★真夜中のひとりごと★

二児の母「たっちー」のひとりごとです。

もずくスープ

2006年11月30日 | ★道をひらく
私は、もずくスープが大好きです。今、色々なメーカーから発売されていますが、代表的なのは以下の3社です。

ニコニコのり:もずくスープ
マルちゃん:もずくスープ
クノール:もずくスープ

すべて試食してみました(笑)私の記憶だとニコニコのりが一番最初にもずくスープを販売し始めたと思います。私がもずくスープが好きになったきっかけは、祖母に農協のお祭りに連れて行ってもらった時に箱売りしていました。そこで試食を薦められて食べたのですが、とてもおいしかったので1箱買ってもらいました。はまり始めたのはそこからです。一番最初に出しただけあって、ニコニコのりのもずくスープが一番おいしいと思っています。さらにもずくは血液をサラサラにする効果やミネラルが多いので体にもいいですし。

そこで、3社の味や食感を比較しました。
ニコニコのりのもずくスープは、塩加減ともずくのコリコリ感がとても絶妙です。
マルちゃんのもずくスープは、味が「赤いきつね」とほとんど同じ味がします。これはこれでおいしいですけど。もずくの食感はまあまあです。
クノールのもずくスープは、ちょっとイマイチ。もずくが柔らかすぎて歯ごたえが足りません。味付けも何かが足りない感じがします。クノールのわかめスープはおいしいんだけどな。

そんな大好物のもずくスープが近所のスーパーから最近ニコニコのり製のものが消えてしまいました。色々なお店を探したのですが、まったくなくて。。。

仕方がないので、ニコニコのりから直接、通信販売で購入することにしました。

ニコニコのり株式会社
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少年よ、大志を抱け!

2006年11月29日 | ★道をひらく
“Boys, be ambitious!
Be ambitious not for money or for selfish aggrandizement,
not for that evanescent thing which men call fame.
Be ambitious for the attainment of all that a man ought to be.”

「少年よ、大志を抱け!
お金のためではなく、私欲のためでもなく
名声という空虚な志のためでもなく
人はいかにあるべきか、その道を全うするために、大志を抱け」



ドラマ「Dr.コトー診療所2006」の話の中で、札幌農学校(現北海道大学)のクラーク博士のこの言葉がありました。私は「少年よ、大志を抱け!」という有名な部分しか知りませんでしたが、ドラマで初めて後に続く素晴らしい言葉を知りました。本当にいい言葉です。真髄をついていると思います。

「Dr.コトー診療所2006」の中でのやりとりの詳細はこちらのブログに書かれています。

Dr.コトー診療所2006第6話(アトリエバラ・スタッフのブログ)

私もこの言葉のように、「大志を抱き、その道を全うしたい。」と思います。これからの私に何ができるか、今、考えをまとめています。
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2世代同居

2006年11月28日 | ★道をひらく
2世代同居に新手当 民主党の政権政策判明(共同通信) - goo ニュース


2006年11月28日(火)12:26

* 共同通信

 民主党が来年の参院選に向けて打ち出す「政権政策」原案の全文が28日、判明した。家族の再生を目指し、親と同居している世帯に「同居手当」を創設する。高校の義務教育化や集団的自衛権行使の一部容認なども盛り込んだ。同日午後、発表する。

社会保障政策では、親子の支え合いを進めるために同居手当と子ども手当を創設。消費税率は5%を維持し、全額を公的年金の基礎部分に充当。高額所得者については年金など社会保障給付を制限する。

教育については高校までを義務教育とし、就学前教育の無償化を推進、将来的に対象を拡大する。政治改革では選挙権付与年齢を18歳に引き下げ、重要政策では国民投票制度を導入。国会に「行政監視院」を設け、行政の在り方をチェックする。


2世代同居、いいですね~。私は実の両親といずれは相棒と一緒に実家に戻って同居しようと考えています。私の場合は婿取りなので、嫁と姑ではなく、娘と母なので、とっても過ごしやすいと思います。母娘ならケンカしてもしこりは残らないし、娘のダメさ加減も「自分が育てたんだから、仕方がないか。」と母親的に納得するでしょう(笑)
私の両親は、相棒を「婿」とは思わず「息子」と思ってくれています。相棒も「息子」と思って欲しいと言っています。だから同居はうまく行くんではないかなと思っています。何かトラブルがあったとき、嫁の場合と逆で、私が両親と相棒(夫)の間に挟まれると思いますが、うまく取り持ってあげたいなと思います。両親よりも相棒の味方になろうと思っています。

