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2010/9/15、よみうりホール。
ほぼ満杯。
「一階席は満員」と出ていたが、あちらこちらに空きがあった。
前方左手に陣取る。
**
刺客は「しかく」と読むが、「しきゃく」が一般化してしまった。
今では「しかく」も「しきゃく」も常用されているようだ。
尚、本来は「しかく」ではなく、「せっかく」と読む。
MSIMEでも「せっかく」でちゃんと「刺客」と変換される。
さて、物語は次期老中職と目される、時の将軍徳川家慶(いえよし)の弟、
明石藩藩主松平斉韶(なりつぐ)の暴挙に対し、
老中土居利位(としつら)が隠密裏に斉韶の暗殺を指示、
13人の浪人他が刺客となってこれを討ち取ろうとする物語である。
オリジナルは1963年の東映映画、
片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、丹波哲郎、里見浩太朗、月形龍之介ら錚々たるメンバーが出演。
オリジナルと、今作のキャストを比較しておこう。
* 13人の刺客
島田新左衛門:片岡千恵蔵=役所広司
島田新六郎(新左衛門の甥):里見浩太朗=山田孝之
倉永左平太(御徒目付組頭):嵐寛寿郎=松方弘樹
日置八十吉(倉永配下の御徒目付):春日俊二=高岡蒼甫
大竹茂助(倉永配下の御徒目付):片岡栄二郎=六角精児
石塚利平(倉永配下の足軽):和崎俊哉=波岡一喜
三橋軍次郎(倉永配下の御小人目付組頭):阿部九州男=沢村一樹
樋口源内(三橋配下の御小人目付):加賀邦男=石垣佑磨
堀井弥八(三橋配下の御小人目付):汐路章=近藤公園
平山九十郎(島田家食客浪人・剣豪):西村晃=伊原剛志
小倉庄次郎(平山九十郎の門弟):沢村精四郎=窪田正孝
佐原平蔵(浪人・槍の名手):水島道太郎=古田新太
木賀小弥太(山の民):山城新伍=伊勢谷友介
* 明石藩
藩主松平左兵衛督斉韶:菅貫太郎=稲垣吾郎
鬼頭半兵衛(明石藩御用人千石):内田良平=市村正親
間宮図書(明石藩江戸家老):高松錦之助=内野聖陽
* 幕府
土井大炊頭利位(江戸幕府・老中):丹波哲郎=平幹二朗
* 尾張藩
牧野靭負(尾張家木曽上松陣屋詰):月形龍之介=松本幸四郎
牧野妥女(靭負の息子):河原崎長一郎=斎藤工
牧野千世(妥女の嫁):三島ゆり子=谷村美月
* その他
芸妓お艶:丘さとみ=吹石一恵
三州屋徳兵衛(落合宿庄屋):水野浩=岸部一徳
*
今から160年ほど前、明石藩主松平斉韶の暴君ぶりは広く知られていた。
明石藩江戸家老、間宮図書は切腹して老中に直訴。
しかし時の将軍徳川家慶は腹違いの弟松平斉韶を老中に取り立てることを決めており、
事を穏便に処理せよと指示する。
老中は困り果てた末、御目付島田新左エ門に暗に斉韶の暗殺を示唆、
役職を解いて計画を練らせる。
老中土居利位は、斉韶に息子夫婦を惨殺された牧野靭負などを島田に引き合わせ、
斉韶の非道さを思い知らせる。
島田新左エ門は、自家の食客平山九十郎、友人の倉永左平太、
その配下の三橋以下5人、それに足軽を計画に加える。
平山は、門下の若者小倉、槍の名手佐原を加えるよう進言。
放蕩者の島田の甥、新六郎も芸子お艶に別れを告げて、一行に加わる。
一方、新左エ門の旧知で明石藩御用人、鬼頭半兵衛は、斉韶の悪行に辟易しながらも
主君を守ることを第一義とし、新左エ門の計画を阻止しようとする。
新左エ門一行は、参勤交代で斉韶が明石に帰る道中に襲撃することにし、
中山道木曽落合宿を決戦の場と決めた。
新左エ門は落合宿に向かう途中、鬼頭の手の者による待ち伏せに逢い、
馬を捨てて山越えし、小弥太を仲間に入れ、総勢は13名となる。
果たして暗殺は成功するだろうか。
**
時代劇の名作の一つとして知られる「十三人の刺客」。
集団抗争時代劇と言う東映時代劇末期の一ジャンルを築いたことで知られるらしい。
今作もそうだが、クライマックスの切り合いのシーンは壮絶を極める。
オリジナルの公開されたのは、1963年12月。
翌年に東京オリンピックを控え、開発盛んな時代。
