社会に出て経済学を勉強し始めたとき、文学漬けだった僕にはどうにも違和感があった。ドストエフスキーの作品で、登場人物が「この世の中は、“ニニンガシ”みたいにはいかないんだ」というようなことを言っていた。“ニニンガシ”というのは「2×2=4」のことである。つまり、人間の心は公式のように合理的にはできていないということである。このセリフを読んで、社会的未熟な僕は、なるほどその通りだと思った。
だから、良い意味でも悪い意味でも個人主義(自己意識)にかぶれていた僕は、経済学でいくら「ニニンガシ」と言われても、「いや、そんなことはない」「人間はニニンガサン(2×2=3)、ニニンガゴ(2×2=5)だってありうる」と思ったものである。そんなだから、経済学はちっとも面白くなく、身につかなかった。資格試験の勉強をしていた時もずっと苦手だった。
学生時代、独学でマルクス経済学を少しかじった時も、ちんぷんかんぷんで、せいぜい「労働者は資本家に搾取されている」程度のことしかわからなかった。もっともこのことは、マルクスの「2×2=4」によって共産主義国家ができたのだからかなり重要なことだったのだけれど。せめてもの救いが、マルクスもあまり経済学は好きでなかったということを何かで読んだことである。マルクスは好きでない経済学を好きな哲学と結びつけた時、「これだ!」と思って、嬉々として邁進したという(『経済学哲学草稿』)。
もちろん僕なんか、マルクスと比較するまでもないが、そのマルクスが革命的な経済学の体系を築いたのだから、僕も大いに励まされた。もっとも、マルクスくらいの大天才になると、何が真実であるかどうかというレベルでものを考えているわけであって、この学問が好きだ嫌いだというレベルを超えているわけであるけれど。
行動経済学は、経済学と心理学を結びつけている。心理学者がノーベル経済学賞を取るくらいだから(2002年ダニエル・カーネマン受賞)、これは面白いらしい。それだけではない。現在、経済学の範疇は、物理学との関連(経済物理学)、脳神経学との関連(神経経済学)の分野まで拡がっている。こうした研究が進むと、「じゃあ、これで投資して儲けられるわけだ」と思われるかもれないが、そこは、「ニニンガシ」とはいかないらしい。
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