外房は勝浦のひな祭りを見学に外出する。ひな祭りのメインは、遠見岬神社の大雛壇である。社殿に上がる階段を雛壇にしている。
大変な人出で混雑していた。拝殿に上がる階段が雛壇になっているので、拝殿までは上がれない。
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右に社務所があり、ご朱印の行列ができていた。結果としては、1時間、待った。
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神社の由緒が分からなかったが、調べたところでは、祭神は、天富命で、神武天皇時代に房総を開拓した。
天富命は阿波の忌部氏で、黒潮の流れに乗り、房総半島の先端に到着しこの地を開拓した。その時に祖神・天太玉命を祀ったのが、安房一之宮の安房神社の始まりである。
天富命はなお北上したらしい。勝浦の八幡岬ちかくの冨貴島で没したという。その居館のあった冨貴島に没後に社を建てた。これが遠見岬神社の始まりである。
冨貴島は1601年に大津波に襲われ、社殿を流出した。その社殿の一部が流れ着いたのが現在の遠見岬神社付近であったという。この地に再建した。
冨貴島は、この時の大津波と1793年の元禄大地震で、ほぼ水没し、一部が平島として残っているのみである。