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玉川大学夏期スクーリングを終えて

2012-08-24 09:26:32 | 徒然なるままに
8月24日(金)

昨日で6日間の玉川大学のスクーリングが終わった。
千葉から片道2時間半、往復5時間の通学と、丘陵地に立っている構内の移動は、疲れと暑さとの戦いだった。

でも、今、6日間の講義を終え、すごい達成感がある。
講義を受けながら、自分がどんどんスキルアップして行くのを実感できた。
何度レポートを出しても、合格できなかった理由が分かった。
自分の勉強不足と認識不足を反省した。
講師の先生には、万難刳り合わせて、はるばる受講しに来た甲斐のある、ハイレベルで内容の濃い授業をしていただいたことを心から感謝している。
あの授業をするには、先生の長年の研究や実践の積み重ねの上にあり、事前の準備にはかなりの時間をかけていらっしゃるはずだ。
更に、この後、単位認定試験の採点、評価があるのだ。

自分でも教壇に立つ人間として、授業を受ける側よりも、授業をする側の方が何倍も疲れることは実感できる。
なおかつ、教育現場の最前線で頑張っている現役の教員や、専門家がたくさん受講しているのだ。緊張もあるだろう。
鋭い質問や、難しい質問にも的確に対応しなければならないのだ。
当たり前の事なのだろうけれど、本当によく勉強・研究され、実に様々な事例に対応されて来た方なのだなあと思った。

玉川大学のスクーリングは、これまでにも何度か受けてきたが、どの先生方も情熱的で、熱心な先生方が多い。

特に、受講生たちに対して、
「あなた方が、朝の9時にこの教室の、その席に座っていることが、どれほど大変な努力と周囲の理解と協力のもとに実現できているかを思うと、こちらの身が引き締まります。必ず単位を取得できるよう、誠心誠意、良い授業をがんばります」
というスタンスなのだ。こちらこそありがたくて頭が下がる。

実際に、日本各地から、また、海外から、様々な年齢や職業の方が、この玉川の丘に集うのだ。
私が出会った最高齢の方は、74歳。一番遠い方は、エジプトから来ていた。
看護師さんをしながら、栃木県から、夜勤明けに新幹線で通っている人もいた。

背中に「がんばろう 石巻!」と書かれたTシャツを着ていたら、女川出身の方(65歳以上の男性)が話しかけて来てくださった。
昨年、入学願書を出そうとしたら、震災に遭い、女川から引き揚げて来て、入学が1年遅れた。とのことだった。

本当に様々な出会いがあり、『同志』達にたくさんのパワーと元気をもらえた濃い『6日間』だった。

このモチベーションを下げずに、残りの単位取得の勉強を頑張っていきたいと思う。

オリンピック閉会 そして私の夏休み後半は…

2012-08-13 10:02:41 | 徒然なるままに
8月13日(月)

夏休み前半が終わった。
オリンピックも閉会した。
寝不足の17日間だった。
でも、たくさんの感動のシーンがあった。選手たちからたくさんの勇気をもらった。
悲願を達成できた人、目標に今一歩手が届かなかった人、チーム、それぞれだっただろうが、死力を尽くして戦う姿は、遠く離れた故郷日本のみならず、世界中の人たちを感動させたことだろう。
このオリンピックで引退する人、4年後にまた挑戦する人、次こそ出場して悲願を果たそうと思っている人は、4年後のリオデジャネイロオリンピックにはぜひ、後進を育て、連覇を、悲願を達成してほしい。
17日間、本当にお疲れ様でした。感動をありがとうございました。

私の17日間は、公私ともに、盛りだくさんだった。
前半は、保護者面談、秋の校外学習の下見、職員旅行での『オペラ座の怪人』観劇、各種研修会、展覧会など、2学期に向けてのスキルアップや学級づくりに大切な、貴重な体験ができた。
プライベートでは、なつかしい友人や、久しぶりに会う友だちと、大いに語り合い、互いの健康と活躍を讃えあえた。気の合う友だちとの食事や語らいは、お料理をより美味しくし、時間を忘れるぐらい楽しい。今はしょっちゅう会えるわけではないが、折にふれては思いだし、連絡を取り合い、展覧会を見たり、講演会に行ったり、観劇したり、会って食事をしたり、泊って遅くまで語り合う。
高校時代に、大学時代に、職場で、子育て仲間として、いろいろな時代に一緒に悩み、活動し、感動し、困難を乗り越えてきた同志たち。偶然の出会いから意気投合し、同じ目標を持つ同志たち。私の大切な友達。
彼ら、彼女たちからたくさんのパワーをもらった。私はけして一人ではない。遠く離れていても、心はいつもそばにある。私の弱いところもダメなところも、情けないところもみんな分かった上で友だちでいてくれる。構えない、抑えない、素直な自分でいられる空間と相手がいるということは、なんて幸せなことだろう。
30年以来、20年来の友人もいて、見た目はお互いに年齢を感じるようになったが、話しているうちに、気持ちはすっかり女子高校生、女子大生に戻っている。

