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再起動!負けねで、がんばる!

2013-06-23 17:10:04 | 徒然なるままに
半年ぶりの更新です。

この半年、まさに人生の転換期というような毎日を送っています。
かなり、プライベートだったり、デリケートな問題もあるので、詳細は書けませんが、なんとか日々を暮らしています。

その中で、一番の転換は、2月の引っ越しと、5月1日から旧姓に戻ったことです。
4月から職場もかわり、今年は中学校で700名近くの生徒に美術を教えています。

昨日、車も買い替えました。
まだ片付かない前の家の荷物を整理するために、軽のワンボックスカーです。
H14年式なので、ナビはついていないけれど、MDが聴けます!
引っ越しで壊れたMDデッキを捨ててしまって、MDも捨てるしかないかと思っていたので、ラッキーでした!

そうそう、携帯もスマホに変えました。
マンションに引っ越す時に、J:comのスマホバリューというのに入るために。
ようやく最近、使い方がわかって来て、なかなか便利に使っています。
車のナビ代わりにもなってくれるし、文字や画像を拡大して見れるし。
そうそう、Facebookも始めたのでした!

PCも、4月以来、変なウィルスが入って起動どころかシャットダウンもできない状態でいたのを、遠隔サポートで起動できるように治してもらいました!そのお陰で、いろんなことを教えてもらえたし。ブログも更新できるし。


4月の最初の授業で、生徒達に、
「『吐く』と言う言葉から「-」を無くして「+」だけに変えていくと、『叶う』と言う字になる。弱音を吐かずに、マイナス思考をプラス思考に換えて、夢を叶えよう!」
と呼びかけました。

この半年で、失ったものも多いけれど、新しく得たものや取り戻したものは、それをはるかに凌駕するものがあります。
それでも『断・捨・離』に徹することは、私の性格上、非常に難しく、全てが片付き一段落するには、年内いっぱいかかると思われますが・・・。

まず、目の前のやるべきこと、自分の足元をしっかり固めること。
一歩一歩、前進あるのみ!
一年後、五年後、十年後に、なりたい自分になるために!
過去と他人は変えられないけれど、未来と自分は変えられる。
宿命は変えられなくても、運命は変えることができるはず!

因果応報、自業自得。
でも、それは、新しい成長した自分になるために、失敗することも経験のうちだと考えて。
人のせいや環境のせいにはしない。
失敗から学んでこそ、他人の痛みも分かる、挫折からの立ち直り方の分かる、器の大きい人間になれる。

幸せは、自分が決める。
自分を好きになる。
吾唯足知。
自分自身を生きる。
感謝の気持ちを忘れずに生きる。
残り少ない52歳を、充実させて生きる。

今年のテーマは『脱皮』。
虫や蛇は、古い皮を脱ぎ捨てたばかりの身体は弱弱しいけれど、『世間』という冷たい風に晒されないと、自分の色は出てこないのだと言う。
50歳を過ぎての再出発は、かなりハイリスクだけど、伊達に苦労はしていない。
挫折ばかりの人生だったけど、ここから巻き返す。
潮は満ちた。今が潮時だ。


6月に、石巻で高校の同期会に参加してきました。
私の苦労や苦しみなんて、故郷の皆の苦労や苦しみに比べれば、物の数にも入らない。
本当に「生きてっと、いろいろあるよね…」
にもかかわらず、みんな、明るく、優しく、たくましかったです。
まさに、校歌にある様な『甲斐ある人』として、家庭で、職場で、地域で一生懸命生きている同志たちです。
心から尊敬し、同窓生であることを誇りに思います。

私も再起動で、「負げねで、がんばる!」

新年に向けて

2013-01-09 00:52:32 | 徒然なるままに
新年おめでとうございます。

今年の私のテーマは『脱皮』

古い物を脱ぎ捨て、常に再生しながら、成長する不完全変態。

人生の転換期にぴったりのテーマだと思う。

去年は公私共に、今までで一番過酷な1年間だったかもしれない。

何より、怪我をしてしまったのは、全てにおいてマイナスだった。

でも、だからこそ見えてきたものもある。

怪我をしてしまったのは、身体だけでなく、精神的にも追い込まれていった。

でも、これもまた、だからこそ得ることができた出会いもあった。

その渦中にいる時は、八方ふさがりで、前も、周りも先も見えずに、いたずらに不安と自己嫌悪にさいなまれていた。自己肯定感の欠片もない、失意の日々だった。そういう時は、考え方もマイナス思考となり、やることなすこと全部裏目に出て、ますます自己嫌悪に陥って、自信を失くして行くという、負のスパイラルから抜け出せなくなっていった。怪我以上のストレスからくる体の痛みは、心まで塞がせ、笑わない、笑えない日々が続いていた。

でも、そんな自分を支え、励まし、時には叱責し、寄り添って、一緒に悩み、怒り、泣き、考えてくれたのは、家族であり、友人たち、同僚、そして、教え子たちだった。

12月は、毎日がつらい、自分との戦いだったところに、年末に寝耳に水のような災難が訪れ、どん底に突き落とされた。

でも、落ち着いてそのピンチを乗り越えられたのも、ずっと支えてくれてきた友人たちと、医療機関、相談機関、上司の配慮のおかげだった。本当に感謝している。

正月に、帰る予定ではなかったのに、帰省することになったり、いろいろな予定が急きょ変わって行ったのだが、結果的には、それがどんどんプラスに転化して行くのを実感できた帰省となった。

