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言葉尻を捕らえた揚げ足取りはもう結構

2011-10-21 11:12:20 | 政治経済
平野大臣が震災で亡くなった友人をバカだと発言したと報道されている。

その部分だけ取って、どう思いますかと聞かれれば、不適切だということになろう。

msn産経ニュースでは、平野復興相 緊張感欠く不適切発言だの中で、

>どんな趣旨であれ、犠牲者を「バカ」呼ばわりすることは、
>被災者の気持ちを深く考えない無神経かつ不適切な言動
と言い切っている。

ほんとにそうか。

発言の全体を知らなくてもちょっと前後の発言の流れを見ただけで、
友人に対する思いやりの裏返しというか、無念の思い、悔しい気持ちが見て取れる。

すぐに逃げれば助かったのに。どうして逃げなかったんだ、バカヤロー。

こういう発言の一部だけを取って揚げ足取りというか適切不適切というのは
むしろ不適切ではないのか。


この記事ではさらに、
松本龍前震災復興担当相の暴言(これはほんとにひどかった)
鉢呂吉雄前経済産業相の「放射能をうつしてやる」発言
を取り上げている。

(松本前大臣の発言は握手を拒否した部分から、
 「お客さんを待たすな」と言った発言、
 記事を書いたマスコミは終わりだぞ発言まで
 全体がひどかったので揚げ足取りとは思ってません。
 挙句、辞任会見で私は何もしてないけど担当者は頑張ったとか
 (本当に何もしてなかったらしいけど)
 執務能力自体が欠けていたと思うので辞任やむなしです。)

鉢呂前大臣の発言は、最近では本人は放射能とは言ってないとされ、
記者の釣りに引っかかったとまで言われているのに、
もし本当にそういう発言やしぐさがあったとしたら、
「XXXなどと」と言わないで録音なりビデオなり写真なりを出せばいい。

別に政権政党を擁護するつもりはなく、メディアの扱い方がおかしいと思う。

確かに流れの中とはいえ言っていいことと悪いことがある。
でも言葉尻だけを捕らえてあげつらうのは、もういい加減にやめてほしい。

次は輿石氏のマスコミが世の中を悪くする、発言がやり玉に挙げられるんでしょうか。



時々記者会見で記者の暴言が見られる。これもマスコミの印象を悪くしている。

メディアは正義の代弁者なのか。
悪いことをした者には何を言ってもいいのか。


すべてのメディア人、ジャーナリストが変なわけではありません。
ごく一部だと思いますが、突出した発言/行動をとられる方がいます。

混んでいる記者会見場でメモをおいて席取りし食事に行ってたのを
ずるいんじゃないかと文句を言ってきた記者に席へ戻れと言ったり、

鉢呂大臣に暴言を吐いて他の記者から
「恥ずかしいよ、君はどこの記者だ」といわれる、
そういう方たちのことです。
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2 コメント

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argument (noga)
2011-10-21 22:48:37
持論・結論がなければ、議論する資格もないはずだが、相手かまわず言いがかりをつけて議論をしたがる人がいる。
折角、相手を議論で打ち負かしても、それに代わる自説を提案できないのは非建設的である。
議論では「破壊は建設なり」とは行かない。不毛の議論にしかならない。時間はいくらあっても足りない。

自説を述べればそれで万事発表は終わる。
さらに、自説に似た他説があれば、自説の優位性を述べることも有益なことである。
これは、人類の進歩につながる建設的な態度である。

考える人にならなければ、自説はできない。このような人は、とらえどころのない人と呼ばれている。
しかるに、丸暗記と受け売りの学力を使って議論をしかけようとしている。
真正でない学問をもって世俗におもねり、人気に投ずる言説をなすことを曲学阿世というが、こうした行いが横行している。
こうした行為は、あながち個人の責任には帰しがたいが、由々しい事実であることには間違いない。
イザヤ・ベンダサンは、自著<ユダヤ人と日本人>の中で、我が国の評論家に関して下の段落のように述べています。

評論家といわれる人びとが、日本ほど多い国は、まずあるまい。本職評論家はもとより、大学教授から落語家まで (失礼! 落語家から大学教授までかも知れない) 、いわゆる評論的活動をしている人びとの総数を考えれば、まさに「浜の真砂」である。もちろん英米にも評論家はいる。しかし英語圏という、実に広大で多種多様の文化を包含するさまざまな読者層を対象としていることを考えるとき、日本語圏のみを対象として、これだけ多くの人が、一本のペンで二本の箸を動かすどころか、高級車まで動かしていることは、やはり非常に特異な現象であって、日本を考える場合、見逃しえない一面である。 (引用終り)

日本語には、時制というものがない。だから、未来時制もない。
自分達が努力して向かうべき理想の内容も語られることがない。いわゆる無哲学・能天気である。
未来社会の内容が明らかにならないので、われわれは未来社会の建設に着手出来ない。

日本人の世の中の把握の仕方は、現実の有様に関するものである。「世の中は、、、」の形式で表現される内容である。
現実の内容は、皆がほぼ一致する。一人から答を得たら、それで皆の答がわかる。
現実の内容は、変えられない。政治家には、政治哲学がない。
だから、日本人は閉塞感に襲われる。
英米人の世界観は、未来時制であり現実とは別次元の内容である。
これは人によって違うから、意見は一人一人聞かなくてはならない。
良い提案があれば、相互に協力して建設に励むことができる。

皆が同じ現実の内容を話すばかりでは議論はいらない。
「理屈などは、どうでもよい。現実は見ればわかる」ということになる。
議論をすれば、現実描写に関する個人的なケチの付け合いとなり喧嘩になる。
皆が仲良く生きてゆくには、問答無用で生活することである。
現実にばかり囚われては、別次元の世界が一向に見えてこない。向かうべき所に関する夢も希望もない。
それで、諦観も必要になる。

アングロ・サクソンの考え方が我々の現状の打開策となるであろう。
彼らのメンタリティを理解するために、我々には英語の勉強が必要である。
ある時、私はアフリカの学者から「日本では、何語を使って大学教育を行っているのか」と尋ねられたので、「日本の大学は、日本語を使う」としごく当然のように答えると、相手はびっくりしていた。
きっとその人は、日本語で学問ができるなどとはとても考えられなかったに違いない。

http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812

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nogaさんへ (KGR)
2011-10-22 09:45:51
長文のコメントありがとうございます。

リンク記事も読ませていただきました。
かなり難解でした。
英語に関してはいささか異論がなくもありません。

それはともかく、些細な点を取り上げてあたかも極悪人であるかのごとき扱いは辟易です。
誘導的手法で一般の方の同意を求め、世間一般の意見の様に触れ回る。

確かに時と場合、立場によって言ってはいけない言葉もあると思います。
しかし、悔しさ無念さから「バカ」と言ったことで犠牲者全体を侮辱しているとか、大臣にあるまじき資質とかは、まさに針小棒大の極致と言えるのではないでしょうか。

輿石氏の発言も当っていると思います。
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