舟木一夫の「高校三年生」がヒット、TVアニメ「鉄腕アトム」が放映開始され、
「アップダウンクイズ」や「がっちり買いまショウ」などの視聴者参加番組も生まれ、
TV人気が急速に伸びたころだ。
年間観客動員数は、1960年の10億人超から5億人強と半分ちょっとに落ち込み、
映画関係者は危機感を抱いていたものと思われる。
時代劇オールスター総出演の豪華さと、リアリティあふれる映像が作り出された。
しかし、この後も映画の凋落傾向は続き、年ごとの凸凹はあるものの、
1972年には2億人を切り、1996年には1億2千万人を切ってしまった。
(その後少し盛り返し、ここ数年は1億6千万から1億7千万人で推移している)
*
オリジナルにあるのかどうかは知らないが、「広島、長崎云々」は余計。
「この23年後云々」もあまり意味はないように思うが、いかがだろうか。
** 追記 **
2010/9/19、有楽町朝日ホールにて2度目の試写会。
細かい部分で前回見逃したと思った部分を再確認。
しかし、それにしても合戦のシーンは長い。
ただ、圧倒的に多勢に無勢なので13人サイドは思ったより各キャラが立って見えた。
これが多勢対多勢の肉弾戦となると、誰と誰が戦っているのかはもとより、
どっちが優勢なのかすら判らなかったりする。
物理的な暗さ(行灯とかロウソクとか)の表現なども含めたリアリティ追及は、
これが「スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ」と同じ監督とは思えないくらいだ。
なお、三池崇史監督の次回作は実写版「忍たま乱太郎」である。
** 追追記 **
松平斉韶(なりつぐ)が明治まで生きたことと、映画の背景となった1843年当時、
斉韶はすでに隠居しており、家督は養子の斉宣(なりこと)に譲られていたは調べていた。
斉韶は1868年のちょうど慶応から明治への改元の日に65歳で亡くなっている。
この時点では、実在の人物に名を借りたフィクションだと思っていた。
しかし、もう少し詳しく調べてみると、意外な史実を見つけることができた。
第7代明石藩主の斉宣は11代将軍家斉の実子で12代将軍家慶の弟にあたる。
明石藩の養子になったのが1840年、15歳の時。
斉韶の嫡子直憲(なおのり、のちの慶憲=よしのり)を押しのけての藩主で、
明石藩内部には大変な反発があったようだ。
「斉韶」はもともと父の直周から名を取り「直韶」と名乗っていたが、
将軍家斉の斉をもらって改名しており、その子をよろしくと言われれば、
鬼島半兵衛でなくても断れなかったろう。
さて、その斉宣、映画の舞台となった1843年は18歳。
時期は定かではないがその前後、参勤交代の最中尾張藩内において
幼児が斉宣の行列を横切り、斉宣はその幼児を本陣に連行して、結局斬殺してしまった。
結果、尾張藩の激怒を買い「尾張藩領内通行禁止」になったという伝承が残っているようだ。
しかも、斉宣は1844年6月に病死したことになっており、
第8代明石藩主は、第6代藩主斉韶の嫡子、慶憲である。
この辺りの史実、あるいは伝承をからめて脚色し映画化したものが
「十三人の刺客」だといえよう。
ほぼ満杯。
「一階席は満員」と出ていたが、あちらこちらに空きがあった。
前方左手に陣取る。
**
刺客は「しかく」と読むが、「しきゃく」が一般化してしまった。
今では「しかく」も「しきゃく」も常用されているようだ。
尚、本来は「しかく」ではなく、「せっかく」と読む。
MSIMEでも「せっかく」でちゃんと「刺客」と変換される。
さて、物語は次期老中職と目される、時の将軍徳川家慶(いえよし)の弟、
明石藩藩主松平斉韶(なりつぐ)の暴挙に対し、
老中土居利位(としつら)が隠密裏に斉韶の暗殺を指示、
13人の浪人他が刺客となってこれを討ち取ろうとする物語である。
オリジナルは1963年の東映映画、
片岡千恵蔵、嵐寛寿郎、丹波哲郎、里見浩太朗、月形龍之介ら錚々たるメンバーが出演。
オリジナルと、今作のキャストを比較しておこう。
* 13人の刺客
島田新左衛門:片岡千恵蔵=役所広司
島田新六郎(新左衛門の甥):里見浩太朗=山田孝之