私はけして一人ではないこと、故郷が立ち直ろうとする姿に大いに励まされ、刺激され、元気と勇気をもらうことができた。

そこに久々に集合した家族や、困難の中、笑って必死に生きている同級生達からも。

今は、まだその渦の中からねけ出せているわけではないが、ようやく怪我も治り、公私ともに、来年度に向けての方向性も決まり、気持も立ち直ってきた。

今年の努力目標は、気力、体力、笑顔だ。


1月3日、弟が車で津波の後の被災地に連れて行ってくれた。瓦礫が撤去され、更地となったところ、そこにまた新たに家や店を立てて頑張っているところ、逆に、誰も住まなくなったところ、あの震災、津波のまま撤去を待っているところ、様々な1年10カ月後の姿だった。

その中で、印象に残り、涙が出るほど勇気をもらったのが、石巻市雄勝町の荒浜海水浴場にあった、漫画家井上雄彦氏の壁画だった。

『いじめをどう考え、乗り越えさせるか』

2012-10-28 10:51:44 | 担任雑記
10月28日(日)

昨日は、『いじめをどう考え、乗り越えさせるか』というテーマのディスカッションに参加してきた。

いじめとは、文部科学省の定義によれば、「当該児童生徒が、一定の人間関係のある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じているもの」とされている。

大きく分けると、異質排除(無視、シカト、仲間はずれ、差別、蔑視など)と同質強要(パシリ、万引き仲間など)、そして、その傍観者たちという『いじめの3構造』になる

これは、子どもの世界、教育現場だけでなく、集団があれば、古今東西、どこにでも起こりうることで、それは、絶対に無くならないものだと思う。
家庭内でも、地域でも、社会の中で、国際間で、あらゆるところで起きているのだ。
まして、『変化の激しい、先行き不安な厳しい時代』、刺激的文化が氾濫する現代、いじめの形は多様化し、陰湿化している。

一方で、人とのコミュニケーションツールが乏しい、我慢や人の痛みを想像することができる成長過程を持たない生育歴の子どもたちは、自分が『いじめをしている』ことも『いじめを受けている』感覚も、他人に言われないと気づかないことが多い。
悪質なのは、『いじめをしている』のはわかっていて、あえて、ターゲットを定め、その子が不登校になるまで追い詰めると、次のターゲットを探す。
ターゲットにされたくないものは、率先していじめに加担する。と言う陰湿ないじめが実際に起きている。
いじめられる前に誰かをいじめれば、自分はいじめられないという自己防衛からのいじめもある。
時には、いじめていた側が、何かの瞬間にいじめられる側になるという、いじめの逆転が起こることもある。人を責めるというのも『いじめ』だということを知らない正義感の強い人たちによって。

また、いじめられた子は、そのうっ憤を、また別の、自分より弱い立場、甘えられる人への暴力となって表現するか、それすらもできない時は、自虐的行為となって自殺にまで至ってしまう。この虐待の連鎖はあまりに痛ましい。


昨日のディスカッションの中で、自分は、いじめられたことや、いじめをしたことはあるかという体験談コーナーがあった。
いろいろな体験談を聞きながら、いじめられたことも、自分がいじめたことも、辛い嫌な思い出ではあるが、それも成長過程、人格形成の中で、避けては通れなかった、貴重な体験として語っていらっしゃる方もいた。
今、教師となり、また、親となって、子ども達に教え導き育む大人として、いじめられた経験も、いじめた経験もないのは、何を持って『いじめ』の指導ができるのだろうか。
いじめられた辛さ、それを乗り越えることができたのは、どんなきっかけがあったのか、
いじめる側の気持ち、なぜ、そういうことをしてしまったのか、そのことを後後どう思って生きてきたのか。どうすれば、いじめなくてもすんだのか。

いじめは撲滅はできない。でも、深刻化を防ぐことや、乗り越えることはできるはず。
己の辛い体験は、その時に役に立つ。

トラブルは、その子自身が追い詰められている背景やそこから生まれる発達要求を理解したうえでの指導でなければ、その場はおさめられても、必ず同じことが繰り返される。
強い指導をすれば、今度は、教師の見えないところで、陰湿化して行くのだ。

トラブルは、やられている子どもだけでなく、トラブルを起こす子どものSOSだという視点を持つべきだ。
・その子は、教室に居場所があるか?みんなから浮いてはいないか?
・その子はその子を取り巻く環境(家庭、学校、塾、習い事、友人関係など)で、虐待を受けてはいないか?
・特に、家庭では、ネグレクト(育児放棄)されてはいないか?

どれかに当てはまっているなら、その子の問題行動はSOSなのである。
・大人や、周りの子どもから厄介者扱いされているSOS
・教師に支援を受けたい、構ってほしいための「入場券」としてのSOS
・たすけて!気がついて!どうしていいかわからない!HELPを求めるSOS
・自分の欲求が満たされない、抑圧されていることへの自分の心のバランスを保つための「安全弁」としてのSOS
・自分自身の不安や問題を解決する他の「問題解決手段」としてのSOS

これだけ追い詰められている子どもは、問題行動を起こしているときは、周りが見えていない。自分が何をしているのかも分からない。どうしてそんなことをやるのか問い詰めても説明できないし、謝ることも、反省することもできない。もし、わかっていてやっているとしたら、そういうことをやっている自分に対しての自己嫌悪でいっぱいになってしまうだろう。

目の前で起こっているいじめについて、その場その場の対応に追われるのでは、いたちごっこになってしまう。
まずは、問題を起こしている子どものSOSを受け止め、そのSOSにどう対処できるか。一人では無理な場合、家庭や学年間、学校間の連携、相談機関や医療機関との連携も必要になってくるだろう。
その年齢になるまでの生育歴や環境が要因になっている場合は、短期間での改善は難しいし、短期間で立て直せるなどという考えは、むしろおこがましい。
今できる最善を尽くす。せめて、クラスが、学校が自分の居場所なんだと思えるようにしてあげられるような努力はしなくてはならないと思う。
また、学習について行けない不安や不満の場合は、学習面でも自信がつくような見立てと支援も必要になるので、家庭や学校間での連携、協力体制も考えて行かなくてはならない。
特別なニーズを必要とする児童の場合は、担任が一人で抱え込むと、教師自体が疲弊し、自信を失い、余裕がなくなってしまうので、特別支援の専門家と相談して対策と手立てを考える必要がある。


