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交流

オリンピック閉会 そして私の夏休み後半は…

2012-08-13 10:02:41 | 徒然なるままに
8月13日(月)

夏休み前半が終わった。
オリンピックも閉会した。
寝不足の17日間だった。
でも、たくさんの感動のシーンがあった。選手たちからたくさんの勇気をもらった。
悲願を達成できた人、目標に今一歩手が届かなかった人、チーム、それぞれだっただろうが、死力を尽くして戦う姿は、遠く離れた故郷日本のみならず、世界中の人たちを感動させたことだろう。
このオリンピックで引退する人、4年後にまた挑戦する人、次こそ出場して悲願を果たそうと思っている人は、4年後のリオデジャネイロオリンピックにはぜひ、後進を育て、連覇を、悲願を達成してほしい。
17日間、本当にお疲れ様でした。感動をありがとうございました。

私の17日間は、公私ともに、盛りだくさんだった。
前半は、保護者面談、秋の校外学習の下見、職員旅行での『オペラ座の怪人』観劇、各種研修会、展覧会など、2学期に向けてのスキルアップや学級づくりに大切な、貴重な体験ができた。
プライベートでは、なつかしい友人や、久しぶりに会う友だちと、大いに語り合い、互いの健康と活躍を讃えあえた。気の合う友だちとの食事や語らいは、お料理をより美味しくし、時間を忘れるぐらい楽しい。今はしょっちゅう会えるわけではないが、折にふれては思いだし、連絡を取り合い、展覧会を見たり、講演会に行ったり、観劇したり、会って食事をしたり、泊って遅くまで語り合う。
高校時代に、大学時代に、職場で、子育て仲間として、いろいろな時代に一緒に悩み、活動し、感動し、困難を乗り越えてきた同志たち。偶然の出会いから意気投合し、同じ目標を持つ同志たち。私の大切な友達。
彼ら、彼女たちからたくさんのパワーをもらった。私はけして一人ではない。遠く離れていても、心はいつもそばにある。私の弱いところもダメなところも、情けないところもみんな分かった上で友だちでいてくれる。構えない、抑えない、素直な自分でいられる空間と相手がいるということは、なんて幸せなことだろう。
30年以来、20年来の友人もいて、見た目はお互いに年齢を感じるようになったが、話しているうちに、気持ちはすっかり女子高校生、女子大生に戻っている。

この夏の貴重な体験のひとつに、子連れ同窓会があった。
末娘が、私の母校の大学を見たいというので、大学の近くに住む友人宅に泊めてもらうことになった。その晩は、青森から、小田原からも友人が子ども連れで集まり、にぎやかな同窓会になった。子どもたちは娘と同い年の高校生だけでなく、すでに社会人や大学生もいる。
末娘は、みんなから聞く、私の学生時代の話をどんなふうに思って聞いていたのだろうか。
「家に帰ったら、その頃の写真を見せてね」
「ああ、この子もまた、いつか、長男や長女、そして私のように、親元を、故郷を離れて、自分の生きる道、生きる場所にはばたく時がすぐそこまで来ているのだなあ…。」
と思った。

さて、今日は、夜行バスで石巻に帰省する。
明朝着いたら、墓参りをし、夜は中学時代の同窓会だ。
翌日は、高校時代の友人夫婦と会う約束。
明後日は、高校時代の友人とプチ同窓会。夜行バスで帰京。

18日からは、玉川大学でのスクーリングが始まる。
夏休み、ラスト一週間は、びっしり仕事だ。
2学期に向けての準備と教材研究を頑張るぞ!

というわけで、夏休み後半も盛りだくさんの予定が詰まっていて、熱中症や夏バテなんかに負けてはいられない。
スタミナ付けて、どんなことにも、笑顔で、フットワーク軽く乗り切って行こうと思う。

『おおかみこどもの雨と雪』 

2012-08-02 20:53:50 | アニメ



8月1日(水)

今日、『おおかみこどもの雨と雪』というアニメ映画を見てきた。
http://www.ookamikodomo.jp/index.html

観終わって、私はすごく落ち込んだ。
花が、うらやましくて、うらやましくて、うらやましくて・・・・。

そのまま、私は、『極楽湯』に行って、シャンプーをしながら泣いた。
私の嗚咽は、シャワーの音と浴場の喧騒にかき消されていたことだろう。
寝風呂で寝ていると、次から次へと涙があふれて来て、私は声も出さず、そのまま涙を流し続けていた。
涙は、私のささくれた心を潤し、淀んだ心を洗い流し、ひび割れた心を温めてくれた。

さっき見た映画のいろいろな場面や台詞を思い返していた。
自分と重なる部分・・・。
重ならない部分・・・。

花の言葉に。
彼の言葉に。
雪の言葉に。
雨の言葉に。
共感したり、気づかされたり、感動した。

花の最後の言葉は、巣立ちゆく我が子への母ならではのエールだ。
いつかこの日が来ることを望みながらも、あまりに突然訪れた巣立ちの時。
母として、我が子を信じ、旅立たせる時の心情が、今の自分とオーバーラップした。