この夏の貴重な体験のひとつに、子連れ同窓会があった。
末娘が、私の母校の大学を見たいというので、大学の近くに住む友人宅に泊めてもらうことになった。その晩は、青森から、小田原からも友人が子ども連れで集まり、にぎやかな同窓会になった。子どもたちは娘と同い年の高校生だけでなく、すでに社会人や大学生もいる。
末娘は、みんなから聞く、私の学生時代の話をどんなふうに思って聞いていたのだろうか。
「家に帰ったら、その頃の写真を見せてね」
「ああ、この子もまた、いつか、長男や長女、そして私のように、親元を、故郷を離れて、自分の生きる道、生きる場所にはばたく時がすぐそこまで来ているのだなあ…。」
と思った。

さて、今日は、夜行バスで石巻に帰省する。
明朝着いたら、墓参りをし、夜は中学時代の同窓会だ。
翌日は、高校時代の友人夫婦と会う約束。
明後日は、高校時代の友人とプチ同窓会。夜行バスで帰京。

18日からは、玉川大学でのスクーリングが始まる。
夏休み、ラスト一週間は、びっしり仕事だ。
2学期に向けての準備と教材研究を頑張るぞ!

というわけで、夏休み後半も盛りだくさんの予定が詰まっていて、熱中症や夏バテなんかに負けてはいられない。
スタミナ付けて、どんなことにも、笑顔で、フットワーク軽く乗り切って行こうと思う。

Hey Jude  自分次第

2012-07-29 08:54:11 | 徒然なるままに
7月29日(日)

ロンドンオリンピックが始まった。
開会式の演出は、とても興味深かった。
大英帝国というイメージではなく、イギリスの農民の生活から、産業革命の様子に変わっていくのが面白かった。
「指輪物語」~「モダンタイムス」という感じ?
聖火リレーも良かった。
ラストで、7人の10代のアスリートたちが聖火を交代しながら場内を一周し、歴代の金メダリストから受け取った火を、入場行進で各国が持っていた銅の花びらに点火すると、一つ一つの花弁が立ち上がり、大きな聖火台になった。聖火→聖花になったのだ。
開会式のエンディングを飾ったのは、ポール・マッカートニーが歌う「HEY JUDE」だった。
この歌は、ポールが、ジョン・レノンの息子(当時5歳)を励ます歌として作られたと言う。
ジュリアンの愛称がジュールで、当初は「Hey Jules」と歌っていたのが、ある時、「Jude」と歌ってしまったところ、こちらの方がいいということになって、「Jude」になったのだとか。

彼女(=思うようにならない現実)ととらえると、いろいろな場面での素晴らしい応援歌になる。

歌と画像は、下記にアクセスして、ぜひお聴きください。

http://www.youtube.com/watch?v=p2O9C2W1hA8

Hey Jude /Sir James Paul McCartney Jr

Hey Jude, don't make it bad
Take a sad song and make it better
Remember to let her into your heart
Then you can start to make it better

Hey Jude, don't be afraid
You were made to go out and get her
The minute you let her under your skin
Then you begin to make it better

And anytime you feel the pain, hey Jude, refrain
Don't carry the world upon your shoulders
For well you know that it's a fool who plays it cool
By making his world a little colder
 Na Na Na Na Na Na-Na-Na-Na-Na

Hey Jude, don't let me down
You have found her, now go and get her
Remember to let her into your heart
Then you can start to make it better

So let it out and let it in, hey Jude, begin
You're waiting for someone to perform with
And don't you know that it's just you, hey Jude, you'll do
The movement you need is on your shoulder
  Na Na Na Na Na Na-Na-Na-Na-Na

