★真夜中のひとりごと★

二児の母「たっちー」のひとりごとです。

市町村合併と夫婦別姓

2005年01月27日 | ★夫婦別姓
近頃、全国のあちらこちらで合併していますね。
私は、現在のいい加減な国の言うことを聞いて、無理に合併しない方がいいのではないかと思っています。あの補助金、絶対当てにならないんじゃないのかな。そもそも日本という国自体が借金だらけでお金がないのに、補助金なんか出せる余裕があるのかと疑問を抱きます。

おバカな政治家のムダ使いのせいでねぇ。あの一億円のばらまきがなければ今頃は…。意味のない施設を建てなければ今頃は…。などど考えてしまいます。

ところで、この合併。
なかなか折り合いがつかず、結局話し合いが決裂して、破談になっていることが多いようですね。

そんな中で、市の名称変更ということで、夫婦別姓との共通点を見つけました。

私が住んでいる市も例外ではなく合併を進めていました。
ところが、私自身もどうでもいいと思っていた市の名前が突然の出来事で、全くの無名がなんと一躍全国で有名になってしまいました。

その名も「茨城・下妻」(竜ヶ崎桃子風に読んでね☆)

昨年は、映画になり、その映画のレンタルビデオ&DVDもすべてレンタル中になるほど好調、さらに地元の高校が甲子園初出場し、地元出身の塚本真希選手が金メダルを取る快挙が続きました。

私にはこれが、「名前を変えないでくれ。」と、下妻の神様が言っているように思いました(笑)それに、これだけ有名になった名前をいとも簡単に消してしまうだなんて、なんてもったいない!とも思いました。これからずっとレンタル店に「下妻物語」が置かれて、それを観た人が「こんな名前の街あるの?」って思ったときにそこにちゃんと実在してくれていた方がとてもいいですよね。市で街おこしのために自らお金をかけて宣伝しなくても映画が勝手に下妻を宣伝してくれるし、50年の伝統のある名前も残せるなんて、いいことだらけじゃないですか!

それで、私はさっそく合併協議会にメールを送りました。下妻市民たちも、署名活動をし、市民の3分の1にもおよぶ約1万人超の下妻の名称存続を市長にお願いしました。
合併に際しては、初めは新名称になることで下妻市は同意していましたが、多くの市民の思わぬ反対にあい、結局、合併協議会は解散、合併は取りやめになりました。

実は、私、新市の名称を「きぬ市」ということで投票していたんですが、心変わりしました(笑)

破談になったその後、どういう経緯か知りませんが、千代川村と合併することが決まったようです。ただし、市役所が千代川村に移動するので、それに抗議をしている人たちがいますが、「下妻」の名前を残しての合併なので、私は市役所の移動くらいは別に構わないと思っています。
現在の市役所の場所では、駐車場が狭く、いつもほとんど空いていない状態でとても駐車しにくいし、建物も古くて汚いです。私はあの暗くて臭くて汚い下妻市庁舎が昔からなんだか嫌いでした。しかし、千代川村に移動することにより、駐車場が広くなり、きれいな市庁舎になれば、その方が絶対いいなぁと思います。そもそもバスなどの公共機関が発達していない下妻市と千代川村は、どうしても自家用車に頼るしかないので、別にどこに市庁舎があってもあんまり関係ないのではないかなぁと思います。そんなことよりも利用しにくさを増加させる現在の駐車場が狭さの方が問題だと思います。

そんな風に、
市町村合併で、今まで親しんできた市の名前がどんどん消え失せていく。
結婚で、今まで親しんできた苗字が消え失せる。

この2つに何やら同じような哀愁を覚えてなりません。
今まで、苗字が変わるということを全く考えなかった人が、市の名前が消えていくことで、その気持ちが少しでも理解できるのではないだろうかと思いました。自分が慣れ親しんだ市の名前が消えることに思いをはせ、考えてもらえたら、名前を変えたくない、夫婦別姓にしたい、と言う人たちの気持ちがわかり、少しでも理解してもらえたら嬉しいなぁと思いました。