彼女にそれを決心させたのは、彼の言葉だった。
彼は、ずっと見守っていてくれたのだ。そして、花が一番欲しい言葉をくれた。
その言葉が、本当にうらやましい。

雪の言葉には勇気をもらった。それはまた、同級生の草平君からもらった勇気のおかげだ。
ありのままの自分を見せる勇気。それは、自分を信じ、大切に思ってくれる人がいるから。

雨の言葉には、大切なことを気付かせてくれた。
自分にとって必要な、大切な「先生」とは、どういう存在か。
自分がいかに生きるべきか。それを指し示し、自らがその手本となり、導いてくれる存在。
彼がそういう存在と出会い、彼自身が自分で自分の生きるべき道を選ぶことができたのは、花のおかげだ。

私は、我が子たちに何を教えてきただろう。
何を伝えてきただろう。
何を大切にしてきただろう。
あの夢のような日々に、忘れ物をして来てはいないだろうか…。

我が子たちも、いつかは、愛する人とともに、家族を作り、父となり、母となる日が来るかもしれない。
その時、生まれた我が子を見て、どんなことを思うのだろう。

このアニメは、子どもたちはもちろん、これから大人になる少年少女、これからパパママになる若い人、今、子育て真っ最中のお父さん、お母さん、子どもがだんだん手が離れてきたミドルエイジ、「最近の若い親は!」なんて、思っている子育てからだいぶ遠のいたかつてのお父さんお母さんたちに、ぜひ見てほしい作品だ。

映像が美しい。
細野監督の故郷富山県がロケーションのモデルだそうだが、大自然の描き方が素晴らしい。真っ青な空と白銀の世界のコントラスト、嵐の雨の表情と、雨上がりの緑の眩しさがとても印象的だった。
花の声の宮崎あおいさんの演技と、彼の声の大沢たかおさんの演技も、とても自然で深みのある声だった。
特にあおいさんの笑う演技は、はにかみも、大声で笑うのも、無理に笑顔を作る時も、とても自然で良かった。

エンディングが最高だった。
エンドロールで流れる歌は、今も耳に残って、私を、すべてのお母さんたちを応援している歌だ。

夏休み、ぜひたくさんの人に見てもらいたい作品だ。


Hey Jude  自分次第

2012-07-29 08:54:11 | 徒然なるままに
7月29日(日)

ロンドンオリンピックが始まった。
開会式の演出は、とても興味深かった。
大英帝国というイメージではなく、イギリスの農民の生活から、産業革命の様子に変わっていくのが面白かった。
「指輪物語」~「モダンタイムス」という感じ?
聖火リレーも良かった。
ラストで、7人の10代のアスリートたちが聖火を交代しながら場内を一周し、歴代の金メダリストから受け取った火を、入場行進で各国が持っていた銅の花びらに点火すると、一つ一つの花弁が立ち上がり、大きな聖火台になった。聖火→聖花になったのだ。
開会式のエンディングを飾ったのは、ポール・マッカートニーが歌う「HEY JUDE」だった。
この歌は、ポールが、ジョン・レノンの息子(当時5歳)を励ます歌として作られたと言う。
ジュリアンの愛称がジュールで、当初は「Hey Jules」と歌っていたのが、ある時、「Jude」と歌ってしまったところ、こちらの方がいいということになって、「Jude」になったのだとか。

彼女(=思うようにならない現実)ととらえると、いろいろな場面での素晴らしい応援歌になる。

歌と画像は、下記にアクセスして、ぜひお聴きください。

http://www.youtube.com/watch?v=p2O9C2W1hA8

Hey Jude /Sir James Paul McCartney Jr

Hey Jude, don't make it bad
Take a sad song and make it better
Remember to let her into your heart
Then you can start to make it better

Hey Jude, don't be afraid
You were made to go out and get her
The minute you let her under your skin
Then you begin to make it better

And anytime you feel the pain, hey Jude, refrain
Don't carry the world upon your shoulders
For well you know that it's a fool who plays it cool
By making his world a little colder
 Na Na Na Na Na Na-Na-Na-Na-Na

Hey Jude, don't let me down
You have found her, now go and get her
Remember to let her into your heart
Then you can start to make it better

So let it out and let it in, hey Jude, begin
You're waiting for someone to perform with
And don't you know that it's just you, hey Jude, you'll do
The movement you need is on your shoulder
  Na Na Na Na Na Na-Na-Na-Na-Na

Hey Jude, don't make it bad
Take a sad song and make it better
Remember to let her under your skin,
Then you'll begin to make it
Better better better better better better, YEAH.
 Na na na, na-na-na-na, na-na-na-na, hey Jude...
 Na na na, na-na-na-na, na-na-na-na, hey Jude...
 Na na na, na-na-na-na, na-na-na-na, hey Jude...
 Na na na, na-na-na-na, na-na-na-na, hey Jude...
(repeat X times)