Hey Jude, don't make it bad
Take a sad song and make it better
Remember to let her under your skin,
Then you'll begin to make it
Better better better better better better, YEAH.
 Na na na, na-na-na-na, na-na-na-na, hey Jude...
 Na na na, na-na-na-na, na-na-na-na, hey Jude...
 Na na na, na-na-na-na, na-na-na-na, hey Jude...
 Na na na, na-na-na-na, na-na-na-na, hey Jude...
(repeat X times)


「ヘイ・ジュード」和訳歌詞

ヘイ、ジュード 落ち込むなよ
悲しい歌も少しはましにできるさ
忘れないで 彼女(現実)を君の心に受け入れるのさ
その時 全てが良い方向に向かいはじめるさ

ヘイ、ジュード 恐れるなよ
君は彼女(現実)を手に入れるために生まれてきたんだ
君があの子(現実)を抱きしめた瞬間
その時 全てが上手くいき始めるだろう

そして、君が辛い時はいつでも
ヘイ、ジュード 思い出して
全てをひとりで背負い込むことはない
冷静に振舞って、しらけたふりをするなんて馬鹿なことさ
それは君の人生を少しつまらなくするだけさ

ヘイ、ジュード がっかりさせるなよ
君は彼女(現実)を見つけて手に入れる事ができるさ
忘れないで 彼女(現実)を君の心に受け入れるのさ
その時 全てが良い方向に向かいはじめるさ

全てを捨てて 全てを受け入れろ
ヘイ、ジュード 始めよう
君は誰かが助けてくれるのを待っている
でもそれは君がやるべきことなんだ
ヘイ、ジュード 君ならできるさ
君に必要なことは君にしかできない

ヘイ、ジュード 落ち込むなよ
悲しい歌も少しはましにできるさ
忘れないで 彼女(現実)を君の心の中に受け入れるのさ
そうすれば 全て上手くいくさ

今、オリンピック選手や、甲子園を目指し、インターハイで頑張っている若いアスリートたちは、その厳しい現実に立ち向かっている。
本当のライバルは、強豪国でも、相手チームでもない。
昨日までの自分。
一番こわい敵は、自分の中の弱気な自分。
そして、誰よりも自分がほしい答えを知っている人は、自分自身。
そう、答えは自分の心の中にある。
だから、何事も、自分次第。
自分に必要なことは、自分にしかできない。

現実を受け入れることで、全てが好転に向かうかどうかはわからない。
でも、失敗から学ばなければ、次の成功はありえない。
なぜなら、失敗から学ばないものは、同じ失敗を繰り返すから。
ピンチをチャンスに変えられるかは、自分の気持ちの持ちようなのだ。

タイムが伸びない、いつもは失敗しないところで失敗した、結果が出せない…。
でも、それは、自分がやるべきことなんだ。
自分に必要なことは、自分にしかできない。
現実を受け入れ、ピンチを少しでも好転させられるのは、自分次第。

これは、スポーツには限らないと思う。
試験だって、恋愛だって、子育て、震災復興など全ての事に通じると思う。

7分11秒に及ぶこの歌の後半は、大合唱だ。
この大合唱が、オリンピックの開会式のエンディングで、会場に居合わせた人だけでなく、TVを見ていたたくさんの人達も、TVの前で「na na na・・・」とうたっていたことだろう。
歌いながら、すごく体の奥底からエネルギーが湧いてくる歌だと思った。

ジュリアン・レノンは、今、この歌をどこで、どんなふうに聞いたのだろう?

この「HEY JUDE」をきっかけに、新たなビートルズブームが巻き起こるかもしれない。

名曲は、次代を越え、世代を超え、国境を越えて、輝きを増しながら、人々を感動させるのだ。

私がこの歌に初めて出会ったのは、小学生の頃だった。
あの頃は、歌詞の内容も良くわからなかった。
あれから44年後、人生の岐路で、この歌にこうしてまた巡り会うことができたことを幸運に思う。


“change”(変革) ~誕生日の前に~

2012-07-15 12:04:14 | 徒然なるままに
7月15日(日)

