★真夜中のひとりごと★

二児の母「たっちー」のひとりごとです。

TBS「筑紫哲也 NEWS23」

2006年12月27日 | ★道をひらく
<TBS「筑紫哲也 NEWS23」年末SP '06の変 第二夜 不安を生きる・子どもが壊れる>を見ました。

親殺し、子殺し。そして、自殺。

この問題が起こっている裏側にあるのは、ある型に無理矢理はめ込もうとすることに原因があるのではないかと私は思っています。そこからはみ出してしまった人たちが、反乱を起こしているのではないでしょうか。

先日、とうとう教育基本法が改正されてしまいました。新しい教育基本法を読んでいると、やっぱりある型にはめこもうと強制してるように私には感じ取れます。以前の基本法にあった一人一人を温かくつつむような感じとはまるで違います。なにかドス黒いものを文章の中に感じます。

この基本法を作った方々は、たぶん戦前の日本が素晴らしいと思い込んでいるのではないしょうか。どんな形の伝統も古ければ素晴らしいと思い込んでいるのではないしょうか。私は古いから、伝統だからと言って、すべていいものとは思いません。古くからの伝統でも消し去った方がいい伝統もあります。戦前も戦後まもなくも、表面沙汰になっていないだけで、カゲでは子どもへの虐待がひどい時代だったと思います。女性への家庭内暴力もひどかったでしょう。女子どもを労働の道具として、軽視する時代だったと思っています。身分の低い家の男性もいいように安い賃金で企業にこき使われたでしょう。規律をはみ出せば「非国民」と言われ、何かを選択する自由、考える自由などほとんどなかった時代だと思います。

現代ではカゲで行われていた虐待や暴力が、「殺人」や「いじめ」という形になって表面に現れてきているだけではないでしょうか。それはきっと型からはみだして迷ってしまったみんなの叫びのように聞こえてきます。

親も子も、すべてのヒトが一人の人間としてただ愛されたいだけなのに。。。


力のない私に今できることはなんでしょうか。

今すぐに、私ごときのたった一人の力なんかでは、国家権力には到底かなわないけど、自分の子を自分の信念を持って育てることはできます。どんなに教育基本法が改悪されて、学校が変になろうとも、私の子はそんな洗脳を受けさせないくらい、強い子に育てることはできると思っています。

そうやって育てた私の子が将来、みんなに温かな希望の光で照らせるような人間に成長したらと思います。それだけの人間になれるような愛情を私が子どもに与えて育ててあげたい、そう思っています。そして、いつか本当の意味でこの国を、この国に住む一人一人が生きやすい、この日本に生まれて良かったと思えるような良い国に変える影響力になったらいいなと思います。
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友達と縁を切ること

2006年12月26日 | ★道をひらく
私はこれまでに自分から縁を切った友達が4人います。

一人目は小学時代の友達。
二人目と三人目は東京にいた時の友達。
四人目はつい先日縁を切った高校時代に知り合った友達。

どの人にも共通するのは「私をいいように利用している。」と思えたから。
そのことに耐えられなくなってしまったからです。

ジェームズ・アレンという人が書いている「原因と結果の法則」という本には「自分が蒔いた種は刈り取ることになる。」と書かれていました。憎めば憎まれ、許さずにいれば誰かに許されないと。ということは私もいつか切られてしまうということになります。最近、私はそのことにおびえるようになってしまいました。結局、自分がしたことで自分に返ってきているということでしょう。

四人目に縁を切った友達は、私に頼ってばかりで自分で考えようとしていませんでした。縁を切ったことにちょっと罪悪感を覚えていますが、しかし、たぶんこのまま付き合いを続けていたとしても、いつか切れてしまう関係だった気がします。自分の答えは自分で導き出す以外、方法はないと思います。私は答えを先に言ってしまうので、彼女には結果的に自分で考えないからよくないと思いました。でも、縁を切るにしても、もっと思いやりをもって切った方がいいと反省しました。

そう。
自分がしたことは自分に返ってくる。。。
悪いことは自分の責任。

そういえば、相田みつをの言葉に
「いいことはおかげさま、悪いことは身から出たさび」
というのがありました。

まさに原因と結果の法則ですね。

私はどうしても人に色々求めてしまうところがあります。人に認めてもらわないとすぐ不安になってしまいます。それは自分を完全に信じていないからでしょう。だけど、私は今よりも、もっと素晴らしい人間に成長したいと思っています。今まで自分がしてしまったこと、相手にされた嫌なこともぜんぶ許そうと思います。

