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まとめ日記  8/30~9/4

2010-09-04 20:59:00 | 徒然なるままに
う~ん、またまた日記が1週間もたまってしまったので、一気にまとめ日記を書くことにした。いつもながら長文になるかもしれないので、例によって、スクロールして、気になるところだけ読んでくださいね。


*(笑顔)*1年生土器作り、焼成へ

8月30日(月)

今日は、1年生の土器を業者さんに焼成してもらうために、梱包したものの運び出しの作業をした。
去年の学校は同じ4階に美術室があったが、エレベーターが付いていたので、さほど苦労はなかった。
が、今年は第2校舎の4階の思いっきり端っこに美術室があり、もちろんエレベーターなんかない。
業者さんに
「運動部の生徒さんは手伝ってくれませんかね?」
と聞かれたが、
「粘土を運ぶなら手伝ってもらいますが、作品を運ぶときに、何か事故があったら、生徒の責任にはさせられませんので、私が運び出しのお手伝いをします」
とは言ったものの…。
重くならないように一つの箱に5~10個ぐらいづつつめたので、105人の生徒分(一人1作品とは限らない)と私の作品『ネコバス』を合わせて15箱を4階から1階の職員玄関まで運んだ。
これも、マチュピチュへの筋トレだと思って、汗だくになりながら頑張った!

出来上がりは9月20日ごろになるそうだ。出来上がりが楽しみだ*(酔払い)*。

今日はレディースデイということで、仕事帰りに映画を観た。
本当は『アリエッティ』をもう一度見るつもりで行ったのだが、まだしばらくやっているらしいのと、まだ原作本を読破していないので、今日はやめにした。
その代わり、予定外だったが『ハナミズキ』を観た。
映画館で見るほどでもないかなあ…と思いながら見ていたのだが、観た後はとてもさわやかで、こういう映画もたまにはいいなと思った。
ちょうど、北海道の漁師の人たちの働く姿を観ることができ、今度体育祭で踊るソーラン節のイメージにぴったりだった。


*(キラキラ)*ルネサンス(再生)

8月31日(火)

末娘は今日から新学期が始まった。
私の勤務校は明日から。今日は、明日配布する学年だよりを仕上げた。
この学校の合言葉は『ルネサンス』。(仏: Renaissance 直訳すると「再生」)
創立当時、勉強も部活動も生徒会活動もとても活気があり、優秀な成績を残した栄光の時代があるこの学校は、生徒数が一番多い時は1500人もいたのだそうだ。
その後、いろいろな経緯を辿りながら、生徒数は現在280人と激減しながらも、がんばっている学校だ。
かつての活気を取り戻そうという思いを込めて命名されたということだ。

確かに、赴任してきて思うのは、地域は高齢化しつつも元気があるのだが、次代を担う中学生たちに『覇気』があまり感じられない。
やる気がないのでも、元気がないのでもなく、単純に『面倒くさい』という理由で、何事にもフットワークが重い。声が小さい。
これは、この学校に限らず、今の中学生に共通して言えることなのだと思う。

でも、それはけして子どもたちのせいだけではないと我が身を振り返りながら反省することしきりだ。
母親としての私はどうだろう?
家事でもなんでも、面倒くさがってはいないか?
子どもたちやご近所とのコミュニケーションは?
『忙しい』を理由にして、手をかけ、手間をかけ、声をかけることを面倒くさがってはいないだろうか?
教師としてはどうか?
自分なりにがんばってはいるつもりでも、がんばりどころを間違えてはいないか?
興味のあることを優先して、やるべきことを後回しにしたりはしていないか?

『学年だより』に『ルネサンス』のことを書きながら、私自身も、『ルネサンス』しなければと思った。
初心*(初心者)*に戻ること。
自分自身の『文芸復古』を頑張ること。面倒くさがらず、意欲的に、バランス良く取り組むこと。
気力、体力ともに Renaissance「再生」を目指そう!