久々のブログ更新。久々の休日。

前回から1カ月間、激動の毎日だった。
良かったことは、自分自身のスキルが少し上がったこと。
悪かったことは、声が枯れたまま、戻らなくなったこと。

連休が明けたら、あと三日で夏休み。
動静表(スケジュール表)を作ってみたら、結構過酷なスケジュールになってしまった。
子どもたちには夏休みでも、教師にとっては、出張や研修や教材研究、校務分掌、備品チェック、日直など、やることはたくさんある。中学校と違って、部活動がない分、楽は楽だが、担任としてのやるべきことは満載だ。
でも、この期間の私の最優先事項は、体調の回復だ。

明後日で1歳年齢が上がる。
去年の身体とも、5年前の身体とも、ましてや、10年前の身体とも全く違う身体になって来ている。
加齢のせいもあるのだろうが、本当に無理がきかない身体になって、そこを無理すると、弱いところに影響が出るという繰り返しだ。
土日に整体に通ってても、月曜日には元の黙阿弥、水曜日には傷みに耐えきれず、揉みほぐしに行くしかない。木金を耐え抜いて、土日にまた整体に行く・・・・。
お金がかかる。
でも、ぎっくり腰や、体調を崩してお休みしたり、入院するよりは、『未病』のうちに元気を取り戻し、維持する方がまだお金はかからない。

気持ちは、誰にも負けないぐらいの情熱も向上心もある。
でも、ストレスや疲れには弱い。ストレスには回避や発散の仕方にもっと工夫の余地がある。
疲れは、要領の悪さからも来ているので、効率よく、短時間で仕事を片付けること。ちゃんと休憩や早く帰って、身体を休めるのも仕事のうち。
なのに、なかなかそれができないでいる。

もうすぐ、私の51歳が終わろうとしている。去年の大震災に始まって、実に様々な出会いや事件があった1年間だった。失ったものの多かったが、得るものはそれ以上にたくさんあった。たくさんの人に感謝することの多い一年間だった。

52歳は過酷な運命と向き合うことになるスタートから始まる。
ある意味で、機は熟したのかもしれないし、今が潮時なのかもしれない。
過去は変えられないが、未来は変えることはできる。
壁は乗り越えられる人の前に現れる。きっと乗り越える。
かつて、中学生の教え子たちに教えてきたことを、身を持って実践する好機が来たのだ。
ピンチをチャンスに変える。
なりたい自分になるために。
子どもたちの未来を守るためにも。
変わることは怖い。変えることは面倒だ。
でも、恐れず、面倒くさがらず、まずは最初の一歩から、今できることから確実に進めていかなければ、壁は乗り越えられない。
ピンチをチャンスに変える。
失敗から学ばない者は成長しない。
自分の生きざまを子どもたちに見せるために。

52歳は、52年間頑張ってきた私と、支えて来てくれた家族や仲間、何より、私をこの世に送り出してくれた両親がいてこそ、今の私がある。本当に感謝している。
まだまだ未熟者だが、だてに人生経験豊かではない。
苦労した分、涙の数以上に、人には優しく、情け深い性格だと思う。
でも、時には、冷静に、冷徹に、取捨選択をしなけれねばならないと思っている。
それもまた、修行である。

5年後、10年後の自分は、今の自分をどう振り返るのだろう。

5年前の私は、辛い現状を直視せず、仕事に逃げ、心から笑った日が1日もないような追い詰められた毎日を送っていた。
あの時の私の支えは生徒たちとの美術の授業だった。充実した授業ができていたと思う。
でも、我が子たちには、申し訳ないほどいろいろな我慢をさせてしまっていた。

10年前の私は、暗中模索で、自信がなく、声まで失うほど心身ともに病んでいた。
あの時の私の支えは、ソーラン節だった。我が子たち、その友だち、地域の人たちとともに作ったソーラン隊の隊長として、各地のイベントに出演し、小中学校、公民館にソーランを指導しに行っていた。
自分の心の闇を引き飛ばそうと、みんなに元気な踊りを見せ、笑顔をふりまいていた。

思えば今はあの時よりはずっとましで、あの時の苦労が、いろいろな場面で少しずつ報われて行きているのを感じられるようになってきた。
だから、今立ちはだかっている壁も、きっと乗り越えられる。
乗り越えられたその先には、今の自分を『あの時逃げずに頑張ったおかげでこうなれた』と笑って懐かしんでいる私が必ずいるだろう。
難局だから“change”(変革)が必要だし、難局だからこそ“change”を実行できるとも言える。ピンチをチャンスに変えるために。

Yes. I can! 

Yes. I Change!