「ヘイ・ジュード」和訳歌詞

ヘイ、ジュード 落ち込むなよ
悲しい歌も少しはましにできるさ
忘れないで 彼女(現実)を君の心に受け入れるのさ
その時 全てが良い方向に向かいはじめるさ

ヘイ、ジュード 恐れるなよ
君は彼女(現実)を手に入れるために生まれてきたんだ
君があの子(現実)を抱きしめた瞬間
その時 全てが上手くいき始めるだろう

そして、君が辛い時はいつでも
ヘイ、ジュード 思い出して
全てをひとりで背負い込むことはない
冷静に振舞って、しらけたふりをするなんて馬鹿なことさ
それは君の人生を少しつまらなくするだけさ

ヘイ、ジュード がっかりさせるなよ
君は彼女(現実)を見つけて手に入れる事ができるさ
忘れないで 彼女(現実)を君の心に受け入れるのさ
その時 全てが良い方向に向かいはじめるさ

全てを捨てて 全てを受け入れろ
ヘイ、ジュード 始めよう
君は誰かが助けてくれるのを待っている
でもそれは君がやるべきことなんだ
ヘイ、ジュード 君ならできるさ
君に必要なことは君にしかできない

ヘイ、ジュード 落ち込むなよ
悲しい歌も少しはましにできるさ
忘れないで 彼女(現実)を君の心の中に受け入れるのさ
そうすれば 全て上手くいくさ

今、オリンピック選手や、甲子園を目指し、インターハイで頑張っている若いアスリートたちは、その厳しい現実に立ち向かっている。
本当のライバルは、強豪国でも、相手チームでもない。
昨日までの自分。
一番こわい敵は、自分の中の弱気な自分。
そして、誰よりも自分がほしい答えを知っている人は、自分自身。
そう、答えは自分の心の中にある。
だから、何事も、自分次第。
自分に必要なことは、自分にしかできない。

現実を受け入れることで、全てが好転に向かうかどうかはわからない。
でも、失敗から学ばなければ、次の成功はありえない。
なぜなら、失敗から学ばないものは、同じ失敗を繰り返すから。
ピンチをチャンスに変えられるかは、自分の気持ちの持ちようなのだ。

タイムが伸びない、いつもは失敗しないところで失敗した、結果が出せない…。
でも、それは、自分がやるべきことなんだ。
自分に必要なことは、自分にしかできない。
現実を受け入れ、ピンチを少しでも好転させられるのは、自分次第。

これは、スポーツには限らないと思う。
試験だって、恋愛だって、子育て、震災復興など全ての事に通じると思う。

7分11秒に及ぶこの歌の後半は、大合唱だ。
この大合唱が、オリンピックの開会式のエンディングで、会場に居合わせた人だけでなく、TVを見ていたたくさんの人達も、TVの前で「na na na・・・」とうたっていたことだろう。
歌いながら、すごく体の奥底からエネルギーが湧いてくる歌だと思った。

ジュリアン・レノンは、今、この歌をどこで、どんなふうに聞いたのだろう?

この「HEY JUDE」をきっかけに、新たなビートルズブームが巻き起こるかもしれない。

名曲は、次代を越え、世代を超え、国境を越えて、輝きを増しながら、人々を感動させるのだ。

私がこの歌に初めて出会ったのは、小学生の頃だった。
あの頃は、歌詞の内容も良くわからなかった。
あれから44年後、人生の岐路で、この歌にこうしてまた巡り会うことができたことを幸運に思う。


夏休み突入! 個別面談を終えて

2012-07-28 13:03:24 | 担任雑記
7月28日(土)

暑中お見舞い申し上げます


連日のうだるような猛暑、やっと夏らしくなった。

でも、7月も終わりというのに、蝉の声を聞かない。

梨も、8月20日を過ぎないと食べられないと言う。

6月は、水温気温が低すぎてプールの授業ができなかった。

季節が少しずつずれているのだろうか…。


先日、個別面談があった

私の個別面談のテーマは、暑い中、仕事の休みまで取って面談に来てくださった保護者の方に、

・来て良かった。

・話が聞けて良かった。

・話を聞いてもらってよかった。

・今日は、子どもの好物でも作ってあげよう。

というような、明るい元気な気持ちで帰ってもらうための面談を目指している。

35人中、ほとんどの保護者の方々とそのような面談ができたのでは?という自負はあるが、今回も、むしろ、私の方が励まされる場面がたくさんあった。

教室では、大人しい子ほど家ではおしゃべりで、教室では活発な頑張り屋さんが、家ではたれパンダ状態なのだと言うことだった。

大人しくてあまりめだたない子
「教室では、決まりを守って大人しくしていることが多いです。その分、お家ではのびのびして、お母さんには学校であった事を、ランドセルを下す時間も惜しんでたくさん話してくれているなんて、安心しました。2学期は学校でものびのびと、友達と一緒に、いろんな活動ができるように、声をかけていきます」

