天真庵のHPの「座敷でそば遊び」のところに、先週のアメリカ

からやってきたスーパーシェフとIT業界の人たちの宴の写真をアップしてくれた。

和食とか日本の文化が、ゆっくりただしく伝わっていくと、この星もまだまだ捨てたもんではない、と信じたい。感謝。

 

 


座敷でそば遊び

2015-11-03 09:14:28 | Weblog

先日のポールたちとの「座敷で蕎麦遊び」の興奮がまだ冷めない。

昨日は「長屋で女史会」だった。ポールたちはホテルに宿泊中なので、

「生まれて初めてのアンフォゲッタブルなそば」は、「よばいそば鍋」の中

に入れて食べた。あまりにも愉快な蕎麦会だったので、近々写真を

「座敷で蕎麦会」のところにアップする予定でいる。昨日の女史会で

その信じれれないスーパーシェフの「初そば」をだした。ひとりの男性が

「ぼくもやりたい」とのたままわれた。まけてたまるか日本男児の精神があってよろし。

今日は「文化の日」 あまり関係ないけど、天真庵の住所は「墨田区文花一丁目」なのです。

だから寺子屋のことを「文花的な寺子屋」という。昨日の会でもでたけど、寺子屋というのは、

手習いの場であり、個別教育の場なのであります。「かた」にはめると、なんか窮屈だし、

くすぐったくなる。やはり自由奔放にそれぞれの「天真」を磨ける場があり、一億総活躍

とかいう安っぽいスローガンではなく、一億分の一の「個」の花を咲かせるような生き方を

一億のひとりひとりがするような世の中を作ったほうが「ゆたか」かもなんばん。

今日は「英語で蕎麦会」

初めて休日の日になった。スカイツリーも外人さんがいっぱいやと思う。

月に一度、スカイツリーに集合して、外人をポン引きして、いっしょに蕎麦を喰う会。

どこにもありそうで、ない斬新な英会話寺子屋。まさに教科書もレジメも何もない。

ポン引きに成功しなかった時は、みんなで日本語で「残念会」

明日から来週の木曜日まで「松休み」

実家の庭に松が5本ほどあって、その手入れを6月に続き見習いにいく。

これを習得したら「庭師」になろうかとか思っている。人生五毛作くらいできるかもなんばん。

28日(土)ゆさそばライブ

演奏:ゆさ(ヴァイオリン)・しょうこ(ピアノ)・津田りつ子(パーカッション)

19時開場 19時半開演 ¥4,000(蕎麦・珈琲 付き)


千利休もやっていないようなお茶会?

2015-11-02 05:43:28 | Weblog

昨日は日曜日なので、16時で閉店し、それから「日曜そば打ち大学」。

前々回あたりに、アメリカから夏休みに遊びにきた時に、高校生と中学生の

兄弟が蕎麦を打ったことがあったけど、昨日はアトランタの有名なレストランのシェフ

がきた。最初から気合いが入っている。目つきが真剣だ。山陰の酒蔵で買った「回春」

と書いた前掛けをしたら、似合っていた。ちょうど字が、「まと」あたりにくる。回春の意味を

お弟子様のひとりが英語でしゃべったら、「ちょうどこの位置にくるのが、グッド」みたいなことを

いって笑った。ポール?(アメリカ人はみなポールになるけど)は14歳で学校を中退して料理の

世界にはいり20年、つまりまだ35歳なので、ポールのポールは回春といより、春爛漫であろうけど。

3人が蕎麦を元気に打ったころ、ポールの奥方や友人たちがきて、二階で「座敷で蕎麦遊び」をした。

最近は日本人でも「座敷では足がいたいので座れない」という人が多いが、昨日の人たちは、

「一階のイスより、二階の座敷のほうがいい」といった。

ぼくのお弟子様の英語は、普通のアメリカ人よりもすごい。それは、ニューヨークで生まれ、

日本に帰ってきて日本の文化を学び、国際会議やいろんなシンポジウムなので通訳をして

きたから、微妙なニュアンスのことが同時通訳のように流暢だ。

昨日は遠山満の掛け軸や、そこに飾った久保さんの花器、投げ入れたススキの話、

ソバガギの作り方、日本酒とそれを入れた久保さんの黄瀬戸の片口の話、彼らが

参加した国際フォーラムの話などなど、異文化コミュニケーションに花が咲いた。

今日はこれから、卵かけごはん。若いファッション関係のお弟子さまが7時に蕎麦を打ちに

くるので、これから出陣。

夜は「長屋で女史会」

明日は「英語で蕎麦会」昨日のような素敵な外人さんたちと蕎麦会ができますように。。。

水曜日から来週13日(木)まで「松休み」90歳になる父に、松の手入れを教わりに帰省します。

60から植木屋に転身したら天真も最終章?