子ども手当もいいですね。子どもをたくさん産もうと思っているものにとっては助かります。私は3人は産もうと思っているので、できればそういう援助があると本当に嬉しいです。

高校までの義務教育は別に私は中学まででもいいと思いますけど、就学前教育の無償化とかは魅力的ですね。

選挙権付与年齢を18歳というのもいいと思います。だったら、結婚年齢も男女とも18歳、成人年齢も18歳にしたらすっきりしないかな?運転免許も18歳からですしね。

重要政策が国民投票制っていうのもいいですね。今の教育基本法とか、憲法改正とか望みもしないのに政治家達で勝手に変えられている感じがいなめないです。国会に国民の声が届くようにしてほしいですね。

こんな制度が、私が子どもを3人産んで実家に二人で戻る頃には、実現しているといいと思います。ちょっと未来が明るくなるニュースをみて嬉しくなりました。
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両親と旅行

2006年11月22日 | ★道をひらく
12月3日から5日まで、私の両親と3人で京都へ旅行に行きます。これまでは仕事が忙しいこともあって家族揃って出かけることはほとんどありませんでした。そもそも家族で旅行と銘打って行く事がまったくありませんでした。だいたいは関東近辺の親戚に車で行くくらいなので、私の両親は飛行機はもちろんのこと、新幹線すらいまだに乗ったことがありません。

私の両親を旅行に連れて行ってあげたいというのは前々からずっと考えていました。しかし、そんなに稼ぎがいいわけではなかったので、なかなか資金が貯まらず、ずっと実行できずにいました。
しかし、今を逃すとそうは行けなくなると思ったので、この機会を利用して思い切って実行することにしました。両親もまだ若いし、足腰も動くし、私もまだ赤ちゃんと一心同体なので身動きが取れるし、もうすぐ安定期にはいるしで、こんな絶好の機会は本当に今しかないと思います。赤ちゃんが生まれれば、1歳になってから行こう、子ども達が落ち着いてから行こう、なんてことになってしまうので、そうなると両親の方がどんどん年を取ってしまうので、そんな風に時間が経てば経つほどだんだん難しくなると考えました。

結婚式・披露宴や結婚準備などで私はほとんど自分の貯金を使い果たしてしまっていたので、なかば行くのをあきらめかけていたのですが、相棒が「両親を旅行に連れて行きたい」という私の想いを叶えようと、なんと私の両親に内緒で旅行資金を出してくれました☆☆

本当に優しい旦那様で、私は世界一幸せ者です。
去年、がんばって苦しみに耐え抜いて、生きてて良かったなぁと思います。
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結婚を祝う会

2006年11月21日 | ★道をひらく
11月17日(金)
職場のみなさんが私と相棒の結婚を祝う会を開いてくれました。
相棒は私とはまったく違う会社なので、私の職場の人とは結婚式に来てくれた同僚の1人以外は全員初対面でした。

みなさん忙しい中、22名もの人が集まってくれました。さらに、記念品としてお金を出資していただいたところ、なんとこれまた20名ほどの方々が出資して下さいました。本当にありがたいことです。部長にお礼を言いましたら、「人徳だね。」とおっしゃってくださいました。

私はこの職場には、平成10年(1998年)3月から部署は違いますがお世話になっています。今の部に入ったのは平成11年(1999年)2月からです。職場に入って今年で8年、部に入って7年になりました。

何事も飽きっぽい私がここまで長くいられたのは生まれて初めてのことです。色々な方々に助けられながら、ちょっと小生意気な私を温かく見守っていただきました。この職場に入ってから、パソコンを自分で習得し、まったくの初心者から今やホームページを作れるようにまでなりました。自分の努力もあると思いますが、それ以上にこの職場環境がよかったのが一番大きいと思います。良い職場に恵まれて、本当に感謝しています。

そんな職場とも来年の平成19年(2007年)3月で雇用期間が満了し、出産のためしばらくお仕事を休もうと思っています。この職場を去るのも、あと4ヶ月ちょっととなりました。
そのことを思うとお祝いの会のあと、なんだかしんみりとしてしまいました。

来年の今頃、私は何をしているでしょうか。。。
理想の自分に少しでも近づくために、今よりもさらに成長できているよう、日々精進していきたいなと思います。
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夢はきっと叶う

2006年11月09日 | ★夢はでっかく根はふかく
過去の記事の
やっぱり夢を叶えたい:http://blog.goo.ne.jp/touchy1985/e/ef67f064dae7af7b4dc3a27c3437ea67
で、こんな夢を上げていました。

