昭和6年、瞬く間に燃え尽きたという、
室町時代前期の建築と云われた、浦佐毘沙門天堂、
地元民の喪失感を埋めるように、
再建の意欲高揚を垣間見る、写真1葉。
室町時代前期の建築と云われた、浦佐毘沙門天堂、
地元民の喪失感を埋めるように、
再建の意欲高揚を垣間見る、写真1葉。
昭和12年、地元民は堂再建の寄付金集めに奔走し、
足りなくなれば亦、寄付金集めに駆け回り、
足りなくなれば亦、寄付金集めに駆け回り、
焼失後、6年の歳月で、
山形県米沢市に生まれた、
すでに帝国大学を定年になっていた、
建築史家の巨匠、伊東忠太(1867~1954)博士の設計、
毘沙門天の完成を見た。
参拝者は後を絶たなかったという。
建築史家の巨匠、伊東忠太(1867~1954)博士の設計、
毘沙門天の完成を見た。
参拝者は後を絶たなかったという。
👇毘沙門天の回廊から・・
当時の地元民の、意気込みを心鎮め・・眺め・・・‼
👇宝仏殿
住職の代が変わった時だけ開く扉。
この中に、運慶作と伝わる、
大日如来像が祀られ、四隅には、
持国天、増長天、広目天、多聞天(毘沙門) が、
祀られているという。
住職の代が変わった時だけ開く扉。
この中に、運慶作と伝わる、
大日如来像が祀られ、四隅には、
持国天、増長天、広目天、多聞天(毘沙門) が、
祀られているという。
余談ですが、
日本の製鋼・鋼管技術の先駆者とされ、
群馬県みどり市花輪で生まれ、
旧花輪小学校の建設費を寄付した、
今泉嘉一郎工学博士。
彼の古希を記念した、胸像及び顕彰碑銘板の設置所の設計は、
伊東忠太博士、工科大学時代の同期で、
毘沙門天堂完成、前年に落成を終えている。
旧花輪小学校の建設費を寄付した、
今泉嘉一郎工学博士。
彼の古希を記念した、胸像及び顕彰碑銘板の設置所の設計は、
伊東忠太博士、工科大学時代の同期で、
毘沙門天堂完成、前年に落成を終えている。
清閑にして気品の毘沙門天堂
山門から振り向けば、再建に気鋭のを上げる
地元の人たちの姿が、ありありと浮かんできます
山門から振り向けば、再建に気鋭のを上げる
地元の人たちの姿が、ありありと浮かんできます
最初に大好きないちじくの実・美味しそう・
画像をめくるたびに、余りにも深い景色・雰囲気・
苔むした御堂と庭園。静寂の中での高貴な雰囲気を
感じています。
このような中で、カメラを回す気持ち。
きっと心の中から癒されている事でしょう。
私も心から引き込まれました。
訪れる予定の無かったお寺さんでした。
宿で地元の写真集を見て、時間を割きました。
良かったです。
彫刻写真から離れて、お寺の歴史写真は、何となく心穏やかな物でした。
こんな、訪問動機はいいものですね。
旅の疲れが取れてました。
建築史家の巨匠、伊東忠太氏が米沢市の名誉市民・第1号の方とは知りませんでした。
清閑にして気品の毘沙門天堂
まさしくそうですね。
私も以前南魚沼市に行ったことがあります。
天地人で有名な苔生す金城山雲洞庵にも
美しさに感動しました。
https://blog.goo.ne.jp/sayusayu_008/e/e022f3a17035315c1963d73be3861c69
伊東忠太さんは、建築学では、避けて通れない方だし、余談ですが東京駅のデザインを手掛けた前の辰野金吾さんの弟子でもあります。
雪国の社寺には、不思議な気品がありますね。
それは、今回感じました。
来年もまた訪れたいと思ってます。