未来の自分のために。

前進

2012-05-20 06:51:47 | 徒然なるままに
5月20日(日)

久しぶりの日記更新。近況を書こうと思う。

【仕事面】
 今年は、小学校3年生35人の担任。去年の2年生の続きの学年ではあるが、学校は違うので、いろいろなことをリセットし、現勤務校ならではの新しいやり方をインプットしながら、何とか1ヶ月半が過ぎた。
 昨年の反省から、週末は、あちこちで開催される『学習会』に参加して、学級づくりや分かりやすい授業のやり方などを学んでいる。
 8年間の中学校美術の講師や副担任としての経験は、小学校という現場ではほとんど役に立たない。まさに『畑違い』なのだ。
 あらゆることが同時進行で、間に合わないこともあるが、昨年1年間の経験(失敗も含めて)を生かし、なんとか日々の仕事をこなしている感じだ。
 毎日がドラマチックで、刺激的で、忙しい。週末は『整体』に通って、身体のメンテナンスを心がけながら、頑張っている。 
 
 6月2日の運動会を目指して、明日から猛練習が始まる。
 明日は早朝から、金環日食観測会がある。希有な天体ショーを子どもたちと楽しもうと思う。



【プライベート面】
 波乱万丈、激動の昨年度に比べれば、今年の大変さはまだ平和な感じがする。   
故郷の復興の様子は、挫けそうなことが起きるたび、私を励まし、支え続けてくれた。
「こんなことで弱音を吐いてはいけない。石巻で頑張っているみんなに比べれば、こんなの苦労でも何でもない。」
そう思うことで、どんな辛いことでも乗り越えてこられたと思う。
個人的には今年もまた、越えられそうもない壁に阻まれ、八方塞のような状況ではあるが、
『壁は、乗り越えられる人の前に現れる』
『諦めたら、そこで試合終了ですよ』
の言葉を支えに、一つずつ『片付け』ながら解決して行くしかない。前に進んで行こう。
社会人2年目の息子、我が道を驀進中の長女、自分の進むべき道を暗中模索中の高2の末娘。
この子たちのためにも、自分の生き様を見せる『大一番』が待っている。
気力、体力を維持できるように、メンタル面のケア、健康管理、優先順位を間違えないスケジュール管理で、『大一番』に挑んでいこうと思う。
『ピンチをチャンスに変える』ぞ!

2012-04-15 05:13:28 | 徒然なるままに
先週、4月8日(日)に上野の国立科学博物館で開催中の『インカ帝国展』を見てきた。(展覧会の内容は改めて書くことにする)

その日は講演会があるというので、楽しみにして行ったのだが、桜満開時の上野公園を、甘く見ていた私がばかだった。
とにかく、花も満開なら、人も満員電車状態。メイン通りは、前にも進めなければ、後にも戻れず、横にも抜けられず、ここで、もし地震でも起きたなら、圧死してしまうぐらいの人出だった。それでもみんな、カメラや携帯をかざしながら、少しずつ前進して行った。
その脇では、有料のお花見席で、満開の桜をよそに、大宴会で盛り上がっていた。まさに、花より団子だ。
ようやく歩けるところまで人波に押し出されてきたら、大学生ぐらいの男の子が、
「俺は、日本人に生まれてきて良かった~!」
と叫んでいた。
見事なまでの満開の桜は、見ているだけでも心が浮き立つような華やかさと、春爛漫の艶やかさがある。
桜を愛で、その下で親しい人達と、美味い物を食べ、酒を酌み交わす。平和な光景は、見ているだけでも楽しくなる。

去年の今頃は大震災の後で、全国的にお花見は自粛ムードに包まれていた。
故郷石巻の桜の名所日和山はから見える惨状は、眼下には門脇地区の瓦礫の山や、北上川に浮かぶ中瀬に架かる内海橋にたくさんの漂流物が引っかかって車も通れず、川の両側には打ち上げられた船が横転していたり、建物の上に乗っかっていたり、それはそれは地獄絵図のような状況だったそうだ。
でも、そんな状況の中でも、季節を忘れずに咲く桜は、どんなに被災地の人たちを励ましたことだろう。