倉永左平太(御徒目付組頭):嵐寛寿郎=松方弘樹
日置八十吉(倉永配下の御徒目付):春日俊二=高岡蒼甫
大竹茂助(倉永配下の御徒目付):片岡栄二郎=六角精児
石塚利平(倉永配下の足軽):和崎俊哉=波岡一喜
三橋軍次郎(倉永配下の御小人目付組頭):阿部九州男=沢村一樹
樋口源内(三橋配下の御小人目付):加賀邦男=石垣佑磨
堀井弥八(三橋配下の御小人目付):汐路章=近藤公園
平山九十郎(島田家食客浪人・剣豪):西村晃=伊原剛志
小倉庄次郎(平山九十郎の門弟):沢村精四郎=窪田正孝
佐原平蔵(浪人・槍の名手):水島道太郎=古田新太
木賀小弥太(山の民):山城新伍=伊勢谷友介
* 明石藩
藩主松平左兵衛督斉韶:菅貫太郎=稲垣吾郎
鬼頭半兵衛(明石藩御用人千石):内田良平=市村正親
間宮図書(明石藩江戸家老):高松錦之助=内野聖陽
* 幕府
土井大炊頭利位(江戸幕府・老中):丹波哲郎=平幹二朗
* 尾張藩
牧野靭負(尾張家木曽上松陣屋詰):月形龍之介=松本幸四郎
牧野妥女(靭負の息子):河原崎長一郎=斎藤工
牧野千世(妥女の嫁):三島ゆり子=谷村美月
* その他
芸妓お艶:丘さとみ=吹石一恵
三州屋徳兵衛(落合宿庄屋):水野浩=岸部一徳
*
今から160年ほど前、明石藩主松平斉韶の暴君ぶりは広く知られていた。
明石藩江戸家老、間宮図書は切腹して老中に直訴。
しかし時の将軍徳川家慶は腹違いの弟松平斉韶を老中に取り立てることを決めており、
事を穏便に処理せよと指示する。
老中は困り果てた末、御目付島田新左エ門に暗に斉韶の暗殺を示唆、
役職を解いて計画を練らせる。
老中土居利位は、斉韶に息子夫婦を惨殺された牧野靭負などを島田に引き合わせ、
斉韶の非道さを思い知らせる。
島田新左エ門は、自家の食客平山九十郎、友人の倉永左平太、
その配下の三橋以下5人、それに足軽を計画に加える。
平山は、門下の若者小倉、槍の名手佐原を加えるよう進言。
放蕩者の島田の甥、新六郎も芸子お艶に別れを告げて、一行に加わる。
一方、新左エ門の旧知で明石藩御用人、鬼頭半兵衛は、斉韶の悪行に辟易しながらも
主君を守ることを第一義とし、新左エ門の計画を阻止しようとする。
新左エ門一行は、参勤交代で斉韶が明石に帰る道中に襲撃することにし、
中山道木曽落合宿を決戦の場と決めた。
新左エ門は落合宿に向かう途中、鬼頭の手の者による待ち伏せに逢い、
馬を捨てて山越えし、小弥太を仲間に入れ、総勢は13名となる。
果たして暗殺は成功するだろうか。
**
時代劇の名作の一つとして知られる「十三人の刺客」。
集団抗争時代劇と言う東映時代劇末期の一ジャンルを築いたことで知られるらしい。
今作もそうだが、クライマックスの切り合いのシーンは壮絶を極める。
オリジナルの公開されたのは、1963年12月。
翌年に東京オリンピックを控え、開発盛んな時代。
舟木一夫の「高校三年生」がヒット、TVアニメ「鉄腕アトム」が放映開始され、
「アップダウンクイズ」や「がっちり買いまショウ」などの視聴者参加番組も生まれ、
TV人気が急速に伸びたころだ。
年間観客動員数は、1960年の10億人超から5億人強と半分ちょっとに落ち込み、
映画関係者は危機感を抱いていたものと思われる。
時代劇オールスター総出演の豪華さと、リアリティあふれる映像が作り出された。
しかし、この後も映画の凋落傾向は続き、年ごとの凸凹はあるものの、
1972年には2億人を切り、1996年には1億2千万人を切ってしまった。
(その後少し盛り返し、ここ数年は1億6千万から1億7千万人で推移している)
*
オリジナルにあるのかどうかは知らないが、「広島、長崎云々」は余計。
「この23年後云々」もあまり意味はないように思うが、いかがだろうか。
** 追記 **
2010/9/19、有楽町朝日ホールにて2度目の試写会。
細かい部分で前回見逃したと思った部分を再確認。
しかし、それにしても合戦のシーンは長い。
ただ、圧倒的に多勢に無勢なので13人サイドは思ったより各キャラが立って見えた。
これが多勢対多勢の肉弾戦となると、誰と誰が戦っているのかはもとより、
