田園酔狂曲

二人三脚の想い出と共に!!

ヒゲといだてん~オリンピック

2019-03-21 19:50:38 | ヒゲの盤上の世界
大河ドラマ 『 いだてん 』 を視聴。
柔道家・嘉納治五郎が、最初のオリンピック選手を探す時のシーンとセリフが、
ヒゲをして昔を思い出させます。
現在と違い、オリンピック開催国への渡航費が問題でした。
               
治五郎さんが言います。
 「 渡航費を持っている者は、オリンピックに行きたがらない。
   オリンピックに参加資格がある者は、渡航費を用意出来ない。 」
日本オリンピックの黎明期だった当時の悲哀感がイタい。
         
             ≪ 熊本の兄ちゃんが工面してくれます。 ≫

ところで、ご存知ない方が多いと思いますが、チェスの世界にもオリンピアードが在ります。
二年に一度、開催されています。
日本チェスの黎明期だった70年代前半。
日本も、やっとチェス・オリンピアードに参加するようになったのです。
もちろん成績は散々でしたが、参加する事に意義があった時代です。
そして、74年の開催地は、フランスのニース(!)でした。
日本人にとってのイメージは、アラン・ドロンの住む夢の国。
しかも、太陽がいっぱいのリゾート都市。
わあーっ! こんな所でチェスが出来るのか。
渡航さえすれば、仏国が滞在費は負担してくれる!
               
当時の日本は、“兼高かおるの世界の旅”でしか外国を観る事が出来なかった時代。
何しろ大阪万博で、多くの日本人が生まれて初めてガイジンを見た1970年。
それから数年しか経てない頃だから、海外旅行なんて、日本人には夢のまた夢。
      ♬ あ~あ~ 憧れ~の ハワイ 航~路 🎶

開催前年の73年に、チェスタイトルを得たヒゲには、充分な参加資格がありました。
しかし、もうその年は、料理旅館に見習いで就職が決まっています。
しかも、実家の料理店は、板場たちの人件費が膨らみ、収益率を圧迫していました。
とても、「 オリンピックに出たい! 」 なんて言えません。
それ以来、一度たりとヨーロッパの地を踏む機会はおとずれませんでした。
まあ、人生なんてこんなモンでしょう!?  

孫 「 じいちゃん、じいちゃん!  ね〜、ニースってえ、どんなとこだった? 」
爺 「 うーん、其処のビーチにはね、べべが居てね ・・・ 」
                 

孫達とのこんな会話が出来たかもしれないんですが ・・・ 。
しょうがなかったとは言え、やはり少し未練が残るヒゲで御座います。


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