市(し)の名前が変わるのも、氏(し)が変わるのも、どちらも名前が変わるということは同じで、さらにその名前に愛着がある人にとって、変わって、なくなってしまうのはとても悲しいし、寂しいし、辛いと感じる気持ちになるのもやはり同じではないかと思います。

近頃、私が母に夫婦別姓の話をさんざんするようになったせいか、そういう話に敏感になってしまったようです(笑)そんな母から聞いた話ですが、永六輔がラジオでこのように言っていたと教えてくれました。
今まで使っていた名前を、合併したから、結婚したからと、市の名前や苗字を簡単に捨て、変えてしまうことはとても寂しいことではないか?愛着のある名前をそんなに簡単に変えてしまうというのはどうなのか、違うのではないか、と。

永六輔も、市町村合併で慣れ親しんだ市の名前が変わるのを目の当たりにして寂しさを感じ、そこで名前ということで、苗字が変わることに対する寂しさを持つ人がいると言うことを理解できるようになったのかもしれないと、この話を聞いて私はそう感じました。

最悪の憲法改正

2005年01月25日 | ★人生いろいろ
筑紫哲也のニュース23を見ていたら、自民党の憲法改正のニュースをしていた。
歴代の首相がならび、中曽根が「世論が改正を求めている声が多いから。」などとよく分からない事を言っていた。いつ誰がそんな世論を言ったのか?誰もそんなこと言ってないけど。

こんなダメな日本にしてしまったのは、そもそも自民党ではないのか。
あんな人たちが作る憲法なんて恐ろしくてたまらない。

このニュースを見た途端、こころがまっくらになってしまった。
明るい未来さえ、見えなくなってしまった。とても悲しくなった。
またバカな戦争に荷担して、国民をたくさん殺すつもりなのだろうか。
愛する人を失わなければならなくなるのだろうか。
憲法からはずれた行動をすると非国民と言われるのだろうか。

自民党はもうだめだと思う。政権交代して、いっそ民主党が与党になってくれればいいのに。
国民主権なのに、どうして国民は首相を選べないし、衆議院を解散させる力がないのだろうか…。
天誅でもおこらないかぎり、分からないんだろうか。
私は自民党の権力を握っている人たちのことはどうも信じられない。

本当の民主主義には、一体いつになったらなるのだろうか。
リンカーンが言っていた、「人民による人民のための政治」は一体だれが行ってくれるのだろう。

超少子化とダメ男

2005年01月21日 | ★人生いろいろ
夫婦別姓に興味を持ったことからはじまり、少子化問題にも興味を持ちました。

毎日新聞の東京朝刊では、
「未来が見えますか:人口減時代の日本 第1部・少子化の風景」
という連載が11回シリーズで昨日の朝刊まで掲載されていました。

毎日新聞のホームページで検索できた号だけをリンクしました。
ご興味のある方はどうぞ↓
[ 第2回 第3回 第6回 第7回 第9回 第10回 第11回 ]

夫婦別姓問題は少子化にも少なからず影響を及ぼしているのではないかと考えています。
下に、なぜ少子化が進行しているのかその要因を自分なりに考え推論を立ててみました。

推論1.少子化には晩婚化、非婚化が背景にある。
推論2.晩婚化、非婚化するのは夫婦別姓にできないのも要因の一つである。
推論3.婚姻届を出さずに子を産むことに対する婚外子差別のせい。
推論4.結婚したいと思えるようないい男性がなかないないと多くの女性が思っている。
推論5.多くの男性が結婚することを重荷に思う。
推論6.結婚すると、女性は仕事と家庭を両立することができない。
推論7.結婚することで男女とも抱える負担が多すぎる。
推論8.一人っ子が多く兄弟姉妹が少ないため、どちらも跡継ぎになってしまう。

