近頃、全国のあちらこちらで合併していますね。
私は、現在のいい加減な国の言うことを聞いて、無理に合併しない方がいいのではないかと思っています。あの補助金、絶対当てにならないんじゃないのかな。そもそも日本という国自体が借金だらけでお金がないのに、補助金なんか出せる余裕があるのかと疑問を抱きます。
おバカな政治家のムダ使いのせいでねぇ。あの一億円のばらまきがなければ今頃は…。意味のない施設を建てなければ今頃は…。などど考えてしまいます。
ところで、この合併。
なかなか折り合いがつかず、結局話し合いが決裂して、破談になっていることが多いようですね。
そんな中で、市の名称変更ということで、夫婦別姓との共通点を見つけました。
私が住んでいる市も例外ではなく合併を進めていました。
ところが、私自身もどうでもいいと思っていた市の名前が突然の出来事で、全くの無名がなんと一躍全国で有名になってしまいました。
その名も「茨城・下妻」(竜ヶ崎桃子風に読んでね☆)
昨年は、映画になり、その映画のレンタルビデオ&DVDもすべてレンタル中になるほど好調、さらに地元の高校が甲子園初出場し、地元出身の塚本真希選手が金メダルを取る快挙が続きました。
私にはこれが、「名前を変えないでくれ。」と、下妻の神様が言っているように思いました(笑)それに、これだけ有名になった名前をいとも簡単に消してしまうだなんて、なんてもったいない!とも思いました。これからずっとレンタル店に「下妻物語」が置かれて、それを観た人が「こんな名前の街あるの?」って思ったときにそこにちゃんと実在してくれていた方がとてもいいですよね。市で街おこしのために自らお金をかけて宣伝しなくても映画が勝手に下妻を宣伝してくれるし、50年の伝統のある名前も残せるなんて、いいことだらけじゃないですか!
それで、私はさっそく合併協議会にメールを送りました。下妻市民たちも、署名活動をし、市民の3分の1にもおよぶ約1万人超の下妻の名称存続を市長にお願いしました。
合併に際しては、初めは新名称になることで下妻市は同意していましたが、多くの市民の思わぬ反対にあい、結局、合併協議会は解散、合併は取りやめになりました。
実は、私、新市の名称を「きぬ市」ということで投票していたんですが、心変わりしました(笑)
破談になったその後、どういう経緯か知りませんが、千代川村と合併することが決まったようです。ただし、市役所が千代川村に移動するので、それに抗議をしている人たちがいますが、「下妻」の名前を残しての合併なので、私は市役所の移動くらいは別に構わないと思っています。
現在の市役所の場所では、駐車場が狭く、いつもほとんど空いていない状態でとても駐車しにくいし、建物も古くて汚いです。私はあの暗くて臭くて汚い下妻市庁舎が昔からなんだか嫌いでした。しかし、千代川村に移動することにより、駐車場が広くなり、きれいな市庁舎になれば、その方が絶対いいなぁと思います。そもそもバスなどの公共機関が発達していない下妻市と千代川村は、どうしても自家用車に頼るしかないので、別にどこに市庁舎があってもあんまり関係ないのではないかなぁと思います。そんなことよりも利用しにくさを増加させる現在の駐車場が狭さの方が問題だと思います。
そんな風に、
市町村合併で、今まで親しんできた市の名前がどんどん消え失せていく。
結婚で、今まで親しんできた苗字が消え失せる。
この2つに何やら同じような哀愁を覚えてなりません。
今まで、苗字が変わるということを全く考えなかった人が、市の名前が消えていくことで、その気持ちが少しでも理解できるのではないだろうかと思いました。自分が慣れ親しんだ市の名前が消えることに思いをはせ、考えてもらえたら、名前を変えたくない、夫婦別姓にしたい、と言う人たちの気持ちがわかり、少しでも理解してもらえたら嬉しいなぁと思いました。
市(し)の名前が変わるのも、氏(し)が変わるのも、どちらも名前が変わるということは同じで、さらにその名前に愛着がある人にとって、変わって、なくなってしまうのはとても悲しいし、寂しいし、辛いと感じる気持ちになるのもやはり同じではないかと思います。
近頃、私が母に夫婦別姓の話をさんざんするようになったせいか、そういう話に敏感になってしまったようです(笑)そんな母から聞いた話ですが、永六輔がラジオでこのように言っていたと教えてくれました。
今まで使っていた名前を、合併したから、結婚したからと、市の名前や苗字を簡単に捨て、変えてしまうことはとても寂しいことではないか?愛着のある名前をそんなに簡単に変えてしまうというのはどうなのか、違うのではないか、と。
永六輔も、市町村合併で慣れ親しんだ市の名前が変わるのを目の当たりにして寂しさを感じ、そこで名前ということで、苗字が変わることに対する寂しさを持つ人がいると言うことを理解できるようになったのかもしれないと、この話を聞いて私はそう感じました。