*(グー)*2学期スタート!*(ダッシュ)*

9月1日(水)

いよいよ2学期が始まった。みんないい色に日焼けしている。
1時間目は避難訓練だったが、私は夏休み中に足を骨折してしまった生徒について、教室で待機していた。
3階の教室までようやく上がってきた生徒を避難させるのは、本人も周りの大変だということで、教室待機になったのだ。でも、さすがに、避難訓練で教室に一人残されるというのはさびしいし、不安だろうということで、私が付き添うことになったのだ。

私も骨折した時の話など二人で雑談をしていると、教室に生徒たちが戻ってきた。
しばらく様子を見ていたら、みんないつもと変わらないようにしながらも、さりげなく気遣っている様子を見てほっとした。これも彼の日ごろの人徳から来ているところもあるのだろう。
1日も早く怪我が治って、彼の元気に白球を追う姿を見たいと祈った。

5時間目は体育祭の結団式があった。赤・青・白の3色に別れて戦うというこの学校の体育祭は11日にある。
せっかくの決断式なのに、各組の鉢巻きも団旗もないのが残念だった。

放課後に、応援団のミーティングとソーランの講習会があった。
明日からのソーランの練習に、私のアシスタントとして見本の踊りを見せてくれるよう、講習会を開いたのだ。
去年の運動会で踊って以来という2,3年生は、最初の方こそ先が思いやられるような感じだったが、口で言うより踊って見せたほうが早いと、踊って見せたところ、目つきが変わってきた。
一つ一つの振り付けや動作に意味があることを丁寧に教え、踊って見せながら、みんなの前で踊るうち、さすがに応援団に立候補しただけある気合いの入った踊りになっていった。
それを見ていた1年生たちも、小3の時に踊って以来だという生徒や、初めて踊るという生徒も、みんな見よう見まねで、でも声だけは先輩に負けないぐらい張り上げて踊っていた。

さあ、今年は今までで最高のソーランを全校生徒一丸となって踊るぞ~!!



*(波)*ロックソーランと飛ぶ男

9月2日(木)

いよいよ今日から全校生徒を対象にしたソーランの練習が始まった。
今日は、3年生が実力テストなので、1,2年生が2時間ずつ練習した。
1年生は初めての生徒もいるので、1から一つ一つ丁寧に教えた。全曲フルで踊っても見せた。
2年生は、去年踊っているので、最初に踊ってもらったのだが、だいぶ忘れているというか、踊りになっていない生徒が大多数だった。
でも、一つ一つの振り付けや動作の意味と型を解説しながら、かっこよく踊るポイントを教えてあげたら、みるみる上手に踊れるようになっていった。
とにかく、3年生の踊りを引き立てるのも、1年生の手本になるのも、2年生の踊りにかかっているという責任の重大さを伝えた。
声が小さいのが気になったが、きっと1年生の元気な声に励まされてがんばってくれることと思う。

とにかく2学年教え終わった後の汗の量が半端ではない。2枚のTシャツは絞るとボタボタ汗が落ちてきた。
ほとんど生歌で歌いながらの指導だったので、のどはカラカラ。麦茶を飲んでも飲んでも渇きが癒えなかった。
でも、怖いのはこれから出てくる筋肉痛。ストレッチは十分したつもりだが、現役を引退してから5年間もまともに踊っていないのだ。
ウォーキングの成果があってか、動悸・息切れのほうは大丈夫だったが、2日間もあんなに思いっきり踊って、明日の3年生の指導の時に、ちゃんと踊れるのだろうか・・・・*(青ざめ)*

今日は、最終下校時に退勤させてもらい、末娘と*(映画)*『BECK』の試写会に行った。
原作の漫画の方は読んでいないが、なかなか見ごたえのある映画だった。まだ公開前なので、ネタばれになるようなことは言わないが、ロック好きでなくても元気と勇気がもらえる青春ドラマとしてお勧めだ。去年の誕生日にギターっを買ってもらって以来、うっちゃっておいた娘のハートの火がついたらしい。(←古臭い言い方?*(汗)*)

観終わった後、娘とジョナサンで食事をしながら、いろいろ熱く語り合った。
結論。ロックも、ソーランも、飛び上がる男はカッコイイ!



*(波)*ソーラン講習3日目 校庭で全校生徒で踊る 

9月3日(金)

今日は1,2時間目は1年生の数学のテスト。3時間目は3年生のソーラン講習。4時間目はゴッホの鑑賞のテスト。5,6時間目は炎天下の校庭でソーランの全体練習という、超ハードな1日だった。

3年生も昨日の2年生同様、最初のほうはなんだかエンジンがまだかかっていない生徒が多かったが、最後の体育祭、最上級生という自覚を持たせ、『プライド』をくすぐるようなハッパかけをしたところ、みるみる踊りが良くなっていった。特に本番は最前列で、来賓の前で長半纏を着ることになるであろう応援団のメンバーの気合いの入り方はさすがだった。全校生徒を引っ張って、最高のソーランを踊るという気持ちが伝わってくる踊りだった。
この子たちが当日、最後のポーズを決めた時に、一体感と達成感でいい笑顔になれる様な踊りを踊らせてやりたいと心から思った。