この推論に答えてくれそうな2冊の本を読みました。

鈴木りえ子著 : 超少子化-危機に立つ日本社会

この本には、少子化が進む原因は専業主婦と働く女性の税金の格差の問題、結婚による男女の役割分担の決め付けからくるお互いへの依存に対しての負担感が、結婚への魅力をなくしているのではないかと書かれていました。
これからの時代は、「男だから」「女だから」という価値観にとらわれず、お互いが自立した一人の人間として、さらによき人生のパートナーとして協力して生きていくことが結婚ということであり、また夫婦が子を持つ持たないという選択を自由にできることが大切だと述べていました。産みたい人には産みやすく、産みたくない人は産まなくても生きやすい社会を作ることが少子化を止めることではないかと書かれていました。

私はこの本にの内容にとても同感しました。

男女ともみな「男だから働け。」「女だから家事、育児をしろ。」「男は強くなければいけない。」「女はおしとやかでなければいけない。」などという決め付けに対してかなり窮屈だと感じているのだと思います。
そんな価値観をいつまでも押し付けている限り、結婚というものの魅力がますます薄れ、家族を作ることがわずらわしくなり、結婚を遠ざけている原因になっていると私も思っていますし、私も実際そう感じています。
夫の家政婦になるために、夫の家に取り込まれるために結婚するなら、そんな結婚は私は願い下げです。男性だって、稼いだお金をすべて持っていかれ、小遣いをもらうにもいちいち文句を言われ、稼ぐことが妻に当然だと思われるような結婚なら自分の趣味にお金を全部使える方がどんなにいいかと考えるのは当然だと思います。
既に結婚している男女の多くに、男は働いて当然、女は家事をして当然というお互いの依存関係や感謝の気持ちがない人がいることにとても疑問を感じています。また、そういったことに関して特に女性が疑問を感じ始めたために、熟年離婚が増えているのではないでしょうか。
やはりお互いが自立して、お互いを人生のパートナーと思うことが大切だと思います。そのためには、夫婦別姓を選択できるようにすることも必須事項です。なぜなら社会で働くためには氏名はとても重要な役割を果たすからです。

また、男女が仕事と家庭を両立できるような支援体制や施設が整っていないことも原因だと思います。働かないと食べていけませんが、だからと言って子どもを預かってくれるところがほとんどありません。そうなることで、しわ寄せがくるのはたいてい女性ということになります。男女とも仕事も育児も両立できるようにすることが先決だと思います。

私が勝手に考えた対策ですが、企業や施設を問わず、託児所を必ず設置し、学校には必ず学童保育施設を設置すればいいのではないかと思います。また、学童保育所は高齢者のデイケアセンターも兼ねてもいいのではないでしょうか。ただ、この場合、認知症(痴呆症の新しい言い方です)の方の受け入れが難しいですが、暴力を振るわない程度の方なら一緒にしても問題ないと私は思っています。
子どももお年寄りも孤独にならずにすむし、子どもたちは色んな年齢の人たちと関わりあうことができ、社会性やコミュニケーション能力が培われ、お年寄りも子どもたちに刺激され、認知症を発症する確率を低めたり、進行を緩和できたりするというような相乗効果があるのではないかと考えています。


岩月謙司著 : なぜ母親は息子を「ダメ男」にしてしまうのか

なぜこの本を手にしたかというと、以前関わった男性がまさにこの本に書かれているような人間だったからです。そして、世間で言う「いい男がいない。」という原因はここにあるのではないかという推論から、読んでみようと思いました。

この本によると、母親が息子をダメ男にしてしまうのは、息子に対してドメスティック・マインド・コントロール(略してDMC)をしているせいだと書かれています。それでは、そのドメスティック・マインド・コントロールとは何かというと、「おまえは幸せになるな。私(母親)を幸せにしろ。」というものです。
その母親はどうして、自分の息子にそんなことをしてしまうかというと、自分自身の不幸を認めようとしないところから始まるのだそうです。
「母親を悲しませるオマエは悪い子だよ。母親を悦ばせる子がいい子なのだ。」というサインを送り、無言の圧力をかけます。すると子どもはそのDMCを受け、母親のいいなりになっていきます。
本来、母親は子どもの感情に共感してあげるべきなのに、DMCをする母親は共感などできないので、子どもは「見捨てられ不安」を覚え、常に不安でたまらなくなってしまうのだと書かれています。