いじめを乗り越えるには、いじめられてエネルギーが0以下になっている子どもに、「立ち上がれ」も「立ち向かえ」も「耐え忍べ」も「立ち直れ」も、一人ではできないことを理解しなくてはならない。
まずは、共感的理解。支援、応援。「一人じゃない」「守られている」という安心感を与えて、不安を取り除くこと。

リーダー集団を育てること。問題を起こしている者と、まじめにやっている者との間にいる、どっちにもなびきそうな者たちを正義の方に引き寄せられるリーダー集団を育てる。正義が通らないクラスにしない。真面目にやっている者が損をしない、被害を受けないクラス作りを目指す。


クラスからいじめをなくす。いじめのないクラスづくりとは?
いじめることよりも、もっとおもしろいこと、友達と仲良く遊ぶこと、勉強することのほうが、ずっと楽しいと思えるようなクラスづくりをする。これが結構難しくて、手間がかかる。
家や塾や習い事で嫌なことがあっても、クラスのみんなに受け入れられている、ここには自分の居場所があると思えれば、クラスの子に八つ当たりや暴言、暴力をふるったりはしないのでは?
何でもいいから、自分にはこれがある、これが好き、これが得意と思える教科や一芸を誉め、みんなから認められ、励まされる場と雰囲気を作る。
保護者や、他の先生方と連携を取り、いじめは芽のうちに迅速に対処し、深刻化させない。アンテナを高くする。

いろいろな本を読み、講演会や講習会、学習会、研修会で実践報告を聞きに行って勉強はしているつもりだが、やはり、例は例。
今、目の前の自分が受け持っている子ども一人ひとりと向き合っていかなければ、クラスからいじめはなくならないだろう。


教師の指導力とは?
強い指導で、言うことを聞かせ、規律正しくきちんとさせることだろうか?そう言う時も必要だろう。
でも、子どもは同じ間違いを繰り返しながらも、少しずつでも子どもの内面を良い方向に変えていくことではないだろうか。
人の道からはずれずに、なりたい自分になるための方向性を指し示し、教え導くのが指導者ではないだろうか?

「子どもはけして退化しない。たとえ、去年できたことができなくなっていても、わき道にそれて歪んだ性格になっていたとしても、子どもは日々成長している。自分で判断し、自己決定、自己実現ができるように、自己肯定感が持てるように、教え導くのが教師だ。」
「ギャングエイジを乗り越えてこそ、人間になる」
「教えるとは、未来を共に語ること
 学ぶとは、真実(まこと)を胸に刻むこと ルイ=アラゴン「ストラスブール大学の歌」より」
「学校とは、人間の大切さを学ぶところ」市川・不二女子高等学校壁画

たくさんのパワーをもらい、大切なことを学んだ貴重な時間だった。
ここで学んだことを、自分の学級経営に生かして、子どもたちも私自身も、明るく元気で楽しいクラスになるようにがんばりたい。

そのためにも、早く怪我を治して、心身ともに健康で、時間的、肉体的、精神的に余裕のある生活を心がけよう。
私が弱っていては、子どもたちのSOSもキャッチできず、受け止めて(共感的理解)立ち向かう気力体力がエネルギー不足になってしまうから。

「北風と太陽」

2012-10-21 18:14:14 | 担任雑記

10月21日(日)

昨日は授業参観だった。
国語は、「わすれられないおくりもの」。算数は、「ふたけたのわり算」を展開することになった。
当初の予定が、私の怪我のために大幅に変更になってしまった。

前夜、当日の授業で使う教材を作りながら、どのように授業を展開すべきか考えていた。

「わすれられないおくりもの」では、この物語を通して学んだことを、アナグマへの手紙を書いて、それを発表し合う。その手紙の感想について、良かったところを発表し合う。
そして、自分にも、家族や友だちにもらった「忘れられない贈り物」があったら、それを発表し合う。

そのために、教室の壁に「わすれられないおくりもの」の絵本のカラーコピーを貼って、保護者が見てもストーリーがわかるような「わすれられないおくりもの」コーナーを作った。


急きょ、内容変更してやることになった算数も、仕掛けがたっぷりの掲示物教材を作った。

他の教室では、いろいろな掲示物が貼ってあり、そのクラスの特徴や個性が出ている。
うちのクラスの特徴や個性は…?
保護者は、どんなクラスの様子を見たいと思ってくるのだろう?
いろいろ考えて、私が出した結論は…。

先日、クラスでトラブルがあった時、私は予定していた授業を取りやめて、「言われてうれしい言葉といやな言葉」という授業をやった。
クラス全員に、その言葉を言わせ、黒板に書きだした。
言われてうれしい言葉は、ひらがな、漢字、カタカナで。
言われて嫌な言葉は、あえて全部カタカナで。
書き出された言葉を読んだ子どもたちは、様々な反応を見せた。
なるほどとうなずく子、自分もそうだと同意する子、でも、中には、嫌な言葉の文字を見るだけでその時の気持ちを思い出し、気分が悪くなったり、泣きだす子もいた。
その一方で、その嫌な言葉をわざと声に出して読み上げたり、黒板に勝手に落書きをしに来るようなお調子者まで現れた。
そうしたら、いつもは元気で笑顔いっぱいの子が、大声で泣き出したのだ。
ある子が、面白がってその子が嫌だと発表した言葉をその子に向かって連呼したのだ。
「何のための授業なの?よく考えて!」
泣きながら、その子はふざけていた子たちに向かって叫んだ。