5,6時間目は見事な秋晴れの炎天下の中で全校生徒によるソーランの隊形移動を入れた練習をした。
カラカラに乾いた校庭の土埃の中、昨日今日の練習の成果もあって、踊りこむほど気合の入った踊りができるようになっていった。
と同時に、みんなが頑張れば頑張るほど、やる気のない生徒が異様に眼立つようになってきた。
群舞とは不思議なもので、上手な生徒より、やる気のない、だるそうな、いい加減な踊りを踊る生徒の方が目立つのだ。
本人はみんなががんばっているなら自分ひとりぐらい踊らなくてもべつにいいんじゃね?なんて思っているのだろうが、
観客席から見ていると、そういう生徒ほど「具合が悪いのかしら?」と心配で気になったり、「あいつやる気あんのか!ひっこめ!!」とイライラのもとになってしまうのだ。
ビデオで撮ってもそこだけが踊りの輪が崩れて目立ってしまうのだ。
これは、いやいや踊っているほうも、それを見せられる方も、苦痛で残念なことだ。

学校の体育祭で踊るソーランは、ソーラン好きなメンバーが年間を通して一生懸命練習した踊りとは違い、好きじゃないのに、得意じゃないのに、やりたくないのに踊らされているというモチベーションの低い生徒もいて当然なのだ。
でも、やる以上はけが防止の意味も含めて、みんなと同じ動きをしてくれないと困るのだ。
そこで、全校生徒にメッセージを送った。これは、前前任校の校長が体育祭の予行の時に全校生徒に送った言葉で、以来、私の座右の銘でもある。

 どうせやるなら、精いっぱい
 どうせやるなら、心を込めて
 得意、不得意は関係ない
 どうせやるなら 勝ちに行け!

この言葉には、去年の3年生からも、
「いい言葉を教えていただいて、ありがとうございます。これからすべての学校行事に『最後の』という言葉がつきますが、先生の言葉を胸に、残りの中学校生活を充実させていきたいです。そして、必ず志望校に合格し、最高の卒業式を迎えたいです」
というメッセージをもらった。

ルネッサンス。再生。
昭和60年代、日本一荒れていたという北海道の稚内南中学校が、この『南中ソーラン』を作り、取り組むことで、南中だけでなく、当時200海里問題で活気を失くしていた稚内の町まで活気を取り戻した、まさに『再生』の踊りだ。その取り組みは、TVのドキュメンタリーで紹介され、『学び座』という映画にもなり、TVドラマ『3年B組金八先生』でも取り上げられ、札幌よさこいソーラン祭りのルーツにもなり、その踊りの輪は国内だけでなく、海外にまで広がっているのだ。

ソーラン隊長を引退して4年になるが、今まで置き火状態だった私のソーラン魂も、この体育祭をきっかけに『再燃』した。
日ごろの運動不足の解消も兼ねて、来週1週間、気合いを入れてがんばるぞ!!



*(本)*恩師の言葉

9月4日(土)

今日は、劇団養成所時代の恩師の公演を観に行った。
先月、
「稽古中に倒れ、現在入院中。退院の翌日から立ち稽古に入ります。」
というお手紙と一緒に公演の案内をいただき、心配していた。
ロビーで、お元気な姿を目にして、ひとまず安心して芝居を見た。

休憩中と公演後にお話しする機会があり、今年度は演劇部の顧問になったことや、今度、学校で生徒たちの前で朗読劇をすることを報告した。
「先日、台本を読みながら、被爆者の母の手記を読む時に泣けて泣けてしょうがないのですが、泣かずに読む方法はないでしょうか」
と相談したら、
「泣きながらでもいいから、何を言っているのかは聞き手にはっきり伝わるように読めばいいのですよ」
とアドバイスしてくださった。
私は、泣きながら読んだら見ている方は引くかなあとか、流ちょうに音声としてはっきり読んでも、内容は伝わらないんじゃないかとか、余計なことで悩んでいたのがいっぺんでふっ切れた思いだった。

何度読んでも涙なしでは読めない文章を、泣かないようしながら読めないのは私が未熟だからと決めつけていた。
書いた人の気持ちになって素直に読めば、自然と涙は出てくるし、泣き声になってしまうのは当たり前のことなのだ。
演技でもない。自分に酔っているのでもない。それだけの力がある、気持ちが込められている文章なのだ。
小手先のテクニックではなく、こういうことが昔実際にあり、あのきのこ雲の下ではこんな気持ちで亡くなったり、家族を失った人たちがたくさんいたんだということを子どもたちに伝えたい。
その一心で読めばいいのだ。

