「時効」撤廃求め、未解決事件の遺族ら「宙の会」結成(朝日新聞) - goo ニュース
被害者やそのご家族の感情を考えると、当然かもしれません。
特に凶悪犯罪については、何としても犯人をとらえ罰したい、
そうでなければ社会正義が実現できないと考えるのは当然でしょう。
犯罪者には必ず罰を与える、特に凶悪犯罪は絶対に許さない、
このことの是非を問えば、ほとんどの人は賛同するでしょう。
現在のいわゆる科学捜査をもってすれば、
過去の時効になった事件も犯人を突き止めることができていたかも知れないし、
時効がなければ、あるいは時効までの期間が長ければ、
解決できる事件も増えるでしょう。
何より時効で犯罪を追求せず、犯人を安穏に暮させることは許しがたい
という考えはもっともです。
「時間がたつと遺族の被害感情は薄れる」ことはないというのも納得します。
世の中には、時効がない(時効が停止されたまま)の犯罪も存在します。
しかし、時効停止や時効期間延長は意味があるとしても、
時効廃止は妥当なものなのでしょうか。
現在の犯罪検挙率は30%程度です。
これは犯罪が増えているという意見もありますが、
軽微な犯罪もきちんと被害届を出すようになったこともあるとも言われます。
今、時効廃止を求めているのは軽微な事案ではなく、
「殺人事件被害者遺族の会」の名の通り、殺人事件だと思いますので、
それについて考えてみます。
昨年の警察白書によれば、2007年の刑法犯全体の認知件数は約190万件。
内、凶悪事件は9千件強です。
これは過去5年間漸減で、2003年には全体で270万件、
凶悪事件は1万3千件を超えていました。
このうち、殺人事件は凶悪事件の1割強といったところ。
2007年は約1200件でした。
殺人事件認知件数も減ってはいますが、強盗などに比べると減り方が鈍いので、
凶悪犯罪に占める殺人事件の率は漸増しています。
検挙率で見ると、凶悪犯罪全体で70%くらいですが、
殺人事件では96%くらいになります。
一方、現在の時効は、死刑が適用される事案の時効は25年
(2004年までに行われた犯罪は15年)
無期懲役刑は15年(同10年)のようになっています。
累計の未検挙殺人事件がどのくらいあるのか知りませんが、
未検挙の殺人事件数は毎年数十件(ここ3年は40件台)で、
5年間の累計で300件弱です。
未検挙には、犯人の分らないものと、犯人は分かっても捕まってないものがあると
思いますが、昔は犯人の判らないものが多かったろうと思いますので、
15年分で1000~1500件くらいあると思われます。
最近は未検挙が減ったので、25年に時効を伸ばしても
総件数はそれほど増えないと思われます。
しかし、時効を廃止したら何年経っても事件を追い続けなければならなくなり、
実質的に無意味な期間経過後も捜査を続けることになります。
遺族感情は大切ですが、遺族のためだけに犯人を追っているわけではないし、
逆に遺族が許せばそれでいいというものでもないでしょう。
今回の被害者の会の会員の方のお気持ちはわかりますし、
犯人検挙に尽力されている関係者の方もご苦労も理解します。
おそらく、会員の方々は、時効をなくせばそれでいいと思っているわけではなく、
犯人を明らかにして捕まえてほしい、と思っているのでしょう。
そういった思いが時効で断ち切られてしまうことの虚しさもわかりますが、
時効廃止が有効かどうかは疑問です。
被害者やそのご家族の感情を考えると、当然かもしれません。
特に凶悪犯罪については、何としても犯人をとらえ罰したい、
そうでなければ社会正義が実現できないと考えるのは当然でしょう。
犯罪者には必ず罰を与える、特に凶悪犯罪は絶対に許さない、
このことの是非を問えば、ほとんどの人は賛同するでしょう。
現在のいわゆる科学捜査をもってすれば、
過去の時効になった事件も犯人を突き止めることができていたかも知れないし、
時効がなければ、あるいは時効までの期間が長ければ、
解決できる事件も増えるでしょう。
何より時効で犯罪を追求せず、犯人を安穏に暮させることは許しがたい
という考えはもっともです。
「時間がたつと遺族の被害感情は薄れる」ことはないというのも納得します。
世の中には、時効がない(時効が停止されたまま)の犯罪も存在します。
しかし、時効停止や時効期間延長は意味があるとしても、
時効廃止は妥当なものなのでしょうか。
現在の犯罪検挙率は30%程度です。
これは犯罪が増えているという意見もありますが、
軽微な犯罪もきちんと被害届を出すようになったこともあるとも言われます。
今、時効廃止を求めているのは軽微な事案ではなく、
「殺人事件被害者遺族の会」の名の通り、殺人事件だと思いますので、
それについて考えてみます。
昨年の警察白書によれば、2007年の刑法犯全体の認知件数は約190万件。
内、凶悪事件は9千件強です。
これは過去5年間漸減で、2003年には全体で270万件、
凶悪事件は1万3千件を超えていました。
このうち、殺人事件は凶悪事件の1割強といったところ。
2007年は約1200件でした。
殺人事件認知件数も減ってはいますが、強盗などに比べると減り方が鈍いので、
凶悪犯罪に占める殺人事件の率は漸増しています。
検挙率で見ると、凶悪犯罪全体で70%くらいですが、
殺人事件では96%くらいになります。
一方、現在の時効は、死刑が適用される事案の時効は25年
(2004年までに行われた犯罪は15年)
無期懲役刑は15年(同10年)のようになっています。
累計の未検挙殺人事件がどのくらいあるのか知りませんが、
未検挙の殺人事件数は毎年数十件(ここ3年は40件台)で、
5年間の累計で300件弱です。
未検挙には、犯人の分らないものと、犯人は分かっても捕まってないものがあると
