晴れたら野山に出かけよう!

おいしい空気をいっぱい吸って 愛しい花や小鳥に会いに出かけよう

二度目の冬の上高地

2020-09-20 19:25:15 | お気に入り写真

 

その後 もう一度冬の上高地を訪ねた。その時は 村営ホテルの小屋には泊めてもらえなくなっていて、「氷壁の宿 徳澤園」の冬季小屋で泊めてもらった。ここは食事も寝具も提供されなかったので  自炊道具 食品 寝袋などを大きなザックに詰めて、氷原となっていた梓川の上を歩いて上流に向かった。 夕暮れて 川原から徳澤の位置も確認できず 携帯電話も通じず やっとのことでたどり着いたのは すっかり日暮れていて 暗闇の中にポツンと明かりが見えた時は本当にうれしく、ほっとしたものだ。 小屋ではストーブがあかあかと燃え その上に大きなやかんが載っていた。梓川は凍り、取水が出来ないので 雪を水に変えているのだ。その水をもらって 簡単な夕食を作った。 無謀さはそのころから今も変わらない。翌日は好天気で 横尾まで足を延ばした。 前夜はこの雪原が 動物たちの運動場になっていたようで、いろんな足跡が交錯していた。

2002.1.13 横尾にて

赤い化粧柳が春を待つ

眠る横尾山荘

雪原を走り回るアニマルサイン

 

梓川のほとりで

大正池から見る穂高岳

 

 

 

 


お気に入り写真 真冬の上高地

2020-09-20 16:33:21 | お気に入り写真

真冬の上高地に入るのも 長年の夢だった。

若い日 「上高地の大将」と言われた木村殖氏(1974年没)の書いた本を読んだ時から いつか真冬の上高地に行きたいと思っていた。 木村さんは昭和初期から昭和49年まで約50年近くの間、ホテルの小屋番などをして上高地を見守り続け 冬山で遭難する登山者の救助などに生涯をささげた人で、その生活の明け暮れなどを書いた本である。私がその神々しい冬の上高地を一目見たいという念願を達成したのは 1999年1月のことだった。木村さんが亡くなられて20年になり 冬の上高地もずいぶん様変わりをしていたと思う。それでも冬の上高地には今も釜トンネルから先には車は入れず、宿泊施設はすべて閉じられ、唯一宿泊させてもらえたのは 安曇村(当時)村営ホテルの冬季小屋番の宮本氏?(確か、、、)のおられる小さな小屋だった。 食事は 大鍋に何か炊いてくださったように思う。そんな小屋だが 毎年そこにやってくる写真家などが一緒だった。中の湯入口あたりに車を置き 雪が吹雪くなかを輪かんじきをつけ、釜トンネルから河童橋を回って 夕方対岸の小屋にたどり着き 暖かくもてなしてもらった。 翌日は天気が回復し 神々しいばかりの上高地を楽しんだ。 

1999.1.16

上高地の夜明け 河童橋から見る奥穂高岳 モルゲンロート

河童橋より モルゲンロート輝く  左:間ノ岳 右::天狗岩

光る梓川

青い影

焼岳


はるかな尾瀬の風景

2020-09-20 00:01:08 | お気に入り写真

尾瀬の締めくくりに 尾瀬の風景の一部を。  今ごろ 尾瀬は草紅葉の時を迎え 黄金色に染まった草たちがさわやかな風にさわさわとそよいでいることでしょう。

水芭蕉咲く尾瀬ヶ原より  2008.6.14~16 

早朝の尾瀬ヶ原

霜に縁どられて

朝露に濡れて 「トクサ」と「ミツガシワ」

朝もやの中で至仏山

燧ケ岳

至仏山

夕暮れて

富士見田代から燧ケ岳

尾瀬ヶ原の水を集めて ごうごうと流れる三条の滝