 漫画家の夢。
 肖像画家の夢。
 Webクリエイターの夢。
 フリーランスで働く夢。
 本を出版する夢。
 自分の原作がアニメや映画、ドラマになる夢。
 個展を開く夢。
 人に夢と希望を与える夢。
 喫茶店経営の夢。
 心理学を専門に学べる大学に行く夢。
 小さな会社を経営する夢。
 自分の考えと自分の時間で自分らしく生きる夢。
 自分の名を変えずに結婚と出産をする夢。
 夫と協力して仕事と家事・育児を両立する夢。
 パートナーである夫やその家族たちと幸せを分かち合う夢。
 多くの子どもたちが本当の幸せを感じられる教育をする夢。
 多くの女性が社会に参加できるように手助けする夢。


この中で、一つ夢が叶ったものと叶いそうなものがありました。
それは、「自分の名を変えずに結婚と出産をする夢。」
相手があるからいちばん無理そうだと思っていたことでした。
だったら、他のこともできるはず!

思い立ったらとにかく行動してみようと思います。
私ならきっとできる!自分の力を信じて進もう!!
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イメージの力

2006年11月07日 | ★夢はでっかく根はふかく
すごいのをみつけました。

なりたい自分

というのを1年前に書いていました。
内容を読んでいると、ほぼその通りになっているではありませんか。

特にここのところ。
「お互いに成長し、尊敬しあえる素敵な彼がいる。彼は私といるととても安らげると言ってくれる。
 共によきパートナーとして、ずっと一緒に歩んでいこうと誓い合う。」

その1年後の10月7日。
私はそういうパートナーと結婚式でそう誓い合いました。

自分でもびっくりです。願いは叶うんですね。
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私はいやです。

2006年11月06日 | ★道をひらく
待機児童問題で官房副長官「母親は家庭で子育てを」(読売新聞) - goo ニュース

この方はいつまで昔の幻想を追っているのでしょう。
こういうおじさんこそ、私が一番嫌いな男性です。何でも画一的にものを考えすぎだと思います。
すべての母親は家庭の中で子どもと軟禁されていなさいってことでしょうか。
それで、精神的におかしくなって児童虐待している母親がたくさん出てきているのにな。

私は、子どものためだけに生きてるような、子どもの精神的負担になるような母親は嫌いです。母親だけで育児をすると、ヘタすればそうなる危険性が高いと思います。そして、あげくの果てにはダメ人間を育ててしまう危険性がさらに高くなります。
そもそも子育ては、母親だけでなく父親とともに、基本は夫婦で協力してしていくものだと私は思います。そして、夫婦以外にも色々な周りの人々との関わりで育っていくものだと思います。育児すべてをすべての母親がしなければならないようなこの発言はどう考えてもおかしいと思います。

育児は母親がただ側にいつもいればいいってもんでもありません。側にいても、毎日毎日ヒステリックに怒り散らされているようだったら、そんな母親は家にいない方が子どものためにいいと思うんですが。側にいてくれる人が穏やかでないと子どもの教育上、とても良くないと思います。

家庭に入って育児だけに向く女性もいるでしょう。それはそれでいいと思いますが、この発言では「すべての母親」と取られても仕方ないと思います。そもそも男性で家庭に入りたい人だっているでしょう。人の生き方を強制するのは民主主義ではないと思うのですが。

人には向き不向きがあります。
家庭に入りたい女性はそうすればいいし、入りたくない女性は働けばいい。
人それぞれでしょう。
なにも家庭に入らないと育児ができないなんてことはありません。
だったら、勤務時間をもっと柔軟にするように企業に働きかけたらどうでしょう。
企業にはかならず保育施設をつけるように法律でも制定したらどうでしょう。

「いろんな生き方があっていい。」私はそう思います。

やっぱり自民党ってだめだな~。いつまでも過去の栄光や幻想に浸っていてそこから抜け出せないんですね。

政府がどうあろうと、私は私の道を行くぞ!
自分の身は自分で守ります。
こんな人の戯言は無視して、みなさんも自分の生きたいように生きましょう!
そして、いつか本物の素晴らしい日本の国をみんなで作っていきましょう!