言葉には魂が宿る。文字にすれば、その文字に意味があり、読む人の目を通してその人を励まし、生きる希望を与えることもできるし、その人の心を深く傷つけることもある。
だから、私は、言われて嫌な言葉をあえてカタカナで書いたのだと言った。
でも、それを読み上げた途端、その言葉は凶器となって人の心を刺してしまうのだ。

文字にしたらうれしい言葉でも、言い方によっては、不快な言葉、人を傷つける言葉になることもある。私は、「言われてうれしい言葉」をわざと意地悪そうな言い方嫌みたっぷりな言い方で読んでみせた。
それを聞いた子どもたちは、思いっきり不快な、傷ついた表情になった。

相手の心に届くような、言われた相手がうれしくなるようなフワフワ言葉は、いい方も大事だということを子どもたちが感じ取ってくれたらうれしい。

私は、その言葉を模造紙いっぱいに書いた。それも、「ワン・ピース」のチョッパーの絵を書いて、吹き出しとして。その掲示物を、教室の背面上部に貼った。

チョッパーは、いつもみんなが頑張ったプリントや宿題のノートに「がんばったね」はんことして押している.
運動会では、黒板一杯にルフィーと一緒に描いて、クラスを応援させた。
今回は,クラスのみんなを後ろからいつも見守り、応援してくれているイメージで。

そしてもう一つ。来週は席替えをするので、今のお隣の席の友達のいいところを見つけて、カードを書いてもらったのを「見つけたよ、友だちのいいところ!」と題して、模造紙いっぱいに貼り付けて、黒板に貼っておいた。

翌朝、登校してきた子どもたちは、大騒ぎ!
「先生、どうしてチョッパーが焦げているの?」
「ごめんね、絵の具が渇いたら、色が濃くなってたの」
「先生、この間の学級会の時の「言われてうれしい言葉」だよね、私が言ったの書いてあった!」
「先生、○○君は、私にちゃんと手紙書いてくれたかなあ」
「探してごらん。わざとばらばらに貼ってあるから。結構いいこと書いてあったよ」
そして、桜色の色画用紙に貼ったみんなのメッセージをチョッパーの模造紙の隣に貼った。
この掲示物が、功を奏したのか、授業参観で、たくさんの保護者が観に来て下さったせいか、この日一日、席を替わりたいだの、隣の子にちょっかいを出したり、嫌がらせをする子が一人もいなかった。国語や算数の発表の時も、お互いの発表の良いところを発表し合えたり、拍手や「(答えが)同じです。」という反応がいつもよりたくさんあった。
掲示物一つで、こんなに平和に和気藹藹と活発な授業ができるなら、もっとはやく取り組んで貼ればよかった、と思った。

と、同時に思った。
みんな、誰でも誰かに認められたがっている。
勉強やスポーツで目立つことができない子ほどそれは切実で、担任は常に、そうじや係活動、挨拶など、事あるごとにいいところを見つけては褒めたり励ましたりする努力を怠ってはいけない。
いつもやんちゃをして問題を起こす子も同じ。怒られたがっているというより、担任を試しているのだ。
でも、それ以上に、3年生ぐらいになると、教室での自分の立ち位置、ランク付け、居場所、グループなど、友だち関係が複雑になってくる。特に、男女別対抗意識も出てくる。
そんな中で、あまり話したことのない子や、いつもケンカばかりしている子が、実は自分のいいところを認めてくれて、励ましのメッセージを書いてくれたなんて、どんなにうれしいことだろう。
そういうメッセージを書いてくれた子に嫌がらせをしたり、暴力をふるう気持ちはなくなるのではないだろうか。

私の10のお説教よりも、友だちの一言メッセージの方がずっと効力があった。
私の指導は、「北風と太陽」の北風のように、自分の言うとおりにさせたくて、どんどん厳しく、追い込む指導になってはいなかったか?
正論や理詰めでたたみかけ、その場しのぎの謝り方をさせてはいなかったか?
だから、毎日同じことの繰り返しで、良くなるどころか、どんどんクラスの雰囲気が悪くなり,人間関係がギスギスしていってはいなかったか?
「言われてうれしい言葉」や「見つけたよ、友だちのいいところ」のメッセージは、まさに太陽に日射しだった。
自分は認められている。受け入れられていると思ったとたん、かたくなな心や、さびしい心が温かくなり、人にやさしく、穏やかに接することができるのだ。

その日一日、みんなの目はキラキラしていて、優しくて、帰りのあいさつの声も元気で、ニコニコ帰って行った。

とりあえず、嵐の一週間は過ぎ去り、台風一過の澄み渡った青空のような一日だった。

モチモチの木

2012-10-21 14:41:54 | 担任雑記


10月21日(日)

先週は、まさに、嵐のような一週間だった。
その前の週に、ムチ打ちになってしまい、4日間も安静状態だった病み上がりの身体には、かなりきつい毎日だった。
なんと言っても、子ども県展に出品する作品は下書きのまま。
金曜日には転校して行く児童のためのお別れ会の準備や半試合もやりかけのまま。
土曜日には授業参観があるのに、2日間も授業を休んで自習にさせたため、授業内容を変更しなくてはならない。
もう絶対に休めない!
はずだったのに、悪い時には悪いことが重なるもので、月曜日の夜、末娘が感染性胃腸炎のため発熱。5日間の出席停止になってしまった。



