夫が旅立って1年8か月近くなる。 今 リビングの写真と向き合って日々を過ごす。 誰にでも 何にでも優しい人だった。 いろんなことを思い出す。 エピソードを書けばきりがないが 今日は30年ほど前のことを思いだした。
私の姉の息子の結婚式の帰り、大阪のホテルから そこの家の80歳近くになるおばあさんを自宅まで送ってほしいと頼まれた。 姉たちはすぐに帰れない用があったのだろう。 「お安い御用」と 夫は優しい運転でその自宅に着いた。 私は車のドアを開け おばあさんを門扉の前まで送り、車に乗り込んだ とたん夫は慌てて車を降り おばあさんの手を取り数段の階段から玄関のドアを開けるまで見送って戻ってきた。 私は その心遣いに自分を恥じた。 夫は小さな動物から植物に至るまで優しかった。 野良犬や猫にも餌をあげようとした。 小さい子供には常に怪我をさせないように注意深く見守っていた。 私はといえば 自分の子供にも「少々の怪我ぐらい成長の過程」と大胆だった。 携帯電話がなかったころ 自分一人で仕事をしていた夫は 家を空けることが出来ないので 夏休みは母子3人で山に行ったことも何度かあった。上が4年、下が1年生の時には 北アの剱岳の山頂まで上がって行った。 白馬岳や 北穂高、奥穂高 も 制覇?した。 素晴らしい山を体験させたかった。 ・・・・が息子たちは山好きにはならなかった。
私は夫の優しさに守られて過ごしてきた。 なのにそれがうっとおしい時もあって 何度も喧嘩を繰り返した。(いつも一方的な喧嘩だったけれど) 今頃感謝しても遅すぎるね。
剱岳 蟹のたてばい(小学1年生)
北穂高への道 (中3、小6)
北穂高から槍ケ岳を望む ( 1987.夏)