あれから一年が経って、日和山から見る太平洋は穏やかで、北上川も悠々と海に向かってその流れを注いでいることだろう。
瓦礫撤去後、何もかもなくなってしまった場所にも、少しずつ人々の生活が戻ってきた。
先日、TVで見た京都マラソンの中継で、「被災地出身のランナー」として、私の母校石巻女子高校の後輩が紹介されていた。
いつも走っていた門脇地区をまた走れるようになるのに、半年かかったのだと言う。
京都マラソンに出場することを決めてまた走りだした時、それをTVで放送された番組を見た高校時代の同級生から励ましのお便りをもらったのだそうだ。
彼女の頑張りを見て勇気づけられたという同級生の手紙はまた、津波の爪痕を走る彼女の背中を押し続けて、京都まで送りだしてくれたことだろう。


石巻工業高校の甲子園出場や、母校石巻女子高出身のランナーの活躍は、被災地石巻だけでなく、たくさんの人たちを勇気づけ、励ましてくれたことだろう。

日和山の桜のつぼみはまだ固いだろうが、来週にはほころび始めるだろうか…。
満開の桜が、傷ついた被災地の人々も心を癒し、希望を持たせてくれることを祈ってやまない。


笑福万来*(びっくり2)*

2012-01-01 16:32:00 | 徒然なるままに
1月1日


photo by toliton717 from OCNフォトフレンド

2012年が明けた。

今年の年賀状のデザインは、本当にぎりぎりまで決まらなかった。
喪中葉書の多さと、被災地の友人の住所が不明だったり、命は助かっても、正月どころではないかもしれないと思うと、「あけましておめでとでうございます。」とは書けなかった…。

そんな時、以前、校門用掲示板の『龍船に乗った七福神』を思い出した。
命や生活や故郷や思い出などかけがえのない宝物を奪った海が、また宝を与えてくれる…。
きっとそうなる。
そうなってほしい!
そんな願いを込めて、この絵に、新年のあいさつ代わりに『笑福万来』と書いて、年賀状を作った。
被災地には、震災見舞いとして普通葉書で出した。

笑顔が、どれだけ人を勇気づけ、癒やすことができるか。
TVに映る被災地の子どもたち、特に、震災時に生まれた赤ちゃんの笑顔は、本当の宝物だ。
この子たちが安心して暮らせる日本にしなくてはならない。
それは、被災地の人が頑張るのではない。あの地震で無事だった人たちが頑張るのだ。
東北は、頑張っている。これ以上ないくらい、泣きながら、泣きたいのを我慢して、頑張っている。寒さと闘いながら、今年もやがて3月11日をまた迎えようとしている。

クリスマスや、お正月なんて、家族のイベントを、どんな思いで迎えたことだろう。
去年までは、当たり前にあった家族や自分の家での普通の生活・・・。
昨日の紅白歌合戦は、どの出場者も、渾身の力を込め、魂を込め、歌の力で思いを届けていた。
被災地の人々も、見ていた全世界の人々も、その歌の力に感動したに違いない。

被災地の姿は、無事だった地域の未来の姿だ。
私たちは、しっかり学ばなくてはならない。いつか直面する未曽有の災害に備えて。
私たちは、しっかり支えなくてはならない。立ち上がろうとする人々の心が折れないように。
明日は我が身なのだという自覚を持って。


私は、今日の夜行バス*(バス)*で石巻に発つ。
2日にある中学校の同級会に出席するために。
みんなに会うのは4年ぶりぐらいか。楽しみな半面、辛い現実を受け止めなくてはならない場面もあるだろう。
でも、被災して自身も大変な中、同級会を立ち上げ、呼びかけてくれた仲間の心意気に応じたい。まずは、万難を排して参加すること。そして、私の元気を分けてあげて、皆を笑顔にしてくるんだ。

私の今年の目標は、一つ。
来年の大晦日に、「今年はいっぱい笑ったなあ…」と思えるようにすること。
笑顔は、誰かを笑顔にすることで、自分も心から笑顔になれると思う。
まずは、私の描いた年賀状を見た人が、にっこり笑ってくれたらうれしいな!*(笑顔)**(チョキ)*

『五十にして天命を知る』~今年の総括~

2011-12-25 12:00:00 | 徒然なるままに
12月25日(日)

