4月20日(火)
今日、この2日ばかり調子の悪かったFAXを直したとたん、ショックなお知らせが流れてきた。
19日未明、11年来の友人が亡くなった。
50歳。卵巣癌だった。
彼女との出会いは、息子が入園して参加した人形劇サークルで、私たちは同期生だ。
私は入園を機にだったが、彼女は、お嬢さんが卒園後も園に関わっていきたいという気持ちからだった。
弘前市出身の彼女と石巻市出身の私は、同じ東北出身で意気投合し、
「いつか東北弁の人形劇をやろうね」
と約束していたが、今となっては叶わぬ夢になってしまった。
いつも明るくて、控えめだけどしんは強く、他人を和ませる笑顔の持ち主だった。
その彼女に、一度だけ、ピシリと厳しい表情で叱られたことがある。
末娘を身ごもったときのことだ。
その頃の私は、とても妊娠を受け止め、出産に前向きな気持ちになれないほど過酷な状況にあった。
頭と心と体がバラバラだったような気がする。
そういう私の不用意に発した
「3人目ができちゃって・・・」
という言い方に彼女は鋭く反応した。
彼女は、結婚後、なかなか子どもが授からず、何年も遠くの病院まで不妊治療を受けに行き、やっとの思いで授かったものの、自分の命と引き換えにするような難産の末、子どもを授かったという経験の持ち主だった。
彼女の穏やかで和やかな家庭の根底に、そんな壮絶なドラマがあったなんて・・・。
彼女は私に、自分の過去と、私が今の状況での妊娠という現実をどう受け止め、自分の中で消化し、芽生えた命の重みと尊さに感謝しなければならないかを心を込めて語ってくれた。
私も、子どもたちも、主人も、もう一人の赤ちゃんを望んでいた。
でも、いろいろな事情から、私はその後の育児についての漠然とした不安と、過酷な現状を抱えていた。
あの時、彼女と話したことは、その後の私にとって、大きな心の支えになっている。
そればかりか、末娘を見るたび、一瞬でも躊躇した自分を後悔すると同時に、彼女の言葉がいつも心に響いている。そして、末娘がこうして私のもとにいることを心から感謝せずにはいられない。
いつか、娘が大人になって、母になったとき、一緒に彼女のお墓参りをして、そのときのことを話してあげようと思う。
こうしていても、彼女がいなくなったなんて、まったく現実感がない。
夕方、何人かの友人に連絡を取ってみたが、皆ショックを受けていた。
この言いようのない喪失感。取り返しのつかない後悔・・・。心にぽっかり穴が開いたようとはこういうことを言うのだろう。
彼女が命がけでこの世に送り出した娘さんは、高校3年生。
私の中では、セーラーマーズが大好きで、私が描いてあげたイラストをうれしそうに抱いているあどけない笑顔のままだ。
18歳。まだまだお母さんという存在が大切な年頃だ。彼女はこの現実をどう受け止め、乗り越えていくのだろうか・・・。
でも、あの彼女の娘なのだ。きっと、乗り越えて、強く、しなやかに、前向きに成長して行ってくれると信じたい。
明日、6:00から教会で前夜式が執り行われる。
今夜は彼女が自分の家で家族で過ごす最後の夜。
どうぞ、安らかにお休みください。
今日、この2日ばかり調子の悪かったFAXを直したとたん、ショックなお知らせが流れてきた。
19日未明、11年来の友人が亡くなった。
50歳。卵巣癌だった。
彼女との出会いは、息子が入園して参加した人形劇サークルで、私たちは同期生だ。
私は入園を機にだったが、彼女は、お嬢さんが卒園後も園に関わっていきたいという気持ちからだった。
弘前市出身の彼女と石巻市出身の私は、同じ東北出身で意気投合し、
「いつか東北弁の人形劇をやろうね」
と約束していたが、今となっては叶わぬ夢になってしまった。
いつも明るくて、控えめだけどしんは強く、他人を和ませる笑顔の持ち主だった。
その彼女に、一度だけ、ピシリと厳しい表情で叱られたことがある。
末娘を身ごもったときのことだ。
その頃の私は、とても妊娠を受け止め、出産に前向きな気持ちになれないほど過酷な状況にあった。
頭と心と体がバラバラだったような気がする。
そういう私の不用意に発した
「3人目ができちゃって・・・」
という言い方に彼女は鋭く反応した。
彼女は、結婚後、なかなか子どもが授からず、何年も遠くの病院まで不妊治療を受けに行き、やっとの思いで授かったものの、自分の命と引き換えにするような難産の末、子どもを授かったという経験の持ち主だった。
彼女の穏やかで和やかな家庭の根底に、そんな壮絶なドラマがあったなんて・・・。
彼女は私に、自分の過去と、私が今の状況での妊娠という現実をどう受け止め、自分の中で消化し、芽生えた命の重みと尊さに感謝しなければならないかを心を込めて語ってくれた。
私も、子どもたちも、主人も、もう一人の赤ちゃんを望んでいた。
でも、いろいろな事情から、私はその後の育児についての漠然とした不安と、過酷な現状を抱えていた。
あの時、彼女と話したことは、その後の私にとって、大きな心の支えになっている。
そればかりか、末娘を見るたび、一瞬でも躊躇した自分を後悔すると同時に、彼女の言葉がいつも心に響いている。そして、末娘がこうして私のもとにいることを心から感謝せずにはいられない。
いつか、娘が大人になって、母になったとき、一緒に彼女のお墓参りをして、そのときのことを話してあげようと思う。
こうしていても、彼女がいなくなったなんて、まったく現実感がない。
夕方、何人かの友人に連絡を取ってみたが、皆ショックを受けていた。
この言いようのない喪失感。取り返しのつかない後悔・・・。心にぽっかり穴が開いたようとはこういうことを言うのだろう。
彼女が命がけでこの世に送り出した娘さんは、高校3年生。
私の中では、セーラーマーズが大好きで、私が描いてあげたイラストをうれしそうに抱いているあどけない笑顔のままだ。
18歳。まだまだお母さんという存在が大切な年頃だ。彼女はこの現実をどう受け止め、乗り越えていくのだろうか・・・。
でも、あの彼女の娘なのだ。きっと、乗り越えて、強く、しなやかに、前向きに成長して行ってくれると信じたい。
明日、6:00から教会で前夜式が執り行われる。
今夜は彼女が自分の家で家族で過ごす最後の夜。
どうぞ、安らかにお休みください。