今回の図工作品『モチモチの木』は、先週、私がけがで休んだために、3時間ぶっ通しの図工の時間で仕上げなくてはならない。
私は、前夜のうちに、段取り良く進められるように事前準備を万端整えておいた。

にもかかわらず、絵の具道具を忘れてきた子がいた。
その○○君に私の絵の具を貸し、やり方を教えると、どんどんいい絵になっていった。
それを見たクラスのみんなが「すごい!」{きれい!」とほめながら、自分もはやくスクラッチをやりたい!と集中してやり始めた。
△△君がふざけっこをしかけて来ても、○○君は
「静かにしてくれる?俺、これやってんだから。△△君も、自分のを早くやれば?」
と注意したのだ。
これには周りの子も、△△君もびっくり。
普段のやんちゃぶりとはまるで別人のように、絵に集中する○○君に、△△君はふざけっこをしかけるのをやめて、○○君の絵を見ていた。
その後、○○君の絵はどんどん仕上がり、
「先生、この後、どこをどうすればもっといい絵になるんですか?」
と聞いて来たので、仕上げのためのいろいろな手法を教えると、自分で配置や色遣いを考えながら、自分でも満足できる絵に仕上げていった。
それを見ていた△△君は、先週下書きの紙を破ってしまい書き直しを渋っていたのだが、
「先生、俺にも紙ください」
と言ってきたので、新しい紙を渡したら、なんとか頑張って描きだした。
ざっと書いてすぐスクラッチをしたがるのを、○○君が
「ちゃんと塗りつぶさないと、削った時にきれいな色が出ないよ。」
と教えてくれ、それからの△△君はものも言わずに塗りつぶしに専念していた。

みんなも仕上げに入ってきて、仕上げのスタンピングのやり方をバラバラに聞いて来た時に、私が
「○○先生に教えてもらって。上手にできていたから」
と言ったら、みんなに
「○○先生、教えて~」
とか言われて、○○君はすっかりその気になって、みんなに上手にスタンピングの仕方を教えていた。

△△君をはじめ、みんなも3時間で仕上げ、片付けまで終わらせることができた。
特に、○○君は、私から借りた道具を全部きれいに洗って、
「ありがとうございました」と言って返してくれたのだ!!!
それを周りの子どもたちが、ビックリしながらもちゃんと見てくれていた。

最後に、
「子ども県展の出品申し込みに、もう一人追加できるのだけれど、誰か出す人はいますか?」
と聞いたら、みんなが
「○○君出せば~!上手に描けてるよ~!」
と、○○君を推薦してくれたのだ。
○○君は、
「先生、俺、子ども県展に出す!どうすれば出せんの?」
と、真顔で聞いて来たので、
「申込用紙に書いて、出品料150円払うんだけど、お母さんに相談してみてくれる?先生からもお母さんにお願いしてみるけど。」
と言ったら、
「俺も、お母さんにお願いしてみる!」
と言ってくれた。

果たして、夕方、お母さんに電話をしてお話をすると、○○君からすでに話を聞いていたのか、二つ返事でOKしてくださった。
お母さんは、絵が上手にできたことだけでなく、○○君が自分から「県展に出したいから、150円を払ってください」と言ってきたことや、授業中に集中して絵を描いて仕上げ、先生の手伝いをし、遊びをしかけてきた子に対して注意をしたり、友達にやり方を教えてあげたということがうれしかったらしい。


このところ、私は鬱状態で、自分の指導力の無さや、教師としての資質の無さに、自信喪失→自己肯定感の喪失→自己嫌悪の負のスパイラル状態から抜け出せないでいた。そこに自分が怪我をし、娘が病気になり、悪いことが次から次へと重なってばかりいた。
身体が弱ると、心まで弱り、心身ともにボロボロだった。
いろいろな人に、心配や迷惑をかけ、私はいつも、誰かに会うと謝ってばかりいた。

図工の授業は、自分としては満足できる状態ではなく、むしろかえって自信を失くしてしまうくらい、授業自体は成り立っていなかった。
けれど、夜、みんなが描いた絵を見ながら、本当によく3時間でこんなにいい絵に仕上げてくれたと、みんなの絵を見ながら涙が出てきた。

せめてもの自分の専門分野で頑張ろうと、意気込みすぎて挫折していた私を救ってくれたのは、またしても子どもたちだった。
私はまだ終わってはいない。
諦めたらだめた。
逃げてはいけない。
まだ、ベストを尽くし切っていない。

物言わぬ子どもたちの絵は、私にたくさんのエールをくれた。
 

つづく…

注意一秒、怪我一生

2012-10-13 15:35:38 | 徒然なるままに
10月13日(土)

怪我をした。頸椎捻挫。いわゆるムチ打ちだ。
初期の対応が、私の判断ミスのために遅れ、症状が悪化した。

幸い、最悪の事態は免れたが、周囲に多大な心配と迷惑をかけてしまった。

この怪我で学んだことは、忘れずに今後に生かしたい。
痛くて高い授業料となった。

顎下からの衝撃でも、その衝撃度が強ければ、脳しんとうを起こす。
その場合は、安静にし、けして頭を下に寝かせてはならない。
頭に血が上ると、血管が拡張し、頭に激痛が走る。特にこめかみ。

頭痛がする場合は、頭を冷やす。
首が痛む場合は、ムチ打ちになっている場合があるので、早めに整形外科に行って、レントゲンを撮ってもらう。
打ったその時に、痛みがなくても、後になるほど痛みが出てくる。
ムチ打ちの場合は、まず、首、肩、肩甲骨、背中、腰、骨盤、臀部と、痛みが日が経つにつれて下にさがってくる。
首を固定したり、腰にコルセットをする、痛み止めを飲む、湿布を貼るなど、ひどくなる前に医師の指示に従い養生する。

