日立市にある
大久保幼稚園で行われた、仲正雄さんのシュタイナー教育公開講座に、サークルのメンバーのハハ友2人と、その子どもたちの6人で行きました。
相棒の大きいワンボックスカーとETCカードを借りて、1台で行きました。
いつもはしないコンタクトレンズをしたせいか、感覚が違っていて、出発してすぐに、ドアミラーを電柱にぶつけてしまいました

相棒は許してくれましたが…。
ショックでした
なにはともあれ、無事につき、受付をして、それぞれ自分の子どもを託児に預けました。
私の、1歳5ヶ月の息子Kは、預かってくれる先生に「さあ、Kくん、いきましょう。」と言われて、「この人だれ?」という顔をしましたが、あっさりとついていっちゃいました。
一緒に行った1歳9ヶ月になる男の子、Gくんはお母さんからなかなか離れることができず、講演が始まるぎりぎりまでべったりしていました。同じく1歳9ヶ月になる女の子、Wちゃんは遠出をしたことが少ないため、30分くらい車を走らせるとぐずりはじめ、なだめすかして、幼稚園に着く頃には眠ってしまいました。起こさないようにと、そぉっと下ろしてみたら、起きて泣き始めてしまったそうです。預かってくれる先生は「大丈夫よ。」と言うので、後ろ髪を引かれながら、預けてきたそうです。その子、その子で色々ですね。
息子Kは、車の中ではずっと寝ていました。託児室の中でも、泣くことなくご機嫌良く遊んでいました。私がそばにいなくても平気。ホント物怖じしない子です。たぶん、遠出は結構しているし、子育て支援センターによく行くので、子どもがたくさんいる場所にもなじんでいるし、私は両親に預けて、よく外出するので、平気なのかな~って思いました。
仲正雄さんの講演は、とても面白かったです。
内容は、以前、読んだ「ブッダとシッタカブッダ第3巻」に書かれているようなことでした。
ああ、同じだ~と思いながら、聞いていました。
「正しい」ってどういうことか?
そう。
何が正しいかなんて、答えはないし、その確たる証拠もない。
「正しい」と思うと「間違っている」ということができてしまう。
そのために人は口論する。
「正しい」と思うのは「自分」
仲さんは
「わからないということがわかった」ということが大切、
疑問を持ち続けることが大切、
と言っていた。
これはどうしてこうなのか?
そうだ。
そこから、学びたい、知りたいという意欲が湧いてくる。
でも、調べても「わからない」ということがある。
で、「わからない」ことがわかったということがとりあえずわかる。
日本の学校教育は、○か×かを決めさせる、白黒ハッキリさせる教育なのは、とても危険だと言っていた。
私もそう思う。
世の中には答えがでないことがたくさんある。
でも、学校の勉強=テストは、答えを必ず出させる教育だ。
そして、政府が作った「国旗国歌法」というのがそのいい例だと思う。
国旗を掲揚し、国歌を歌わなければいけないと法律で定めると言うのは何かおかしくないだろうか?
国旗を掲げ、国歌を歌えば「正しく」そうでなければ「間違っている」ということになるわけだ。
しかも、国歌は国民ではなく、天皇をたたえている歌だと言うのに。
国歌を歌わないからと、処分されている先生がいる。
その先生はとても生徒に慕われているいい先生だそうだ。
でも、国歌を歌わないからと処分されているというよくわからない現状。
これを聞くと、戦争中を連想させる。
この法律を作り、制定したのは自民党。
いかに危ないか、わかるかな?
日本の若者は変だと私も自分が10代、20代の時からそう思っていた。
小学生の頃から、学校教育はおかしいと思っていた。
テストでいい点をとればいい子なんて違うと思うって。
大切なのはそれじゃないと思う。
やっとそれがわかる人がこんなにもいてくれて嬉しいな。
話はそれたけど、
自分の中に他人がいて、他人の中にも自分がいるとも言っていた。
「客観的」という言葉があるけれど、これは「他人(お客さん)が観たら」という意味で使うのが本当で、「一般的」という言葉とは違うと言っていた。
なんか、まとまらないけど、「うん、うん。」とたくさんうなずける、そんな感じの講演だった。
講演が終わると、シュタイナー教育ではおなじみの「ライアー」という小さなハープのような楽器を演奏してくれた。
とてもいい、音色だった。
この幼稚園が近くにあったらなぁと思いました。
講座修了後に、同じサークルメンバーのもう一人の人が見つけてくれたお店「
TSUBAKI」に行きました。
自分でもこういうメニューを作れて、食べていれば、おいしい母乳がでるし、やせるだろうなぁと思うんだけど、なかなか難しいねぇ。一番やせた方がいい、相棒はそういう料理が好きじゃないし。
そんなこんなの一日でした。