先生、ありがとうございます。
もう一度、役者の原点に立ち返り、子どもたちの心に残る朗読劇を成功させられるよう、がんばります。

『イノセンス』~シーザーを理解するためにシーザーである必要はない~

2010-09-04 10:50:42 | アニメ


種田陽平氏がかかわった作品の中に、押井守監督の『イノセンス』がある。
TVシリーズにもなった、士郎正宗による漫画作品の『攻殻機動隊』の劇場版で、1995年公開のアニメ『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の続編にあたる。

劇場公開時に見に行ったが、私は、原作も前作の『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』も知らないで、いきなり劇場版を観たので、ストーリーや、その設定について行けず、アニメーションの質としては素晴らしテクニックや背景美術ではあるのは分ったが、内容はさっぱり分からなかった。

今回、種田陽平氏がプロダクションデザイナー(美術監督)としてかかわっていたと知り、その視点からもう一度見て見ようと思ってDVDを借りてきた。

冒頭に、『この作品の世界に入る前に』ということで、『攻殻機動隊』の世界の2039年という時代の設定の説明や、『攻殻機動隊』とはどういう組織か、また、それぞれの登場人物についてなど、分かりやすい解説が付いていた。

そのお陰で、かなり世界に入りやすく、また、以前見て疑問だった点も答えがわかって、興味深く観ることができた。
http://www.production-ig.co.jp/contents/works_sp/1160_/
http://www.bandaivisual.co.jp/oshiimamoru/

時代は21世紀、第三次核大戦と第四次非核大戦を経て、世界秩序は大きく変化し、科学技術は飛躍的に高度化した。その中でマイクロマシン技術(作中ではマイクロマシニングと表記されている)を使用して脳の神経ネットに素子(デバイス)を直接接続する電脳化技術や、義手・義足にロボット技術を付加した発展系であるサイボーグ(義体化)技術が発展、普及した。その結果、多くの人間が電脳によってインターネットに直接アクセスできる時代が到来した。人間、電脳化した人間、サイボーグ、アンドロイド、バイオロイドが混在する社会の中で、テロや暗殺、汚職などの犯罪を事前に察知してその被害を最小限に防ぐ内務省直属の攻性の公安警察組織「公安9課」通称「攻殻機動隊」の活躍を描いた物語。(Wikipediaより)

かつて、『銀河鉄道999』で、機械の体を求めて旅する少年鉄郎と亡くなった母によく似た姿の美少女メーテルが、いろいろな惑星に立ち寄りいろいろな人たちとの出会いから、『機械の体』と『生身の体』について葛藤しながら旅するシーンがあった。

『電脳化』によって、瞬時にして他人と情報を共有することができるということは、同時に、自分の脳の中に他人の意識が入り込んできたり、覗かれたり、コントロールされたり、全く別の情報を埋め込まれたり、乗っ取られたりするということにもなりかねないのだ。

そんなことが、あと20年も経ったら当たり前のように行われていると思うとぞっとする。
と言いながら、今だってサイバー犯罪ほどんどん広がっている。若者の携帯電話依存症、子どもたちのゲーム脳などは、近未来の電脳化の前哨戦なのかもしれない…。
大人だって、必要な栄養はサプリメントで摂取し、どこに行くにも車を使っている。生身の体でありながら、自然治癒力も免疫力も落ちて『薬漬け』になっているのは、はたして健康な体といえるのだろうか…。

『イノセンス』の美術は、改めて見ると、近未来のアジアのものすごいエネルギーを感じた。近代化される都市の裏側で、たくましく、したたかに生き延びているドヤ街のエネルギーと胡散臭さがうまく出ていたと思う。

音楽も「傀儡謡」のコーラスは75人の民謡歌手を集め、更にクライマックスに使用された傀儡謡ではコーラスを4回収録し、それを同時に流す事によって音に厚みを増しているというこだわりよう。あのこぶしの聞いたコーラスとキーの高さはアジアンテイストをうまく表現していると思う。

押井守監督が『うる星やつら』の劇場版『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』でも使っていた、同じ時間を何度も繰り返す不思議な現象も、作品の中で用いられている。

『公安九課』のリーダー荒巻氏が引用した「シーザーを理解するためにシーザーである必要はない」(マックス・ウェーバー『理解社会学のカテゴリー』)の言葉はすごく心に残った。
また、『鳥の血に悲しめど、魚の血に悲しまず、声有る者は幸福也』(斎藤緑雨)も、
『ロバが旅に出たところで馬になって帰ってくるわけではない』(西洋の諺)も興味深かった。