もっと自分の内面をよく観察して、曇ってしまってた心をキレイに磨き上げようと思います。

悪いことをしてしまった、または悪く思ってしまった皆様、本当にごめんなさい。
皆様の幸せをお祈りしています。
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働き方を作る働き方

2006年12月25日 | ★道をひらく
今日は、会社の健康診断の日でした。

病院での待ち時間の間、NHKで「ビジネス未来人」という番組が放送されていました。見た内容は「時代のキーワード“いつからでも始められる”」という内容でした。

女性が会社などで働き続けたいと思っても、現実には様々なハードルにさいなまれます。私がちょうど今、その瀬戸際に立たされています。なんてタイムリーな番組だろうと思いました。女性が働き続けるには主に3つのハードルがあります。

1.結婚・出産
2.夫の転勤
3.再就職の際の求人に35歳以下などの年齢制限

私は最初の1番目に当てはまります。

番組ではさまざまな働き方が紹介されていました。私がやりたいと思っている、在宅ワークをしている女性もいました。私も、会社や国が何かをしてくれるのを待つのではなくて、このような先輩達を見習って、会社や国が作らないのなら、自分で働き方を作ろうと思いました。

自分が社長で社員なら、どんな働き方もできます。私は中途半端な責任を負うよりも、ちゃんと責任を負って仕事をしたい。大きな会社組織にはしなくてもいいので、やりがいのある、自分にしかできない仕事をして、家事、育児をしながら、社会とつながっていたい、自分の力でお金を稼ぎたいと思いました。

相棒がいつも言っています。
「夢」ではなく「目標」にしなさい、と。
そういうこと目標に、これからの人生を歩んでいきたいと思います。
そう考えると自分の可能性に今からなんだかとてもワクワクしてきました。
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安産祈願

2006年12月23日 | ★妊娠
今日は友引の戌の日でした。妊娠5ヶ月の戌の日に、安産祈願をして腹帯を巻く風習が日本にはあります。そこで私も茨城県桜川市(旧 真壁町)にある雨引観音(雨引山楽法寺「あまびきざん らくほうじ」)に安産祈願に行きました。

相棒が午前中お仕事だったので、仕事を終えて帰ってくるのを待ってから、母親と相棒と私の三人で行きました。父親は出不精なので、家でお留守番です。

毎時丁度の時刻に護摩祈祷(ごまきとう)が行われているのですが、15時に間に合わなかったので、最終の16時の護摩祈祷を受けました。

護摩札の他に安産守を購入しました。お守りについていた「安産決定御腹帯」というのがあるのですが、中にはガーゼの布切れ一枚が、なにやら呪文が書かれて入っていました。それは、戌の日に腹帯に入れて安産を祈願するものなのだそうです。どうやら聞くところによると、その布地の色は、「白」と「赤」があるそうです。「白」だったら男の子、「赤」だったら女の子が生まれるそうです。よくあたるという噂を母親から聞きました。

で、私は何色が入っていたかというと、「白」でした。
ということは、男の子ということですね。

亥年で男の子。。。

私の弟は死産でした。彼が産まれるはずだった年はまさに23年前の亥年。もし、この子が男の子であれば、弟の生まれ変わりのような気がしています。弟は産まれてきたかったけど、あの時はそういう状況ではなかったので、無事に産まれてこられなかったのではないかと思っています。

私には産まれてこられなかった兄弟が、この弟の他に上に二人います。偶然にも私は三人産もうと思っています。私と兄弟になるはずだった三人を私が、私の母親の代わりにこの世に誕生させて、幸せにしてあげられたらと思っています。

どうか無事に産まれますように。
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仕事と育児

2006年12月22日 | ★道をひらく
昨晩、たくさん涙を流しました。

妊娠できたことはとても嬉しく思っています。しかし、4月から無収入になることを考えたら、とても虚しくなりました。そうなることはわかっていたことなのですが、いざ、そのことがだんだん目の前に迫ってくるのを実感するとだんだん虚しさがつのってきました。

仕事ができなくなることもさることながら、自分の稼ぐお金がない→自分で欲しい物が買えない→自分のお金で買う喜びが味わえない、ということにとても悲しくなりました。なんだかすごく泣けてきてしまって、ボロボロ泣いてしまいました。

