ビジネスの常識として言われ続けてきた「ほう・れん・そう」
報告、連絡、相談、の報・連:相で「ほうれん草」と言うわけだが、ずっと疑問に思っていた。
それって3つとも上から目線だよね。
つまり、上司から見たこうあってほしい部下の姿。
部下が上司に報告し、連絡し、相談する。
上司は部下が報告してくる、連絡してくる、相談してくるのを待ってやしないか。
だから、あいつは報告が無い、連絡が遅い、相談してこない、ダメな部下だ、となる。
上司は多くの部下を抱え、多くの案件を同時にこなしているのだから、部下から言ってこないと対応できない。
しかし、本当にそうか。
部下が言ってこない、聞いてこない、相談してこない、のはなぜなのか。
どういう内容を報告するように、どういう時には連絡しなさい、何か相談したいことがあるのじゃないか、
と部下の行動がしやすいように誘導したか。
最近、と言っても何年も前からだが、「お・ひ・た・し」が上司向けの格言として言われているらしい。
お:怒らない
ひ:否定しない
た:助ける
し:指示する
ということらしい。
昔の職人のように仕事は見て覚えろ、技は盗め、なんて言っていると部下は育たない。
報告したらそれじゃ不十分だ、連絡したらそんなことは聞いてない、相談したらそれぐらい自分で考えろ、
何がどう違うのか、報告しても叱られ、連絡の指示もなく、相談は頭ごなしに否定される。
モチベーション下がる一方。
今もやっているかどうかわからないけど、昔、評価に目標達成度というのがあった。
期首にその期の目標を設定し、期末にそれがどこまでできたかを評価するもの。
一見、実力主義に即した良いやり方に思えるが、目標を立てるのは部下自身で達成難易度も部下が決める。
期末評価も部下がまず行って上司がそれを見直すことが多い。
こりゃあ、上司は楽。
本来であればどういう風に育ってほしい、今期はここまでやってほしい、これは楽にできるだろう、これは難しいかも等々、
上司が部下の一人一人の育成計画を立てて業績や業務の目標を設定する、あるいは部下と相談しながら決めるのが本筋。
まともにやれば、上司にとって大変な作業になる。
だから、営業だったら受注金額だとか、現業部門だったら売り上げだとか、数字でわかりやすい目標になりがち。
もっと上からは簡単に達成できるような目標はダメだ。精一杯頑張ってやっとできるくらいの目標を・・・と言われ、
出来もしない数字を押し付けられる。
それでできないと約束した数字ができてないと罵られる。
それじゃモチベーションも下がってしまう。
その日々版が報連相。
報告内容がお粗末、連絡が不適切、相談内容が陳腐って、それは上司の責任だよね。
「おひたし」というと、いちいち指示しないといけないのか、助けてやればいいってもんじゃない、
ダメな「報連相」だったらダメだと言うし、怒りもするって、と聞こえてきそうだ。
報連相自体がダメというわけではないが、待ちの上司の象徴のような標語に聞こえるのは私だけでしょうか。
報告、連絡、相談、の報・連:相で「ほうれん草」と言うわけだが、ずっと疑問に思っていた。
それって3つとも上から目線だよね。
つまり、上司から見たこうあってほしい部下の姿。
部下が上司に報告し、連絡し、相談する。
上司は部下が報告してくる、連絡してくる、相談してくるのを待ってやしないか。
だから、あいつは報告が無い、連絡が遅い、相談してこない、ダメな部下だ、となる。
上司は多くの部下を抱え、多くの案件を同時にこなしているのだから、部下から言ってこないと対応できない。
しかし、本当にそうか。
部下が言ってこない、聞いてこない、相談してこない、のはなぜなのか。
どういう内容を報告するように、どういう時には連絡しなさい、何か相談したいことがあるのじゃないか、
と部下の行動がしやすいように誘導したか。
最近、と言っても何年も前からだが、「お・ひ・た・し」が上司向けの格言として言われているらしい。
お:怒らない
ひ:否定しない
た:助ける
し:指示する
ということらしい。
昔の職人のように仕事は見て覚えろ、技は盗め、なんて言っていると部下は育たない。
報告したらそれじゃ不十分だ、連絡したらそんなことは聞いてない、相談したらそれぐらい自分で考えろ、
何がどう違うのか、報告しても叱られ、連絡の指示もなく、相談は頭ごなしに否定される。
モチベーション下がる一方。
今もやっているかどうかわからないけど、昔、評価に目標達成度というのがあった。
期首にその期の目標を設定し、期末にそれがどこまでできたかを評価するもの。
一見、実力主義に即した良いやり方に思えるが、目標を立てるのは部下自身で達成難易度も部下が決める。
期末評価も部下がまず行って上司がそれを見直すことが多い。
こりゃあ、上司は楽。
本来であればどういう風に育ってほしい、今期はここまでやってほしい、これは楽にできるだろう、これは難しいかも等々、
上司が部下の一人一人の育成計画を立てて業績や業務の目標を設定する、あるいは部下と相談しながら決めるのが本筋。
まともにやれば、上司にとって大変な作業になる。
だから、営業だったら受注金額だとか、現業部門だったら売り上げだとか、数字でわかりやすい目標になりがち。
もっと上からは簡単に達成できるような目標はダメだ。精一杯頑張ってやっとできるくらいの目標を・・・と言われ、
出来もしない数字を押し付けられる。
それでできないと約束した数字ができてないと罵られる。
それじゃモチベーションも下がってしまう。
その日々版が報連相。
報告内容がお粗末、連絡が不適切、相談内容が陳腐って、それは上司の責任だよね。
「おひたし」というと、いちいち指示しないといけないのか、助けてやればいいってもんじゃない、
ダメな「報連相」だったらダメだと言うし、怒りもするって、と聞こえてきそうだ。
報連相自体がダメというわけではないが、待ちの上司の象徴のような標語に聞こえるのは私だけでしょうか。
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