思いますが、昔は犯人の判らないものが多かったろうと思いますので、
15年分で1000~1500件くらいあると思われます。
最近は未検挙が減ったので、25年に時効を伸ばしても
総件数はそれほど増えないと思われます。
しかし、時効を廃止したら何年経っても事件を追い続けなければならなくなり、
実質的に無意味な期間経過後も捜査を続けることになります。
遺族感情は大切ですが、遺族のためだけに犯人を追っているわけではないし、
逆に遺族が許せばそれでいいというものでもないでしょう。
今回の被害者の会の会員の方のお気持ちはわかりますし、
犯人検挙に尽力されている関係者の方もご苦労も理解します。
おそらく、会員の方々は、時効をなくせばそれでいいと思っているわけではなく、
犯人を明らかにして捕まえてほしい、と思っているのでしょう。
そういった思いが時効で断ち切られてしまうことの虚しさもわかりますが、
時効廃止が有効かどうかは疑問です。
有効かそうでないかは難しい問題ではあるが
国民感情からして廃止しなければならないでしょう。
死刑継続か廃止かの論議とダブッて見えます。
これがどういう意味か分かりませんが、私自身は死刑に対しても否定的な意見です。
ただし、被害者の個人感情として犯人を死刑にしても飽き足らないという気持ちは十分わかります。
また、死刑がある以上、それを望むことも死刑判決が出ること死刑が執行されることも否定するものではありません。
時効廃止については、本文でも述べたように十分理解できるものですし、25年の時効を35年にすることの意味はあるかもしれませんが、永久に犯人探しを続ける意味はあるのか、ということです。
結局、未解決事件が累積として増えていくだけ、あるいはここまでやってもダメならどうせダメと捜査をあきらめる事実上の時効ができるだけではないでしょうか。
時効を延ばして、あるいはなくしてすべての事件が解決できるならそれに越したことはありません。
でも現実にはどれだけ捜査関係者が努力しても被害者関係者だけでなく社会全体が犯人逮捕を切望したとしても解決しない事件はあります。
事件から100年経っても犯人を追い続ける意味はどこにあるのでしょうか。
また、被害者の遺族は子々孫々にわたって犯人探しの業を背負って生きなければならないのでしょうか。
ある程度で(または段階的に)積極的な捜査は打ち切って、何らかの形で新証拠が出てきた場合に再び捜査を開始すれば良いのでは。
時効廃止の最たる理由で遺族にとって最も苦しいのは「犯人が見つからないこと」より「犯人が出てきたのに裁かれないこと」ではないでしょうか。
あなたは前半で
>「時間がたつと遺族の被害感情は薄れる」ことはないというのも納得します。
っておっしゃっていますが後半では
>事件から100年経っても犯人を追い続ける意味はどこにあるのでしょうか。
また、被害者の遺族は子々孫々にわたって犯人探しの業を背負って生きなければならないのでしょうか。
それなのに意味は?などと発言しているということは正直、納得してないでしょ?
背負うという表現は被害者遺族に対して良い表現だとは私は思えません。
100年たとうが、1000年だろうが被害者遺族は真相と犯罪者に罪を償ってほしいと思うのが普通ではないでしょうか?時間が経って仕方なかった、事故だったんだとは到底思うことは出来ません。
時効という制度に、意味はあるのでしょうか?
永久に犯人探しを続けろというのではなく(もちろん被害者側にはそういう気持ちもあるでしょうが)、一定期間逃げおおせたらもう罪は問わないという、捜査期間終了=罪の終了(時効成立)という図式に対して多くの人が違和感をもっているのだと思います。
時効廃止が現実的でないというなら、一定期間過ぎて成果がでないなら捜査を打ち切らなければならないという制度をつくれば良いだけでは。
>時間が経っても遺族感情が薄れるわけではない
という記述と
>子々孫々にわたって犯人探しの業を背負って
が矛盾するというご意見については、
矛盾してないと考えます。
「遺族」をどうとらえるかの観点の違いです。
自分の親兄弟子供を理不尽にも殺された、
私はその方々を遺族と呼んでいますが、
その方たちが犯人に対して倍返しくらいの感情があってもちっともおかしくないし、
その感情が時とともに薄れることはない、と思います。
しかし、被害者も直接の遺族も知らない孫、曾孫、玄孫、たちに何年経っても行方の分からない犯人を恨み続けることを強要することは果たしてどうなのでしょう。
1000年前の事件の犯人に罪を償えという感情は理解できません。
100年という数字を出したのは、100年経てば犯人も死んでしまっていると考えるのが普通だからです。
犯人が死んでしまえばもう公訴されることはないのに、犯人が分からないから捜査し続けなければならないのは変だと思います。
その意味で、お名前を書かれずにコメントされた2つの意見、
>ある程度で(または段階的に)積極的な捜査は打ち切って、何らかの形で新証拠が出てきた場合に再び捜査
>一定期間過ぎて成果がでないなら捜査を打ち切らなければならないという制度
この意見は理解できます。
私はその捜査を打ち切る期間が時効だと思っています。
新証拠が出てきたら再捜査というのも理解できます。
(現実的には難しいと思いますが)
ただし、これも制度化しないと捜査機関の恣意的な判断で決められます。
また、時効とどう違うんだという議論も出るでしょう。
一つ言っておきたいのは、時効になっても罪が許されるわけではないということです。
実務上、罪が問われないだけです。
真犯人は一生罪を背負って生きなければなりません。
「遺族」を限定的に定義する意図は全くありません。
当然ながらそれ以外でご自身が遺族であると考えておられる人々を排除するものではありません。