子どもは完全母乳で愛情たっぷりに育ててあげたいと思っています。なので、1年くらいは仕事に就かないで子どもの側にいたいと考えています。しかし、立て続けに3人産みたいとなると3~4年は働けない状態になります。それを考えたら、育児をすると仕事が出来ないというジレンマに陥り、そんな年月、社会や仕事から離れてしまって、復帰できるのか?という不安が襲ってきました。

子どもを育てることはとても素晴らしいことです。でも、こんなにも不自由になるだなんて、改めて思い知りました。そして、仕事や収入を奪われる悲しさを痛感しました。仕事や収入を奪われることがこんなに悲しくなるなんて、思いもよりませんでした。自分で飛び立つ翼を奪われるような感覚になりました。優しい相棒はそんな私を受け止めて、慰めてくれました。

妊娠は情緒不安定にさせるのかもしれません。なんせヒトが一人が育っているんですものね。そのパワーは絶大です。妊娠って人生をここまで変えるほどの力があるんだなぁと実感しました。

私の悪い癖のマイナス思考が出てしまったようです。

逆に、仕事ができない期間をプラスに考えて、この休業期間をうまく活かして、また仕事に戻る時にはもっとレベルアップしているように、もしくはずっとやりたかったこと、希望の仕事ができるようにしていくためのいい勉強期間にしようと相棒のアドバイスもあり、考え直しました。
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甘えん坊

2006年12月18日 | ★道をひらく
私はかなりの甘えん坊です。なんせ筋金入りの一人っ子ですから(笑)

日頃はとても強がっているので、周りにはしっかりとしていて、強そうにみえているようです。相棒はそんな私を甘えさせてくれるので、私はまるで子どもの頃に戻ったように、いえ、子どもの頃に両親に甘えられなかった分を取り戻すかのように相棒に甘えています。

相棒は優しいまなざしでいつも何度も言って、抱きしめてくれます。
「かわいいね。」「大好きだよ。」「愛してるよ。」と。
言われるたびに、心がとても温かくなります。言葉って不思議ですね。

きっと私は親にも子どもの頃、こう言って欲しかったんだろうなと思います。そして、たくさん抱きしめてほしかったんだろうなと。
私の自尊心の低さは親に愛された実感がちょっと足りなかったのがあるのかもしれません。言葉で、行動で、愛情を子どもに示してあげることはとても大切だと思いました。そして、これからの自分自身にとっても。

ウチの愛犬には言葉はわからなくても「かわいいね。いい犬だね。」と、いつもなでなでしています。そんな愛されている愛犬はいつも穏やかな優しい顔をしています。自分の子どもも愛犬のように穏やかで優しい子どもに育てられたらいいなと思います。そして、自分自身のことももっと大切に愛してあげようと思います。
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誕生日

2006年12月16日 | ★道をひらく
今日は私の誕生日です。

相棒に誕生日祝いで、ずっと行きたかった横浜・八景島シーパラダイスに車で連れて行ってもらいました。

妊娠も5ヶ月にはいり体重もちょっと増えてきたので長い時間歩くのが大変でしたが、相棒が優しく気遣ってくれたので、楽しく過ごすことが出来ました。

本当に相棒は優しいです。
こんなに良い夫に恵まれて、私は毎日幸せを噛みしめています。

「何か欲しい物はない?」と言われましたが、私は欲しい物はありませんでした。八景島に連れて行ってくれただけでいいと思いました。私はもう物はそんなにいらない、必要なものだけでいいと思いました。物の代わりにたくさんのいい思い出が欲しいと思いました。

こうして、相棒とのとてもいい思い出がまた一つ増えました☆
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胎動?

2006年12月12日 | ★妊娠
今朝、相棒がおなかの赤ちゃんに話しかけていた時のこと。

腸が鳴っているような音がしました。
でも、腸が動いているようには私は感じませんでした。
もしかして、これが胎動なのかな??
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運命の出逢い記念日

2006年12月11日 | ★道をひらく
今日は、私と相棒と初めて出逢った記念の日です。

相棒と私は去年の今日、初めて出逢いました。去年の今頃は、まさか今年がこんな風になっているとはお互いに想像もつかなかったと思います。相棒とは1年足らずで結婚しました。この1年はなんだかすごく濃厚で、まるで3年くらい経ったように感じた1年でした(笑)