そんな風に、本当の愛情を与えることができない母親に育てられた息子はダメ男に、娘はダメ女になるでしょう。日本社会にはそういう男女がたぶんたくさんいると思います。そして、そのことで苦しんでいる人はかなり多いと思います。DMCは目に見えない児童虐待だと私は思います。その後のその子の人生を狂わせてしまうのですから。
昔、関わったその男性は、母親からかなりDMCされていたように思います。私と一緒にいるときは私の意見に従い、母親に言われると母親の意見にすぐ従うような人で、自分がどうしたいのかがまったくない人でした。母親がどんなにおかしくとも反抗などしないのです。いえ、DMCされているがために恐ろしくてできなかったのでしょう。その母親は息子が稼いだ給料を勝手に引き出して、家のローンに使ってしまったりするような人でした。それが当然というような顔をしていたようです。あなたのお金は私のお金でしょと言わんばかりの感じですよね。その男性はいつも喪失感で苦しんで、どんなに私が愛情をかけてもそれを受け取ることができず、いつも誰かともめ事を起こし、さらに理解されず孤独を深めるようなとても可哀想な人でした。

そんなことを言っている私も多少、母親にDMCされている気がしています。本を読んでいて私自身にも当てはまるところがありました。けれど仕方ありません。私の母は、その母親である私の祖母や母の姉である私の伯母に、DMCされていたのですから。それなのにその虐待の連鎖を少し軽くしてくれただけでも感謝しています。もし私が子どもを産むことができるのなら、私の次の代には連鎖しないよう、私でDMCは完全に断ち切りたいと思っています。

本を読んでいて、女性差別撤廃のための障壁は、実は男性ではなく同じ女性だったりするのかなぁと思いました。自分さえよければいいと考え、人に気配りが出来ない女性が多いことがとても気になります。その女性の多くは夫婦別姓とは無縁の方々です。

例えば、自動車。駐車場などの渋滞で並んでいる時、女性は入れてくれない人が多いです。男性の方が譲ってくれます。こちらが譲った場合、男性はお礼をしていく人が多いですが、女性は無礼者が多いです。そして、車間距離は女性はやたらに狭いです。止まれないくせにその狭さはハッキリ言って怖いです。その狭さで相手を不快にさせるかもしれないという気遣いが全くできていません。男性の方がよっぽど気遣いができているようにも感じます。それでいて「私は女だしぃ~。」と女を振りかざされた日には「コイツ、いてこましたろか?!」とキレそうになります。

そんな風に夫婦別姓の実現に立ちはだかる本当の壁は、長男が跡を継ぎ、長男の嫁は自分たちの面倒をみるものだ、お墓を守るものだという家制度を信じて(信じるのは勝手だか)それを人にも押し付け、子離れせず、家事もせず、夫が働いて稼いでくるのを当然だと言う顔をして、そのことに感謝もせず、自分のお金のように夫の給料を平然とたくさん使っているような完全に依存しきった女性たちなのかもしれません。その利己主義な女性たちがこの社会に男尊女卑思想、自分勝手をするような男性や子どもをたくさん作り出しているように思えてきました。

男女平等の壁は、実は女性自身?
オバタリアンの増殖が日本を滅亡させるかもしれない…。

女性の権利と自立

2005年01月12日 | ★人生いろいろ
紳助「複雑」な復帰、TV生出演でおわび (日刊スポーツ) - goo ニュース

島田紳助さんの「行列のできる法律相談所」の生放送出演のテレビ放送を見ました。
とても悔いているように思いました。暴力をふるってしまった罪を誠心誠意償って、今後も頑張って芸能活動をしてほしいと思っています。あれだけの才能を持った方がいなくなってしまうのはとても惜しいことだと思います。