改めて、『攻殻機動隊』の原作漫画を読み、TVアニメシリーズを最初からてみようと思った。

*(映画)*『イノセンス』~シーザーを理解するためにシーザーである必要はない~

2010-09-04 09:19:00 | 徒然なるままに
8月29日(日)
種田陽平氏がかかわった作品の中に、押井守監督の『イノセンス』がある。
TVシリーズにもなった、士郎正宗による漫画作品の『攻殻機動隊』の劇場版で、1995年公開のアニメ『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』の続編にあたる。

劇場公開時に見に行ったが、私は、原作も前作の『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』も知らないで、いきなり劇場版を観たので、ストーリーや、その設定について行けず、アニメーションの質としては素晴らしテクニックや背景美術ではあるのは分ったが、内容はさっぱり分からなかった。

今回、種田陽平氏がプロダクションデザイナー(美術監督)としてかかわっていたと知り、その視点からもう一度見て見ようと思ってDVDを借りてきた。

冒頭に、『この作品の世界に入る前に』ということで、『攻殻機動隊』の世界の2039年という時代の設定の説明や、『攻殻機動隊』とはどういう組織か、また、それぞれの登場人物についてなど、分かりやすい解説が付いていた。

そのお陰で、かなり世界に入りやすく、また、以前見て疑問だった点も答えがわかって、興味深く観ることができた。
http://www.production-ig.co.jp/contents/works_sp/1160_/
http://www.bandaivisual.co.jp/oshiimamoru/

時代は21世紀、第三次核大戦と第四次非核大戦を経て、世界秩序は大きく変化し、科学技術は飛躍的に高度化した。その中でマイクロマシン技術(作中ではマイクロマシニングと表記されている)を使用して脳の神経ネットに素子(デバイス)を直接接続する電脳化技術や、義手・義足にロボット技術を付加した発展系であるサイボーグ(義体化)技術が発展、普及した。その結果、多くの人間が電脳によってインターネットに直接アクセスできる時代が到来した。人間、電脳化した人間、サイボーグ、アンドロイド、バイオロイドが混在する社会の中で、テロや暗殺、汚職などの犯罪を事前に察知してその被害を最小限に防ぐ内務省直属の攻性の公安警察組織「公安9課」通称「攻殻機動隊」の活躍を描いた物語。(Wikipediaより)

かつて、『銀河鉄道999』で、機械の体を求めて旅する少年鉄郎と亡くなった母によく似た姿の美少女メーテルが、いろいろな惑星に立ち寄りいろいろな人たちとの出会いから、『機械の体』と『生身の体』について葛藤しながら旅するシーンがあった。

『電脳化』によって、瞬時にして他人と情報を共有することができるということは、同時に、自分の脳の中に他人の意識が入り込んできたり、覗かれたり、コントロールされたり、全く別の情報を埋め込まれたり、乗っ取られたりするということにもなりかねないのだ。

そんなことが、あと20年も経ったら当たり前のように行われていると思うとぞっとする。
と言いながら、今だってサイバー犯罪ほどんどん広がっている。若者の携帯電話依存症、子どもたちのゲーム脳などは、近未来の電脳化の前哨戦なのかもしれない…。
大人だって、必要な栄養はサプリメントで摂取し、どこに行くにも車を使っている。生身の体でありながら、自然治癒力も免疫力も落ちて『薬漬け』になっているのは、はたして健康な体といえるのだろうか…。

『イノセンス』の美術は、改めて見ると、近未来のアジアのものすごいエネルギーを感じた。近代化される都市の裏側で、たくましく、したたかに生き延びているドヤ街のエネルギーと胡散臭さがうまく出ていたと思う。

音楽も「傀儡謡」のコーラスは75人の民謡歌手を集め、更にクライマックスに使用された傀儡謡ではコーラスを4回収録し、それを同時に流す事によって音に厚みを増しているというこだわりよう。あのこぶしの聞いたコーラスとキーの高さはアジアンテイストをうまく表現していると思う。

押井守監督が『うる星やつら』の劇場版『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』でも使っていた、同じ時間を何度も繰り返す不思議な現象も、作品の中で用いられている。

『公安九課』のリーダー荒巻氏が引用した「シーザーを理解するためにシーザーである必要はない」(マックス・ウェーバー『理解社会学のカテゴリー』)の言葉はすごく心に残った。
また、『鳥の血に悲しめど、魚の血に悲しまず、声有る者は幸福也』(斎藤緑雨)も、
『ロバが旅に出たところで馬になって帰ってくるわけではない』(西洋の諺)も興味深かった。

改めて、『攻殻機動隊』の原作漫画を読み、TVアニメシリーズを最初からてみようと思った。