国民ひとりひとりがその気になればきっと国を変えることもできると私は思います。政治家に頼っていてはダメです。

私はまず自分の子どもを育てて、自分自身の自己実現もすることを目指そうと思います。
私のそんな生き方がいつか国を変える力になったらいいなと思います。
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いじめと自殺

2006年11月02日 | ★道をひらく
「原因は100%いじめ」 岐阜・中2の自殺 校長が両親に謝罪(産経新聞) - goo ニュース

近頃、いじめによる自殺に関するニュースが多いなぁと感じています。
しかし、私は報道も、学校も、先生も、親も、自殺した本人にも疑問を感じました。

まず報道と学校と先生。
「いじめ」というのは昔からありました。私が学校に行っている時代にもありました。報道を聞いていると昔も今も「いじめ」の内容的にはなんにも変わっていません。昔だって数は少なくても自殺者はいました。それなのに報道すらされませんでした。にも関わらず、どうしてこんなにも今さら騒いでいるのか不思議なくらいです。
私もいじめにあいました。何もしてくれない学校や先生、頼りにならない同級生達に愛想をつかし、自分を守るために登校拒否をしました。学校は集団生活を学ぶ場所どころか、人を憎むようになる場所でしかないと感じたからです。勉強なんか学校にいかなくても教科書や参考書があれば自分で出来ます。小学生の私はその頃から意味のない場所だと感じて、それから学校嫌いになりました。
「『いじめ』はいけないこと」というように広まってから報道で騒がれるようになっただけなように感じます。騒がれるようになったせいで、逆に先生達が昔よりもさらに隠蔽工作するようになってしまったように感じます。さらに先生らしからぬ、先生が多いように思います。今の先生達のほとんどが、本当に子ども達を豊かに育てようと言う気持ちがないのではないでしょうか?
そもそも一国の主である安部総理もそうですけど、人間を画一的に育てようという教育方針が間違っている気がします。それは「美しい日本」という言葉にすごく表れているように感じます。教育基本法を改正するそうですが、あまり期待できる内容ではなさそうです。

次に、自殺をしてしまった子どもの親。
学校や先生をやたら責め立てまくっていますが、その前に自殺をするほどに追いつめられていた自分の子どもの異変が解らなかった親としての自分はどうなのでしょうか?どうして自殺を食い止められなかったのでしょうか。その子の力になってやれなかったのでしょうか。そんな親自身にも責任がなかったと言い切れるでしょうか。私がもしその子の親だったら、学校や先生達を責める前に、自分の子どもの異変にどうして気が付いてやれなかったのか、力になれなかったのかと自分を責めて、その子の墓前でひたすら謝っている気がします。友達が病気を苦にして自殺した時、私はその人の力になれなかったことを大変悔やみました。

最後に自殺をした本人。
「いじめ」は確かに辛いことです。でも、「私を愛してくれた両親。」と遺書に書いているのなら、どうしてそこまで愛してくれる両親に「学校でつらいことがある。どうしたらいいか。」ともっと頼らなかったのでしょうか。どうしてそんな嫌な学校に無理に通い、自分を守るために学校から逃げ出さなかったのでしょうか。自分を愛してくれた大切な両親を傷つけるような「自殺をする」という行為をどうして簡単にしてしまったのでしょうか。私も死にたいと思ったことは何度もありますが、親の悲しむ顔、どうして力になれなかったのだろうと友達に後悔の念を植え付けてしまうことを思い浮かべると、どんなに精神的にボロボロになっても、自殺はできませんでした。ということは自殺をした両親の愛情はそれだけのものでしかなかったってことでしょうか。自分の弱さを見せられないような頼りない親だったのでしょうか。さらにすぐ自殺をしてしまうという精神的な弱さがとても気になります。

以上のことから、私は自分の子育ては、学校や先生にはそんなに頼らないようにしようと思っています。自分の過去の学校生活でも、学校の教育方針そのものを見限っていますので、そもそもそんな簡単には変わらないし、自分の望んでいるようにはすぐ変わらないだろうし、あまり頼りにならないと思っています。それでも中には頼りになる学校もあるし、先生もいると思いますので、そう自分で判断した場合は頼りたいと思いますが、自分の子ども達には、くだらないいじめなどしない、いじめをするような人間に屈しない強い精神力を育ててやりたい、精神的に追い込まれて危なくなったらその場から逃げる勇気も持たせてやりたいと思いました。そして、子どもに困ったことがあったら気軽に相談できるような頼れる母親でありたいと、このたくさんの「いじめ」のニュースを見て強く思いました。

いじめがおこる原因は「人は皆どこか違っているのが当たり前」という「その子らしさ」を認めない、「こうでなければならない。」という決めつけられた、閉塞的で、画一的な教育方針や慣習のせいではないかと私は思っています。

私はいつか将来、小さい頃に自分が行きたかった学校を作れたらいいなと近頃考えはじめています。
まずそれには、母親として自分の子どもをちゃんと育て上げてからですね。
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波長

