春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

書冩山・圓教寺。②~ 兵庫県姫路市。

2023-05-24 11:24:18 | 西国33カ所札所

西国三十三所札所、関東から最西の場所にあって、
三十三所で最大の規模は、御詠歌👇

はるばると登れば書寫の山おろし 
   松のひびきも御法(みのり)なるらん

この日は山おろしは無く、
照ってる陽は、近畿自然歩道、梢からのやんわり。



👆👇 魔尼殿は2度の焼失後、1933年昭和8年、
落慶された市の重文。

910年、京都に生まれた、橘善行
36歳で出家して性空と名乗り
966年、57歳でここ、書冩山で庵を結ぶ。

4年後、性空上人は、
天人が庭の霊木、桜の木に讃嘆礼拝をするのを見て
桜の木に、如意輪観音像を彫り
魔尼殿を建てて、祀ったのが始まりという



1398年から明治維新まで女人禁制で、
女性はロープウェー発着所が10分程度の
如意輪寺で、札を納めたといいます。













昭和の構築、
構築材もきっちり、痩せもせず整然として、


👇回廊は雨が溜まらないようにでしょうか、
やや庭側が低い、どこの社寺もそうだったろうか、
記憶にありません。


魔尼殿で御朱印を頂いてから、
テレビ大河『軍司官兵衛』のロケ地になった大講堂までは、
魔尼殿の内陣の裏側を、

除草を兼ねた塩で固めた、硬い土の道から
10分程度、



👇 圓教寺の本堂にあたる大講堂や・食堂・常行堂の庭には、
姫路城城主だつた、本多家の菩提寺👇
それぞれ本多忠勝、忠政、政朝、政長、忠国の墓碑である、
五輪塔を安置してる。








👇大講堂・圓教寺本堂
撮っている場所は、
修行僧の寝食をする、
寺宝の展示室になっている食堂から
本多家の五輪塔を囲う建物が見える


👇圓教寺の歴史を、現代人が歴史を遡って
性空上人、
フィルムに収めるとは思いもしなかったでしょう

1578年羽柴秀吉、播磨制圧のために乱入、
魔尼殿の如意輪観音を
長浜の知善院に持っていった
どしてか亦、圓教寺に戻したけど
圓教寺の寺領は減らされ一時、寺力が落ちた



👇 食堂の寺宝展示室









ここにきて、圓教寺の広さ
( ブログ記事も長いけど 
次の札所と宿泊は無理と
悟り?
宿は取り直し、姫路にもう一泊

と腹をくくる

参考
インターネット
西国三十三所(京都新聞出版センター)
圓教寺、設置看板

コメント (2)
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晴れて・西国札所27番・圓教寺。①~ 兵庫県姫路市。

2023-05-22 09:37:47 | 西国33カ所札所

姫路市に付いた夕刻、
西国27番札所・圓教寺の場所を確認したのですが、
ナビは田んぼの外れを指し、登山口がない。
ロープウェーでなければ登れないと判って、
この日は、姫路市の宿へ。

👇圓教寺へのロープウェー4分間の、始発は8時15分。
万全を期したのに、
姫路市の道路は、4車線の片側通行で、
2車線目を走っては、右折ができなくて面喰いです。
ゴンドラにでは、『今日のお客様は、あなた様がおひとり』?
乗ってたのは、8人。
みんな圓教寺の関係者なのだそうで・・

この日は雨の予報でしたが、
書冩山しょしゃやま 
訂正です。吹田市の中井さんから、
しょしゃざんと指摘です 
(371m)ロープウェー展望台では、



すっかり晴れて、
数分ばかりところ、👇石段を登ると、



岡本太郎さんの荒々しい筆づかいの、
👇 石碑がありました。



裏側に回ると、この地書冩山山麓で生まれた、
悲壮な幼少期を過ごした、
作家、椎名麟三さんを紹介していた👇





970年に刻んだ、秘仏・如意輪観音様を、
祀っている、魔尼殿までは1キロ、
シャトルバスを利用する方は、
まず、👇 鐘を撞いてからと、案内され・・
ゴ~ン ‼



バスを降りていきなりは、懸崖造りの👇魔尼殿。
建物は、昭和時代に刻んだものでしたが、
威風堂々。





石段の傍に、









魔尼殿に登る石段の脇は、最初の休息所があって、






から
圓教寺の境内は
西国33番札所では最大規模だそうで
魔尼殿から
木の根道の自然散策
奥の院の規模
大講堂・食堂・常行堂や
聞きなれた弁慶の勉強机をみるなど
この日の、札所2カ所を回る予定は
だんだんと、怪しくなてきます