被害を受けた吉本興業の女性マネージャーは怪我をされ、心的外傷後ストレス障害(PTSD)を発症されているそうで、そのことに関しては本当にお見舞い申し上げます。

しかし、私は思ったのですが、この女性マネージャーが紳助さんを「引退させてやる!」とまで言ったことに対しては、これは果たしてどうなのだろうと思いました。紳助さんをそれほどまでに怒らせた女性マネージャーのその行動にも反省すべきことがあるのではないでしょうか。紳助さんだって、全く何もなくて殴るまで怒らないと思います。確かに殴ったことは絶対にいけないことです。いくら償っても許されないことだと思います。けれど、自分の無礼な行動を棚に上げて、ただ感情的に「引退させてやる!」と言っているなら、それはお門違いではないでしょうか。
さらにそこに「女である、か弱い私に暴力を振るうなんて許せない。」という思いで、すぐに「女」を持ち出して抗議するのはいかがなものかと思いました。もし殴られた側が男性であれば殴られたことを訴えたとしても「引退させてやる!」まで言わないでしょう。
どうして女性はすぐに「女なんだから」と保護の権利を振りかざし、自分自身のひどい行動を省みず棚に上げるのでしょうか。その行為の方が私は同じ女性として逆に許せないし、恥ずかしいです。

近頃は女性の権利がたくさん認められ、昔に比べだいぶ女性の地位が向上してきました。私はそれを肌で感じ、私の考えていた時代がやっと来た(笑)、やっとこの「女」という性別を恨むことなく、変に型にはめられたり、押さえつけられることなく自分らしく生きられる、生きやすい世の中になってくれて、本当にありがたいことだなぁと感謝しています。

しかし、大切なその女性のための地位向上や保護の法律を、自己中心的な考えで悪用する女性がなんとも多く存在しているように思います。

「私は女だから、か弱いの。だから守ってね。」
「私は女だから重い荷物なんて持てな~い。」
「私は女なんだから男が養う(おごる)のが当然でしょ?」

などと自分に都合のいいことばかり言って甘え、仕事をさぼったり、楽しようとしたり、得しようとしたり、男性を陥れ、利用し、金品をたかるような女性が年齢問わずなんと多いのかと思っています。

さらに、配偶者控除などで、控除の範囲内でしか仕事をせず、しかもそういう女性に限っていい加減に仕事をする人が本当に多いです。「仕事をなめるんじゃねぇ!」「人に迷惑ばかりかけ自分で責任を持たないような仕事するなら、働くな。」と言ってやりたいです。足を引っ張られるこちらの身にもなってほしいです。そういう女性たちの行動や考え方が、
「だから女はダメなんだよな。やっぱり使えねーよ。」
と結局男性に言われたり、思われてしまう原因を作っていると思います。夫や国からの養護を利用し、悪用し、実際はお金をもっと稼げるにもかかわらず、国から控除を受けられるからと控除の範囲でテキトーに仕事をして、そのお金で日々遊びほうけている甘ったれた考えの女性たちが多く存在する日本という国。それがこの国が衰退している要因の一つではないでしょうか。

そもそも国が優遇の仕方を間違えているのだと思います。というか、きっともう時代に合っていないのでしょう。少子化で子どもをもっとたくさん産んで欲しいなら、子どもの教育や医療にかかる負担金を減らす措置をとったらどうでしょうか?中高の義務教育の授業料や、義務教育の間の子どもの治療費を無料にしたらいいのではないでしょうか。とにかく子どもを育てるためにかかるお金に対してのすべてを控除したり、優遇したりしてあげた方がいいと思います。もちろん保育施設も充実させることも。女性を優遇するのではなく、子どもを国の宝とし、一人前の人間に育てることに関して優遇していくべきです。