どっちが優勢なのかすら判らなかったりする。
物理的な暗さ(行灯とかロウソクとか)の表現なども含めたリアリティ追及は、
これが「スキヤキ・ウェスタン・ジャンゴ」と同じ監督とは思えないくらいだ。
なお、三池崇史監督の次回作は実写版「忍たま乱太郎」である。
** 追追記 **
松平斉韶(なりつぐ)が明治まで生きたことと、映画の背景となった1843年当時、
斉韶はすでに隠居しており、家督は養子の斉宣(なりこと)に譲られていたは調べていた。
斉韶は1868年のちょうど慶応から明治への改元の日に65歳で亡くなっている。
この時点では、実在の人物に名を借りたフィクションだと思っていた。
しかし、もう少し詳しく調べてみると、意外な史実を見つけることができた。
第7代明石藩主の斉宣は11代将軍家斉の実子で12代将軍家慶の弟にあたる。
明石藩の養子になったのが1840年、15歳の時。
斉韶の嫡子直憲(なおのり、のちの慶憲=よしのり)を押しのけての藩主で、
明石藩内部には大変な反発があったようだ。
「斉韶」はもともと父の直周から名を取り「直韶」と名乗っていたが、
将軍家斉の斉をもらって改名しており、その子をよろしくと言われれば、
鬼島半兵衛でなくても断れなかったろう。
さて、その斉宣、映画の舞台となった1843年は18歳。
時期は定かではないがその前後、参勤交代の最中尾張藩内において
幼児が斉宣の行列を横切り、斉宣はその幼児を本陣に連行して、結局斬殺してしまった。
結果、尾張藩の激怒を買い「尾張藩領内通行禁止」になったという伝承が残っているようだ。
しかも、斉宣は1844年6月に病死したことになっており、
第8代明石藩主は、第6代藩主斉韶の嫡子、慶憲である。
この辺りの史実、あるいは伝承をからめて脚色し映画化したものが
「十三人の刺客」だといえよう。
役所さんの役は、片岡さん、山田さんの役は里見さん、松方さんの役は嵐さん、伊原さんの役は西村さんだったんだあと感慨深く読みました。KGRさんもオリジナルは未見なんですよね?この配役を見て、オリジナルも鑑賞して
みたくなりました^^
オリジナル未見です。
里見浩太朗=山田孝之は隔世の感があります。
若者だが使い手と言う設定が、片や黄門様ですから。
平山九十郎の西村晃も想像つきません。
歴史を詳しくお調べになったのですね~大変参考になりました。
ちらりと調べてみたのですが、バカ殿様(笑)は長く生きたようなので、全くのフィクションだと思っていました。何かバカ殿様のご乱交みたいな伝承とかが他にも残っているのかもしれませんね。
私もそう思ってました。
映画の斉韶は史実上は斉宣のようで、
斉韶はバカ殿じゃなかったようですよ。
に変換されました。(^^ゞ
集団抗争時代劇と言う東映時代劇の一ジャンルを「十三人の刺客」が築いたほど
意義深い映画だったのでしたか。
エンドロールから、かみさんがこの映画は実話なのかと聞かれ、KGRさんが時代背景
の史実を調べたのを読み、実在の人物に名を借りたフィクションではあるものの
あらためて興味が湧きました。
明石城跡=明石公園にも行ったことがあるし、天文科学館(斉韶の菩提寺、長寿院のすぐ北)にも何度も行ったことがあるのに全く知りませんでした。
KGRさんのブログ記事では、第7代明石藩主の斉宣のことがよく調べてあって、大層参考になりました。
なお、「「広島、長崎云々」は余計。「この23年後云々」もあまり意味はない」とあるのはおっしゃる通りながら、徒党を組んで時の権力者に立ち向かうという点だけを見れば、もしかしたら次の『桜田門外ノ変』、そして『動乱』を経て、『黒い雨』などに行き着くのかも知れません。
また、いただいたコメントデ触れておられる「おすぎ」は、“今の監督は女が描けない”など歪んだ先入観で映画を切り捨てる傾向があるので、むしろ「おすぎ」がダメと言ったものの方を見に行くようにしているくらいです。
私はどちらかと言うと映画評論家の意見を参考にしない方なんですが、
>歪んだ先入観で映画を切り捨てる
などをとらえて
>ダメと言ったものの方を見に行く
そういう参考の仕方もあるとは目から鱗です。