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「PLAYtoPLAY」(遊玄社)を見て

2003-05-02 14:32:00 | 徒然なるままに
3月29日(土)

市民会館で「PLAYtoPLAY」(遊玄社)を見た。
以前「イソップらんどのどうぶつたち」という公演を見た同じ劇団だった。

前回は「布の魔術師」関谷幸雄氏の演出ならではの布を使った「動物ごっこ遊び」は、まだ小さかった上の子2里と主人が、家に帰ってきてからも、一緒になって「まねっこ」して遊んでいたっけ。

今回もテーマは「ごっこ遊び」
ストーリーは3人組の変な格好をしたおじさんが、ゲームに熱中したり、集団遊びが苦手だったり、戦いごっこと称して、「いじめ」にしか見えないような遊び方をしている子どもたちに対して、身近にあるものを使って、大道芸のようなことをして見せたり、いろんなものに見立てていろんなごっこ遊びをしながら、子ども達を「遊びの世界」に引き込んでいく。

小さいころ、風呂敷を羽織って、「パーマン」ごっこをしたり、お面をかぶっただけでバレリーナになりきったり、ギターを持ったらすっかり「キカイダー」になりきっていたり・・・。
誰にでもそんな思い出があるはず。
子どもたちにはそんな自由で奇想天外で、アイディア一杯の「想像力」がある。はずなんだと思う。これは子どもの特権なのだ。

泥んこ遊びだって、ちゃんばらごっこだって、ままごとだって、「子ども時代」だからこそ思いっきり遊べるんだと思う。

そんな子ども達を、家の中にこもらせ、服を汚さず、友達同士対面することもなく、ストレス発散に、弱い子をターゲットにした遊びに興ずる、やたらに金がかかる遊具を欲し、持って居ないと仲間に入れてもらえない。
どこかおかしい。子どもが変わったのか?便利な時代になったのか?

劇の中の子供たちは、そのうち自由な発想で遊びだし、いろんな遊びが繰り広げられたり、チームワークが出来てくる。

会場の子どもたちは、一歳児から中学生ぐらいまでの年齢層がいたが、皆夢中になってその展開を見ていたと思う。
大人達にとっては懐かしい、今の子供たちにとっては珍しい遊び・・・。

もしかしたら、大人達のほうが「遊ぶ」楽しさを忘れてしまったか、遊び方を知らないまま大人になってしまったのかも知れない。
だって、昔は、近所には凧揚げ名人も、ベイごま名人も、けんだま名人も居た。
町内の仮想大会には、町を上げて趣向を凝らし、町内運動会は、小学校の先生方も加わって、大人気ないまでに興奮した。
秋祭りは、その年齢に達した子どもは、町内の「師匠」たちから、踊りや太鼓や、笛の手ほどきを受けた。
海開き前に住人総出の浜掃除。
地引網の日は、大人も子どもも入り混じって皆で力をあわせて声を掛け合う。
私の小さいころ育った海辺の小さな町は、そんなところだった。

今日の劇を見て、遊びを知らない、遊ぶ楽しさを知らない子どもたちに、一緒になって遊び方や、遊ぶ楽しさを伝えてあげられる大人でいたい。と思った。

ビデオや、ゲームに子守りをさせて子育てしてきた「しわ寄せ」が大きくならないうちに・・・。

小さい頃、『バグダッド』は、不思議な魔法の夢の都だった。

2003-05-02 13:23:00 | 徒然なるままに
3月27日(木)

戦争がはじまりましたね。今日の朝日新聞の1面に、不安そうに窓の外を眺めているイラクの子供たちの写真が載っていました。
同じような年頃の子どもを持つ身としては見につまされる様な写真でした。
小さい時、アラビアンナイトやシンドバッドの冒険に夢中だった頃、『バグダッド』は、不思議な魔法の夢の都だった。
その町が空爆、誤爆にあって、多くの人の血が流れ、メソポタミア文明の遺跡が危機に瀕している。

毎日、暗澹たるニュースと映像に憤りと、自分自身をも含めての、情けなさを感じながら、アカデミー賞の話は、明るいニュースであり、また、受賞の場で反戦を訴えた受賞者に、敬意と拍手を送りたいです。

今回は、こういう世界情勢で、おおっぴらに喜び合えない受賞になってしまったけど、近い将来この戦争が終結する頃には、世界中の人がその受賞を喜び合えるような素晴らしい作品を、ぜひ、宮崎駿監督に作って頂きたいです。

             Mariさんへのメールより

温故知新―鎌倉にて

2003-05-02 13:15:00 | 徒然なるままに
3月26日(水)

お彼岸を過ぎて、いよいよ本格的に春がやってきましたね。

20日から昨日まで実家の母がきてくれて、いていろいろ相談に乗ってくれたり、家中を魔法使いのようにピカピカにし、庭木や草花をよみがえらせていってくれました。
本当に、親ってありがたいです。