一昨日から冬休みに入った。
「師走」の名の通り、忙しい毎日だった。いや、それは、12月に限ったことではないが…。
とりあえず、4月から、1日も怪我や病気で休むことなく、元気に(?)この9ヶ月間を勤め上げることができた。
 畑の違う専門外の仕事ばかりで、戸惑うことも多く、周りに迷惑をかけてばかりで、自信をなくすことばかりだった。
 でも、子どもたちに応援され、同僚達に支えられ、管理職先生方のご指導、、保護者の方々のご理解とご協力を得て、何とか、どうにかこうにかやってこられた。
 一時期、12Kg減ってしまった体重も、順調に(???)戻りつつあり、出なくなった声も、しわがれ声ながら(妙にドスの利いた声)、筆談ではない授業ができるようになった。
 先日の個人面談も、やる前以上の手ごたえを感じられる実りある面談となり、離任までの後3カ月の担任を、精いっぱい勤め上げるやる気と責任と喜びを感じられる面談だった。
 私の中で、どうして今年は小学校に縁があったのか、その答えと、これからの私が目指す方向性を考える大きな土台作り、準備のために必要な機会であり出会いだったということを改めで実感できた。

 私は、今年の7月で51歳を迎えた。

『五十にして天命を知る』

長男が大学を無事卒業し、4月からは社会人としてスタートができた。
長女が成人し、自分の夢をかなえて活躍中。
末娘が高校に入学。アルバイトを始めた。
子どもたちがそれぞれ成長したことを喜び合える春先に、とんでもないことが起きた。
3月11日の東日本大震災。私の故郷石巻をはじめ、東北地方を中心に、日本中の歴史が変わる未曽有の災害が起きた。
我が家は幸い、津波にも流されず、奇跡的に両親は無事だった。
でも、すぐにはかけつけられず、私が石巻入りしたのは、8月に入ってからだった。
8月1日の川開きを見、8月9から再び帰省し、娘たちと一緒にボランティア活動をした。
そこで、見聞きしたこと、感じたことを千葉に帰ってから、子ども達に、保護者に、同僚に、たくさんの人たちに伝え、発信してきた。

 すると、それまで、石巻に縁も所縁もなかった人たちが、それぞれのやり方で、支援の手を差し伸べてくださるようになった。
 しょっちゅう帰れない私に代わって、ボランティアに行ってくださった方、私の話をお母さんから聞いて、いてもたってもいられずに、仲間を集めて石巻にボランティアに行ってくださった方もいる。
 子どもたちも、節電や義援金など、意識的に協力をし、家の人にも呼び掛け、TVの特集番組を見ては、私の話を家でもするのだそう。被災地の小学生に向けて、心温まるメッセージを書き、被災地応援ソングを泣きながら歌う子ども達に、私はどれだけ励まされてきたことか…。
 この子ども達の故郷も、いつか同じような災厄が襲う可能性は非常に高い。すでに、『想定されていること』なのだ。

 私は、私自身の『宮城県沖地震』の被災者という体験と、今回の被災地出身者という立場から、まだ大きな震災にも津波にも遭っていない子どもたちが一人でも「自分の身は自分で守れる」ように、しっかり伝えるべきことを伝え、教えるべきことを教えて行かなくてはならない。それが、このたび亡くなった方々の御霊を供養することになるのだと信じて。
 だから、帰れない分、向うで活動ができない分、今立っている場所で、私は発信し続ける。地震の怖さを。津波の恐ろしさを。命の大切さを。『復興』の難しさを。人の温かさを。災厄は、いつどこに起きてもおかしくないという危機感と、「自分の身は自分で守る」という術を。今、被災地に何が必要なのかということを。

 そして、いつか、また帰ることができたなら、私にできる精一杯を、全身全霊をかけて、全力で尽くしたいと思う。
 石巻が元通りになることはあり得ない。亡くなった人や場所や物は戻らない。
 でも、地震や津波に襲われるより前の町よりももっと、地震に強い、津波に負けない、たくさんの人の命を守ることができる街づくりやネットワークづくりができる石巻に生まれ変われることはできるはずだ。
 助かった人の数だけ、そのKnow Howがあるはずだ。
 亡くなった人、未だ行方不明の人の数だけ、反省材料、検討課題があるはずだ。
 それらの取り組みは、時間がかかり、費用もかかることかもしれないけれど、生き残った人たちに託された大切な使命だ。多くの犠牲を無駄にしないためにも…!