コメント (4)
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猫に愛されて、西国札所巡り。兵庫県。

2023-05-17 06:59:42 | 西国33カ所札所


兵庫県に来て今日で4日目、
西国33番札所巡りは、
しっかり計画を立てて出かけたのですが、
関西のお寺さんは敷地が広く、
一カ所3時間ばかり、
足は棒になって・・・
予定通りいかなくて、宿取りに四苦八苦、
3日間で撮った、撮って出しをランダムに・・・。

今日は、まもなく宿を出ますが、
兵庫県は札所番外を1カ所巡りで、終わり、
京都の北端、若狭湾に向かいます。

👇西国27番札所圓教寺


👇姫路城




👇一乗寺の猫と枯れっ花




👇西国25番清水寺


👇西国24番中山寺






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汗をかく観音様とヘマな雷神。正法寺。滋賀県大津市。

2023-01-30 09:45:41 | 西国33カ所札所

福井県、石川県、岐阜県にまたがる白山連峰、
白山信仰・山岳信仰の礎を作ったのは、

越前の修験僧  泰澄和尚。

722年、元正天皇の病気平癒祈願を成満した後、
白山に行く途中、
天皇の勅願所・岩間山正法寺を訪れ、
桂の木で、千手観音像を彫った。


ご本尊は、日が暮れると厨子を抜け出し、
136地獄を駆け巡り、苦しむ人々を、
ことごとく、救済して夜明け前、山に戻った時には、
体中汗だらけ、
当時、歴代天皇の尊崇厚く、
熊野、吉野に並ぶ霊場の一つで、
かなりの隆盛してた、岩間寺=正法寺の観音様は、
♪ 汗かき観音 ♬さんと、呼ばれた。











たびたびの落雷で焼失した正法寺、
雷神さんが、千手観音様に帰依しようと来たのに、
ヘマをして、正法寺に雷を落としてしまった。
一度ならず、2度3度。
泰澄和尚が、千手観音様に聞いたら、雷神の所為だと・・。
で、泰澄和尚、雷神を弟子にし、喜んだ雷神は、
水の乏しい村と、参拝の人たちに雷の災難が、
降りかからないように、
爪で岩を削り、土を掘り起こして、
水を湧かしたという・・。
👇 稲妻竜王社



👇 不動護摩道場









👇 京都、大阪の信徒さんが寄進したもの








滋賀県大津市と、京都宇治市の境に建つ
岩間山・正法寺
こじんまして1300年の歴史に
華美もなく、芭蕉の古池や・・・の句は
ここで詠んだという池があって?
こんもりした山の中
旅の疲れが、いっぺんに吹き飛んだ詣りでした







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石山寺・最古の懸造りは ②-② 滋賀県大津市。

2023-01-25 11:30:17 | 西国33カ所札所

琵琶湖から流れる瀬田川、
硅灰石の石切り場、

巨大な東大寺の建立に必要な資材は、
滋賀県甲賀、高島から伐採した材木を、
瀬田川に流し、ここ660年から始まった、

石切り場に集積場にしていたという。
後、天然記念物硅灰石の上に、建てられたのが、
源頼朝が建立したという多宝塔👇
迫力ある大きい庇は、言葉に無い優美。



👇私が撮っている場所は、
壬申の時代、皇位継承の争いで、叔父に敗れ、
自害した大友皇子を葬ってると云うのですが・・








華厳宗から、
密教、真言宗、天台宗が盛んになった平安時代、
貴族たちの、石山詣が盛んになり、
京から石山寺に籠って夜通し念仏を唱えたという。

1004年には、紫式部が滋賀県最古の本堂で、
光源氏を・・





👇紫式部(左)の供養塔と、
芭蕉句碑、
あけぼのは まだむらさきに  ほととぎす


👇西国33カ所霊場の尊像を拝観します。


👇本堂前には、神事も、仏事にも使える
鎮守拝殿という珍しい、蓮如堂が・・。
奥に本堂の、記録に残る最古の懸造り、
胸が躍ります。




👇その前方に、毘沙門堂。
大阪の大工が大阪で加工、彫刻を施し、
大津の大工棟梁が現地で組み立て、当時としては、
稀有な造営法を取ったという記録。













石山寺の敷地は、登ったり下ったり、広い。
もう、座れるところがあればどこでも、
よいしょっと・・。
ブログ石山寺に載らないファイル
ちょいと、眠ってもらって
石段降りて、参道脇・大黒天に手を合わせ
石山寺、ここで〆です






コメント (8)
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