頑張りすぎるくらい頑張っている子
「教室で頑張っているくらい、家でも頑張っていたらどうしようと心配していました。家に帰った時に、ダラーっとなれたり、安心できたり、我がまま言えたりできるから、学校では頑張りすぎるくらい頑張ることができているんだと思います。
お家でもあんなに頑張っていたら、どこで「気を抜く」ことができているのかしらと心配していました。学校では、ちゃんとお掃除も勉強も頑張って、給食も残さず食べていますよ。
 お家に帰った時に、ダラーっとなれたり、安心できたり、我がまま言えたりできるから、学校では頑張りすぎるくらい頑張ることができているんだと思います。
お家でも頑張っていたら、どこで「気を抜く」ことができているのかしらと心配していました。学校では、ちゃんとお掃除も勉強も頑張って、給食も残さず食べていますよ」

下に小さい弟や妹がいて、一生懸命お兄ちゃんお姉ちゃんしている子
「○○君は、お母さんが家族のために頑張っていることも、自分を大事に思ってくれていることも分かっています。下のお子さんが眠っているような時や、月に1日だけでも、○○君にお母さんを独り占めさせてあげてくださいね。まだ3年生です。まだまだ、お母さんのだっこや、添い寝、一緒のお風呂は大事です。一杯いろんなことを我慢していると思うので、1日1回は抱き締めてあげて、安心させてあげてください。
兄弟を比べるのではなく、『お兄ちゃんはすごいねえ、お兄ちゃんがいるから、あなたもできるようになったんだね』と兄を立ててください。そうすると、お兄ちゃんもプライドにかけて頑張るし、下の子も、お兄ちゃんを目指して頑張れるのです。
『どっちがお兄ちゃんだかわからない』とか、『お兄ちゃんでしょ!我慢しなさい』『お兄ちゃんのくせに!情けない』なんて、否定的な叱り方をすると、言った通りの情けないお兄ちゃんになってしまいます。そうなると、目標とするべきお兄ちゃんが自分より劣っていると思う弟は、兄をないがしろにし、お兄ちゃんに追いつこう、負けないぞと言う向上心は育たなくなってしまいます。
その上、『弟なんかいらない』『お兄ちゃんなんか俺よりできないくせに』という、仲の悪い兄弟になってしまいます。」



なんて、自分の子育てを振り返り、子育てSOSオーラを発しているお母さん方のガス抜きをしてあげられるように面談をした。

子ども授かった喜び、子どもが元気でいてくれるありがたさ、当たり前の日常の幸せが、日々の喧騒や慌ただしさの中に埋没し、心はささくれ、お互いを傷つけあうような、とんがった会話しかできなくなっていることに、ちょっと気づくきっかけを作ってあげる。

これが、私が教員を続けている要因の一つになっている。(カウンセラーとも違う)

40日間、夏休みに子どもが家にいるということは、うれしい半面、お互いにストレスも相当たまる。下手をすると、毎日バトルだったりする。
面談の中で、子どもたち一人一人に合わせた、夏休みの勉強法やおすすめ自由研究のヒントを伝えたところ、お父さん、お母さんの方がノリノリだった。
頑張れ、お母さんたち。今、我が子が手元にいてくれる幸せな時間を大切に過ごしてほしい。子どもは、やがて親元を巣立っていくもの。
しっかり、子どもの目を見て、子どもの声を聴いてあげて。
「忙しいから、あとでね」
というのは、嘘。取り込み中だったら、
「これが終わったら、お話きかせてね」
約束したら、必ず守る。そうすれば、話したい人の様子を見てから話しかけられる人に育つ。
小さな手を握って。まだまだきゃしゃな体を1日1回は「大好き」と抱き締めてあげて。
そうやって育まれた子どもたちは、自己肯定感を持って、自己実現のために努力し、自己達成感を感じて、自立して行くことができるでしょう。


私の人生大成功!

私も3人の子を育てているが、いつも失敗ばかり。
でも、いつか3人それぞれに、
「ママの人生は、あなたたちに出逢えたことで、半分は成功している。一緒に泣き笑いして、あなたたちが、それぞれ自分のやりたいことを見つけて、私の元をちゃんと巣立って行けたなら、ママの人生の90%は大成功だよ。後の10%は、あなたたちに迷惑をかけないように、自分のやりたいことをやって大往生できたら、完璧だね!」
と言ったら、泣かれてしまった。
10年前の私は、自分の子育てに自信をなくし、
「私があなたたちのママでごめんね…。私じゃなかったら良かったのに」
なんて本気で思っていた。
5年前の私は、自分の子育てに行き詰まり
「なんで私がこの子たちの母親なんだろう。どんな因果関係があるんろう」
と現実逃避していた。
そして今、お互いに思いやり、労わり合い、応援し合える親子関係になって、やっと、今まで言えなかった『ありがとう』の言葉を素直に言えるようになった。
子どもたちも成長したが、私も親として、少しは成長できたのかもしれない。

クラスの子も同じ。人生の中で、あの子たちに出逢えた喜び、幸せをかみしめ、そして私が担任であることの意味と責任をしっかり自覚して、後8カ月を、1日1日大切に、ドラマチックに過ごそう!
皆、2学期、楽しみにしていてね!
元気で、楽しくておもしろい夏休みになりますように。

“change”(変革) ~誕生日の前に~

2012-07-15 12:04:14 | 徒然なるままに
7月15日(日)

