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死刑請求と死刑廃止論

2007-09-13 00:03:57 | Weblog
「死刑に」厳罰望む遺族調書=11月末までに精神鑑定-秋田連続児童殺害・地裁 (時事通信) - goo ニュース

遺族にしてみれば「犯人を死刑に」と思う気持ちは当然かもしれない。

特にこの事件のように犯人と直接の利害関係が考えられない子供を殺す。

事件を事故扱いでなく事件にするために連続事件に仕立て上げようとした
犯人に次の被害者にされてしまった。

遺族の無念さは計り知れない。

しかし、それでもなお、遺族の悲しみを厳罰の理由にするのはいかがなものか。
遺族の悲しみを無視しろというわけではありません。

たとえ犯人を死刑にしたって、悲しみが癒えるわけではないし、
かといって死刑でなければ犯人が社会復帰する可能性があるわけで、
それこそ、はらわた煮えくり返る思いでしょう。

でも、よく思うのは、
みんなから愛され可愛がられた人が殺されたのは悲しいし、
犯人を厳罰に処してほしいと思うのは人情だけど、
じゃあ、身寄りなくつつましやかに暮らしていた人、
死んでも悲しんでくれる人のいない人が殺されたら、
犯人の罪は軽くて済むのか、ということ。

もっといえば、
被害者と直接の利害関係がなく、金銭目的などの強盗殺人でも
他人から嫌われてるような人を殺しても罪は軽いのか、ということ。

そんなことないよね。

多くの裁判で遺族の感情は死刑求刑の大きな根拠の一つになっているが、
本当にそれでいいのかという議論もされるべきだ。

私は死刑廃止論者ではありません。
死刑そのものに異議を唱える者ではない。

しかし、それは犯罪が死をもって贖われるべきものである場合で、
遺族が犯人を死刑にしろと言っているからではない。

ここで例に出すのは適当でないかもしれないが、
光市の事件では、被害者の遺族の意向にかかわらず、
死刑が妥当なんだろうなと思う。

それは犯罪抑止力や、見せしめ効果を狙ったものではなく、
純粋に犯罪の内容が死刑に値すると思うから。

遺族の意向を検察が言えば言うほど、
逆に死刑廃止論者を奮い立たせる気がしてならない。

なお、今回の遺族が死刑を希望する理由の中にも、
同じ様な犯罪の抑止が言われているようだが、
ご承知のように「死刑に犯罪抑止力はない」と言われている。

憲法によって「残虐刑は禁止」されているが、
死刑が残虐刑かどうかは議論の分かれるところである。
(最高裁判例では残虐でないとされているようだが、60年も前の判例である)

死刑が確定してもなかなか死刑を執行しないで、
日々死刑の恐怖におびえながら監獄にいることこそ残虐だという意見もあるし、
死刑を廃止しても、一生監獄の中に閉じ込めるのは残虐という意見もある。

今の日本で死刑廃止論が大勢を占めるとは思えないが、
それでもなお遺族が言うから死刑にするというのはどうなのか。

それは、国家による復讐の代行ではないのか。

繰り返すが私は死刑廃止論者ではない。
死刑に値する犯罪なら死刑にしていいと思う。

実際には死刑が凶悪犯罪抑止に大した効果はないとしても、
多くの国民はそう信じているだろうし、わたしもそう思いたい。

しかし、遺族の意思、意向に基づいて死刑を求刑することが、
逆に死刑廃止論者に突っ込み所を与えているような気がする。

被害者は生き還らないのに、犯人がのうのうと暮らすのは許せない、
という人もいる。
これも感情としてはよくわかる。

犯人はたとえ法的な贖罪が終わっても、
罪は一生背負って生きるべきだと思うけれど、
「人殺しには死刑を」という意見には賛成しかねる。
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