私は、現在のいい加減な国の言うことを聞いて、無理に合併しない方がいいのではないかと思っています。あの補助金、絶対当てにならないんじゃないのかな。そもそも日本という国自体が借金だらけでお金がないのに、補助金なんか出せる余裕があるのかと疑問を抱きます。
おバカな政治家のムダ使いのせいでねぇ。あの一億円のばらまきがなければ今頃は…。意味のない施設を建てなければ今頃は…。などど考えてしまいます。
ところで、この合併。
なかなか折り合いがつかず、結局話し合いが決裂して、破談になっていることが多いようですね。
そんな中で、市の名称変更ということで、夫婦別姓との共通点を見つけました。
私が住んでいる市も例外ではなく合併を進めていました。
ところが、私自身もどうでもいいと思っていた市の名前が突然の出来事で、全くの無名がなんと一躍全国で有名になってしまいました。
その名も「茨城・下妻」(竜ヶ崎桃子風に読んでね☆)
昨年は、映画になり、その映画のレンタルビデオ&DVDもすべてレンタル中になるほど好調、さらに地元の高校が甲子園初出場し、地元出身の塚本真希選手が金メダルを取る快挙が続きました。
私にはこれが、「名前を変えないでくれ。」と、下妻の神様が言っているように思いました(笑)それに、これだけ有名になった名前をいとも簡単に消してしまうだなんて、なんてもったいない!とも思いました。これからずっとレンタル店に「下妻物語」が置かれて、それを観た人が「こんな名前の街あるの?」って思ったときにそこにちゃんと実在してくれていた方がとてもいいですよね。市で街おこしのために自らお金をかけて宣伝しなくても映画が勝手に下妻を宣伝してくれるし、50年の伝統のある名前も残せるなんて、いいことだらけじゃないですか!
それで、私はさっそく合併協議会にメールを送りました。下妻市民たちも、署名活動をし、市民の3分の1にもおよぶ約1万人超の下妻の名称存続を市長にお願いしました。
合併に際しては、初めは新名称になることで下妻市は同意していましたが、多くの市民の思わぬ反対にあい、結局、合併協議会は解散、合併は取りやめになりました。
実は、私、新市の名称を「きぬ市」ということで投票していたんですが、心変わりしました(笑)
破談になったその後、どういう経緯か知りませんが、千代川村と合併することが決まったようです。ただし、市役所が千代川村に移動するので、それに抗議をしている人たちがいますが、「下妻」の名前を残しての合併なので、私は市役所の移動くらいは別に構わないと思っています。
現在の市役所の場所では、駐車場が狭く、いつもほとんど空いていない状態でとても駐車しにくいし、建物も古くて汚いです。私はあの暗くて臭くて汚い下妻市庁舎が昔からなんだか嫌いでした。しかし、千代川村に移動することにより、駐車場が広くなり、きれいな市庁舎になれば、その方が絶対いいなぁと思います。そもそもバスなどの公共機関が発達していない下妻市と千代川村は、どうしても自家用車に頼るしかないので、別にどこに市庁舎があってもあんまり関係ないのではないかなぁと思います。そんなことよりも利用しにくさを増加させる現在の駐車場が狭さの方が問題だと思います。
そんな風に、
市町村合併で、今まで親しんできた市の名前がどんどん消え失せていく。
結婚で、今まで親しんできた苗字が消え失せる。
この2つに何やら同じような哀愁を覚えてなりません。
今まで、苗字が変わるということを全く考えなかった人が、市の名前が消えていくことで、その気持ちが少しでも理解できるのではないだろうかと思いました。自分が慣れ親しんだ市の名前が消えることに思いをはせ、考えてもらえたら、名前を変えたくない、夫婦別姓にしたい、と言う人たちの気持ちがわかり、少しでも理解してもらえたら嬉しいなぁと思いました。
市(し)の名前が変わるのも、氏(し)が変わるのも、どちらも名前が変わるということは同じで、さらにその名前に愛着がある人にとって、変わって、なくなってしまうのはとても悲しいし、寂しいし、辛いと感じる気持ちになるのもやはり同じではないかと思います。
近頃、私が母に夫婦別姓の話をさんざんするようになったせいか、そういう話に敏感になってしまったようです(笑)そんな母から聞いた話ですが、永六輔がラジオでこのように言っていたと教えてくれました。
今まで使っていた名前を、合併したから、結婚したからと、市の名前や苗字を簡単に捨て、変えてしまうことはとても寂しいことではないか?愛着のある名前をそんなに簡単に変えてしまうというのはどうなのか、違うのではないか、と。
永六輔も、市町村合併で慣れ親しんだ市の名前が変わるのを目の当たりにして寂しさを感じ、そこで名前ということで、苗字が変わることに対する寂しさを持つ人がいると言うことを理解できるようになったのかもしれないと、この話を聞いて私はそう感じました。