子を持つ親にお金で支給すると、子どものために使わず、親が自分たちのために使ってしまっているようです。そして、そういう優遇措置を逆手に取り、「楽をするために専業主婦になる。」という発想が女性たちに少なからずあります。このもたれかかった考えがそもそも間違っていませんか?男性にお金を稼がせ、自分は家事もせず、ウチでゴロゴロ、色々なところで遊びほうける。結局それって、女性版「ヒモ」ですよね?男性が「ヒモ」をするととがめられるのに、女性はいいだなんておかしいのではないでしょうか。男女平等を振りかざすならなおさらです。

こんなことを書いていると世の専業主婦の勝ち犬女性から総攻撃に合いそうですね。あんたは負け犬だからそんなことを言うのだろうと。しかし、誤解のないように付け加えますが、私は専業主婦がいけないとは思っていません。その心の持ち方を考えて欲しいと思っています。養ってもらっていることに感謝し、ちゃんと夫を支え、敬い、子育てや家事をしっかりしている専業主婦の勝ち犬さんたちもいらっしゃるので、その方たちは立派だと思っています。

そうではなく誰かにもたれかかることが当然で、感謝もなく自立しようとしない、何かと夫や国をやたらに頼るくせに頼っている相手を敬わないその態度、行動の数々。そういう心を持つ専業主婦の女性たちが多いことが問題だと思います。そんな状態でさらに女性の権利を主張されては、男性はたまったものではないのは当然ですよね。そういう女性のせいで、仕事もして家事もしているような女性たちにとっては、そのような浅はかな女性の行動は、女性の名誉に関わることで本当に迷惑千万です。

私は、細木数子という人は好きではありませんが、その細木数子が、女性が男性をバカにする行為や男女平等をやたら主張するくせにそのときばかりは女の武器をつかって仕事を取ったりする行為をとがめていました。私もそれには同感しました。さらに自分の親の面倒も、夫の親の面倒もみないと言い切った芸能人がいました。「さんざん育ててもらって感謝もせず、しまいには自分の親すら面倒みないだと?ふざけるな!」と思いました。誰にここまで育ててもらったと思っているのでしょうか。自分一人で育ったように思うその心が間違っていると思います。
私は、自分の親も夫の親も、一から十まで「面倒を見る」と言ったような考えではなく、何か困ったことがあったら助けられる人間になりたいと思っています。どこの家庭も子どもの少ない今「嫁は夫の親の面倒をみなければならない。」ではなく、これからの時代は「夫婦で協力し合って、それぞれの親をいざというときには助けてあげよう。」という考えがいいのではないでしょうか。

男性も確かに同じような人がいますが、それ以上に責任放棄、感謝の心がない女性が多すぎます。夫や親をなんだと思っているのでしょうか。この世の中をダメにしてしまったのは、男尊女卑をする男性ではなく、そもそもそういう依存度が高い女性ではないでしょうか。そんな女性が育てる子どもたちが果たして、親や先生、周囲の人々に感謝するようになるでしょうか。

もし、この女性マネージャーが自分のそういう行動をまったく悔いていないのなら、紳助さんは引退する必要はまったくないと思います。「引退させてやる!」と紳助さんを責め立てる前に、それほどまでに怒らせ不快にさせるその行為、マナーや礼儀がなっていない自分を十分反省して欲しいと思います。

私もマナーや礼儀には気をつけないといけないと常日頃思っています。なるべく他人を不快にさせるような行動や言動は慎むべきだと思いますし、心地よい行動や会話ができるようになりたいです。
このことは男女の区別は関係ありません。人間として社会で生きていく上での必須条件ではないかと思います。今の日本はきっとこの「あたりまえだけど、大切なこと」が欠けてしまっているのだと思います。

女性が金銭的にも精神的にも自立してはじめて、本当の男女平等になり、夫婦別姓の意義も見出せるのではないかなぁと思います。

女性が男性に頼り切る時代はもうすぐ終わるでしょう。これ以上はきっと無理です。国も男性も、女性を金銭的にも精神的にも支える力は残っていません。だから、これからの女性は、自分の力でお金を稼ぎ、周囲の人々と助け合い、自分でも生きていく努力をしなければいけないと思います。その法整備はだいたい整いました。

男性たちはいままで、働きづめで疲労し、力や元気がなくなってしまっています。これからは女性の力で社会的に男性たちを助ける時代が来ていると思います。男性たちに何もかも負担を負わせるのはもうやめにしませんか?

