FPと文学・エッセイ 〜是れ日々なり〜

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『グスコーブドリの伝記』 ~ 台無しにされたタレント吹き替えアニメ

2012-07-24 00:51:41 | 芸能・映画・文化・スポーツ

 ■宮崎アニメの唯一の欠陥

 いつからだろう。アニメ映画にやたらテレビタレントが吹き替えをするようになったのは。

 宮崎駿の名作アニメも『魔女の宅急便』頃までは、声優が吹き替えをしていたが、『もののけ姫』あたりからやたらタレントが吹き替えに入るようになった。『もののけ』では、森繁久弥や美輪明宏などのベテラン俳優はそれなりに吹き替えにも重厚さがあって許されるけれど、もののけ姫の石田ゆりなど、まったく違和感があった(タレントとしての好き嫌いは別として)。これ以外にも声が合わないタレントが何人かいた。 

 それ以来、ジブリの名作アニメにも人気男女タレントをやたら使うようになった。明らかに下手である。吹き替えはそれなりに訓練をしている声優に任せればいいのにと思う。宮崎駿監督は、アニメ映像や音楽には完璧を求める人だ。それは作品を見ればわかる。その完全主義者がなぜへたくそな、味も何もないテレビタレントを吹き替えに使うのか全く理解できない。

 考えられるのは一つ。おそらく制作資金の問題であろう。有名、人気タレントが吹き替えをやっているということで前宣伝をし、封切の舞台挨拶ではそれらタレントが勢ぞろいしてマスコミや観客を集める。制作資金のいくらかをスポンサー会社が負担する代わりに、集客宣伝は任せろ、人気タレントを吹き替えにして話題作りをし、客集め(金集め)すればいい・・・ということなんだろう。結局、アニメキャラクターに合わない「声」で作品が台無しにされてしまう。初期の『風の谷のナウシカ』や『天空の城ラピュタ』など、人気タレントなど使わないおかげで(つまりプロの声優のおかげで)、本当に名作として残っている。たぶん、宮崎さんも制作資金に苦労していたのかと思ったりするのだが・・・。

 ■名作アニメ『銀河鉄道の夜』

 ところで、ここからが本題である。今月公開された『グスコーブドリの伝記』は、そういう意味でひどい作品だった。少し、怒りを感じる。23~24年前に制作された同じ宮沢賢治原作の『銀河鉄道の夜』は、これはアニメ映画の最高傑作だと思っている。同年、宮崎駿の『ナウシカ』も発表されているから、内容や映画のタイプは違えども、このころ、アニメ映画の2大傑作が誕生しているのだ。

 今回の『ブドリの伝記』は『銀河鉄道の夜』当時の監督、アニメキャラクター原作者など多くのスタッフがかかわっているし、なにしろ宮沢賢治の名作だから、『銀河鉄道』と同じくらいにハイレベルの傑作を期待していた。しかし・・・。まず、「声」ですべて裏切られた。主人公はじめ主要登場人物はほとんど人気タレントが吹き替えをしていて、声に艶もなければ、演技もない。なぜ声優に任せないのだろう。タレントは顔や素振りや肉体の動き、それにセリフで演技をする。しかし、声優は声のみで演技している。声に全神経を注入して演技している。そこが違うのだ。「声」でまったく作品の質は落ちてしまう。

 また、絵の質も明らかに落ちている。キャラクター原作者は同じでも、実際にアニメを描いているのはスタッフであろうから、その質が『銀河鉄道』よりも劣っているし、最近のジブリ作品に比べても落ちている。音楽にしても『銀河鉄道』の時は細野晴臣が担当していたが、今回はだれかわからないが印象に残らないものだ。おまけに、最後には主題歌を小田和正の歌が唐突に流れてくる。小田和正の歌自体は悪くはないのだが、「おいおい、ここで歌うのかよ」という感じで、明らかに場違いであった。

 ■「復興受け」ねらいに

 東日本大震災が起きる前から制作準備に入っていたというから、「復興受け」をねらってつくられたものではないだろう。しかし、この作品内容からいって、被災地の人には大きな勇気づけになるだろうと観る前はかなり期待していた。作者の宮沢賢治は同じ東北岩手の出身で、彼自身生前に大地震や幾度かの冷害を経験し、自身も飢えで苦しみながら人々の助けになるため生涯を捧げた。愛する妹も病気で失っている。『ブドリの伝記』はそうした賢治の生きた背景をモチーフにし、最後は自分自身の命を犠牲にして人々を救う決意をし、火山の噴火にのまれていく。「復興受け」ねらいではないとはいえ、どうしても今回の大地震とダブってしまう。しかし、この作品が名作であれば、人々の勇気と慰めにつながるはずだったのだ。

 最後の自己犠牲の場面でさえ、意味の分からないものにされてしまった感じがする。あれでは、原作を読んでいる人でも「あれ?」と思うし、原作を読んでいない人はよけいに何だかわからないうちに「?」で終わってしまう。

 総じて、作品は『銀河鉄道の夜』にはるかに及ばない。その大きな原因の一つが、安易にタレントを吹き替えに連ね、チープな作品にしてしまっていることだ。『銀河鉄道の夜』の終章、名声優の常田富士夫のナレーションは賢治の『春と修羅』を朗読して終わる。ナレーションひとつとっても、比較にはならない。映像も音楽も丁寧につくっているのだとそれなりに言い訳するだろう。しかし、作品を安易につくっているのではないかという気がして、いくらかそういう手抜きが腹が立つのである。「復興受け」ねらいではないのに、結局「復興受け」ねらいの安っぽい作品になってしまった。



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