2006年11月01日 | ★道をひらく
友達ってなんでしょうか?
そんなことをちょっと考えるような出来事があって、しばらく考えていました。

私が自分で友達と思っている人は「心でつながりあえる人」「本音で話せる人」「互いに励まし合える人」「切磋琢磨出来る人」と思っています。私が好きな人は「向上心がある人」「何かに頑張っている人」「輝いている人」「聞き上手な人」「思いやりのある人」です。私が嫌いな人は「愚痴ばかり言う人」「悪口ばかり言う人」「人の迷惑を考えない人」「話を聞かない人」です。どれも一般的ないわゆるという感じですね。

そして、人間として付き合う上で一番大切なのは「波長が合う人」だと最近感じています。
「波長」とか「オーラ」ってとても大切だと思います。

友達や恋人、結婚相手って、そういう意味でなんか似ている気がしています。どちらかだけが一方的に強く想っていてもダメで、やはり波長が合わないとうまくいきません。じゃあ、その「波長」って何?ときかれるとこれまた難しいですが、ほとんど感覚的なものですよね。誰でもたぶんそれを感じる感覚を持っていると思います。ちょっと話しをしてみて、「この人とは合う。」「この人とは合わない。」というあの感覚です。趣味や性格が違っていても、波長が合うと不思議とそんなに努力もせずに仲良くなれます。聞き上手になるとか、相手の気持ちを汲むとかの多少の努力はありますけど。

波長は、自分の中の「思い」や「考え」を反映して、高まったり低くなったりします。それに応じて、「類は友を呼ぶ」という現象を起こしているようです。それは、ジェームズ・アレンの「原因と結果の法則」と同じ、スピリチュアルカウンセラー江原啓之さんが言う「波長の法則」なんだなぁと思います。

そんな自分が抱いている感覚というのは案外正しいんだなぁと感じています。
「この人とは合わないな。」
と感じた人はどんなに合わせようとしても、解ろうとしても、仲良くなろうとしても、だんだん時間が経つにつれ、辛くなってきます。その内に付き合い自体が疎ましく思えてきます。その人に優しくなくなってきます。しまいには存在自体に憎たらしく思えるようになってしまいます。悪口や批判を言うようになってしまうと、言うたびに自分の心が汚れていくようで、そんな自分のことも嫌になってきてしまいます。

確かに人を嫌うことはあまりよくないように思うのですが、心が「嫌だ!!」と言っているものを無理に否定しようとしても、嫌なものは嫌なんですよね。逆に「どうしてそんなものが好きなの?」とどんなに言われても、好きなものは好きなのと同じように。人間には好き嫌いがあって当然だと思います。それは仕方がありません。正しいとか、間違っているという概念はおいておいて、それが「ある」「存在する」ということは確かです。

自分となんとなく合わない人と仲良くなろうと頑張ってみましたが、やっぱりダメでした。気持ちが受け付けなくなっていきました。許せないとかそういうことではなくて、付き合う気持ちになれないんです。どうあっても、好きになるどころか嫌いになるばかり。思い出すのさえ、苦痛になってきます。元カレもきっと私に対してそうだったんでしょう。「合わない。」単にそれだけのことです。自分と合わない人と一緒にいると疲れてしまい、たぶん無理して一緒にいればいるほど、傷つけ合うようになると思います。

もしかしたら、私の波長が変わったせいで合わなくなってきたのもあるのかなとも思いました。これが「波長の法則」なのでしょう。

だから、これから私は感覚的に直感的に合わないもの、嫌なものにはなるべく近寄らない、交流を持たないようにしようと思いました。無理して仲良くなろうとも思わないことにしました。もし途中で「合わない。」と思ったら、しなければいけない事以外は無理に行わずに、静かに遠ざかることにしました。どうしても関わらなければいけないときは、最低限のマナーをもって接しようと思います。こういうことは、自分のためにも、相手のためにもいいことだと思います。合わない相手が存在することは否定しません。存在してもいいんです。合わないものと関わらなくても存在を認める、それがちょうどいい考え方ではないかと思っています。

私が大切にしたい人やものを大切にしていこう。
そう思っています。

私と波長が合わなかった方、本当にごめんなさい。
せっかく出逢えましたが、私と付き合いたくても残念ながら私とは合わないんです。もっと自分自身に合う方を見つけてください。その方があなたの幸せのためです。

私と波長が合う方、出逢えて良かったです。ありがとうございます。あなたが掛けてくれる言葉、あなたがいてくれるお陰で、私はとても励まされ、生きていく強さに変えられます。

波長は変えられます。だから、自分の波長をもっと高めて、これからも、今まで出逢ってきた私が大切に思う素晴らしい友人達やこれから出逢う人々と、素敵な人間関係に恵まれるように、自分に満足することなく、さらに磨いて向上していきたいと思います。
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