久々のブログ更新。久々の休日。

前回から1カ月間、激動の毎日だった。
良かったことは、自分自身のスキルが少し上がったこと。
悪かったことは、声が枯れたまま、戻らなくなったこと。

連休が明けたら、あと三日で夏休み。
動静表(スケジュール表)を作ってみたら、結構過酷なスケジュールになってしまった。
子どもたちには夏休みでも、教師にとっては、出張や研修や教材研究、校務分掌、備品チェック、日直など、やることはたくさんある。中学校と違って、部活動がない分、楽は楽だが、担任としてのやるべきことは満載だ。
でも、この期間の私の最優先事項は、体調の回復だ。

明後日で1歳年齢が上がる。
去年の身体とも、5年前の身体とも、ましてや、10年前の身体とも全く違う身体になって来ている。
加齢のせいもあるのだろうが、本当に無理がきかない身体になって、そこを無理すると、弱いところに影響が出るという繰り返しだ。
土日に整体に通ってても、月曜日には元の黙阿弥、水曜日には傷みに耐えきれず、揉みほぐしに行くしかない。木金を耐え抜いて、土日にまた整体に行く・・・・。
お金がかかる。
でも、ぎっくり腰や、体調を崩してお休みしたり、入院するよりは、『未病』のうちに元気を取り戻し、維持する方がまだお金はかからない。

気持ちは、誰にも負けないぐらいの情熱も向上心もある。
でも、ストレスや疲れには弱い。ストレスには回避や発散の仕方にもっと工夫の余地がある。
疲れは、要領の悪さからも来ているので、効率よく、短時間で仕事を片付けること。ちゃんと休憩や早く帰って、身体を休めるのも仕事のうち。
なのに、なかなかそれができないでいる。

もうすぐ、私の51歳が終わろうとしている。去年の大震災に始まって、実に様々な出会いや事件があった1年間だった。失ったものの多かったが、得るものはそれ以上にたくさんあった。たくさんの人に感謝することの多い一年間だった。

52歳は過酷な運命と向き合うことになるスタートから始まる。
ある意味で、機は熟したのかもしれないし、今が潮時なのかもしれない。
過去は変えられないが、未来は変えることはできる。
壁は乗り越えられる人の前に現れる。きっと乗り越える。
かつて、中学生の教え子たちに教えてきたことを、身を持って実践する好機が来たのだ。
ピンチをチャンスに変える。
なりたい自分になるために。
子どもたちの未来を守るためにも。
変わることは怖い。変えることは面倒だ。
でも、恐れず、面倒くさがらず、まずは最初の一歩から、今できることから確実に進めていかなければ、壁は乗り越えられない。
ピンチをチャンスに変える。
失敗から学ばない者は成長しない。
自分の生きざまを子どもたちに見せるために。

52歳は、52年間頑張ってきた私と、支えて来てくれた家族や仲間、何より、私をこの世に送り出してくれた両親がいてこそ、今の私がある。本当に感謝している。
まだまだ未熟者だが、だてに人生経験豊かではない。
苦労した分、涙の数以上に、人には優しく、情け深い性格だと思う。
でも、時には、冷静に、冷徹に、取捨選択をしなけれねばならないと思っている。
それもまた、修行である。

5年後、10年後の自分は、今の自分をどう振り返るのだろう。

5年前の私は、辛い現状を直視せず、仕事に逃げ、心から笑った日が1日もないような追い詰められた毎日を送っていた。
あの時の私の支えは生徒たちとの美術の授業だった。充実した授業ができていたと思う。
でも、我が子たちには、申し訳ないほどいろいろな我慢をさせてしまっていた。

10年前の私は、暗中模索で、自信がなく、声まで失うほど心身ともに病んでいた。
あの時の私の支えは、ソーラン節だった。我が子たち、その友だち、地域の人たちとともに作ったソーラン隊の隊長として、各地のイベントに出演し、小中学校、公民館にソーランを指導しに行っていた。
自分の心の闇を引き飛ばそうと、みんなに元気な踊りを見せ、笑顔をふりまいていた。

思えば今はあの時よりはずっとましで、あの時の苦労が、いろいろな場面で少しずつ報われて行きているのを感じられるようになってきた。
だから、今立ちはだかっている壁も、きっと乗り越えられる。
乗り越えられたその先には、今の自分を『あの時逃げずに頑張ったおかげでこうなれた』と笑って懐かしんでいる私が必ずいるだろう。
難局だから“change”(変革)が必要だし、難局だからこそ“change”を実行できるとも言える。ピンチをチャンスに変えるために。

Yes. I can! 

Yes. I Change!

