
平衡感覚は酔っぱらったような・・、
いい気分の足取りで、
いい気分の足取りで、
踏み出した足が、おっとっと、後ろに戻って
しまいには、へたっと腰が抜け、ペタン、
小石の突起に、飛び上がる気力も無く・・・。
大変ご心配をおかけしました。
耳石が三半規管でコロコロ遊び歩き、
その都度、酔っぱらいの症状、
いっそ一斗樽平らげる豪気で、意識不明になるなら、
こちらの方が、理由もわかって気も楽。
その都度、酔っぱらいの症状、
いっそ一斗樽平らげる豪気で、意識不明になるなら、
こちらの方が、理由もわかって気も楽。
耳石この不愉快な正体は、
黙ってても2~3週間で、溶けるという、
黙ってても2~3週間で、溶けるという、
ながら、頭を動かすたびの、腹の辺りのむかつきに、
耐えられず、薬嫌いの一徹・・
負けた・・・三粒の錠剤の効果に、
どてっと寝つきにぐるぐる回る天井が、
昨日は一回りしないで、ピントが合えようになって、
ポケットの中の薬は掌、ぎゅっと握りしめて、
無くさないようにと
後、2~3日と・・・。
耐えられず、薬嫌いの一徹・・
負けた・・・三粒の錠剤の効果に、
どてっと寝つきにぐるぐる回る天井が、
昨日は一回りしないで、ピントが合えようになって、
ポケットの中の薬は掌、ぎゅっと握りしめて、
無くさないようにと
後、2~3日と・・・。
3軒隣の畑から、
いつまでも、若い気でいるんじゃねぇ~
グサッと
風が運んだ言葉は、ばあさんの声・。
婆さん、きっと、同じ経験してる・・な、ニタ~ ‼

正月三が日、午後1時から3時まで、
千葉の彫刻家の欄間の作品を披露したのは、
いすみ市行元寺ぎょうがんじで。
千葉の彫刻家の欄間の作品を披露したのは、
いすみ市行元寺ぎょうがんじで。
日光東照宮の彫刻を施したのは、
島村八郎右衛門俊元さん、
その弟子になって腕を磨いたのは、
群馬県沼田市で生まれ、
島村八郎右衛門俊元さん、
その弟子になって腕を磨いたのは、
群馬県沼田市で生まれ、
江戸神田九軒町に住んだのち、
真田家の家臣を捨て、
わたらせ渓谷の花輪村に移った、
高松又八さん、武士の頃の名は、蜷川けんかわ佐平太。
又八さんの肩書は、公儀彫物師、
日光東照宮の修復を手掛け、やがて、
11人の彫り物師を育て、花輪彫刻集団の礎を。
徳川家綱の霊廟・巌有院霊廟では、
高松又八さん、武士の頃の名は、蜷川けんかわ佐平太。
又八さんの肩書は、公儀彫物師、
日光東照宮の修復を手掛け、やがて、
11人の彫り物師を育て、花輪彫刻集団の礎を。
徳川家綱の霊廟・巌有院霊廟では、
徳川綱吉の霊廟・常憲院霊廟では
彼の彫刻がふんだんに施されたものの、
憎っくき、二次大戦で焼失、
彼の彫刻がふんだんに施されたものの、
憎っくき、二次大戦で焼失、
又八さんの彫刻の現物を見れるのは、
桐生の大雄院の須弥壇と
多分ここ、行元寺の欄間と、向拝の木鼻だけ。
多分ここ、行元寺の欄間と、向拝の木鼻だけ。


11人の彫刻集団を育て
2代目高松又八郎頼直
3代目高松又八頼品は、
代々江戸幕府お抱えの、御用彫り物師で、
彫り物師最高位を占める、技術を残し、
今日も、群馬県みどり市の祥禅寺で、
3代目高松又八頼品は、
代々江戸幕府お抱えの、御用彫り物師で、
彫り物師最高位を占める、技術を残し、
今日も、群馬県みどり市の祥禅寺で、
1716年から、
写真、左の小さなお墓の中で眠ってます。
写真、左の小さなお墓の中で眠ってます。
2018年8月1日、河童の墓参り。



波の伊八こと武志伊八郎信由さん、
高松又八さんの二人の彫刻を、
見ることができたのに不思議、なぜ高松さん?
高松又八さんの二人の彫刻を、
見ることができたのに不思議、なぜ高松さん?
18世、亮運僧は、天台教学に通じ博学多才、
弁舌にすぐれていて、家康公、家光公の講師であったと、
知ったのはごくごく最近、高松さんの、
彫刻を見れたことに納得、なつとく♬
弁舌にすぐれていて、家康公、家光公の講師であったと、
知ったのはごくごく最近、高松さんの、
彫刻を見れたことに納得、なつとく♬
波の伊八さんの彫刻は、👇客殿の中に、











👇みどり市祥禅寺で・・。

こんなポスターを見ました。
秩父、坂東札所満願の後です。
行ってみようかと・・。
秩父、坂東札所満願の後です。
行ってみようかと・・。