これからの日本の進むべき道は、女性たちも社会に出て、男性たちに協力し、お互いが助け合ってよりよく生きていける国や社会をつくっていくことではないしょうか。

タッチ映画化情報(2)

2005年01月07日 | ★タッチ&あだち充
■Love is ”Touch”y■ 掲示板★COFFEE南風★で絵理香さんが、
また、こちらのブログでにっちゃばんじのごうさんにまたご連絡をいただき、情報を入手しました!
ありがとうございました。

待ちに待った達也と和也の配役が決まりました。1月5日にどうやらわかったそうです。
なんと本当の双子の斉藤祥太、斉藤慶太になりました!

顔や雰囲気はちょっとイメージと違いますが、本物の双子がいいなと私は思っていたので、ちょっと期待できそうです。どんな映画になるのか、かなり楽しみになってきました(^-^)


2005年度 東宝配給作品ラインアップ(2004年2月13日発表)

実写版映画「タッチ」

 クランクイン:2005年3月予定
 公開日:未定
 監  督: 犬童一心(作品「「ジョゼと虎と魚たち」)
 <配役>
 上杉達也: 斉藤祥太 19歳
 上杉和也: 斉藤慶太 19歳
 浅倉 南: 長澤まさみ 17歳(映画「世界の中心で、愛を叫ぶ」出演)

情報ソース:
Yahoo!ニュース - エンターテインメイト - (日刊スポーツ)1月6日(木)9時34分更新
斉藤祥太、慶太が「タッチ」で双子役

謹賀新年

2005年01月01日 | ★人生いろいろ
2005年(平成17年)が明けました。今年は生まれて初めての雪の正月です。

昨年は、ブログを始めたり、夫婦別姓のことを色々と調べたり、別姓の会に参加したりしました。
ブログでは、たくさんの方々がトラックバックやコメントをくださいました。
このようなつたない文章で、かなりな独断と偏見が入っていますが、
それにもかかわらず、ご覧下さり、本当にありがとうございます。

しかし、このブログを始めてからここまで、私はすごく突っ走っりすぎてしまったように感じています。
記事を書きすぎて、頭の中で文章がぐるぐる回るようになってしまいました(笑)
文章がとてもまとまりのないものになってきたなぁと感じてきています。
魂のエネルギーを少々使いすぎたせいなのか、
文章に魂がこもらなくなってきてしまっているようにも感じます。
これはいけないなぁと思いました。ちょっと疲れているのかもしれません。
もう少し充電しながら、いろいろな事をじっくりゆっくり考えて、
また記事を書いていきたいなぁと思っています。

私はどう生きていきたいのか。
どんなにんげんになりたいのか。
結婚とは?夫婦とは?名前とは?夫婦別姓とは?
夢とは?子どもとは?男女とは?生死とは?
このブログで何を伝えたいのか。

色々な問題疑問があって、
一生かかってもすべての結論が出るかどうかはわからないですが、それでも考えていきたいです。

今年からは「いま、ここ」をもっと大切に生きたいです。
そして、自分の心にウソをつかず、
周囲の大切な人たちやいろんな出逢いに感謝し、
さらに大切していきたいなぁと思っています。

 一生感動
 一生青春
 一生不悟

本当に、相田みつをの言葉はいい言葉です。
今年も自分なりの答えを一つ一つ見つけながら、自分らしく生きられる道を見つけて、
一歩一歩、歩んでいき、自分の中のたくさんの夢をひとつずつ叶えていきたいと思います。

そんなわけで、今年もどうぞよろしくお願い致します