未来の自分のために。

雨ニモマケズ ~なりたい自分~

2012-06-17 06:31:30 | 担任雑記
6月18日(日)


友人から、
「『こんなふうな人になりたい』、『こんなことができるようになりたい』という目標や、具体的なイメージを持つことが大切だ。」
というアドバイスをもらった。
「あなたは、自分の『イメージ』をもっていますか?」
と問われた時、パッと浮かんだのが、宮澤賢治の『雨ニモマケズ』だった。


〔雨ニモマケズ〕

宮澤賢治

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

南無無辺行菩薩
南無上行菩薩
南無多宝如来
南無妙法蓮華経
南無釈迦牟尼仏
南無浄行菩薩
南無安立行菩薩


この詩を国語の教科書で習ったのは、小学生のころだった。
あの頃にはわからなかった大切なことが、この詩には書かれている。
いろいろな場面で、自分とリンクすることと、まだまだその域には達していないと思うこともたくさんある。
 
宮澤賢治はどうだったのだろう?
「サウイフモノニ ワタシハナリタイ」
と書いた、ということは、賢治自身、『サウイウモノ』にはなかなかなれない人だったのかもしれない。

私は、彼がなりたい『サウイウモノ』にとても惹かれる。

ある時、当時の同僚に、
「あなたは、宮澤賢治の『雨ニモマケズ』に出てくる人のようだね」
と、言われたことがあった。
私は、その深い意味をわかろうともせず、
「一日、一食290円の給食を食べ、
東に具合の悪い子がいれば、熱を計り、熱が高ければ保護者に連絡を取り、
怪我した子にはバンドエイドを貼りながら、『痛いの痛いの飛んで行け~!』と言い、
西に、勉強がわからない子がいれば、行って分かるまでやり方を教え、
南に、泣いている子がいれば、行って慰め、励ましやり、
北に、喧嘩をしているやつらがいれば、「喧嘩両成敗!」と『大岡裁き』をやり、
日照りの時は、熱中症を心配し、
インフルエンザが流行れば、『うがい、手洗い、マスク着用!』と叫びながら、学級閉鎖を心配し、
みんなに、『お人好し病』『空気が読めない』『天然(ボケ)』と言われ、
褒められるところはなく、
迷惑ばかりかけて、ごめんなさい。」
と、おちゃらけてしまった私だった。
同僚には大ウケだったが、彼女が、私のどこをそういうふうに見てくれていたのか、ちゃんと話を聞いてみればよかった。

今回、自分がなりたい人間像を考えた時、尊敬する人はたくさんいるし、私にできないことや私ができるようになりたいことができる人はたくさんいるけれど、私がなりたいイメージの人がなかなか思い当らなかった。
そこで、浮かんできたのが『雨ニモマケズ』だった。
読んでみて、賢治の思いの深さを改めて感じる。小学生の時に読んだ時よりも、若い時に読んだ時よりも、今だからわかるところがいくつかある。それこそが、自分のなりたいイメージ、できるようになりたいことでもある。

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル

これは、今の私に足りないものだ。健康な体と気力、体力、そして、謙虚な気持ちと、笑顔。

ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ

これは、私の努力目標だ。
見ていたつもり、聴いていたつもり、分かったつもり、覚えたつもりで、
何を見ていたのか、何を聴いていたのか、分かっていなくて、忘れていることが多い。

立派な人でなくてもいい。お金持ちでなくてもいい。モテなくてもいい。
人の役に立てる人間になりたい。
誠実な人間になりたい。
尊敬される人物、必要な人間、欲しい人材、愛する人でなくてもいい。
「あなたに出逢えて良かった」
「また会いたい人」
「あなたがいるから頑張れる」
と、言ってもらえる人間でありたい。

向日葵のように、凛として、見る人に元気を分けてあげられるような、笑顔が素敵な人に私はなりたい。


運動会 最高だった「WE GO!」 

2012-06-02 21:26:56 | 担任雑記
6月2日(土)

運動会が終わった。
朝から運動会日和となり、昨夜の雨がちょうどいいお湿りになった。

正味2週間の練習と準備の成果が存分に発揮された、いい運動会だった。
特に、リレー競技は、低学年も、高学年も見せ場があって、見ごたえのあるいいレースだった。
最後まで諦めないでベストを尽くせば、必ず願いは叶う。ラストスパートでゴールを目指すアンカーに、それを必死で応援する子ども達に、改めて教えてもらった。

3,4年生の「WE GO!」のダンスも、どの子もみんな一生懸命で、かわいかった。
海賊の衣装もバッチリ決まっていて、動きも大きく、キラキラテープのなびき方がとってもきれいだった。
何度も失敗していた、時間差ポーズのもピタッときまり、ウェーブもタイミングが合っていてかっこ良かった。
思わず母親目線で見てしまい、不覚にもウルウル来てしまった。

勝敗はともかく、小学生の一生懸命さとその可愛さには、見ているだけで元気がもらえる。

運動会が終わって、クラスで皆にダンスの感想を話した時の、みんなの嬉しそうな、誇らしげな、達成感たっぷりのいい笑顔は、最高だった。

朝、黒板いっぱいに、ルフィーの絵とチョッパーの絵を描いて、皆へのエールの言葉を描いていたのだが、
「先生、黒板はまだ消さないで!」
というので、そのままにして今日は帰ってきた。
でも、4日の振り替え休日が明けたら、黒板を元通りにして、気合いを入れて授業をしないと…!

そのためにも、明日は整体に行って、頭のてっぺんからつま先まで、スペシャルコースで徹底的にもみほぐしてもらってこようっと!