昨日は、その母と、妹、子どもたちを連れて鎌倉の親戚の家に行ってきました。
行く途中、あいにくの雨でしたが、木蓮や梅が満開で古都鎌倉は春爛漫でした。

親戚のおじさんは、今年80歳を迎えますが、9年前に大手術をし、社会復帰し、また去年6月に危篤状態から奇跡の生還を果たし、その後、ガンの死術をし、今は自宅療養をしています。
現役時代は消防のレスキュー隊で活躍したその気力と体力と生命力には、本当に驚かされます。
第2次世界大戦にもかり出され、南方に送られる途中の船の中で肺を病み、物資と一緒に本国に送り返され、生き残ることが出来た。

当時、いろいろあって、とげとげしかった息子が去年お見舞いに行ったとき、そのおじさんの
『自分に負けるなよ。最後まで諦めてはダメだぞ。自分の人生は自分が決めるんだ』
の言葉が、彼の心の中にストーンと落ちて、いつか芽を出す日を待ちわびている種となって息づいているのでしょうか。
「おじさんのところにいく?」
と聞いたら、素直についてきてくれました。

あの戦争を生き抜いて、人の命を救う仕事に命と誇りをかけて生き抜いてきた『男気』は、私なんかの中途半端な口うるさい母親のどんな言葉や、行動よりよっぽど説得力があるのですね。

今回の戦争についても、『戦争を知らない子ども達』世代の私たちには、経験者の話はとても貴重でした。

『歴史は繰り返す』。『温故知新』で、繰り返してはならない、でも、貴重な体験をしてきた人たちが存命のうちに、多くを学ばねばと思います。そして、時代を担う子ども達に、伝えていかなければと思います。

早く、『千と千尋の神隠し』アカデミー賞受賞を素直に大っぴらに喜び合える、平和な世の中にするために・・・。

             yukiさんへのメールより


「ミュージック・オブ・ハート」を見て

2003-05-02 12:56:00 | 徒然なるままに
3月20日(木)

夕べ、送別会が終わって帰ってきたら、妹が起きていて、TVで映画を見ていた。
メリル・ストリープが出ていた。
途中までのあらすじを聞いて興味を持ち、一緒に見た。


「ミュージック・オブ・ハート」
             99年 米 123分    ウエス・クレイブン 監督
二ューヨーク・イースト・八一レムに臨時の音楽教師ロべルタ(メりル・ストリープ)がやって来た。夫に逃げられ、男の子二人を育てるために職を探しに来たのだ。貧困、犯罪、暴力、人種問題の渦巻く八一レムの子供たちにバイオリンを通じて音楽を教えようというのだ。先輩教師は言う。「ドレミすら覚える根気がないんだぞ。」そんな子供たちに立ち方の基本から教え始めるロべルタ。やがて八一レムに「人の心」を動かす大きな波紋が広がって行く。これは実在の人物を映画化した感動の物語である

見終わって、この話が実話であると言うことに感動した。
それと、主人公の前向きさ、子ども達をはじめ、音楽で心が結ばれた人たちの、音楽を愛する心とと、その演奏するという表現に対しての純粋さに、心を打たれた。
今、私は、中学の美術教師を目指し、試行錯誤の毎日を送っているのだが、芸術系教科に対しての時間数が減り、子供たちの表現や、創作活動に対しての、今の教育のあり方に疑問を抱いていた時だけに、人事ではない内容だった。

これを見て、思ったことは、その大切さをみんなに分ってもらうためには、最後は理屈ではないと言うことだった。
まずは、表現することの、難しさも、喜びも、身をもって経験すること。
練習したり、指導を受けたり、仲間と励ましあうことで、自分の課題をクリアしていき、発表する。
本番は、練習どおりには行かないかもしれない。でも、それまで必死に積み上げてきた努力は残る。
上手い下手は二の次、心をこめて表現できるか。それが大切。
それは必ずや見るもの、聴く者の心に届き、響く。
そして拍手。
達成感と、会場との一体感。自己存在の確認。
これは、ペーパーテストでは計り知れない、その子の可能性と達成度である。
映画ではその表現手段はヴァイオリンだった。
それは、どんな楽器でも、絵でも演劇でも、スポーツでも同じことが言えるだろう。
子供たちが、自分を表現できるものであれば。

主人公の前向きさは時に、母親の立場から見ると、痛々しく、身につまされる。
でも、その主人公が、いつも、自分を支え、見守っていてくれた母親に、感謝の言葉を言うシーンが印象的だった。
その母親はこう言うのである。
「感謝するのなら、彼(女に逃げた夫)にしなさい。彼があなたにチャンスをくれたのよ。」

実際、彼女はこのコンサートの成功と、この実話が話題を呼んで、このような映画となり、現在も活躍している。

「ハリー・ポッター」の作者J.K.ローリング氏は、夫と離婚後、ベビーカーで喫茶店に入り、そこでこの物語を書いたという。

母は強し。逆境にあって屈しない。自分のポリシー。プライド、夢を捨てずに立ち向かう。そしてその前向きな意欲とひたむきさ。

とても勇気と希望をもらった映画だった。