風呂は厳禁。特に頭痛がする場合は、身体を温めることで、頭に血が上り、頭痛がひどくなる。
マッサージもだめ。打った後の痛みは、炎症を起こしているので、炎症が治まってから施術を受けるようにする。

とにかく、安静にする。
頭を冷やして、身体をまっすぐにして仰向けに寝る。


怪我した状況については支障があって触れられないが、いろいろな人の助けがあって大事に至らなかったことに感謝し、とりあえず、舌を噛み切らなかったことを不幸中の幸いと思う。

いずれにしても、病気でも怪我でも、初期段階の冷静な判断と適切な対応が必要だと身を持って感じた。




石巻に帰省して ~同窓会と中村雅俊氏の講演会~

2012-09-30 21:29:18 | 徒然なるままに


9月30日

9月29日に、母校の創立100周年記念同窓会があり、出席してきた。
私が在学中は女子高だったが、平成18年度から男女共学校として校名も変わった母校。
各世代の同窓生が集まる中、同窓生の中にスーツ姿の男性が参加されているのが新鮮で、時の流れを感じた。

懇親会の後、総会があり、その後、俳優で歌手の中村雅俊さんを迎えての講演会があった。
故郷石巻市に隣接する女川町出身の彼の育った街は、壊滅的な被害を受け、未だ、復旧のめどが立たない。
震災後、中村氏は、毎月11日には故郷を訪れ、避難所や、役場、仮設住宅、被災した工場などを慰問し、彼のデビュー曲「ふれあい」にちなんで『ふれあいコンサート』を開いては、地元の人たちを励まし続けている。
「ふれあい」を聴くたびに、まるで、今の故郷のために歌っているような歌詞だと思う。

「ふれあい」 中村雅俊
http://www.youtube.com/watch?NR=1&feature=endscreen&v=SuHzH05ygzE


彼の講演の中で、心に残った言葉とエピソードを紹介する。
一つ目は、彼が慶応大学在学中に所属していた文学座での話。
文学座の大先輩の杉村春子氏は、大変厳しい方だったそうだが、杉村氏の代表作『女の一生』http://kankyakuseki.iza-yoi.net/WEBREVIEW/reviews/Onnano-Issho.htmlの中の主人公布引けいのセリフの、自分で選んだ道について、途中でそれは間違いだと気付いた時、
「間違いだと気づいたら、間違いでなくするようにしなくっちゃ」
というセリフが、いつも心の中に残っているのだそうだ。
人生は、常に二者択一を迫られる。しかし、たいてい、どちらを選んでも、多かれ少なかれ『後悔』が生じるものだ。たとえば車を運転する時の、いつも通る道の選択だとしても。
人生の岐路に立った時、どちらを選ぶのか。でも、選んだ道の途中で、その選択の間違いに気がついたとしても、最終的には、「それでよかったのだ」と思えるように、『間違いではなかった』ようにして行く生き方をすればいい。

全ての「間違い」について当てはまると言うのではないが、「自分で選んだ道」については、誰のせいでもなく、最後まで自分が責任を持つ。ということなのだろう。


もう一つのエピソードは、オノ・ヨーコ氏との出会い。
ある人のつてで、オノ・ヨーコ氏に会って話をした時に、中村氏は、
「私のことを知らないとおっしゃるあなたが、なぜ、私と会おうと思われたのですか?」
と質問したところ、
「あなたと出逢うことによって、運命が変わるかもしれないから」
と答えたのだそうだ。
まさに『一期一会』の精神だ。
初めて会う人に対する時、「この出会いがもしかしたら運命を変えるかもしれない」と思って会ってみる。
なんてポジティブで、アクティブな考え方だろう。
オノ・ヨーコ氏との出逢いと、彼女の言葉は、その後の中村氏の人との関わり方に、大きな影響を与えて行くのだ。
「Yes」と返事をすることは、何でもかんでも「はい」という「Yes man」とは違う。
自分の運命を切り開く鍵を握る「Yas」という言葉は、とても素敵な力を持っていると思った。

最後に、残念ながら生声で歌ってはもらえなかったけれど、女川出身の中村氏と宮城県栗原郡出身の宮藤官九郎が歌う「予定~宮城に帰ったら~」を紹介してくださった。この歌は、一回クリックすることで、義援金になるのだそうだ。
被災前の宮城県各地の美しく懐かしい風景をバックに、繰り広げられる宮城県自慢話。ぜひお聞きください。

「予定〜宮城に帰ったら〜」宮藤官九郎と中村雅俊とナンバーザ
http://www.youtube.com/watch?v=2hZn7upG_nA

同窓会の後、同期の仲間と「おばちゃんダべリング」をし、友人の案内で、仮設店舗でお土産を買い、地盤沈下した北上川の河口部付近を散策した。

今、台風17号が80㎝も地盤沈下した大潮の石巻を直撃しようとしている。
去年は、2つの台風が、津波に襲われた時と同じぐらいの冠水被害を出し、震災から半年後の被災地の人たちやボランティアの人たちの復興の努力を無に帰した。
先日通ってきた石巻の街は、一年前にボランティアをした時よりもずいぶん落ち着いてきて、瓦礫撤去されたところに新しい建物が立っていた。
地盤沈下したところは、土盛りをして嵩上げをしているが、毎日少しずつ地盤沈下しているのだそうだ。
NHKのニュースで、石巻が映るたびに、胸がざわめき、痛くなる。
去年のような被害が出ないことを心より祈る。