相棒と私はお見合いで知り合いました。(相棒は「お見合い」という言葉が嫌いらしく、「人の紹介」と言っています(笑))

逢う前の私と相棒。
写真と身上書だけでしか、まだわからないお互い。

一体、どんな人がくるのだろうとちょっとドキドキはしましたが、私は、あまり期待せず、とにかくどんな人かを見るためにまず自分を飾らずに話してみようという気持ちで臨みました。正直な自分をさらけ出せないような相手では結婚してもうまくいかないと思ったからです。

午前11時。
私は待ち合わせ場所にしていたつくば市の、とある日本料理店に行きました。待ち合わせのお店の入り口を入るとすぐに、相棒と紹介してくれた人が待っていました。

私の相棒の第一印象。
「お?意外にカッコイイ♪」
相棒の私の第一印象。
「お!かわいいぞ。いいぞ!」

お互いに好印象を持ちました。

個室に通され、お互い簡単に自己紹介して、3人でしばらくお食事しました。
紹介してくれた人は頃合いをみて、先に帰っていきました。

二人きりになり、お話しを続けました。

とりあえず食べ物の好き嫌いの話題から。
相棒は、「茶碗蒸しが好きじゃない。」と言いました。ちょうど出された食事に茶碗蒸しが出ていました。どうやらにおいが嫌いだそうで。その茶碗蒸しのにおいをちょっと嗅いでみると、「これなら食べられそう。」と言って食べていました。
私は何が好きかと聞かれたので飾らず正直に、「お寿司で、トロ、イクラ、ウニが好きです。」と言いました。
相棒はその言葉に衝撃をうけたとか(笑)なんせ寿司ネタでは高いものばっかりですからね。
「お金、かかりそうだなぁ。。。(汗)」って、思ったそうで(笑)

普通、初めてあった人にそこまで正直には言わないものだと思うのですが、私は相棒に対して、あまり緊張しませんでした。この人はなんだか、だいたいのことは受け流すか、受け止めてくれそうと直感で感じたからです。

お店を出て、相棒の去年買ったばかりの新車に乗り、二人で出かけました。

「どこにいこうか?いきたいところある?」と相棒。
「じゃ、カラオケは?」と私。
「え?いいよ。」と相棒。

初対面で、いきなりカラオケ(笑)
普通行きませんよね。
最初から、私のペース。良い感じです。

2時間ほどカラオケをして、ファミレスで軽くお茶をし、連絡先を交換して、その日は別れました。
別れ際、車の中で相棒が言いました。

「次、いつ会える?」

このセリフ。
今まで私を誘ってきた男の人や元カレたちも言わなかった、そしてずっと言って欲しかった言葉でした。
「この人はきっと大丈夫。」
私はなにかを確信しました。そう。この人は曖昧な態度をとらない。ちゃんとこれから付き合っていきたいという意思をきちんと示してくれている。

相棒は、去っていく時にチラッと見せた私の笑顔を見て、
「これなら、いける。大丈夫だ。うまくいくな。」
と思ったそうです。

今日はそんな記念すべき日を二人でシャンパンで乾杯しました☆
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Dr.コトー診療所2006:第9話「愛を乞う者」

2006年12月08日 | ★道をひらく
今回は、診療所の看護師の仲依ミナに実は夫がいたというお話しで、その夫は暴力夫でした。カッとなると妻であるミナをすぐ殴ってしまいます。ミナとやり直したいといいますが、やはりその暴力癖は治る様子はありません。

コトー先生は、ミナの夫に言います。
(うろ覚えなので、ちょっと違うかもしれませんが。。。)

「病気は医者が治すのではありません。治そうと思う自分の心が治すんです。自分と、とことん向き合ってください。」

私はこの言葉に深くうなずきました。

そのとおりです。

私も軽いうつ病になり、病院に通院しました。しかし、薬だけではたぶん完全には治らないだろうと思いました。そもそもの原因は自分の考え方のせいで、それが自分を苦しめているからです。

「もっと心を強くしたい。」

そう思って、たくさんの本を読みあさり、自分の心と、とことん向き合いました。とても辛い日々でした。どれだけ逃げ出したかったかわかりません。でも、逃げ出しませんでした。だから、がんばったご褒美に、相棒に逢わせてもらい、子どもを授けてもらえたのだと思います。そういう幸せを手にするのに値する人間に成長できたのだと思います。
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