 失ったものの大きさの前にうち拉がれて、いつまでも立ち上がれないでいても、前には進めない。
 失ったもの以上に大切なものや思い出を作ろうと、まずは立ち上がり、前に一歩踏み出さなくては。
 故郷の海は、多くの物を奪ったかもしれないけれど、今までも、これから先も、故郷に、たくさんの恵みを与えてくれる。
 自然を侮らず、上手に利用しながら、地球に優しい生き方を考え、それを実践して行くいい機会を得、自分たちは『試されている』んだという自覚を持つことが大切なのかもしれない。

来年と再来年は、いつか故郷にとって『甲斐ある人』と言われるように、修業を積みながら、発信し続け、できる支援を続けていく年にしたいと思う。

1月2日に、中学校の同級会がある。
自分たちも被災して大変な中、この会を立ち上げてくれた幹事の同級生たちに感謝し、万難を排して駆け付け、手伝いたいと思う。


この1年は、個人的にも波乱万丈の1年だった。
『心の震災』はまだ決着はついてはいないが、自分の中では、整理と決別はつきつつある。自分自身の世間知らずな部分や、これからわきまえておかなければならないことなど、生きていくのに必要な知恵や情報や段取り、面倒な手続きとの向き合い方、取り組み方を学ばねばならない。それが、自分の第2の人生に踏み出すためのパスポートならなおのこと。
 そのためにも、自分の身体のメンテナンスや、先立つモノの確保について、怠りのないようにして行かなくてはならない。健康とお金は、無くなってしまってから慌てても遅いのだ。

 さて、今年もあと1週間を切った。来週の日曜日は元旦だ。
気持ちよく新年を迎え、スタートできるよう、『今年の課題は今年のうちに』片付けよう!

柿の実取りをしたよ!

2011-11-27 18:21:00 | 徒然なるままに
11月23日(木)

今日は勤労感謝の日。子どもたちは、働いてくれているお父さんやお母さんに、感謝状をわたすという「ミッション」をちゃんと果たしているかな?

 午前中は、去年、*(車)*車の免許を取った妹運転練習につきあった。車に乗ったとたん、
「お姉ちゃん、ブレーキってどっちだったっけ?」
と言われ、私は背筋が凍り*(青ざめ)*、全身に力が入ってしまった。その後の2時間は、緊張と恐怖の連続だった。助手席に座った私の右足は、あるはずのないブレーキを探して、終始、空中をさまよっていた。*(汗)*
 
 午後からは、庭の柿の実取りを頑張った。何年か前に、柿の木の枝払いをして、背中ギックリを患って以来、柿の実は鳥のえさになっていた。
 今朝、近所のおじさんに、
 「お宅の柿の木にはメジロがよく来ていますね。せっかくの渋柿、鳥のえさだけではもったいないですね。」
と言われ、この木とも今年限りになるかもしれないと思い、思い切って柿の実取りをすることにしたのだ。
 やってみたら、難しけれど面白くって、1時間ぐらい夢中になって取りまくった。半分ぐらいは鳥につつかれていたり、熟しきっていたり、取り損ねて落として傷つけてしまったりで、きれいな実はあまりなかったけれど、良さげなのをお爺さんのところに届け、喜ばれた。


photo by toliton717 from OCNフォトフレンド


photo by toliton717 from OCNフォトフレンド

バザーで太鼓をたたいたよ!

2011-11-27 17:30:00 | 徒然なるままに
11月26日(土)

 学校のバザーがあった。オープニング・セレモニーで、お祭りクラブの子ども達と太鼓を叩いた。練習不足は、掛け声でカバー。クラスの子どもたちが見に来てくれて、
「太鼓、迫力あって、先生かっこよかった!」
「『わっしょい!』って言ってスキップするところ、先生、子どもみたいだった
と、なんだか私ばかり見ていたみたいな感想だった。

 その後は、休憩所の図書室で、折り紙で独楽を作ったり、オリジナル栞作りのワークショップを手伝い、読み聞かせのボランティアをした。
以前、クラスで『おまえ、うまそうだな』(宮西達也作・絵)を読んだのだが、あのティらノザウルスが恋をする『あいしてくれてありがとう』(宮西達也作・絵)を読み聞かせているうちに、感動して涙声になってしまった。*(汗)*子ども達も、シンとなって最後まで息を詰めるようにして聞いてくれていた。
図書室のコーナーは例年になく大盛況で、図書ボランティアのお母さんたちや、他学年の子どもたちとも交流ができてとても楽しかった。