台風シーズン、今年もまた同じ悲劇が繰り返されないことを祈る。






「るろうに剣心」

2012-09-23 11:59:06 | 徒然なるままに

高2の娘と映画「るろうに剣心」を観てきた。
コミックの実写版なのだが、原作のコミックを読んでいなくても、十分楽しめる作品になっていたと思う。
特に、登場人物のキャラクターが濃くて、やり過ぎなくらいノリノリの役作りだったと思う。
アクションシーンは見ごたえがあり、原作のイメージとの遜色はなかったのではないだろうか。

観終わった後、母子での印象はだいぶ違っていた。
一番の違いは、時代背景の認識。
原作を読んでいず、幕末についての知識が乏しい娘にとっては、登場人物の相関図がわかりにくく、凄惨な印象だけが残ってしまったらしい。
戊辰戦争、新撰組、志士、明治維新、廃刀令、士族、新政府、清国とアヘン戦争・・・。
キーワードがたくさんあったが、すべて、原作を読んでいるか、幕末~明治維新の時代背景を知っているという前提で作られている映画だったと思う。

娘は、主人公の緋村剣心役の佐藤健君のアクションが見たかったらしい。
とりあえず、彼女の疑問点に関しては、観終わった後で解説はしたのだが…。
まあ、これをきっかけに、歴史に興味を持ってくれればいいのだが、NHKの大河ドラマも観ない娘が、興味を持つのはいつのことか…。たぶんこの先も「歴女」にはならないだろう。

ところで、佐藤健君は、映画化が決まった時に、「緋村剣心役は、佐藤健しかいない!」と言うほどの大抜擢だったそうだ。
彼は、「仮面ライダー電王」で主役をやり、その演技力が認められ、人気が出たのだそうだ。
NHKの「龍馬伝」で、龍馬の幼馴染みの岡田以蔵(通称・人斬り以蔵)役を演じ、師・武市半平太への忠義を尽くすひたむきさ故の人斬りの苦悩を見事に演じ切っていた。
今回の緋村剣心もまた、「人斬り抜刀斎」の異名を持ち、人切り時代の自分の犯した罪にさいなまれながら新しい時代を生きている。「人を生かす剣」を信条として、二度と人を斬らないため、嶺の方に刃をつけた「逆刃刀」を帯刀している。
元新撰組三番隊組長で、新政府の山県有朋の下で警官を務める齊藤一が、「人を斬らずに人を守る」と言う剣心を挑発して斬り合いをしかけ、
「人を斬らないための「逆刃刀」の刃が、己を傷つけることになる」
と言って、剣心の肩に「逆刃刀」の刃をくいこませるシーンが痛々しかった。
それを見た、剣心に新政府のために再び暗殺稼業を頼もうとしていた山県有朋が、
「悪かった。そこまでだ」
と止めに入るシーンが印象に残った。

新政府の要職についている人間の中には、新しい世の中を作るため、やり方は違っても、日本のために頑張っていた人達を、日本人同士を斬り殺し、大きな犠牲を払ってきたのだという自覚はあったのだろう。
山県有朋が、剣心のような腕の立つ当時14歳少年を、暗殺者として使ってしまったことへの申し訳なさが垣間見えたシーンだった。

娘とは、その後、岡田以蔵の話や、白虎隊の話、特攻隊の話、人間魚雷回転の話などをし、今の兄(23歳)や姉(21歳)、そして17歳の自分と同い年ぐらいの将来ある若者が、「新しい時代」を作るためにたくさん犠牲になった歴史があることを話した。

教育とは、怖いものだ。真っ直ぐな気持ちを持つひたむきな子ども達に、何が正義かの教え方を誤ってしまうと、国が滅んでしまうのだ。
子どもは「国の宝」なのだ。
暴力には暴力でしか戦えないのか?
そう教えたのは、誰なのか。
剣心に飛天御剣流の剣を教えた師は、そうは教えなかったはずだ。
剣心が、金の亡者に、
「金で買えないものがある。それは、お前が今、俺に乞うているものだ。それは命だ」
という言葉が、心に刺さった。
多感な少年時代を人斬り道具として使われた剣心が、この思いにたどり着くまでの壮絶な葛藤を思うと涙が出た。
己の剣の腕は、何のために使うべきだったのか。
「剣の心」と書いて「剣心」と読む。それを名乗る主人公の思い。
剣心のほほの十文字の傷は、夫婦になるはずだった男女「恨みの剣」による傷だったということを映画を見てから知った。彼の心に背負った十字架の重さと、己に課した「殺さずの剣」の誓いの重みを痛感した。佐藤健君の演技は、それを見事に演じ切っていたと思う。

興味をもたれた方は、以下のサイトを参考にご覧ください。

『るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-』コミック版
http://www.j-rurouni.com/

「るろうに剣心-明治剣客浪漫譚-」アニメ版
http://www.kenshin-tv.com/

「るろうに剣心」映画版
http://wwws.warnerbros.co.jp/rurouni-kenshin/index.html

「飛天御剣流」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A3%9B%E5%A4%A9%E5%BE%A1%E5%89%A3%E6%B5%81
http://page.freett.com/sukechika/meizi11/04kengi/meizi08-2.html

剣心のモデルになったと言われる尊皇攘夷派の熊本藩士河上彦斎(かわかみ げんさい)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%B3%E4%B8%8A%E5%BD%A6%E6%96%8E

佐藤健オフィシャルサイト
http://www.satohtakeru.com/

『仮面ライダー電王』
http://www.tv-asahi.co.jp/den-o/

NHK大河ドラマ『龍馬伝』キャスト岡田以蔵
http://special.infoseek.co.jp/entertainment/ryomaden/cast/17.html

石巻ボランティア日記 その後とこれから

2012-09-08 11:42:31 | 石巻ボランティア日記
8月31日(木)

40日間の夏休みが終わる。
と言っても、休みだったのは子ども達だけ。私はしっかり、出勤、出張、研修、日直と言ったお仕事があった。その中でもしっかり里帰りもしたし、各種勉強会にも参加した。懐かしい友達や、めったに会えない友達に会ったり、新しい友達ができたりと、たくさんの出逢いがあり、大切で、貴重な時間を過ごすことができた。

やりのこしたことはたくさんあるが、思いがけず得たものや、今までの苦労が報われるような嬉しいこともたくさんあった。
 
 明日から9月だ。また慌ただしくも賑やかな日々が始まる。
休みの間に、リフレッシュも、充電も、スキルアップも頑張ったけれど、それがいつまで持つか、ちょっと不安だけれど、ポジティブ、アクティブ、パワフルに、今できる精一杯を頑張るしかない!