スキルアップ

2012-05-27 06:06:29 | 担任雑記
5月27日(日)

 今年度は、土日は、小学校の先生方が中心に開催されている勉強会に参加している。

 中学校勤務の時は、週末は部活動があったり、自分の専門教科の教材研究や授業の準備などをしていた。
だが、小学校の、それも担任となると、土日は、まさにその週のうちにできなかった仕事の整理と、翌週の授業の準備、教材研究をしっかりやっておかないと、どんどん授業が遅れてしまう。
 ベテランの先生方は、たくさんの引き出しやスキル、資料やプリントを持っていらして、先を見通した授業の組み立てができていらっしゃる。
 講師の私には、初任者研修担当の先生がついてくださるわけでも、公費や出張で研修を受けられるわけでもないから、自力と自腹を切って研修に出かけていくしかない。
 昨年は、それができなかった。いや、しなかった。その反省のもとに、今年は、積極的、意欲的に各学習会に出かけて行っている。
 そこではまた、新たな出会いがあり、充実した時間を過ごさせてもらっている。
 中学校美術の教員としてのスキルしかなかった私が、小学校全教科の指導方法や、学級づくりのコツを学ぶことは、どれも新鮮で、興味深いことばかりだ。
 特に、先日の金環日食の授業のヒントは、私自身がワクワクして、学習会の後は、早くそれを子どもたちに実践してあげたくて、うずうずしていた。その結果は、まさに大ヒット!子どもたちの観察日記も、力が入った出来だった。

 先週は、『大きなかぶ』の勉強だった。小学校1年生の教科書では、この話の訳には2種類あると言うことを知り、驚いた。
一般的には、A.トルストイ『おおきなかぶ』内田莉莎子訳、佐藤忠良絵、福音館書店が有名だが、小学校1年生の国語の教科書には、西郷竹彦訳の『大きなかぶ』というのが主流になっているのだそうだ。
 大きな違いは、かぶを引っ張る登場人物の書き方の順番だ。

〈内田訳〉
ねずみが ねこをひっぱって ねこが 犬をひっぱって 犬が まごをひっぱって まご
が おばあさんをひっぱって おばあさんが おじいさんをひっぱって おじいさんがか
ぶをひっぱって

〈西郷訳〉
かぶを おじいさんがひっぱって おじいさんを おばあさんがひっぱって おばあさん
を まごがひっぱって まごを 犬がひっぱって 犬を ねこがひっぱって ねこを ね
ずみがひっぱって

 1年生を迎える会などでこれを劇にして演じる場合は、西郷訳でやり、最後に、
『6年生から2年生まで頑張ってもできないけれど、1年生のみんなが協力してくれたらできることがたくさんあります。一緒に頑張りましょう!ご入学おめでとうございます!』
と結ぶと、1年生はとても喜ぶのだそうだ。
 敵対関係にあるネズミが猫を引っ張ること自体も面白いが、小さな力の弱い者が加わることで、『とうとう』かぶは抜けるということに視点を置いているところが興味深い。
 それを印象付ける訳としては西郷訳の方が、印象に残るということだった。。

 小学1年生が初めて出会う本格的な文芸作品として、『おおきなかぶ』が選ばれている理由がわかったような気がした。
う~ん、『国語』は、なかなか奥が深い教科だ!勉強になりました~!


 昨日はまた、自己PR文の書き方や、集団面接の受け方についての講義、模擬面接と集団討論会を体験してきた。
 自己PRは、文章で書くのも、1分間で話すのも本当に難しい。 私は、書くのも話すのも、一文が長くなってしまうので、要点を端的にまとめて話すことが課題だ。そして、書くには、誤字脱字はあってはならない。これもまた大きな課題だ。話す時は、姿勢、表情、目線、声の大きさや速さに気を付けて、1分間以内で言いたいことを言いきらなくてはならない。これは、本当に訓練が必要だと思った。
 集団面接と討論会は、自分がやるより、他人がやっていることを面接官の視点で傍聴していると、すごくよくわかる。
これもまた、自分にとっての課題を見つけ、スキルアップするためにも、必要な訓練だと思った。

 勉強会に参加して思うのは、職場とは違う志を同じくする『同志』達と出会い、成長し合える時間を共有できることの大切さだ。
そこにいらっしゃる講師の方も、たくさんの『引き出し』を持っていらして、若い、意欲のある『後進』達に、惜しげもなく教えてくださるのだ。
 職場でも、毎週のように研修会があり、研究授業についての取り組みがあり、管内での教育研究会もある。でも、それは、『仕事』として『やらされている』感がぬぐえない。それは私の意識が低く、認識不足から来ているだけかもしれないが…。

 『求めよ、さらば与えられん』
 自分から出かけて行って門をたたけば、そこには私の求めるものがあり、それだけでなく、そこには私を待っていてくれた人がいたという、ありがたい、充実した週末を過ごすことができている幸せに感謝する。

 この充実感を、月曜日にはクラスの子どもたちに還元し、いつかは、これから教師を目指す若い人たちに伝授できるような教員になりたいと思っている。
 
 

