言葉は時とともに変化していくもの。
本来の意味を離れ、意味合いが変わっていくのはある意味しょうがないことです。
でもまだまだ気になる使い方はあります。
障る(さわる)は、
・障害になる
・妨げる
・嫌な気になる
などなど、否定的な意味です。
気に障る、癪に障る、当たり障りのない、等々。
一方で同じ音の触る(さわる)を使う言葉も多い。
手触り、肌触り、舌触り、等々。
手触りや肌触りは感触のことを言っているので良し悪しには言及していない。
したがって、「手触りの良い」もあれは「手触りの悪い」もある。
手触りや肌触りの様に「体の一部」+「ざわり」は「触り」(感触)の意味が多い。
そこで、耳ざわりも本来の「耳にさわる」=聞こえの悪い文言、嫌な音
の意味からずれて、音としての感触の意味に捕らえられ、
「耳ざわりの良い」という表現がまかり通るようになりました。
ただ、その場合は(本来はおかしいけど)「耳触り」あるいは「耳ざわり」と
書くべきだろうと思っています。
「耳障りの良い」では、意味が通じない。
ただ、個人的には「耳触りの良い」のは「聞こえの良い」ことではなく、
本当に耳に触れるもの、例えばイヤーマッフルとか、イヤーウォーマーとか
ヘッドホンとかイヤホンとか耳かきとかの感触を表す場合に
使ってほしいな、という気はしています。
なお、「体の一部」+「ざわり」であっても、目障り(めざわり)を
「目ざわりの悪い/良い」は聞きませんから、「さわり」がすべて「触り」に
なったと考えるのは早計のようです。
*
滑舌は舞台や放送関係者が使う、いわば業界専門用語でしたが、
「滑らかに喋る」意味で元々は「滑舌が良い」場合に使っていたようです。
それが「滑舌が悪い」ことを揶揄する使い方が広がり、今では
「滑舌が良い/悪い」が普通に使われています。
言葉が変化することも、一部で使われていた専門用語や業界用語が
ごく普通に使われるようになることも多々ありますから、
良いの悪いの、目くじら立てて言うほどのことではないのかもしれません。
本来の意味を離れ、意味合いが変わっていくのはある意味しょうがないことです。
でもまだまだ気になる使い方はあります。
障る(さわる)は、
・障害になる
・妨げる
・嫌な気になる
などなど、否定的な意味です。
気に障る、癪に障る、当たり障りのない、等々。
一方で同じ音の触る(さわる)を使う言葉も多い。
手触り、肌触り、舌触り、等々。
手触りや肌触りは感触のことを言っているので良し悪しには言及していない。
したがって、「手触りの良い」もあれは「手触りの悪い」もある。
手触りや肌触りの様に「体の一部」+「ざわり」は「触り」(感触)の意味が多い。
そこで、耳ざわりも本来の「耳にさわる」=聞こえの悪い文言、嫌な音
の意味からずれて、音としての感触の意味に捕らえられ、
「耳ざわりの良い」という表現がまかり通るようになりました。
ただ、その場合は(本来はおかしいけど)「耳触り」あるいは「耳ざわり」と
書くべきだろうと思っています。
「耳障りの良い」では、意味が通じない。
ただ、個人的には「耳触りの良い」のは「聞こえの良い」ことではなく、
本当に耳に触れるもの、例えばイヤーマッフルとか、イヤーウォーマーとか
ヘッドホンとかイヤホンとか耳かきとかの感触を表す場合に
使ってほしいな、という気はしています。
なお、「体の一部」+「ざわり」であっても、目障り(めざわり)を
「目ざわりの悪い/良い」は聞きませんから、「さわり」がすべて「触り」に
なったと考えるのは早計のようです。
*
滑舌は舞台や放送関係者が使う、いわば業界専門用語でしたが、
「滑らかに喋る」意味で元々は「滑舌が良い」場合に使っていたようです。
それが「滑舌が悪い」ことを揶揄する使い方が広がり、今では
「滑舌が良い/悪い」が普通に使われています。
言葉が変化することも、一部で使われていた専門用語や業界用語が
ごく普通に使われるようになることも多々ありますから、
良いの悪いの、目くじら立てて言うほどのことではないのかもしれません。
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