 この夏いろいろな宝物のような思い出の中に、石巻帰省がある。
あの日から1年5カ月経って、故郷はだいぶ落ち着き、少しずつ元の生活に戻ってきたような地域と、あの日のまま放置されている地域との格差が著しかった。
 そんな中で、立町通りの仮設店舗の商店街の壁に、絵を描いている学生たちがいた。
声をかけると、名古屋造形大学の学生さんたちだった。私もその壁画制作に参加させていただいた。待ち行く人たちに声をかけて、壁画を完成させようとしているのだ。
 私も一筆、参加させてもらった。


 昨年は、猛暑の中の泥出し、瓦礫撤去作業のボランティア活動が主だった。
 今年は、帰省期間が短いため、仮設店舗での買い物や食事などをし、商売を立て直そうとしている人たちへの応援をしてきた。
 昨年、ボランティア活動を共にした人が言うには、瓦礫の分別作業などは、被災された人たちが、とりあえず現金収入を得るための仕事なので、今は、ボランティア活動としては、被災地に来て、作業ではなく、観光をしてほしいのだそうだ。被災地の商品を買い、食事をして、泊って行ってもらえることが、産業、商業の復興につながるということだった。

 
私は、それを千葉に戻ってからも実践した。
 8月25日、長生、茂原地区の宮城県人会の人たちと一緒に、千葉県茂原市での祭りに宮城県物産展の売り子として参加した。
 仙台の萩の月、石巻の白謙の笹かまぼこ、渡波の長寿味噌、奥松島の海苔、仙台の牛タン、松島の地ビール、銘酒「浦霞」と「一の蔵」、芋煮、そして、被災地の婦人会の手作りグッズなどを、石巻弁丸出しで、声を枯らして販売した。
おかげさまで、売り上げは上々。笹かまぼこは昼前に完売した。

お客様も、宮城県不出の「萩の月」や「白謙の笹かまぼこ」が、ここで買えるなんて!とたくさん買っていく人や、食べてみた途端、気に入ってお土産に買っていく人や、被災地支援として買って行って下さる人たちなど、売りがいがあった。

このことは、県人会の人たちだけでなく、その様子を知らせるだけでも、故郷の両親、友人、ボランティア仲間を感動させ、励ましたと思う。
こういう形の被災地支援もあるのだなあと思った。

玉川大学夏期スクーリングを終えて

2012-08-24 09:26:32 | 徒然なるままに
8月24日(金)

昨日で6日間の玉川大学のスクーリングが終わった。
千葉から片道2時間半、往復5時間の通学と、丘陵地に立っている構内の移動は、疲れと暑さとの戦いだった。

でも、今、6日間の講義を終え、すごい達成感がある。
講義を受けながら、自分がどんどんスキルアップして行くのを実感できた。
何度レポートを出しても、合格できなかった理由が分かった。
自分の勉強不足と認識不足を反省した。
講師の先生には、万難刳り合わせて、はるばる受講しに来た甲斐のある、ハイレベルで内容の濃い授業をしていただいたことを心から感謝している。
あの授業をするには、先生の長年の研究や実践の積み重ねの上にあり、事前の準備にはかなりの時間をかけていらっしゃるはずだ。
更に、この後、単位認定試験の採点、評価があるのだ。

自分でも教壇に立つ人間として、授業を受ける側よりも、授業をする側の方が何倍も疲れることは実感できる。
なおかつ、教育現場の最前線で頑張っている現役の教員や、専門家がたくさん受講しているのだ。緊張もあるだろう。
鋭い質問や、難しい質問にも的確に対応しなければならないのだ。
当たり前の事なのだろうけれど、本当によく勉強・研究され、実に様々な事例に対応されて来た方なのだなあと思った。

玉川大学のスクーリングは、これまでにも何度か受けてきたが、どの先生方も情熱的で、熱心な先生方が多い。

特に、受講生たちに対して、
「あなた方が、朝の9時にこの教室の、その席に座っていることが、どれほど大変な努力と周囲の理解と協力のもとに実現できているかを思うと、こちらの身が引き締まります。必ず単位を取得できるよう、誠心誠意、良い授業をがんばります」
というスタンスなのだ。こちらこそありがたくて頭が下がる。

実際に、日本各地から、また、海外から、様々な年齢や職業の方が、この玉川の丘に集うのだ。
私が出会った最高齢の方は、74歳。一番遠い方は、エジプトから来ていた。
看護師さんをしながら、栃木県から、夜勤明けに新幹線で通っている人もいた。

背中に「がんばろう 石巻!」と書かれたTシャツを着ていたら、女川出身の方(65歳以上の男性)が話しかけて来てくださった。
昨年、入学願書を出そうとしたら、震災に遭い、女川から引き揚げて来て、入学が1年遅れた。とのことだった。

本当に様々な出会いがあり、『同志』達にたくさんのパワーと元気をもらえた濃い『6日間』だった。

このモチベーションを下げずに、残りの単位取得の勉強を頑張っていきたいと思う。