前ブログ 『 新聞ネタ 』 からの続きです。
先ずは、俳優・中原丈雄さんの自伝から ・・・
東京との往復は毎回みずほだった。
帰省時の自由席はいつも満席で、満員の中荷物を抱えて、
立ちっぱなしで帰ったことが何度もある。
トイレを我慢して、熊本に着いた時には血尿が出たことも。
中原さんとヒゲは一年違いで、ほぼ同じ時期の経験者です。
70年代、ヒゲ世代の交通手段は、ほとんどが列車。
それに、新幹線も九州まで来てない時代。
熊本〜京都間は、夜行急行寝台 “ 天草 ”
熊本〜東京間は、特急 “ みずほ ” 等が人気でした。
中原さんの、この何気ないような四行の言葉。
この中には、沁みるような夜汽車のセピア色のストーリーズが隠れてる。
♬ 僕は旅〜立つ ♪ 東へと向かう列車で〜 ♫
《 1963年:長距離列車に乗る客で混み合う新宿駅 》
今流行りのスーパー・ラグジュアリートレインとは180度違った世界があったのです。
優雅なシャンパンの香る客席なんてとんでもない、汗と涙と悪臭漂よう列車旅でした。
立ちっぱなしで帰ったことが ・・・ そう、以前のヒゲブログにもありましたね。
夜行・天草で帰省する時です。
チェス仲間のM吉君と遭遇したのは記録的な乗車率の時でした。
四人掛け座席の足と足の間に立って、そのまま熊本駅まで!
その天草号での乗車時間は、約13時間。
で、みずほ号での乗車時間は、多分20時間位だったでしょう。
ヒゲの天草号での立ちっぱなしでも、とてつもなくシンドいのに、
みずほ号での立ちっぱなしは、想像を絶する大変さだったでしょう。
しかもヒゲの場合、熊本駅にはGフレンド(つまり現カァちゃん)が
出迎えてくれてましたから、なんとか耐えられた。
しかし、みずほ号で20時間の中原さんの大変さは如何ばかりか!?
その上、中原さんの実家までは、ローカル線に乗り換えが必要です。
同情を禁じえませんねぇ。
http://blog.with2.net/link.php?1046790
↑ 参加中です。クリックしてもらえたら嬉しいです。
先ずは、俳優・中原丈雄さんの自伝から ・・・
東京との往復は毎回みずほだった。
帰省時の自由席はいつも満席で、満員の中荷物を抱えて、
立ちっぱなしで帰ったことが何度もある。
トイレを我慢して、熊本に着いた時には血尿が出たことも。
中原さんとヒゲは一年違いで、ほぼ同じ時期の経験者です。
70年代、ヒゲ世代の交通手段は、ほとんどが列車。
それに、新幹線も九州まで来てない時代。
熊本〜京都間は、夜行急行寝台 “ 天草 ”
熊本〜東京間は、特急 “ みずほ ” 等が人気でした。
中原さんの、この何気ないような四行の言葉。
この中には、沁みるような夜汽車のセピア色のストーリーズが隠れてる。
♬ 僕は旅〜立つ ♪ 東へと向かう列車で〜 ♫
《 1963年:長距離列車に乗る客で混み合う新宿駅 》
今流行りのスーパー・ラグジュアリートレインとは180度違った世界があったのです。
優雅なシャンパンの香る客席なんてとんでもない、汗と涙と悪臭漂よう列車旅でした。
立ちっぱなしで帰ったことが ・・・ そう、以前のヒゲブログにもありましたね。
夜行・天草で帰省する時です。
チェス仲間のM吉君と遭遇したのは記録的な乗車率の時でした。
四人掛け座席の足と足の間に立って、そのまま熊本駅まで!
その天草号での乗車時間は、約13時間。
で、みずほ号での乗車時間は、多分20時間位だったでしょう。
ヒゲの天草号での立ちっぱなしでも、とてつもなくシンドいのに、
みずほ号での立ちっぱなしは、想像を絶する大変さだったでしょう。
しかもヒゲの場合、熊本駅にはGフレンド(つまり現カァちゃん)が
出迎えてくれてましたから、なんとか耐えられた。
しかし、みずほ号で20時間の中原さんの大変さは如何ばかりか!?
その上、中原さんの実家までは、ローカル線に乗り換えが必要です。
同情を禁じえませんねぇ。
http://blog.with2.net/link.php?1046790
↑ 参加中です。クリックしてもらえたら嬉しいです。