教えることは、教わること  金環日食

2012-05-22 04:48:37 | 担任雑記
5月21日(月)

いよいよ、金環日食当日。朝から校庭には、たくさんの子どもたち、保護者の方々が集まってきた。
ところが、6時台にはなんとか見えていた太陽が、金環日食になる頃には、熱い雲に覆われてしまった。
遮光グラス片手に、雲間からわずかでも見えるオレンジ色の太陽を、必死に目をこらして見つめる。
半ば、あきらめかけたその時、まさに、金環日食その瞬間に、熱い雲が過ぎ去り、うっすらと太陽が現れた!
肉眼でも見える金環日食だった!!
遮光グラスを通して見ると、くっきり見えるその金環日食は、本当に神秘的だった。
子どもたちも、大興奮で、終わってからも
「感動した~!!!」
「すごかったね~!!」
「きれいだった~!!」
と感無量の様子だった。

始業時間になり、子どもたちは教室に入った。
私も職員玄関から教室に行こうとした時、窓から廊下に差し込む木漏れ日が、見事に日食を起こしているのに気がついた。
急いで教室に行って、子どもたちをその場所に連れてきた。
みんな大興奮だった。
木漏れ日の一つ一つが部分日食を起こしているのだ!

理科の授業で、日食の勉強をして、その仕組みや現象を教えたのだが、実際にその現象を肉眼で見ることができると言うのは、本当に貴重な体験だった。

小学3年生の理科は、モンシロチョウの卵から成虫になるまでの観察をはじめ、自然の不思議や仕組みをたくさん学習する。
子どもたちの『好奇心』を上手にくすぐり、『興味』の種をまくと、ものすごい勢いで『意欲』の目が出てくる。

「教える」ことは「教わる」こと。
子どもたちに教えながら、私もまた子どもたちからたくさんのことを学ばせてもらっている。
私も、授業で教える以上、事前に自分でも『日食』について勉強した。
凄く面白かった。
教師が自分でも面白がって教えることは、子どもたちも面白がって覚える。そして、忘れない。
さらに、それをきっかけにして、子どもたちは自分でどんどん興味と知識の輪を広げていく。
そして、そこから得たものを、こぞって私に報告に来るのだ。
私もまた、そこからたくさんの情報を得たり、疑問が生じれば調べる。
私は、専門家ではないので、引き出しは少なく浅いが、最近、ものすごい勢いで増え続けている。
昔の引き出しも、何十年振りかで復活してきたものもある。

体力的な衰えは、年齢的にも逆らえないものがあるが、好奇心と学習意欲は、学生時代よりも、今の方が旺盛かもしれない。

さて、子どもたちの雨後の竹の子みたいな興味・関心・意欲を、どう育てていくのか。
自分のスキルアップと一石二鳥で、楽しみながら授業を頑張ろう!



前進

2012-05-20 06:51:47 | 徒然なるままに
5月20日(日)

久しぶりの日記更新。近況を書こうと思う。

【仕事面】
 今年は、小学校3年生35人の担任。去年の2年生の続きの学年ではあるが、学校は違うので、いろいろなことをリセットし、現勤務校ならではの新しいやり方をインプットしながら、何とか1ヶ月半が過ぎた。
 昨年の反省から、週末は、あちこちで開催される『学習会』に参加して、学級づくりや分かりやすい授業のやり方などを学んでいる。
 8年間の中学校美術の講師や副担任としての経験は、小学校という現場ではほとんど役に立たない。まさに『畑違い』なのだ。
 あらゆることが同時進行で、間に合わないこともあるが、昨年1年間の経験(失敗も含めて)を生かし、なんとか日々の仕事をこなしている感じだ。
 毎日がドラマチックで、刺激的で、忙しい。週末は『整体』に通って、身体のメンテナンスを心がけながら、頑張っている。 
 
 6月2日の運動会を目指して、明日から猛練習が始まる。
 明日は早朝から、金環日食観測会がある。希有な天体ショーを子どもたちと楽しもうと思う。



【プライベート面】
 波乱万丈、激動の昨年度に比べれば、今年の大変さはまだ平和な感じがする。   
故郷の復興の様子は、挫けそうなことが起きるたび、私を励まし、支え続けてくれた。
「こんなことで弱音を吐いてはいけない。石巻で頑張っているみんなに比べれば、こんなの苦労でも何でもない。」
そう思うことで、どんな辛いことでも乗り越えてこられたと思う。
個人的には今年もまた、越えられそうもない壁に阻まれ、八方塞のような状況ではあるが、
『壁は、乗り越えられる人の前に現れる』
『諦めたら、そこで試合終了ですよ』
の言葉を支えに、一つずつ『片付け』ながら解決して行くしかない。前に進んで行こう。
社会人2年目の息子、我が道を驀進中の長女、自分の進むべき道を暗中模索中の高2の末娘。
この子たちのためにも、自分の生き様を見せる『大一番』が待っている。
気力、体力を維持できるように、メンタル面のケア、健康管理、優先順位を間違えないスケジュール管理で、『大一番』に挑んでいこうと思う。
『ピンチをチャンスに変える』ぞ!